おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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私が生まれる前の歴史

 私がほんの子供だった頃、夏座敷で女客を相手に母が、片隅で遊んでいる私を指してこう言った。
「戦争中の話をこの子たちにしても、私たちがお祖父さんに日露戦争の話を聞いたようなものよねえ」
 そして客と母はさもおかしそうに笑った。
 私は内心気に入らなかったけれど、知らん顔で遊びを続けた。私は何が不快だったのだろう? 笑われたことだろうか? 母の社交のための、ダシに使われたことだろうか?(別の相手に向かって、それ以前にも母は同じ台詞を使ったことがあるのを、幼い私は思い出すことができた)。
 後年私は、たとえ笑われなかったとしても、彼女たちの〈物語〉に勝手に組み込まれたこと自体が不愉快だったのだろうと考えた。

 何年か前、「auntieが来ると昔の話が聞けるからいい」と姪が言っていると弟の奥さんに言われたことがある(auntieとは私のこと)。「昔というのはMちゃんが小さい頃のこと、それとも生まれる前のこと?」当時は十に満たなかった当のMにそう聞くと、生まれる前のことだという。〈生まれる前〉という恐ろしく大ざっぱなくくりの中で、彼女がわけても聞きたいのは、「戦争の頃の話」であった。小学校の担任から、おうちの人(祖父母ということになるだろう)にそういう話を聞いてくるよう言われたところでもあった。

 なんで若い私が(直接知っているわけでもない)こんな話をしなくちゃならないんだ! とぼやきつつ、すでにない母に代って、戦後まもなく昭和天皇が全国行脚をしたときに、豊橋駅に来るというので祖母が母に、カボチャにごはんつぶのまじった弁当を持たせた話をしてやった(「ごはんにカボチャが混じっている」のではないと母は強調したもので、要するにそれが通常の状態だったわけだ)。「天皇陛下に見せておいで」と祖母は母に言ったそうだ。そういう話が聞きたかったんだとMは喜んだ。大変な人出で、天皇はあっという間に通りすぎ、弁当を見せるどころではなかったという。

 上京して靖国神社へ参るためにはじめて靴というものを履いた(そして足に豆を作った)祖母は、日本遺族会会員であり、靖国神社の国家護持を望んでいたが、それは、お国のためと言って戦争へ行かせたのだから国で面倒を見るのが当然だという、至極シンプルな考えからだった。とはいえ、上記のエピソードからも窺えるように、単純でも従順でもけっしてなかった。祖父の戦死時に台湾新聞の記者に対してひとことも語らなかったのに、部下の家族を思いやる未亡人の言葉を捏造された経験から、新聞は信用できない(取ってあった記事の現物を私に見せてそう言った)と知っていた。子供たちを学童疎開へやるのを拒んで、一家で台北にとどまった(「そんな度胸のある女の人はほかにおらんかったよ」とは本人の弁だ)。

 しかしここでは祖母の話をしようというのではない……Mが聞きたがった昔の話、〈生まれる前の話〉について書きたかったのだ。成瀬巳喜男の映画を見ていて、「歴史」とは自分の生まれる前の時代のことだというロラン・バルトの言葉を思い出し、その出典の『明るい部屋』で原文を確かめようと思いつつ確かめられずにいる。だが、読んだ当時必ずしも腑に落ちていなかったこの文句について、「歴史」とはhistoireだから「物語」と解してもいいのだろうとは気がついた。

 子供にとって〈生まれる前〉とは非常に遠い、自分の生きる現在とは質的に異なる世界のように感じられるものだ。目に見える断層が彼処と此処とのあいだには生じており、私たちは決定的に新しくこの世に生まれてきたかに思われる。だが、本当はそこには何の指標もなく、前もあとも地続きなのは、すでに子供でない者ならば誰でも知っている。〈生まれる前〉とは、その中へ生まれ落ちることによって、私たちがあらかじめ——それと知らぬうちに——絛件づけられている〈物語〉なのである。

 成瀬の映画を何本か見るうち、「女たちの絛件」という言葉が浮かんだ。これはたとえば「結婚の条件」という場合の用法ではなく、human conditionという場合の意味——要するに当時の女たちが避けがたく置かれていた状況のことだ。

『女の座』の高峰秀子が、夫の死後も大家族の中で確たる居場所を得ているのは、何よりも後継ぎの一人息子の母だからだ。そのことは、最後に用意されている息子の事故死でドラスティックに明らかになる。道路拡張の補償金(開け放った座敷や庭を持つ商家はそれによって消滅する)のおこぼれを期待する夫のきょうだいとその配偶者から、彼女は再婚を勧められるが、その際流用されるのは、家の犠牲にならずに自分の幸せを追求せよという最新の言説である。だが、実家に帰っても嫁に行った女の居場所はもはやないから、実のところ極めて現実的な話として、主婦を続けてきただけで何の職業も持たぬ彼女は、もし婚家を出るなら生活のために結婚するしか道はないのだ。

 風通しのよい家(文字通り)に住む大家族は、今となっては懐しく思われるもするだろう。同じようにその解体を描きながらも、たとえば小津の場合はより普遍性の側にいるように思えるし、『鰯雲』のようなフィルムは、「民主主義」の空気(長男による独占相続がなくなり、誰もが財産の分割を主張するようになった結果、ここでも物理的に「家」の存続は不可能になる)をより濃厚に感じさせる。50年代から60年代初めにかけての、女と家をめぐる成瀬のリアリズムは、私がその片隅(かつ、ただなか)に生まれてきた日本社会のconditionおよび当時の人々が生きていたイデオロギー=物語を、再認識させてくれる。

 たとえば——外地から引き揚げてきた戦争未亡人が長男である夫の実家に戻ると、義弟たちは彼女と子供たちに財産を渡すのが惜しくなり、養子に行った弟まで戻ってきて彼女たちを迫害する。彼女は子供たちを連れて町に出て母子寮に入り、上の二人の娘は農協と市役所、自身は市場に職を得る。そこで彼女は市場の工事のため東京から長期出張しているという青年と言葉を交わし、こういう人が娘の婿になってくれたらと思う。

 末の子が学齢に達したので一家は母子寮を出なければならない。土地を借りて家を建てようと長女が建築事務所に見積りを頼みに行くと、そこで応対したのは偶然にも東京の青年である。素敵な人だけれど自分には手が届かない、と娘は思う。普請は別の業者に頼むことになるが、娘が通勤時に前を通る家には偶然にもあの青年が寄宿している。ある朝彼は家の前に姿をあらわし手紙を差し出す。二人は毎夕橋の上で待ち合わせ、歩きながら話をする。新築の自宅から未亡人の母親がそれを見ている。

 二年待ってくれと青年は言う。彼は地主の末っ子だったが、今では腹違いの長兄の所有である生家の焼け跡に建つ二間きりの家に、実母と戦争未亡人の姉とその幼い娘の四人で仮住まいの身だ。娘を妻として迎えるには、長兄が母を引き取ってくれることと、姉の再婚を期待しなければならない。すでに結婚した兄たちは土地と店をもらって分家しており、一人だけ上の学校へやった末っ子には庭付きの家でも建ててやろうと言っていた父親は戦争中に亡くなった。兄姉の結婚相手はすべて亡父が決めており、彼はほとんど孤立無援だ。引揚者の娘などもらわなくても資産のある家と縁組できると言われた彼は、絶対に嫌だ、一生のことなのだからあの女(ひと)でなければと日記に書きつける。休暇のたびに彼は未亡人と子供たちの家を訪ねるが、二年待ってあなたと一緒になれなければ女である娘は婚期を逸することになるのだと母親は迫る。あるとき、帰京する彼を見送りにきた娘は、そのまま列車を降りずに東京までついて来てしまう……。

 シナリオにするには偶然の出会いに頼りすぎているような……だがこれは成瀬の映画ではない。私の両親のhistoireだ。小説や映画でしか知らなかった恋愛を自分は今しているのだと、私の(未来の)父は日記に書いている。私が生まれる前の〈映画〉と彼らの〈恋〉もまた地続きであったのだ。
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by kaoruSZ | 2005-07-27 20:31 | ナルセな日々 | Comments(0)

にわか成瀬通となる

 新文芸坐の成瀬特集昨日で終る。見られなかったのは『あらくれ』一本で、部分的に眠った(寝不足で)のはあるが、十四日間で二十七本見た。これでも三分の一に満たないとはいえ。
 記憶に新しいところから書く。昨日の最終日は『女の歴史』と『娘・妻・母』だった。またしても交通事故! そして交通事故!

 七日に最初に見た『女の座』(私がこれまでに見たことのあった成瀬作品は『鶴八鶴次郎』『歌行灯』くらい)では、後継ぎの息子があっさり列車にはねられて死んだが、『女の歴史』でも未亡人の育てる(た)一人息子(この設定も前者と同じ。母親はどちらも高峰秀子)は突然の交通事故で死ぬ。この〈結末〉を先に提示してヒロインの回想によって結婚や出産へと遡る、また、夫の友人だった仲代達也と再会する場面を見せておきながら、内実は隠しておき、彼らの関係を観客が知った上でフィルムの最後近くで開示するといった、これみよがしなストーリー・テリング好ましい。

『娘・妻・母』では、原節子の夫がこれまたあっさり交通事故で死に、夫との不仲から実家に帰っていた娘は、『めし』で上原謙が原節子の妻を迎えに来たように、また、『女の歴史』で高峰秀子を宝田明が迎えにきていたようには迎えにきてもらえず、『めし』では若妻だったがここでは数えで三十六で、しかしまだまだきれいだと言われる彼女は、ロマンス(仲代達矢との)や再婚(上原謙との)の可能性を持つと同時に、実家の厄介者となる。高峰秀子が嫂、兄が森雅之、草笛光子が妹、宝田明が弟で、笠智衆がほとんど無意味に登場し、『妻の心』や『杏っ子』がそうであったように何も解決せぬままに終る『娘・妻・母』は、『女の中にいる他人』や『乱れ雲』と同様、成瀬のキャリアの最後に属するマニエリスティックなフィルムなのだろう。

『女の中にいる他人』は犯人が(ほぼ)最初からわかっている倒叙ミステリで、しかも、犯人が妻や友人にいくら真剣に犯行を告白しても相手にされないアンチ・ミステリでもある。本来重要な物証であるはずのネックレスの(画面での)取り扱いずさんだし、草笛光子が、死んだ女の連れが小林桂樹だったと告げた直後に道の向うから小林がやってきて、草笛がはっとしてもう一度見直すと別人である、というふうに、観客を目撃者にしつつ(むろん、最初に歩いてきたのは本当に小林桂樹だ)、これも本来重要な証人であるはずの草笛の知覚を一瞬にして信用のおけないものにしてしまう演出見事。

 帰宅した小林桂樹を迎えるために、妻の新珠三千代が無表情だが真剣な顏で廊下をずんずんずんずん前進してくる(新珠三千代、何かに似ていると思っていたが、爬虫類だと気がついた。媒図かずおのヘビ女に実写で出演したら似合ったろう)。昨日の高峰秀子も、原節子の夫の事故を知らせる電話に出たあと、そうやって廊下を前進してきた。こうした廊下は成瀬作品に頻出する奥行きのある路地の変形だし、『浮雲』で森雅之が住んでいる安アパートの廊下は、そこで絶えず遊んでいる子供たちの存在のため、路地をも兼ねているかのような空間であった。

 上記の新珠三千代は、小林が帰宅したのであることを私たちが知るより先にこっちへ向かって唐突に歩いてくるのだが、このような、いってみれば途中を省略して〈先取り〉されたカットの例を以下にあげる。『秋立ちぬ』で妾の子である少女は、本妻の子である姉と兄に邪険にされる。次のショットが少女をとらえるとき、彼女はまだその場にいて思いがけない悪意に相対していると私たちは思うが、実は彼女はすでに帰宅しており、よそいきのまま、母親に向かって話しかけているところなのだ。『女の歴史』では、高峰秀子と宝田明の初夜の宿に床が延べられたあと、布団にひとり入っている高峰が映され、隣の布団からはいびきが聞えてくるが、キャメラが引くとそれは回想から戻って姑と布団を並べている現在のショットとわかって、観客の笑いを誘う。また、『おかあさん』の途中で画面に出る〈終〉マークもそうだろう。映画自体が終ったのかと思って立ち上がりかける者さえ実際いたが、続いてスクリーンには上映の終った直後の映画館が映し出され、終ったばかりの映画について香川京子らは言葉をかわすのだ。
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by kaoruSZ | 2005-07-23 15:13 | ナルセな日々 | Comments(0)
 デパートでは夏物セールだし、休日の昼間を映画館ですごしていると、すでに夜でもう夏も終りのような気分になるが、生ぬるい外へ出てみると夜どころかあたりはまだ昼の明るさで(実際は夕方 )、本当はまだ八月にもなっていないのだった。あとになって、その日(18日)梅雨が明けたと知った。新橋演舞場に近い、水の代りに車が流れる川にかかる采女橋を築地側から銀座へ渡った、今、時事通信社のビルが建っているのは、かつて銀座東急ホテルがあった場所で、ホテルのガラス張りの喫茶室と街路樹のあいだを抜けて昭和通りに至る短い道(みゆき通りの一部)を、特に歩道が木蔭になる夏、わりあい気に入っていたのだけれど、19日の朝、並木の槐[エンジュ]をいやに短く刈り込んでいるのを見かけ、今年は知らないうちに花が終ってしまったかと一瞬錯覚しそうになったが、今日見ると、本当に、みっともない、申し訳程度に葉のついたきりの木に成り果ててしまっていた。

 槐はこれから花をつけるはずだったのに、惜しげもなく蕾ごと切り取られ運ばれてしまったらしい。(台風に備えるには早かろう。街路樹が大きくならないように強めに剪定する年にでも当たっていた?)時事通信本社は、最近のビルはみなそうだが東急ホテル当時より建物を引っ込めており、自前で針葉樹を一列植えたが、いやに白々しい石材ばかり使っていて、冬は石より白い風がさむざむしく、夏は照り返しがはげしい。みすぼらしい、影も作れないエンジュの木と針葉樹が白い道の上で向かいあう形になったが……ほんと、これは暑くるしい。歌舞伎座の前の木はそのままなので、そっちで花は見られるだろうけれど、今回枝を切られた槐の木は、一面に落ちた花に目を惹きつけられなければ、四年前、「槐」という短篇を書くこともなかったろうというものなのだ。
 あくる年、『三國志遺文——孔明華物語 拾遺』のあとがきに私はこう書いている。

 槐[えんじゅ]の花が今年も咲き出しました(また散り出したというべきでしょうか)。自分の書いた文章をもはや正確には思い出せないのでフロッピーから昨年の『華物語』のファイルを引き出し、〈槐〉を見ると、それは次のように記述されています。
「そこに、小さな白い蝶形の花が落ちつづけていた。桜のように舞うのではなく、花穂のまま、直線を引いて落ちてくるのだ——不意に切断されたように。(中略)盛りになったものはとどまらぬ。木洩れ日の中で惜しげもなく花を零らす」。 
 梅雨[つゆ]がようやく終ろうとする久しぶりに晴れた午前、歌舞伎座の向かいの東銀座の駅へ降りようとして、舗道に散り敷いたおびただしい花穂に今年はじめて気づきました。今はない銀座東急ホテルのみゆき通り側を昼休みに通るとき、夏の強い陽射しをさえぎりわずかな風にもにさわだつ丈高い並木を、とりわけその木洩れ日とホテルの二十四時間営業のガラス張りのカフェ・レストランとの取り合わせ(ボードレールが開いた窓について言っているように、私も他人の楽しげな人生を外から眺めるのが好きです)を気に入っていたのですが、ホテルの建物が取り壊されてしまった昨年はじめて、地に降るその花をよくよく観察し、ハリエンジュ、別名ニセアカシアと呼ぶのだとばかり思い込んでいたのが「槐」であり(私が気がつかなかっただけで、道端にりっぱな名札が出ていたのです)、中国原産であることを知りました。


 上記あとがきの日付は2002年7月28日。花はやっぱりこれからだったのだ。
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by kaoruSZ | 2005-07-21 16:05 | 日々 | Comments(0)

降ればどしゃぶり

 7月9日(土)、新文芸坐での日替り成瀬巳喜男特集はじまり、『女の座』と『乱れ雲』最終回で見て、『女の座』にすっかり引き込まれる。戻ってデニーズで夕飯 、TSUTAYAで本。雨風ひどく、停めてある自転車をなぎ倒し、アーケードをガクガク揺り動かし、傘を持って行かれそうな台風並みの勢い。あくる朝初回で『めし』『浮雲』を、それに引きつづき蓮實、山根対談見ようと決めて、念のため目覚ましセットする。二時間前に目が覚めたが、うとうとしてベルで起きる。前日、冷房の風が半身に当たって気持ち悪かったので麻のストールを用意、うってかわった晴天に帽子かぶって出る。9時55分はじまりだが、電車を降りて昼食用におむすびを買い、外へ出たところで十時の鐘鳴り渡る。それでも予告編があるから間に合うと思って行くと、満席のためトークショー終るまで入場不可とあり愕然。

 実は、金曜日から軽い咳が出はじめ、土曜日には周囲を気にしつつどうしても苦しくなると台詞の切れたところで咳ばらいしていた(音楽が大きくかかるような場面はほとんどない)。二回目の『めし』上映は二時半、大変な時間のロスである。こんなことならその分眠って体力の温存をはかればよかった……。ともかく入口まで上がって訊くと、立見席まで一杯なので入っても映画を見られる状態ではない、しかしトークショーは後ろの扉をあけるかもしれないのでロビーで聞けるかもと、貼紙とは異なる話。客が多い場合はロビーだけでなく階段で待ってもらうことになるが、階段は冷房がないという(冷房対策ならしてきたのにねえ)。トークに未練が出て、とりあえずチケット買う。トークは一時五十分から。一時半には来てくれという。パルコに戻ってセールを見て歩き、西武の屋上でお茶を買っておむすび食べ、子供連れが食べているのを見て食べたくなったやきそばまで食べ、パルコ上のロゴスで洋書のセールを見るうち一時を回る。

 戻ると、トークショー終了まで云々とはもう書いていない(何も書いていない)。ロビーに入ると行列できはじめている。体力温存を考え、立ちっぱなしの列には入らず、壁際のベンチを確保。風が来るのでストールを巻き(元気なときは冷房にはめちゃめちゃ強いので、やっぱり体調が悪いのだ)、西武のリブロで買った本を読みかけて閉じる。目をつぶると、眠りかけて本を落す。列、あっという間に延びている。並んでもトークショーに入れるとは限らず、『めし』の座席も保証できないとスタッフが声をからす。上映終ったので列の最後尾へつく。もうそれ以上は中へ入れず階段に並ばせている模様。すぐにロビーの列動き出す。映画だけで帰った人もかなりいたようだが、席は取れず。通路後方の段々に人が座りはじめる。真中あたりの座席にペットボトルが残されている列の通路際で、あそこはどうなんだろうと見ていると、通路際の席にいたおじ(い)さん、「お話聞いたら帰るから、席あきますよ」と言ってくれる。そのときは沢山あくと思うので、と断ってお礼を言う。最後列の座席の背にだらしなくもたれて見ることにする(体力温存優先)。あとから入ってきた人、例の席を指差して尋ね、あいていると言われて喜んで入る。

 蓮實、山根両氏は成瀬本上梓したばかりとのこと。映画見た上で読もう。ロゴスでぱらぱらと見た映画紹介本は、『女の座』は小津のコンセプトの流用で(こうした用語を使っていたわけではないが)成瀬のオリジナリティなしと断じていたが、むしろ小津からの数々の引用とその変奏として興味深いと私は思った。遺作の『乱れ雲』はまた全然違う種類のフィルムで、司葉子と加山雄三が会うまいとしても会ってしまう、(逆?)メロドラマ、後半、十和田湖畔に舞台が移ると、観光地で殺人が起きるTVドラマを連想してしまう(司葉子の実家は旅館である)が、そもそも湖の岸や遊覧船はシネマスコープ画面にこそふさわしかったのだと知るべきだろう。四作どれも乗物の扱い面白し。ブラジル、富士山、ラホール、仏印、屋久島といった「遠いところ」の設定も。『めし』と『浮雲』を続けて見れば、列車の中で眠る男を見守る原節子と高峰秀子の構図の類似にいやでも気づくが、後者では輪タク、船、担架と乗り継ぐその先がある。

「文芸しねうぃーくりい」の筆者は成瀬を見たあと出てきた食べ物を食べたくなることを書いていて、私も前日はことさらラーメンとギョウザを食べた(デニーズのだが)。しかし、二日目は、幕間にカステラ買って食べると、次の映画ではスクリーンの中でカステラが食べられるというふうに、むしろ先んじてしまったのみならず、咳、次第にひどくなり、『浮雲』の本妻が咳をしているのでその切れ目にこっちが咳をするのがますますはばかられるが、苦しくなるので定期的に咳こまずにはいられず、映画内のひとは無意味に咳をしたり吐き気をもよおしたりしない(前者は昔の映画では結核の、後者は妊娠の記号)ので、本妻はあっという間に死んでしまい、屋久島に向かう高峰秀子まで咳をはじめ、微熱があるのかもしれず(高峰も私も)、屋久島の雨のはげしさ、前日の東京の時ならぬ嵐と重なって、気に入りの傘をどこかに置き忘れたのではないかと不意に不安になって座席の上で身辺を確かめるが、その直後、その朝日除け帽をかぶって出たことを思い出す(やっぱり熱があるようだった)。
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by kaoruSZ | 2005-07-11 17:46 | ナルセな日々 | Comments(0)

LE LIVRE A VENIR

 七月一日から何年ぶりかで通勤定期を使っている。銀座から地下鉄に乗るのに切符を買うのを見た人に、毎日仕事に行っているのに定期を持たないのかと言われ、定期券というものがあることを思い出した(二月後半から、やむをえず毎日出ている)。「カルチャー・レヴュー」に一日、『ミリオンダラー・ベイビー』について書いた[読んでくださるのでしたら——Chat Noir Cafeのロゴかエキサイトのリンク(ブログ版)で跳べます。「カテゴリ」欄の「寄稿先」からも行けます ]。プロフィル欄の内容を考えているひまがなく、ブログを読んでもらえばと思い、十三日を最後に停止しているブログを再開と書いたが、時間がとれないでいるうちまた一週間が経とうとしている。

 オフィスの机の下に押し込んだ千疋屋の巨大な紙袋に私物の本がつまっている。最初からそこに置こうと思ったわけではない。電車の中で過す時間をやりすごすため朝一冊手にしてきて、帰りには荷物が多くなるからと置いていったのが大半だ。中には、昼休みに買ってざっと目を通し、そのまま持ち帰らなかったのもある。持って帰っても場所をとるから、まず家を片づけてと思っているといつまでも持っていけない。中身を調べたものの、探していた本だけをより分けて、もう一度きっちり詰め直した。

 朝持って行くのはその辺にある本を適当にだが、先日、デリダの『パピエ・マシン 下』をそういう形で開いて、デリダがサルトルの『嘔吐』(本当は「吐き気」と言いたい)を十七歳で、木々に囲まれた公園の〈存在の充溢〉の中で昂奮しながら読んだと語っているのに出会った。私が『嘔吐』を知ったのもそのくらいかひとつふたつ下ぐらいのことだった。最初は高校の図書館でページを繰り、その後、サルトル全集が置かれていた(今はない。本屋にもない)荒川図書館で借り、のちに買って自分の本にした。『想像力の問題』も『ボードレール』も『存在と無』も読んで面白いと思い、すみずみまで理解できた(と思った)覚えがあるので、後年、サルトルがというより自分が何を考えていたのか知りたくて再読しようとしたが、そのときはもう見つからなかった。

『嘔吐』で今思い出すのは、例のレコードがかけられる行きつけの店で、女とダンスしている男をロカンタンが見るくだりだ。男は白いシャツに紫いろだったかスミレいろだったかのズボン吊りをしていて、それが動きにつれて白いシャツに隠れたりあらわれたりする。それを見て、「白」も「スミレいろ」も「ズボン吊り」も存在しないことをロカンタンは知る(のではなかったろうか?)。

 私が理解したのはこういうことだ。当時の私は対象を完全に描写する言葉を、白いシャツに見え隠れするスミレ色のズボン吊りという混沌を完全に再現する言葉を、私が見たものと同じものを読者に伝達する(描写の対象は外界とは限らず、私の「内面」だったりもする)言葉を探し求めていたのだが、そうした企図は誤っていた——少なくとも、向きが反対だったのだ。自分が今まのあたりにしているもの、生き生きとしたこの現在を、その独自性を、他者が共有することはけっしてないだろう。だが、「白いシャツ」とか「ズボン吊り」とか「スミレ色」とか「見え隠れする」とかいう変哲もない言葉を適切に(あるいは適当に)組み合せることで、何ものかを喚起することはできるのだ。ちょうど、サルトルのそれらの言葉が、結果として私にその情景を喚起しているように。

 こうした議論は、六月のきままな読書会で私が担当してレジュメを作った、スピヴァクのグラマトロジー序文(『デリダ論』平凡社ライブラリー)で展開されている話に通じるものだ。〈私〉が何かを感じて〈表現〉するのではなく、〈私〉そのものもeffectであり、「現前の住処そのものである知覚する自己も、不在とエクリチュールによって形成されている」(89ページ)こと。

 そうしたことを覚った瞬間はけっして一つではないが、その複数の機会のうちの一つが、私にとっては見え隠れする菫いろのズボン吊りの記述であった。何年もあとになって、私はブランショの「文学と死の権利」の中で、存在と言葉とが「切れて」いることがこのうえもなく明らかに言挙げされているのを読むことになるが、それ以前、ちょうど大学に入ってすぐか、しばらくしてかの頃は、『文学空間』に読みふけっていた。現代思潮社から出ていたブランショのもう一冊の本、『来るべき書物』を探して、ある日、駿河台の「書泉ブックマート」に入った(今と違って——といっても、あの界隈にはもうずいぶん足を向けていないから「今」はまた変ったかもしれないが——あそこの一階は文学書だった)。棚に見つからなかったので訊こうと思ったとき、白シャツと黒ズボンの制服姿(初夏だったのだろう)の高校生がレジの店員に近づくのが見えた。

「ブランショの『くるべき書物』ありませんか」と彼は言った。内心失笑しながらも、私は店員の返事に耳をそばだてた。高校生でブランショ読もうというだけでも感心ではないか(私自身も少し前までは高校生であったが)。そうやって男の子の後ろに立って、今は品切れだが半年ほどで入るという店員の答えを聞くことができ、数ヶ月先には、駒井哲郎の黒と灰色の装幀で出ていたブランショのあのもう一冊のずっしりとした本(学生には——まして高校生には——かなり高価な)を手に入れることができたのだった。
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by kaoruSZ | 2005-07-07 13:08 | 日々 | Comments(0)