おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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映画館の日々

——となかなかいかないのは残業の日々だからで、それでも、おととい(月曜日)は五時を過ぎたところで発作的に仕事を中断し池袋へ。土曜日から新文芸坐で、黒沢明の『夢』を除く全作品上映をやっている。
 土曜日の朝、久しぶりにバスで池袋に向かい(車窓から金メダリストの北島の実家、きたじま精肉店を発見。こんなに近かったのか。近くてもテリトリー外だと不案内なもの)、10時からの初回を見る。新聞で紹介もされていたもののこんな早くからは来まいと思っていたら、意外な盛況。帰るときには階段に行列ができていた。まあ、これは演し物が『七人の侍』だったかららしく、月曜日はすいていたが。
『七人の侍』、実ははじめて。幕間[まくあい]にテーマ曲ずっと流していたし、月曜日は歌詞つきで(しかも、男声、女声の二種類)やっていたから覚えてしまう(旗のーにさーらいはーーーー 嵐のなーにひーがえるーーーー)。『七人の侍』は土日の二日間やったが、このあと木曜日までは一作品につき一日しか上映しない。昨日は行けなかったが、月曜日、行ってよかった。『虎の尾を踏む男達』と、楽しそうに見に来ているおばあさんを見られたから。

『七人の侍』、志村喬と、彼の登場のしかた、なぜ彼がいきなり髷を切り頭を剃ってもらっているのか、その謎を、侍を探しにきた百姓たちとともに観客に体験させるあたりが圧倒的。ともかく、説明抜きで、見せる。木村功の美剣士、とっくにトウが立ってる(三十過ぎだったそうだ)ものの、ミスキャストとは思わない。

『虎の尾を踏む男達』は全く予備知識なく見た。安宅の関を通る義経主従の話(虎の尾を踏むとはこれのことだったのだ)。強力役、エノケンのトリックスターぶりがまず見事。メロディつけてコーラスとして画面にかぶせる地謡の扱いも面白い。台詞は歌わないのだからミュージカルではない、やっぱりコロスだろう。エノケンにも「女のよう」と言われてしまう義経の「女[おんな]」性を再確認。(イエスと弟子たちもそうだが、絶対総受けの女役だ。)岩井半四郎の義経、強力姿になって笠を深々とかぶる以前から、キャメラは後ろからしか写さない。関を抜けてのち、弁慶の手を取るところで笠を脱いで美しい顔を見せる、というわけだが、ここでも斜めからしか撮らない演出。弁慶役の大河内伝次郎やエノケンといった顏の役者はもとより、あれだけ顏、顏、顏の映画でありながら。

『一番美しく』は、途中で、見たことがあったと気づく。旧文芸坐のラストショーで、日本映画を延々とやっていたときに混じっていたのではなかったか。勤労動員された娘たち、母危篤でも会いに行かずに増産。微熱があっても隠す(この世代だった母から、毎日いっせいに体温を測ったと聞いたことがある。夕方微熱が出るのは結核なのだ)。頼まれもしないのに鼓笛隊で町を練り歩く。国策映画であり、当時は本気でこれをやっていたのだという、時代のドキュメンタリーでもある。題名と異なり女の子たちが美しくなくて楽しくない。主演は最初の黒沢夫人だが、若い娘とは思えぬおばさん顏なのだ。大義なき残業をやっている身としては、がんばることのアホらしさを再認識。『姿三四郎』、『虎の尾を踏む』では富樫役だった藤田進(弁慶、エノケン、眉をはね上げて描いた梶原の手の者といった異相とは対照的な穏やかな素の顏)が主演だが、残念ながら途中で眠る(疲れで)。

 さて、観客のおばあさんだが、おむすびとコロッケとお茶のペットボトルをたずさえていそいそと席に落ち着いた私の耳に、通路を隔てたやや後ろの席から、「映画はいいねえ」というさも嬉しそうな声が届いたのだ(同感、同感。食べ物をそろえておくとさらにいい)。「歩けるかぎりは連れて来てね」そう頼まれている連れの男は息子か孫か。彼を相手に、堺駿二の話をしている。堺正章の父親としてなら私も知っている名前。『七人の侍』のテーマを男声が歌い出し、これは誰かしらね、と言う。(私も知りたい。)
『一番美しく』が終って、廊下に張り出してある資料から、教師役が入江たか子だったと知る。化け猫女優。映画を見たこともないのにそういう言葉だけは知っている。ポップコーンを買って席に戻ると、化け猫映画で有名だったのよ、とおばあさんの声。油をぺろぺろ。場内が暗くなりかけたときも、まだそう言って楽しそうに笑っていた。
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by kaoruSZ | 2005-03-30 12:24 | 日々 | Comments(0)

今後の予定

 仕事(bureaucraticな仕事)が忙しくてうんざりです。
 こういうときに限って連載(?)みたいなものをはじめてしまう。なに、まとまったものを書き上げるだけの時間がないので長くなる、それで続きにするだけのことですが。でも、これってけっこう楽しいかも。黒猫さんのところで、オニババ評を二度にわたって書くという愚行(なぜなら、そこまでやって論ずる値打ちのない相手だから)をやって以来、くせになったようです。かつては終りの文章が見えていなければ書きはじめなかった私なのに。今や自分のブログで垂れ流し連載。

 思えばその昔は、夏休みの英語の宿題として出された、筆記体のアルファベットの練習帳を白紙で提出した私でした。小学校の漢字の練習でもあったでしょう、何回も書かせるやつ。ああいうのが大ッ嫌いで。もともと、こつこつ努力などしないのです。努力でできるようになることなどたかが知れてる。英語の教師に呼ばれて、なんでやってないのかと聞かれてひとこと、「無意味だから」(夏休み中にはそれでも手をつけなくてはと思ってはいたのですが、結局、出した結論はこうでした)。教師は苦笑いして放免してくれました。別にそんな練習をしなくても筆記体は書けたのだし、英語のテストでは満点しか取らないのだから、そうするよりほかないでしょう。今やっている仕事ときたら、そういう練習帳を埋めるようなことばかりです。職場にドロボウが入ったことがあったけれど、警察ときたら完全な調書を作ることばかりに熱心でした。なるほど、彼らの仕事も同じようなものなんだ。そういえば被害者にインタヴューもせず贋の調書をたくさん作って発覚した警官がいましたねえ。ちょっと同情します。書類さえちゃんとしていればいい世界。

 それにしても、封筒に入っていた一万円弱が抜かれていると聞いた刑事、横柄に「金種は?」とたずね、私が五千円札と千円札と答えると、五千円札は何枚かと聞きましたよ。ピンクの頬の新米制服警官を叱り飛ばすこわもてデカだったので、思わずまじまじと顏を見てしまいました。制服の坊やの方からは、鈴木さんは毎日来られているのですかという質問が。ボクが調書を書きまちがっちゃったときは、私の捺印がまた必要になるんだそうで。電話で確認してから来て下さい、無駄足にならないように。(結局、来ませんでした。)

 例によって、時間ができたら書きたいこと。Yさんから聞いた、彼女が直接知っているFTMTSたちのホモフォビアについて(女性が好きだから、自分は男にならなければと思っている)。小さい頃から女性が好きだというところまでは全く自分と同じなのに、そんなことは少しも考えなかった、とYさん。Yさんにおすすめのボーイズを書き出してもらい、さらに、今度現物を貸してもらえることに。しかし、私は何も、流通しているジャンル・ボーイズの研究をしたいわけじゃない。そのことの確認。さらにYさんとした話。女性のためのポルノとか女性の性的ファンタジーの存在を、全く考えることもできない人が存在すること。ヴェネツィア・ビエンナーレから戻って東京都写真美術館でやっていたおたく展に行ってきた人から聞いた疑問について話題にする。コミケで女性が多いことを言いながら、実際の展示は男のおたく中心の美少女ものばかりだったという。そりゃそうだろう、女は排除され、身を隠している。

 昨日の東京新聞の夕刊で森岡正博『感じない男』についてコラムが触れていたので、書くときはこれを接続しよう。本はすでに読んでいる。×。こんなことをやっていると、森岡正博も小浜逸郎も区別がつかなくなりそうな。一番嫌なのは、女にこれを読んでもらい、理解してもらいたがっていること。そういう人をまた、わざわざ女性学会に呼んで男とポルノについて話してもらうんだからね、〈フェミニスト〉は。

 もう一つ書きたいこと。おはぎ、どら焼き、モナカ、あんドーナツ、草餅、柏餅——あなたはこしあんとつぶしあんとどっちが好き? (どっちでもいい?)上記のそれぞれについて、私ははっきり決まっています。その理由についての考察。
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by kaorusz | 2005-03-23 22:51 | 日々 | Comments(0)
 数々のよきものと同じように、ランボーもまた高校時代に同級生だったHによってもたらされた。
 私を神保町へはじめて連れて行ったのはHだった。東京堂でHは、岩波文庫の『地獄の季節』——★一つのあの薄い一冊を購った。それは私が生まれてからそれまでに目にした本屋の中で一番大きい本屋だった。それ以前、私が知っている一番大きな本屋といえば、上野中通り(アメヤ横丁の隣)の明正堂だったのだ、かなしからずや(中原中也は夭折したわが子を不忍池に連れて行ったときのことを、「そは坊やの見し水のうちにて最も大なるものなりき、かなしからずや」と書いている。ちなみにこの詩を私に教えたのもHだった。「広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや」——兎のおもちゃかなしからずやというのがいいじゃない、とHは言うのだった)。

 今は建て替えられてしまった、旧制中学だった頃からさして変わっていなかったのであろう古色蒼然たる建物の中にあった図書室で、ランボーはヴェルレーヌを拳銃で撃ったのね、とHが言った。感に堪えたようにと形容したら、思い出を脚色したことになるだろうか。その話を、私はすでに知っていた。何年も前からすでに知っていた(だから意外ではなかったが、なぜ、Hがそのことに感嘆しているのかわからずにいた)。祖母の家で子供のときに見つけた、『世界の詩人』と題された古ぼけた本——母の年の離れた弟妹の誰かのものだったその本には、シェリー、ゲーテ、バイロンほか、キャッチフレーズめいた惹句をおのおのあたえられた詩人たち(たとえばボードレールは「『悪の華』の官能詩人」だった)が勢揃いしていた——の中で、「年若い流浪の天使」と名づけられた、彼の作品と人生の物語に出会っていたからだ。ヴェルレーヌが発砲してランボーの手を傷つけたことは確かにそこに載っていたが、それが何を意味するのかはさっぱりわかっていなかった。綺羅、星のごとき詩人たちを鏤めたロマンティックな文学史には、彼らの関係がどういうものかは明かされていなかったので。

 大学で、「ランボーによるエチュード」という教科書を使ったフランス語教師がいて、ランボーとヴェルレーヌを「ホモの元祖」と言ったのが気にさわったという話は昨年暮れに出した手製本「孔明華物語」のあとがきで書いたが、この教科書は、女子大を退学し、藝大に入るための予備校に通っていたHをその学校に訪ねたとき、羨ましがらせてやろうと思って持っていった。L'Etude selon Rimbaudというタイトルの下にArthur Rimbaudとあるのを見たHは、「アーサー・ランボーっていうの?」と不審そうな声を出し、「なに言ってんの、アルチュールに決まってんじゃない!」と私は答えて、そうだったとHも笑った。それよりあとだったか、『地獄の季節』の一部を原書で読む授業に出たこともある。すべて昔の話だが——つい昨日、『ランボー 自画像の詩学』(中地義和、岩波書店、2005)という本を買って読んでいるので、こうした話を書く気になった。

 話題を絞ろう——高校時代、Hの影響でしばらく詩を書いていた私は、それから十数年の時を経て、季節はずれにもまた書き出した。投稿した詩の雑誌に載ったのは「青ざめた無数の水死人が流れていった」で終る一篇だったが、Hにそれを読んでもらうためには、彼女が入院中の精神病院まで訪ねなければならなかった。風邪気味なのでといって着ていたピンクのパジャマのせいか、記憶の中の彼女より幼げに見えるH(それが生前の彼女を見る最後になった)は、「詩なんて読めるかしら」と呟き(私の先導者であり、かつては「魔術師[マージュ]とも天使[アンジュ]とも」思った人が!)、それでも目を通して、水死人のイメージに嫌悪をしめし、「なんでこんなこと書くの?」と問うた。実はこれは、中地訳では「そこをときおり、蒼白の恍惚とした漂流物、思い深げな溺死者が一人流れ下ってゆく」とある、ランボーの「酔いしれた船」の一行に由来する(正確には、この文句をもとに私が見た夢という迂路を経て)。ランボーのこの詩句自体はまた、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』に由来すると中地は書いていて、海を見たことのなかったランボーがヴェルヌを読んだ記憶をスルスとしていることはこれまでにも読んで知っていたが、この本では具体的に示されていてまことに興味深い。

 そんなわけで、ここでこれから書くことは、「なんで」とHが私に言ったその答えになるだろう。あの蒼白の水死人たちがどこからやってきたかを、あまりにも遅くなった応答として書いてみよう(なんのために? 少なくとも、Hに読ませるためでないことだけは確かだ)。
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by kaoruSZ | 2005-03-21 12:47 | 夜々 | Comments(0)
 私の発見をほめてくれた先生は、しかし、私の金魚鉢の絵にいい点をつけてはくれなかった。自分でも満足のいく出来ではなかったから仕方がないが。目のつけどころはよかったかもしれないが、技術が伴わなかったのだ。
 夏休みに描いた自画像は、その点、気持ちよく描けた自信作だった。今までにない描き方をしたという自負があった。とにかく、忠実に描いたのだ。白地に赤や青の小花をつないだ模様がストライプ状に並んだ夏服(母が縫ったワンピース)を私は着ており、その花柄も克明に描いた。前述のとおり、図工は専任の教師がみていたのだから、夏休みの作品でなかったら、担任のNが教室でそれを批評するなどという場面はありえなかったに違いない。
「大人でもこのくらいにしか描けないんだから」、とその絵を掲げてNは言った。「もうちょっと子供らしさがほしいな」

 この言葉は私を当惑させた。「大人でもこのくらいにしか描けない」——これはほめすぎだと思われた。たとえNにほめる意思がなかったとしても。私は上手になりたかった。大人のように。大人になれば(技術を身につければ)、もっと上手に描けると信じていた。その時点ではよく描けたとはいえ、まだまだその先があると思っていた。その可能性を否定され、「子供らしさ」という思いもよらないものを求められたのだ。

 Nならば、野口シカの手紙を「文章読本」の見本に引用するのをためらわなかったかもしれない。斉藤美奈子は『文章読本さん江』で、そういうやり方を笑っている。野口英世の母の手紙は確かに感動的だが、これを文章の手本として称揚するのは、要するに珍獣扱いだというようなことを言っていたと思う。シカさんも、本当はもっと「上手に」書きたかっただろうというのだ。

 Nが山下清の才能を通信簿にたとえて紹介したとき、私は違和感を感じたが、それは、私には、「ほかの勉強は全くできないのに、絵だけはうまいなんてすごい!」という発想自体がそもそもなかったからだった。「ほかの勉強」ができることは絵がうまいことの理由にならないのと同様に、また、絵をうまく描くことの妨げにも少しもならない。なぜこの二つを結びつけて何か言えるなどと思うのか。

 保護者参観日の授業と、そうでない日の授業と、みんなはどっちがやりやすいかと、Nが私たちに聞いたことがある。私はいつでもNの意図を読み取るのに苦労したが、このときもそうだった。質問の趣旨がわからなかったのだ。悪いことに、Nは私を真先に指名した。しかたなく私は、参観日、と答えた。ふうん、という感じの反応を見せて、Nは他の子供をあてた。参観日でない日、という答えを得て満足そうに言った。先生も、誰も来ていない日の方が気楽だよ。なんだそういう意味か、と私は思ったが、同時に疎外感も感じた。そういう口をきくのが型にはまらぬやり方だと、Nは考えているようだった。参観日だから気をつかうという発想が、私にはまるでなかった。参観日と答えたのは、親が来ている日の方が、Nがまだまともに(普通の教師らしく)振舞ってくれるだろうという考えが頭をかすめたからだった。

 今思えば、Nは問題のある教師だったのだ。たぶんひねくれ者の、落ちこぼれだったのだろう。規範から(悪く)ずれていた彼は、規範から外れることをよしとしていたのだろう。そして私のことを、規範に沿った優等生だと思っていたのだ。
 誤解だし、大きなお世話だった。彼は規範から外れていたが、その外れ方は凡庸だった。アウトサイダー・アーティストのように外れることなど、できるわけもなかった。私の方は、実のところ、何が規範であるのかさえ本当は知らなかった。彼に見えていた私は、私のほんの一部だった。オスカー・ワイルドは生活には天才を注ぎ込み作品には才能しか使わなかったと言っているが、私が彼の前で披歴していたのは、言ってみれば学校という場に合わせた才能にすぎなかった。「上手に」描くことを望んでいた私もまた、アウトサイダー・アーティストではありうべくもなかったが。
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by kaoruSZ | 2005-03-19 07:40 | この分類に含まれるもの | Comments(0)
 最近書いた記号をめぐる話に、以前書いて「つづく」にしていた記事を足し、これまでカラだった「この分類に含まれるもの」という項目に分類しなおした。もともとこのカテゴリー(長音をつける方が好みだからつける)名自体は、フーコーが引用したので知られるようになった(のであろう)、ボルヘスの短篇に出てくる「ある中国の百科事典」の、項目の一つをもじって遊びで載せておいたものだ。別に何を入れる予定もなかったが、うまい新カテゴリーも思いつかないのでこれを使うことにした。読者には、「カテゴリ」欄から「この分類に含まれるもの」を選んでクリックしていただき、ゆるい関連を持つトピックとして読んでいただければ幸いである。

「ヘーゲルや」(2004.12.16)で言及した『アウトサイダー・アート』の著者、服部正は、同書の前書きを、幼いころに経験した絵をめぐるトラウマ的なエピソードではじめている。父親の絵を描くという課題が出たとき、父上は日焼けしている人だったので迷わず顏をこげ茶で塗ったところ、先生にはほめられて高々と掲げて皆に紹介されたが、級友たちからは失笑を買った——その先は容易に想像がつこう。彼以外の全員が、父親の顔を「肌色」のクレヨンで描いていたのだ。

 以来、服部さんは、思い通りに色を選べなくなったそうだ。「さりげなく周囲を見回しながら、級友たちと似たような絵を描くことだけに苦心した」。そして、二十歳のときに「アウトサイダー・アート」に出会う。美術に関わる仕事を目指すようになったのは、規範から自由な「アウトサイダー・アート」から受けた強い印象からだとさえ言う。

 実は私も子供のときの、絵を描くことをめぐる体験のいくばくかについて触れたいと思っていた。それは、アウトサイダー・アーティストの一人としてこの本に紹介されている、山下清という名にレミニッサンスを刺戟されたからでもある。山下の名は、小学二年のときの担任からはじめて聞いた。山下清という人は、と黒板に棒グラフめいた図を書きながら、彼は私たちに説明した。国語も算数も理科も社会も、1よりもっと下だけど(そう言いながら、横軸のゼロより下にしるしをつけたのだろう)、ただ図工だけは、5よりずーっと上なんだ(そう言って、図工をあらわす棒だけを、はるか上まで延ばしてみせた)。

 私はこの教師が嫌いだった。その理由を詳述するのは避けるが……今思えば、彼は教師の中でも、はぐれ者だったに違いない。一種の、それこそアウトサイダーだったのだろう。だが、子供にはそんなことはわからない。型破りな教師であることすらわからずに、いちいちまともに相手をするしかないのだから、考えてみれば迷惑な話だ。何よりも嫌だったのは、自分がそういう彼に、明らかに目をつけられていることだった。いや、目をかけられていたというべきなのだが、それさえ当時はわからなかった。ただ、相手から強い関心を持たれていることはわかる。進級して担任ではなくなっても、母に言われてこの教師に年賀状を書いた(私の母は、元の担任に年賀状を出さないことなど許さなかった)。それで仕方なく出すと、向うは返事のハガキに「兎のように優しい子」などと書いてくるのだ(むろん私のことである。たまたまウサギ年だった)。マジで(当時そういう言葉はなかったが)気持ちわるかった!

 この教師が、私が夏休みに描いた絵を、皆の前で批評した。服部さんの場合のように、それがトラウマになったわけではない——とはいえ、それは私を途惑わせ、不快にさせた。

 その絵は私が、はじめて意識的にリアリズムで描いた自画像だった。リアリズムという言葉を知っていたわけではもちろんない。しかし、そういう描き方は知っていた。なぜなら、二年生になると、図工の時間は専任の教師が担当するようになって、そのはじめての授業の日、図工の教師は金魚の入った水槽を持ってきて教卓に置き、それを見えたとおりに描かせようとしたからだ。

 彼は——白髪の老先生だった——まず、他のクラスの子がすでに描いた絵を私たちに掲げて見せた。どれも、金魚鉢の中は「みずいろ」で塗られていた。金魚鉢は本当に水色だろうか、と彼は私たちに問いかけた。
 私たちは——少なくとも私は——驚いた。直前まで、金魚鉢の中の水は当然「みずいろ」で塗るつもりでいたのであり、金魚の赤、藻の緑、そして水色という配色を、すでに想像の中で楽しんでさえいたのだから。

 実際、金魚鉢の水は水色には見えないことを私たちは認めた。
  ——では、何いろを塗ったらいいと思う?

 私は最前列にいた。老先生は私の机にズボンが触れるほどの近さで立ち、私の頭上でそう問うた。私は金魚鉢を注視した。ガラスを通して、その向うにある教室の壁が見えた。二階建ての木造校舎の、その春私たちが二年生になって一階から二階に移ったばかりの、しかし造りは一年生のときと同じなので外を見なければ二階であることを忘れてしまいそうな教室の壁一面を覆っている、見慣れた薄緑のペンキを塗られた羽目板が。
 先生を見上げて私は答えた。「金魚鉢のうしろにあるものの色をぬる」
 思いがけない方向からの声に、先生は私を見おろすと、私の頭に片手をおいて、「この子はいいことを言う」と呟いた。そしてそのあとはずっと、説明が終って実際に絵にとりかかるまで、大きな温かい掌は私の頭の上にあった。
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by kaoruSZ | 2005-03-18 23:22 | この分類に含まれるもの | Comments(0)
 読売の記者である鈴木美潮さんが、15日の夕刊にエレベーターの三角マークのことを書いていた。間違って閉じる方を押して人を挟んでしまい、「イヤな女」になってしまうのだそうだ。ウェブでもあれがわかりにくいという意見はよく見るという。
 私は、自分で書くに先立って一応検索を試みたものの、キーワードの選択がまずかったのか、そのときは一つも見つけられなかった。下のjjさんのコメントによればアメリカ人にもわかりにくいのだそうだから、どうやら、私だけが「絵文字の読めない女」ではないらしい。

 しかし私は、わかりやすい、夾雑物のない、透明に意味を伝える記号を、指向したり、提唱したりしたくて下の記事を書いたわけではもちろんない。美潮さんの記事の趣旨はそうだし、以前、同じコラムで「オニババ化する女たち」を彼女が取り上げたときも、確か、著者の主張に従ったのでは働きながら子供は育てられない、という、実際的な理由から反論していたと思う。まあ、ブンヤというのはえてしてそうしたものだろう。私はといえば、女という「自然」を標榜する三砂の言説が孕むイデオロギー性をこそ問題にしたのだった。

 さて、三角形の向きで読み取るのと、門構えの中の記号の差異で読み取るのに、決定的な違いはない。ア・プリオリに三角形の方が簡単だということはありえない。それをたとえばアメリカ人が、開も閉もアルファベットのように普遍性、合理性のない「東洋人の使うゴシャゴシャした形」(jjさん)と感じるとしたら、本人たちにとってどんなに自然であろうとも、それはけっしてニュートラルな感覚ではありえない。理解する必要(と価値)がないと思っているから理解しないのだ。中国人は日本の仮名を見て、由緒正しい漢字をしょうもなく変形させて、と思うかもしれないし、逆に韓流ブームがきっかけでハングルに関心を持った人には、あの「ゴシャゴシャした形」が意味を持って見えてきたことだろう。

「開」と「閉」を見せてどちらがひらいておりどちらがとじているかと尋ねる「外国人」として、実は私が想定していたのは父方の祖母である。幼いときから口べらしに外へ出されて育ったそうで(「おしん」みたいなものだ)、学校へは一度も行っておらず、むろん読み書きはできなかった。「ヨシはあたしの三十八のときの子だよ」と繰り返し私の父のことを言っていた(「ヨシの子がこんなに大きくなるまで長生きするとは思わなかった」という科白がそのあとに続く。幼い私を前にして、他の大人にそう言うのだ。そのたびに、私はこんなに小さいのに、おばあちゃんはなんで大きいと言うのだろう、と思っていた)祖母は、生きていれば(なんと)百十八歳で、もちろんとうにこの世の人ではない。
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by kaoruSZ | 2005-03-17 06:12 | この分類に含まれるもの | Comments(0)

絵文字が読めない女

「開」「閉」なら問題ない。ほとんどオートマティックに見分けてボタンを押す。
 それなのに、職場のエレベーターときたら、階をあらわす数字の下に、三角形を組み合せた変な図形が二つ並んでいる。どちらも、三角形が左右対称に配置され、細い縦線が中央に引かれている。そして、
【記号1】「三角形が線を挟んでカドを突きつけ合っている」が「閉」を、
【記号2】「線と平行に辺を並べ、外側にカドが向いている」が「開」を意味するのだ。
 なぜ?
 中央にカドを向けた三角形は、左右の翼を外へ向かって大きく広げたところであるように私には見える。これは「ひらく」だと、直観的に思ってしまう。一方、縦線を境に並んだ二つの辺は、ぎりぎりまで近づけられた手のひらのようだ。強い力が両側から加わって、接触面を最大にしつつ均衡を保っているように思われるのだ。
 もちろん、立ち止まって考えてみれば、これが矢印の変形であることが理解できる。
 要するに、
  
   【記号1】は  →|←  と、   

   【記号2】は  ←|→  と同じなのだ。

 だが、いうまでもなく、エレベーターに乗る際は、いちいちそんな分析をしている余裕はない。私が「ひらく」のつもりで咄嗟に押したボタンのせいで、人が挟まれてしまうかもしれないのだ。
 上のような矢印にしておいてくれたなら、私にも一目でわかったのに。洒落たつもりで三角形になんかして。
 あるいは、もう少し三角形が小さく、また、中央の線から離れていれば、私にも読みとれたかもしれない。
 もちろん、三角形は上下の行き先をあらわすものでもある。▲と▼。これは一目でわかる。第一、それ以前に、ボタン自体が上下に配置されている。

 以前、こうした絵文字は、職場の中でも新しい区域のエレベーターにしかなかった。たまに乗ってわかりにくいと思いはしても、それだけだった。ところが、今では古い建物もすべて改築され、開閉ボタンはすべて絵文字になった。外国人にもわかるように。そうした配慮もあるのだろう。
 しかし私にはわからない!
 閉まりかけたところに来た人のため、本来ならボタンを押してしかるべき場合でも、間違いそうで私にはうかつに手が出せない。以前、そういう状況で、自分でボタンを押してドアを開け、乗り込んできた女性に向かって、この記号わからなくてと洩らしたことがある。相手は、「私もです」と言ってくれた。

 エレベーターのドアが開くと、大荷物の台車を支えた業者の人が後向きに立っていた。手前のわずかなスペースに、私ともう一人の女性が乗り込む。私の前にボタンがあった。閉じるボタンを押そうとして、固まった。
「右」と彼女の声。私は右側のボタンを押した。
 上昇するエレベーターの中で、ボタンを指して私は言った。「私、どうもこれがわからなくって。漢字にしてもらった方がいいんだけど」
「頭脳派なんだ」と彼女は言って降りて行った。

 いや、そうじゃないな。絵を勝手に読みとってしまうんだから。でも、読みとりは本来すべて恣意的なものだろう……。いったい何派なんだろう?
 澁澤龍彦が、スカートをはいた赤いひとがたのトイレのマークから、それが女性用だということを自分は読みとれないと書いていたことを思い出す。あれは、自分が根っからの文字派であることを言いたかったのだろうか?
 女性用を表わすマークまで読みとれないとは言わないが、上野ABAB(アブアブ)のトイレの不思議な表示には頭を悩ませたものである。男性用のトイレなのだが、鷺だか何か、長い脚の鳥が立っている絵が、スカートをはいていない男性マークのあるべき場所に掲げられているのだ。どうして鳥が「男」の意味に?

 エレベーターの中でのように咄嗟に判断しなくていいので、ぼんやり考えをめぐらせた。男が鳥なら女は何? 立っている鳥……男は立ってするから? では女は? 何かすわっている動物か? それにしても何という発想!(と、それが自分の発想とはまだ気づかずに考えた)。なんの動物だろう、ぜひ見なければ。
 上野ABABは一箇所に男女どちらかのトイレしかない。上だか下だか忘れたが、階段を伝い、隣接する階のトイレに急いだ。
 そこにあったのは、女性用トイレであると誰にも見誤りようのない、赤一色で描かれた、つば広の帽子をかぶった女性の横顔だった。
 狐につままれた思いで、私はもとのフロアに戻ってきた。(どうして男のほうは鳥なんだ?)

 鳥の絵を見つめるうちに謎が解けた。それは黒一色で描かれた、男性の横顔だったのだ。目や眉といった細部は省略され、マネキンのように黒く塗りつぶされた横顔の中で、耳やもみ上げやそれに続く生え際だけが白く抜けている。私の目にはその白と黒、つまり図と地が反転して見えていた。耳の丸みは白い胴の輪郭に、もみ上げの線は長い脚に、こめかみから額にかけての生え際は鳥の首に、さらに頭とくちばしへと続いているように、鳥の姿が黒い背景から浮きだしているように見えたのだ。
 一度誰かを連れてゆき、鳥が見えないかと尋ねてみたかったが、その機会のないまま時は過ぎ、ABABのトイレの表示はありふれたそれに変わってしまった。あの、澁澤が自分には理解すらできないと言った赤と黒のひとがたに。

 漢字を知らない外国人には、本当に「開」と「閉」がわからないだろうか? どちらが「ひらく」でどちらが「とじる」なのか……うーん、やっぱりわからないかな。
 「開」と「閉」のどちらかが女を意味し、どちらかが男を意味すると言って、選ばせたらばどうだろう?

 さて、私はといえば、あのあと不思議に間違わない。あの、乗り合わせた人の「右」という声のおかげで、閉めるのには「右」を押す、と覚えることができたらしい。逆に言えば、絵文字の意味を読み取ろうとすることをあきらめて、「右」という言葉に頼ることにしたらしい。
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by kaoruSZ | 2005-03-09 23:44 | この分類に含まれるもの | Comments(4)
 サトウハチローの作詞であることはもちろん、「うれしいひなまつり」が正式な題であるとさえ知らなかったが、どうも元凶はあの歌であるらしい。
 もちろん、やたらと聞かされ過ぎていなければ、華やかでしかもどこか哀愁をおびた旋律は今よりもっと魅力的であったろうし、歌詞もメロディにふさわしい。「お内裏様とおひな様/二人並んですまし顏」は、見過ごせる瑕瑾にすぎないと思っていた。雛壇の一番上にいる二人はともに「だいりさま」であるのを、作詞者が間違って覚えていて、そのことはみんな知りつつ歌っているのだと思っていた。

 ところが——お内裏様=男雛、おひな様=女雛という思い込みが、けっこう拡がっているらしい。前々から目にしていたが、今年はじめて気づいたのは読売新聞三月三日の「ぷらざ」欄——八人姉妹の七番目として生まれ、幼いとき自分の雛人形がなかったが、今年、姉の一人からビーズで手作りした「おひな様とお内裏様」が送られてきたという、五十五歳の人の文章である。それ自体はいい話だし、なんといっても書き手は素人だ。ここにも、と思いはしたがそれだけだった。
 その後、たまっていた新聞の切り抜きをしていて、二月の終りの朝刊の、最近の雛人形の傾向という記事を見た。お内裏様とおひな様をのせた台が収納ケースとなっていて、ひな祭りがすんだらしまえると冒頭に書いてある。女性記者の署名記事。これも歌だけを信じて育ったクチか(だったら校閲部でチェックしなければ)。

 私のおひな様は縦長の雛壇がガラスケースに収められており、ケースの下部が観音開きになっていて、その中に木目込の人形と道具がしまわれていた。一年ぶりにそれを取り出し、一つ一つ薄紙をはがして段に並べる。幼稚園にも同じタイプのものが飾られていたから、雛人形とはそういうものだと思っていた。だから、小学校の同級生の家に招かれて、大きな(つまり普通の)雛壇をはじめて見たときには驚いた。私の内裏様(女の子の方)はおかっぱの髪に瓔珞の下がった冠を乗せた子供だが、このおひな様は大人で髪を結っていた(大人のおひな様、子供のおひな様、という言い方は、母がしていたもの。余談だが、NHKのかつての「人形劇 三国志」は大人の三国志、マンガ「STOP! 劉備くん」はそのキャラを木目込人形の子供にした三国志だと私は思っている。あくまでも外見の話)。牛だの駕籠だの鏡だの、見なれないものも並んでいる。トイレを借りるため座敷を抜けようとして、床の間に、内裏様だけの古びた雛があるのを目にとめた。同級生のお母さんから「小母さんのおひな様もいいでしょ?」と声をかけられ、頷いた。

 家に帰って母に話すと、それは大人のおひな様で、お母さんのおひな様もそうだったと言われた。母は四人姉妹で、三人目の女の子が生まれたとき、おひな様をもう一組買い足したという。のちに見た台湾時代の写真には、大小二組の雛壇(おひなさま以外の人形も飾られている)を背景に、よく似た笑顔の三姉妹に加え、四人目に生まれた男の子が面伏せな感じで写っている。「うれしいおひなさま」(昭和十一年)の歌が作られたのと同じ頃、この子が生まれた計算になる。長姉である母が抱いているのが私が夏休みに遊んでもらうことになる叔母で、末っ子の叔父の姿はまだない。

 三番目の女の子はその後病気で死んだ。父親の腕から採った血液をじかに輸血したけれど、助からなかった。長男は二十歳[はたち]で結核で死んだ。六月に死んだその子の忌日に供えるのに庭の白百合はいつも間に合わないのだと晩年の祖母から聞いた。段飾りを玄関に、お母さんのおひな様を座敷に飾っていた一家は、のちにお父さんが事業に失敗して夜逃げした。母たちの雛人形は引き揚げるとき川に流してきたという。赤い巨大な雛壇が人形をのせて川をゆく。私が思い浮かべた光景は、後年、ATG映画特集で寺山修司の『田園に死す』をやったとき、三百人劇場のスクリーンに現出した。

 私はフェミニストであるので雛祭りに反対しないが、おひな様を早く片づけないと嫁に行き遅れるという会話はいい加減やめにしたらいいと思う。それの反証として私がいると主張するのにも飽きた。以前、私が一番若いくらいだった職場で、卵の殻に顏を書き、着物を着せつけた内裏様が飾られたことがあった。雛祭りの翌日、「○○さん[私の本名]がいるから早く片づけなくちゃ」という声を聞いた私の上司は、意味がわからずこう言った。「え? ○○さんが食べちゃうの?」無知は美徳である。それともあれは、私と「嫁に行く」こととが全く結びつかなかったのか。あるいは彼は、あれをゆで卵だと思っていたのか。サインペンで黒々と塗った卵の殻をばりばり食べてしまいかねないと思われていたのではまさかあるまい。
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by kaoruSZ | 2005-03-09 14:14 | にほんごのおけいこ | Comments(0)

羊頭3つ

 更新がとどこおっています。実は、二つ前の記事の翌日、同僚が交通事故に遭って重傷を負ってしまいました。年度末の忙しさと重なって仕事に忙殺されています。書こうとしたことも忘れがちなので、腹案のある記事のタイトルだけ並べておきましょう。

フェミニストのおかずは何?

お内裏さまはおひなさまである

ちいきのえりぬきぬりえのきいち

 今年はじめも似たようなことをしていたなと思って見返したら……あらら、ひとつも実現していない……。
「お楽しみに」とうっかり筆がすべった増村保造論(「足と背中、わだかまる歩み——増村保造論のための走り書き」) 、アップされています。図書館へ行って谷崎の『刺青』を読み返したとき「蟠る」という言葉を見つけたことでようやくコンセプトを得、〆切の前日徹夜で書きました。そのまま仕事に来て昼休みに読み返そうとしたものの、睡眠不足で自分の文章が理解できず。不思議なもので、手書き原稿というわけでもないのに、自分の手を離れてひとのサイトに載ったとたん客観的に読むことができ(一日経ったということもあるでしょうが)、まあ一応書けてるか、という気分に(自分に甘い)。
 とはいえ、増村「論」には遠い「記述」の段階であり、また、色彩について全く触れずに終ってしまったのが気にかかります。
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by kaoruSZ | 2005-03-07 03:11 | 日々 | Comments(0)