おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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 石原慎太郎の「ババァ発言」に判決が下った。いや、発言そのものに判断を下すのは私たちだ。今回は、石原に対して損害賠償を求める女性たちの訴えに、答えが出ただけのこと。原告敗訴。判決自体はさほど意外なものではない。たぶんこの提訴には、勝ち負けそのものよりも(あるいはそれに加えて)、石原の言動を世に知らしめようという目的があったに違いない。

 いうまでもなく、問題は「ババァ」呼ばわり(だけ)ではない。それが(ババァと言われて怒る)「ババァ」対石原という図式に矮小化される。判決のニュースでも、石原に「ババァと言われる筋合いはない」と原告の一人が発言するところがTVに写されていた。しかし彼女(たち)は、もっと他のことも述べていたはずなのだ。

共産党というのはかねてから言論ファッショだと聞いていましたけれども、私が人のいったことをクオートしていったことを、さらに曲解、要するにつまんでこういうことをいわれれば、それは誤解を生ずる人もいるでしょう。

 2003年の都議会予算特別委員会で、石原は、共産党の吉田議員の質問に対してこう答えている。しかし、石原こそ、松井教授の言ったことを、「つまんで」「曲解」している。いや、彼は松井教授と話しながら「妄想」したにすぎないのに、それをあくまで自分の考えではなくて松井教授からの「クオート」だとする、度しがたい寝言をしゃべり散らす(予算特別委員会でである)。

私は、ある意味で松井さんのいったことに、あの人の論理にインスパイアされましたけれども、これはあくまでも私がある啓発を受けただけでありまして、私の持論ではございません。 

 朝のTVには、新聞読みの番組というのがある。やじうまナントカが先鞭をつけたのだろうが、今は軒並みやっている。新聞記事を画面に映し、前もって傍線を引いたところだけを読む。(見ているこっちは、抜かされた部分に注目したり、言い替えを確認したり、隣の記事を読んだりしながら聞く。もちろん、出かける仕度をしながらだ。)
 今朝、この判決については、ラサール石井が線を引いて女のアナウンサーが読む(最初の頃はラサールが読むのもやっていたが、聞き苦しいからだろう、アナウンサーに変わった)番組でまず聞いた。ここのメンツは嫌いではない。ラサールがときどき馬脚をあらわしさえしなければ。今日はそれをやってくれた。紹介したあと、「そんないちいち目くじらを立てなくても」とコメントしたのだ。新聞記事という二次資料から「つまんで」、そこで判断停止である。

 女のキャスターだかコメンテーターだか知らないが、そいつも言った。大人なんだから、怒らないでうまくかわせ。(そうだ、フェミニズム関係の話題で、この二人は以前にもこういう態度をとったのだった。)セクシュアル・ハラスメントという言葉が知られる以前は、そうした行為に「いちいち目くじらを」立てる女はそのように言われたものだ。今日のタイトルは吉田議員の発言からとったが、彼らは、目をしばたたく知事と一緒になって、にやにやと大人づらしたいらしい。(彼女が、私もそのうちババァと呼ばれる人間だけれど、と前置きしたのには驚いた。失礼ながら、生殖予定がある年齢には見えないが。そういう女は、すでにそう呼ばれているのだが。)

 別の局ではどうかとチャンネルを変えると、江川紹子がまともなことを言っていた。松井教授の「おばあさん仮説」は、おばあさんのおかげで文明が発展したという説だと、一応ちゃんと紹介し、石原は(品性ばかりか)読解力も疑われると結んでいた。(最後に、めざましテレビではどう扱っているかを見ようとしたが、出てこない。時間がなくなり、「今日のわんこ」でスキー板をはいた主人を引いて走る犬たちを見て家を出る。)

 大方の読者は見あきたと思うけれど、『週間女性』での問題の発言はこうだ。

これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」なんだそうだ。「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です」って。男は八十、九十歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって……。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね。

 これをはじめて読んだときは、石原はこれからまだ生殖するつもりかよ、と思ったが、調べてみると、もともと松井の説が、生殖能力を持っている、だからいい、といった文脈の話ではないらしい。ネットでもいろいろ読めるからここで詳述するのはやめておくが、代りに予算委員会でのやりとりをもう少しだけ引いておこう。これを見ると、松井教授こそ名誉棄損で石原を訴えてもよさそうだ。

 ▼吉田委員
 ここに「自然と人間」という雑誌があります。ここで記者が松井教授に取材をしています。そのときに、こういっているんですよ。引用もととされた松井教授に、石原知事の発言について電話で聞きました。
 これはコメントしようがないね、石原氏の発言を見ると、私のいっていることと全く逆のことだからね、私は、こういういい方はどこでもしたことはないし、おばあさん仮説という理論を私はいろんなところで話しているから、それを見てもらえばわかるでしょうと。
 本人が、私はそんなことをいうはずがないと。それは私の今までの理論、仮説を見てもらえば明らかだと、ここまでいっているんですよ。
 
 ▼知事
 私は、テレビの場以外の松井さんの発言に、それほど興味もございません。ただ、一度対談したときに、印象を取り次いだだけでありまして、ならば、必要なときだったら、私と松井さんと、どこかでお目にかかって、互いにいったことの……。謝る必要はないでしょう。私は、私なりの印象のことを受け継いだだけでありますから。

引用元はこちら
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by kaoruSZ | 2005-02-25 19:22 | 日々 | Comments(3)

理由がわかった

 TVをつけたままうとうとしていて夢を見た。倉庫のようながらんとした建物の、開いたドアの向うの部屋で、ホワイトチョコレートは普通のチョコレートとどう違うのかという声がする。金曜日にウェブで読んだばかりだったから、入っていって、知らない人を相手に説明した。
 目をさますとTVの中で、「さっきの、ホワイトチョコは普通のチョコとどう違うかという話ですが」という声がした。「ホワイトチョコレートにはカカオマスが入っていなくて、ココアバターだけだそうです」(そうとしか言っていなかったけれど、本当はもうちょっと込み入っているはず。もう忘れた。)それで、どうしてそんな夢を見たのかがわかった。徹夜をはさんで増村作品を四本見たあくる日、午前中のこと。

 ユーロスペースの増村レトロスペクティヴ、2000年の11月からだったとわかる。この年、10月から父は癌病院に最後の入院をし、骨に転移した癌に放射線をかける治療(最後の積極的な治療)を受けていた。11月はじめは高圧的な態度で転院を迫る主治医とケンカ(父がではない)の最中、映画どころではなかったのだ。
 ちなみに、ソーシャル・ワーカーに相談に行くと、あなたが女だから向うはそういう態度に出るのだ、医者と二人きりになっちゃいけない、必ず看護婦を同席させろ、弟も呼べ、と言われた。(その病院のソーシャル・ワーカーがそう言うんだからすごい。)そうか、差別されていたのか、私。こっちも十分強い態度に出ていたつもりだったが(医者と私が頭の上で言い合っているのを、十分に理解できないまま首を左右に振って眺めていた父、医者を見上げて「先生、大丈夫ですか」。医者は思わず父の脈を取っていた)。

追記:2002年にも増村レトロスペクティヴはあったのだった。50本というのはこっちらしい。
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by kaoruSZ | 2005-02-15 17:32 | 日々 | Comments(0)
 10日、『清作の妻』(傑作!)と『赤い天使』(芦田伸介が魅力に欠ける)を見たのち、わけあって徹夜、11日も朝から用事で出かける。日向にいれば温かい日。明るい陽を浴びていると午前か午後かわからなくなる。会った人に、知らないと言うだろうと思いつつ新文芸坐のチラシを見せると、「増村保造大好き、若尾文子素敵!」と言われる。私より年下なのだが、中学生のときからお姉さんに連れられて昔の文芸坐に行っていたとか(私は高校生の頃は日比谷映画(昔の)とか、上野山下の二番館ぐらいしか知らなかった。池袋も新宿も一人で行くようになったのは大学に入ってからだ)。大井武蔵野館や三鷹オスカーにも通ったという(私もだ。いうまでもなくどちらも今はない)。数年前、回顧上映でもっとたくさんやっていたと言われる。そうなのだ、ユーロスペースで50本も上映したらしい。どうして気がつかなかったのだろう。
 
 カレーを家で一度に二鍋作りそのうち一鍋半を食べてしまうカレー男が同級生にいたとかいう話を(元映画少女とは別な人から)聞いたせいで、皆と別れて池袋で降り、改札口内にカレー屋ができているのを目にしたとたん、食べたくなる(風邪が治って食べ物がおいしい)。結構お客も入っている。夕飯はこれにしようと決めて文芸坐へ。3時15分の回の『刺青』、さすがに眠ってしまって何がなんだかわからない。『痴人の愛』、どうにか見通す。新建材の室内とサイケデリック・プリントの落ち着かない色彩はリアルタイムで知っているもの(ああいう柄のサッカー地を選んで、母に夏のワンピースを縫ってもらった。子供だったけれど)。それにしても、職場のバレーボール風景からはじまるとは予想もしなかった。よくも悪くも「時代」が刻印されているというべきか。『刺青』、もう一度見ることにして、200円のレギュラー・コーヒーを奮発したらひどい味。それでも、眠らないように飲んでおく(半分残した)。今度はちゃんと見られてなかなかよかった。背中の刺青に一番魅力がない。刺青のせいにするまでもなく、若尾文子、最初から最後まで飛ばしっぱなし。台詞の言いまわし小気味いい。駆け落ちの相手の母親やワンカットだけ出てくる「ちゃん」や、若尾が惚れる旗本に至るまで、キャスティングもよい。

 もう一回『痴人の愛』を見てもいいけど疲れたし、それまでにはカレー屋が閉まるだろうと思って出る。結局六本しか見られなかった。あとは『からっ風野郎』ぐらいしか見ていないのに、増村/若尾論を書こうなんておこがましいという気がしてくるが、しかたがない、見られた作品についてだけでも書こう。カレー屋相変らず混んでおり、ゆっくりできそうもない。デニーズの田舎風カレーは結構おいしいからあれで間に合わせようと思って電車で帰る。デニーズに入って注文すると、品切れだと言われる(手元の端末で調べておもむろに告げるのがまぬけだ。品切れくらい覚えとけよ)。一瞬、隣町のデニーズには残っているか調べてくれと言いたくなるが、そこまで歩く気もしないのでラザニアを頼む。そのときはラザニアでもいいと思ったのに、食べるとなおさら不満がつのる。カレーが食べられると思わなければそもそもデニーズに来なかった。帰り道、セブンイレブンでジャンクフードを仕入れる。せめてこれでもと、ハウスのレトルトカレーをつい買ってしまった。翌日分のつもりだったのが、どうしてもカレーを食べないとおさまらず、温めておむすびと一緒に食べた。レトルトカレーでもいけるのはあるのに、これはまずかった。
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by kaoruSZ | 2005-02-14 16:23 | 日々 | Comments(0)

メロドラマのチカラ

 TVの前でゴロゴロしながらもう一つ、しょうもない「メロドラマの女性表象」を目撃してしまったのでそのことを書いておこうと思っていたら、そんなものなど吹っ飛んでしまうすごいメロドラマ——メロドラマを突き抜けたメロドラマ——に出会った。もちろん、テレビでではない。1964年の若尾文子主演、増村保造監督の『「女の小箱より」——夫が見た』である。

 新文芸坐の増村保造特集、土曜日からだったが、一作品一日上映の二本立てだ。全部行くぞ、と一月から思っていたのに先日来の咳が止まらず、昨日ようやく見参。若尾文子と岸田今日子の『卍』見ておかなければ、と思ったのだが、これは無理しても一日目から行くべきだった(後ろの席の人が、土日は混んでいたと話していた。行ってたらハタ迷惑だった)。

 テレビの方は『はぐれ刑事純情編』の再放送で、藤田まことの出るこのシリーズや時代劇は結構楽しめると思っていたが、これはひどかった。仕事に没頭する夫にかえりみられない欲求不満の人妻、というはじまりは同じなのだが(いや、冴えないオバチャンと若尾文子では同じではないが、しかし構造は同じだ)、前者はふとしたことから殺人(といっても、過失致死程度だろう)を犯すが、藤田まことは彼女を逮捕する前に、夫による結婚記念日の花束贈呈の一席を設けてやる。女らしさを忘れた十年だったのだそうだ。妻のためにと思えばこそ働いているのだろうが、女は結婚記念日に食事に連れて行ったりしてほしい生き物なのだそうだ。妻が出てくるのを、夫は心を入れ替えて待つそうだ。

 さて後者、湯上がりの肉体をかいま見させるタイトルにはじまって、若尾の夫が勤める会社の株を買い占める成り上がり田宮二郎(ライブドアのニッポン放送株取得のニュース、タイムリー)を相手に、最後は「抱いてくれ」と哀願する瀕死の田宮の肉体を愛の証の真珠の指輪をはめた手を血まみれにして愛撫しまくるジェンダーの逆転まで行くのだからすごい。3月1日の「映画館の日々」は若尾文子/増村保造論アップと決まった。お楽しみに。
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by kaoruSZ | 2005-02-10 15:13 | 日々 | Comments(0)

キユーピーコワイ

 経験したことのない倦怠感と下肢の痛みからはじまって、一週間後の今、喉の炎症だけが残っている熱の出ない風邪にかかった。おかげで、「確信犯? シングルの会」の戸籍の話に行きそこねてしまったけれど、一日中テレビをつけっぱなしで寝ていたので珍しいものも目撃した。

面白かったもの(1)
 節分の日に10チャンネルで見た、午前中のニュースで一回使うためだけに作られたとおぼしい、アナウンサーよりも大きいのり巻きの映像。アナウンサーを上方から撮って、天井から勢いよく降ってきた恵方巻きが彼の傍に直立するのだが、床に着地する際の弾力まで的確に表現されていた。こんなに大きくはないが、これを一口で食べるもので、とアナウンサーが紹介するのだ。
 御飯以外のものを炊くと称するのはまずそうだし、ど真中という言葉は下品だと感じるし、丸かじりのことを丸かぶりなんてふざけるなと思っているが、一瞬で消えてしまうものに対するこういう凝り方は好きだ。

面白かったもの(2)
 顏のあるたらこが直立し、「たらこたっぷり」と押し寄せてくる悪夢のようなコマーシャル。寝たり起きたりしていたので、あれは本当に悪夢だったか、と目がさめてから思ったが、私にそんなオリジナリティはなさそうだ。グーグルしてみたところ、キューピー/たらこ、キューピー/タラコで、それぞれ4000件以上ヒット。評判になっていたらしい。たらこのかぶりものをしたキューピーがかわいいとか、タラコキューピーとか書かれているが、私にはとうていそうは見えなかった。あれはタラコにキューピーの顏が生じたもので、言ってみればキューピータラコ。タラコにあんな顏がついていたらとても食べられまい。

b0028100_41295.jpgb0028100_4102124.jpgなんといってもこの生え際がコワイ。
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by kaoruSZ | 2005-02-09 04:24 | 日々 | Comments(0)

三信ビルも……

 下の記事の「愚かしい計画」については、「デジカメ散歩・ブログ版」で知ってリンクさせていただいたのだが、その直前の記事で健在ぶりを讚えられていた三信ビルも解体が決まったことを同サイトの新しい記事で知った。
 実は、建築の話をはじめると點鬼簿を記すしかなくなるのでなるべく避けていた。丸の内八重洲ビルヂングのことも、ついでのようにしか書きたくなかったのだ。

 しかし、今はない忘れられた建物のことを今日は書いておこう。かつて三信ビルの左隣(日比谷公園から見て)に立っていた「朝日生命館」のことを。三信ビル同様の高さがあり、鐘楼もついていた。今あるツルツルの壁面のつまらない建物からは想像もつかない、イスラム風のねじりん棒のような柱と羊の頭部の彫刻を低層の外壁一面にほどこした、マニエリスムの極地というべき装飾的な建物だった。 
 今、その名残りは、地下鉄日比谷線への出入口として残った地下部分に唯一見ることができる(今はじめて見る人は、どうしてそんなところに古色蒼然たるヒツジがいるのか不思議に思うに違いない)。建物が単独で在るだけではもはや街とは呼べない。朝日生命館がなくなったとき、三信ビルも本当は死にはじめていたのだ。
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by kaoruSZ | 2005-02-08 11:03 | 日々 | Comments(3)