おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

<   2005年 12月 ( 17 )   > この月の画像一覧

最上米こし味噌

 30日、昨年は「カルチャー・レヴュー」の原稿を挙げてから雪の舞う中、食料を買い込んだので、今年は一日早く少しは買っておくことにして(原稿は早くなくても)、切らしていた味噌も買いにゆく。店先に立つと、夫婦で中にいるのが建具のガラス部分から見える(成瀬の映画みたいだ!)  ごめんくださいと呼ぶと、はじめて見るおかみさんが出てくる。名前を言っていつも持ってきてもらっていたお味噌をというと主人が呼ばれ、私と知って、ゆうべ話していた……とおかみさんを見返って言う。

 強度偽装の一級建築士から、父の話になったそうだ。お宅のお父さんのような人に頼んで建てれば、絶対安心なんだけど、と。そういう話をしたら翌日私が来たのは、やっぱり引き合うんですかねえ、と言う。父も建築士、だたし二級建築士だった(仕事をはじめたときはまだ建築士制度がなく、学校を出て実務経験が二年以上あれば、面接だけで二級は取れたそうだ。受験料がかかるから一級は受けなかったと聞いたことがある)。そりゃ安心だろうと私も思う。昔の施主からは、今でも住みやすい家だと年賀状が来ていたし、仕事をやめたあとでも、昔建てた家の修理を頼まれれば、職人を車に乗せて遠くまで行くこともあった。職人の手間賃しか取らず、ガソリン代と職人の昼食代は持ち出しだった。味噌屋の主人は、昔は御用聞きに来ていたので、うちが建つときも見ていたそうだ。基礎に玉石をぎっしり詰めていたと言う。柱もひのきで、あれが本当の柱だという。父自身、地震が来ても倒れないから家の中にいろと行っていた。ただし、火が出たら駄目だから逃げろと。うちの周りに今建っているマンションも、姉歯じゃなくても、ああいうのがきっとあるでしょという。昔は仕事に誇りを持っていたからという。主人のお父さんは普請道楽だったとか。あの家なら百年でも百五十年でももつでしょう大事に住めばと言う。

 変体仮名の「こ」が読めなくて読みかたを聞く(返事を聞いて、前にも訊ねたことがあったのを思い出す)。味噌の名前を書いた札は、もう亡くなった人に書いてもらったもので、看板自体も書をもとに作ったという。札がずっと同じとは知らなかった! 本物のお味噌をまた買いに来ますからと言って帰る。思い出して懐かしんでもらえてよかった。生きていれば来月八十一になる父の葬式は五年前の大晦日に出した。
[PR]
by kaoruSZ | 2005-12-31 17:03 | 日々 | Comments(0)

ジャンプする子供たち

 29日・日録の続き。オアゾ内丸善4階で買ったものは、バーゲンのインテリア本一冊、雪をかぶって俯いたサザンカの背景を金でつぶした(絵があるのは上の方だけ)ハガキ(賀状用。ほぼ返信専門)、A Freud Modern Readerという、主要論文を複数筆者で論じた本。まるごと一冊"A Child is being beaten"を論じた本が先日手に入らなかったことでもあり、高かったが買ってしまう。手帳、能率手帳に文庫本大のちょうどいいのがあった。ビニールカバーを、プレゼントされた革のブックカバーに替える。末長く愛用してと贈ってくれた人には言われたが、とっかえひっかえ読みちらす私には不向き。外では食べながら読むから紙カバーのほうが気楽だし。おまけに、しばらく入れていた本を取り出したら背表紙がよれていた。というわけで、ぴったりの中身を入れて手帳にした次第。愛用します。

 洋書売場に隣接したカフェ(ピクニックの最後にはじめて来た。あの続きをまだ書いていない)で、ベリーをのせたソフトクリーム(器に盛ったもの)を食べながら、フランス人の女性研究者の(つまりフランス語からの英訳だ)"A Child is being beaten"について書いた短い論文を眺める。長テーブルに案内されたのだが、前の「先生」とその学生らしい女性が盛んに喋る声が大きくて耳ざわり。途中で左隣に若いカップルが来るが、私のすぐ隣に掛けた男の方が、ハヤシライス食べるのにスプーンをいちいち皿に打ちあてる。悪い癖だねえ。

 そんなわけで(彼らのせいにしよう)落ち着いて読めなかったが、シナリオから完全に放逐された不在の母親に対する、少女の抑圧された欲望を読み取ろうとする線らしい。うーん。そう来ましたか。うーん。
 他の論文も、役に立ちそうではある。

 オアゾ一階の端に小さなブルー・ブルーエがあるのには気がついていて、こんなところに作らなくてもいいじゃないか、どこにでもあるのに(こういうビルも)と思っていたが、好きな店なのでのぞく。ざっくり編んだ透かし編みのマフラー、原毛に近い白のを買ってしまう。今使っているのも白の透かし編みなのだが、洗濯を繰り返して前ほどふかふかじゃないし、今度の方が大判。色は他に黒と地味な茶とチャコール・グレーと赤だったが、くすんだ色では顔うつりが悪いし、コートは地味なのを着るから黒以外にしたい。せっかくの編み目が生きないし。赤は朱赤でないワイン系だから着こなせないこともなさそうだが、先日買った牡丹色の手袋に合わせられない。やはり白にとどめを刺そう。前のは細糸の繊細な模様編みだが、今度のは菱形に抜いてある。

 地下の神戸屋キッチンでパン。傍の階段で、子供四人が「グリコ」をしていた。皆、小ざっぱりしたよそ行きの、コートなしの軽装で、ジャンパースカートの女の子もいる。女の子三人男の子一人で、女の子一人はまだ幼い。そのうち、壁の前にもう一枚の壁のように立っている館内案内表示(固定されている)の後ろへ入って(そんなところにはいれたか!)、出てくるところをおどかしっこしたり、階段から飛び降りたりしはじめる。お兄ちゃんは大きいからできてあたりまえ、と大きい女の子が言っている。階段の飛べる段数のことだ。「でも、大きくなると、年を取ってできなくなるんだよ」とお兄ちゃん。

 東京ミレナリオをちらと見て行こうかと思い、北口へ上りかけたがすごい行列。やめて、大手町から地下鉄に乗ろうと戻ってくると、さっきの子供たち、太った警備員に何か言われて、うなずきながら階段を降りるところ。警備員は振り向きながら地上へ戻ってゆく。どうやら、階段からジャンプしてはいけないと言われたらしい。「階段でなけりゃジャンプしてもいいんだ」とお兄ちゃんつぶやく。(かしこいわ、この子!)階段脇のエレヴェーターの方向を示す表示めがけて、競って垂直ジャンプをはじめる。
(いいぞ!)
 そこまで手の届くわけのない幼い女の子を、上の女の子が抱きかかえ、表示に届かせようとしていた。
[PR]
by kaoruSZ | 2005-12-31 07:50 | 日々 | Comments(0)
 三信ビルのことを阪急梅田駅コンコースと同じくらい素敵な場所ではないかと書いている人がいて、阪急梅田駅コンコースとは?と調べてみたら、まさに壊されようとしている素敵な場所ではないか!

 年内にやらねばならぬこと多過ぎ、なんだかまったく元気が出ず、昼前に日比谷へ行って三信ビルの地下からエレヴェーターで上がると、クリスマス・ツリーの代りに正月のわけわからぬ飾り(クリスマスツリー大。いや、クリスマスツリーに決まった大きさはないか。人間大だ)置いてある。三井資本だからこのくらいの飾りはあたりまえにできるわけだな、別に左前でビル壊すわけじゃなし、と飾りに罪はないが意地悪な目で見て通る。ニューワールドサービスで、コーヒー、トースト、ベーコン、スクランブル・エッグのモーニング。もう一度エレヴェーターに乗って(中身は変哲もない。上野松坂屋の古エレヴェーターの面白さはない)二階へ上がると、男の人が写真撮ろうとしてエレヴェーター・ホールに立てられた立て札を、抱えて横へどかすところだった。警備員でなくてほっとしたろう。立札は言わずと知れた、テナントの邪魔になるから撮影するなというもの。解体が話題になるまではなかったし、昔ここで私も写真を撮っている。仕事納めのあとでテナントは誰もいない。彼の邪魔にならぬようギャラリーを一周する。

 丸善で手帳見るつもりで日比谷公園には寄らずにオアゾまで歩こうと思っていたが、亀の池の縁で少し日を浴びる気になって入る。池の背景の石垣に白いものが動いて、見るとシラサギではなく、猫。駆け下りることなど不可能な、絶壁に近い石垣の途中から、へっぴり腰で水際へ飛び降り、水の中から石垣が出ているだけの、その狭い水際をううろうろと歩いては止まる。まあ、陸に戻れないことはなかろう……。振り向くと、青空を背景に木々(その下のベンチにはここに住みついている人が寝ている)の枝の拡がるさまが、光の量も方向も何もかも申し分なくこの上なくリアルに目に映る――世界は時々このように美しい。
 少し元気になって園内一周する。枝の間に風前の灯の三信ビルの姿。その左手には、かつて同様に鐘楼のある朝日生命館が並んでいたのだ。前景に冬薔薇を入れて、二つのビルを一緒に撮ったこともある。
 
 先日何箇か拾ったカリンの実、カリンの木の下でまた一つ拾う。

 濠に来ているカイツブリが長々と潜水しては離れたところに浮び上がるのに時々見入りながら丸の内へ.。「デジタル散歩」のhumsumさんが、三信ビルと同じ設計者による(これは知らなかった)日本工業倶楽部のことを書いていたので、そっちをちょっとだけ見る気になる。昔を知っているので、変わりようをこれまでは見たくなかったのだ。
 果たして悪い方の予感が当たった。職工織女像だの、花の飾りだの、部分的には残しているのだろうが、レプリカで置きかえ過ぎだ。東京駅側、下の通りの反対側歩道から何度見上げたかしれない、上階にバルコニー(建物の外に突き出していない、室内に入り込んだ型)の並ぶ、外国の街か絵の中のような、あの空間に身を置いてみたい、ねがわくは住んでみたいと思わせる側面を見せてひっそりとたたずんでいたかつての魅力は雲散霧消し、まるでテーマパークの建物のよう。残念ながらこれは贋物だ。その向うの、同様に高層ビルを背負って外見だけ残された、優雅な三角屋根*を今もとどめてはいるはずの銀行倶楽部にはもはや近づく気がしない。
 新丸ビルも今やあとかたもないが、その後ろにも装飾的な美しいビルがかつてはあった(日本工業倶楽部はかなり無骨なほうである)。いつかああした写真をここにアップすることがあるかもしれない。

 オアゾがあったところには国鉄本社があり(これは特に惜しむような建物ではなかった)、東京駅を通り抜けた反対側には私の勤め先が八階に入っていたビルがあって、新宿駅構内に案内所スペースを借りていたので、私は毎月家賃をそこへ納めに行っていた。ある年、麹町税務署の年末調整の説明会が日本工業倶楽部であって、給料計算もしていた私はそこへ行くよう上司に言われた。年末調整の方法などすでにわかりきっていたから、中が見られるとほくほくして出かけた。配られたプリントに、孔雀の装飾と真紅のカーテンで荘厳された金色の内装をスケッチした。
 同じ場所での説明会の案内は翌年も来た。これ、行ってきますねと上司に言うと、去年行ったからもうわかってるでしょとあっさり言われてしまった

*リンク先で見ると、銅板葺きのあの屋根はひどいことになったらしい。結婚式場に使われているらしいが。東京駅舎に今の技術で手を入れて、果たしてちゃんとした仕事ができるのか心配だ。
[PR]
by kaoruSZ | 2005-12-29 22:05 | 日々 | Comments(1)

共通するのはお尻

 水曜日、今年最後の歯医者行きの帰りに別宅に寄り、来る日曜日のクリスマス兼忘年会のため、ニシンの酢漬けの作り方のスクラップを探したが見つからず、代りに『マンガ批評大系第I巻』(平凡社1989)が出てくる。四方田犬彦の「手塚治虫における聖痕の研究」、ここに入っていた(その前に『クリティック』に収められていたし、さらにその前に初出の『ユリイカ』で読んでいるが)。そもそも『アトム大使』の、地球人にそっくりな(一人ひとりがそのカウンターパートを持つ)宇宙人と地球人とのわずかな差異こそが耳の大きさ(ウサギの化け物を介してアトムのツノへと続く)なのだった。「亜人間」という言葉〔前回の註を参照〕ここにはなかった。

 この集では、伊谷知治「ある「鉄腕アトム」試論 ロボットの美学について」と中島梓「ヘルマプロディトスの夢」という、どちらもアトムの両性具有性を扱った論文が印象に残っていて、特に前者は短いものだがとてもよかったのだ。COMに投稿で載った論考だそうで、巻末の著者紹介のページでは、伊谷氏とは連絡が取れなかったと本人及び関係者からの連絡を求めていた。今、思いついてその名で検索すると、この本の他にもう1件ヒットした――。


038「少年西遊記」 : 伊谷知治 : 08月27日23時26分

昔、雑誌で読んだときに三蔵や猪八戒がとらえられて縛られ、
お尻を出して焼き印を捺されそうになるシーンがあったが、単行
本になったときには直されていた。今回はそのシーンがあるの
かな?あれは子供心に強烈だった。



 それは強烈ですね。手塚治虫かと思ったらそうではなくて、杉浦茂の「少年西遊記」、BSマンガ夜話で放送(2003年8月27日)されるに先立っての投稿なのだった。伊谷さんご本人なんでしょうか?

 手塚の「西遊記」では、縛られた三蔵法師の裸のお尻の上に刀が振り上げられる場面で目覚めたと、中山千夏と朝吹亮二がそれぞれ証言している(「西遊記」自体、やっぱり何かあるな)。私自身、小学一年生のとき、放課後の誰もいなくなった教室で、なぜか机の中から出てきた「少年」で見た、アトムが海中で戦って身体を溶かされかけ、「お尻から海水が入ってくる!」と叫んで気を失う場面が強烈(というか決定的)でした。
[PR]
by KAORUsz | 2005-12-23 07:44 | 日々 | Comments(5)

memo 4

 理系バカ(専門外のことについてはバカだが、専門分野については優秀)は存在しうるが、文系バカはただのバカ、という意味の言葉が、その辺にたぶんおいてあるか落ちているかしている新書(どれだったか特定できず)の中にあった。これはなかなか秀逸な表現だ。なぜなら、文系バカをダシに理系バカを救済しているかというとさにあらず、ここで言われているのは理系バカの絶対的な救い難さであるからだ。

 これは一つ前の記事でけなした本の著者のことではないし、私を個人的に知っている人なら思うかもしれない、職場で抱いた感慨でもない。ある女性理系研究者のブログを読んでの感想である。生物学的セックスに詳しい彼女は、なぜジェンダーなどという胡散臭い概念があるのかと疑問に思い、上野千鶴子の本を読んで仰天するとともに科学教育の必要性を思ったそうである。セックスは明白に二つに分かれているそうだ(だからジェンダーの話をするんだってば)。連続性という(黒猫さんもお気に入りらしい
概念を否定し、その理由としてインターセックスの稀少さを言い(どうして数が少ないことが連続性の否定につながるのか私にはわからないぞ)、どうやったら社会的性別が生物学的性別を規定できるのかとおっしゃる(あなたが展開している言説がその実例なんですヨ! まあ、ジェンダーを社会的性別と呼んだり、男らしさ女らしさということであるかのような説明をするのが間違いなんですけど。ジェンダーとは、二つある椅子のどちらかに絶対お尻をはめろと強制されているシステムだととりあえず思って下さい。性的二形は生物学的事実でも、この椅子は人の作ったものです)。また、自分のように差別を知らずに生物学に親しんできて、男女共同サンカクってなんのことかしらん、とぴんと来ないでいた者には想像もつかないが、女であることに縛られて自由に活動できなかったり、自然科学を選ぶことは女らしくないのではとためらったりする気の毒な婦女子のみなさんにはぜひ助けになりたいわんと思っている(このあたり言うまでもなく筆者によるパラフレーズ)にもかかわらず、フェミニズムは大嫌いだそうだ(控えめに言って支離滅裂でしょ? あ、それでいて、大学にも寄せてくる男女共同△の波の結果、今では男女共同参画委員長なんかやっちゃてるんだって。スゴい……)。

 私にはぜったい思いつけないL'IDEE RUCUE(せけんにうけいれられているかんがえ)は、一方では考えるヒントであり、これを分析することは居ながらにしてできるフィールドワークでもあるんで、時間のあるときにこの話はチョイチョイつつくことにする。出典(インフォーマント)はおいおい明かしませう。

ここでの(終っていない)議論参照。

12月22日追記
 読み切れてないんですが、ブヴァールとペキュシェみたいに反動言説のネタをあつめて(現代だったらあの二人組は、女の子をフェミニストに育てる実験も企画の一つに選ぶと思う。いや、それより、反ジェンダーフリー言説に染まるか……今では筆写しなくてもコピー&リンクですむ。実際、頼まれもしないのに世界日報や産経の記事をコピペして、ウェブに「紋切型」を広めている人間がいるわけです)、しかも詳細に批判してくれているありがたいサイトにリンクしました。リンク欄の最初を見よ。☆リンクしたしるしにブログにトラックバックもしました。百年ぶりのトラックバックなんで勝手がわからず(汗……)。
[PR]
by kaoruSZ | 2005-12-21 02:06 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)

memo 3

 やまじえびねの『夜を超えて』、『スィート・ラヴィン・ベイビー』、『インディゴ・ブルー』が、LOUD(レズビアンとバイセクシュアル女性のためのセンター)にあったので借りる。『アダムの脳・イヴの脳 神経解剖学からみた性差の秘密』(順天堂大学助教授 松本明、現代書林、1997)という、見るからにいかがわしい本も借りる。

『夜を超えて』は、大島弓子を思わせる絵柄で、松浦作品を、説明するのではなく、演奏している。『インディゴ・ブルー』になると、明快な線になると同時に、内容もそれに見合ってわかりやす過ぎる気が私にはする。あんなカッコイイ(見かけのことではなく)タチはいないだろうというのもあるが(まあ、それはいいけど)。『スィート・ラヴィン・ベイビー』に収められた、やや古い作品「美雪」に惹かれる。

 新生児であっても女の子の方が人間の顔に興味を示すという話(生後一日で、予測可能な運動をするオブジェより、人間の顔の方を長く見ていたという実験結果による)を先日ウェブで読んだところだが、もしそれが正しいとしても、成長した大人たちの社会の中で、女性の方が相手の表情を読むのに長けているという話にそれを結びつけるのはおかしい(『アダムの脳・イヴの脳』はそれをやっている)。なぜなら、「顔色を読む」という言葉があることを考えてもわかるように、社会的力関係がそこでは働いているからだ。支配者は相手の顔色を読まない。読む必要がない。男が女の表情を読めないとしたら、第一に読む必要がないからではないか。

 一見、同一と思われる行為や事象も、人間の次元(言葉の次元)では全く別物になる。だからこそ、「私たちは何から何まで偽物」なのだ。セクシュアリティの場面において、このことは最大限に際立ってくる(それゆえ私たちはそれにセンシティヴにならざるを得ない)。むろん、物質的、生物学的基盤なしには私たちの身体それ自体もありえなかった。とはいえ、「身体それ自体」などというものを私たちはもはや持っていない。私たちのセクシュアリティとはファンタズムの戯れ=演奏である仮構物だ。だから人間の性行動について、生殖を目的としてでなくセックスすることがあるではないかというだけでは足りない。動物は生殖を目的としては交尾しないから(発情期の動物が「子供がほしい」と口にするだろうか)。私たちはけっして交尾しない。異性間性交――それは複雑に意味づけられた構築物にほかならない――することはあっても。

『アダムの脳・イヴの脳』の著者は、女は左右の脳をつなぐ脳梁が太く、それゆえ、「仕事と私とどちらが大切か」と男に問う、つまり、自分の仕事と自分の女という、男にとっては別次元の話が、女の脳内ではごっちゃになるのだと説明する――笑わないでいただきたい。この論者ほど見るからに頭が悪くなくても、「別次元」のことをいっしょくたにしている者はいくらでもいる。

 同性愛の問題。同性愛になるのは本人の責任でも、母親の責任でもないのだという主張は、アメリカ人にとっては切実な問題なのだろう。日本にそれを果物をちぎって持ってくるように持ってきてもピンとこないだろうが、著者はこの説を展開している。特徴的なのは、同性愛者になる=女性の脳に近くなる、であることだ(むろん、何の前提もなしに、同性愛者という言葉――この言葉自体問題だが――は男性同性愛者を指すものとして使われている)。それならば、レズビアンになるということは? 男性同性愛に準じる生物学的変化が女性同性愛者にもあるに違いないという根拠のない憶測で、この種の話は閉じられるのが通例だ。

  女性の欲望について少しでもまともに考えてみようとすれば、たちまちこの説は崩壊してしまうだろう。そもそも「女性の脳」は男性を欲望するものなのか?

[PR]
by kaoruSZ | 2005-12-19 18:08 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)
 大屋根広場(これを書くために名前を調べた)は、以前勝鬨橋の方から歩いてきて、幅広の石段を上がって発見した。聖路加タワーの二階のフロアが土手と同じ高さにあり、じかに川べりへ降りられるようになっていたのだ。聖路加病院には五年前、父の白内障手術で来ており、ここへ上がるエスカレーターも見ていたのに、そんな簡単に視界の開ける空間に出られるとはつゆ知らなかった。一度連れてきてやればよかったと、今でもここに来るとときどき思う。

 聖路加はまた、昭和20年の正月に死去した父の父が、それに先立ち入院していたところでもある。建築科の卒業証書を病室まで見せに行ったとは、以前父に聞いた。そのことは言わなかったが、ここにおやじさんも入院していたんだぞとは手術の当日にも口にした。聖路加病院の文字、I さんははじめて見たというので、St.Luke's Hospitaiの文字を指さす。病院の出している印刷物でルカとルビが振ってあるのを見たことがあるし、聖書の表記通りルカと読むのが正しいのだろう。(だが、祖父はもちろん、父も、聖ルカ病院と呼んでいたとは思えない。)

 目の手術のあと一泊の入院が必要だったが、麻酔から醒めたばかりの父を知らない場所に一晩でも一人で置いておくのは見当識喪失が心配だったので医者に言うと、娘さんの顔もわからなくなっては大変だと、病室で休んだあと帰宅し、翌朝また来院することになった。ただし〈ご休憩〉でも入院料(実際に泊まるよりは安いわけだが)は取られ、タクシーで行き来しなければならないから、かかった金額は似たようなものだったろうし、こっちの手間は入院以上にかかった。片目の手術には成功したが、もう片方を手術する日はたぶん来ないとわかっていた。メガネを作らないうちに、父は緩和病棟のある病院(いわゆるホスピスのたぐい)に入院した。しばらくして、そこの眼科でメガネを作った。このメガネは一月も使わなかったはずだが、もう一度はっきり見えるようになりたいと言っていた願いが叶ったのだし、かけた姿が上原謙のようだと言われて機嫌がよかった(評判になって、離れた病室からも人が見に来たとは本人の弁。実は若い頃にも、上原謙に似ていると言われていたのだ)。12月になる前に開かれた病棟のクリスマス会で撮られた写真に、父は赤ワインのグラスを前にこのメガネをかけて納まっている。これが最後の写真になった。

 昼どきにここに来たのもはじめてで、室内にも、外の石造りのテーブルにも(外で昼食でもまったく問題のない暖かさ)、かつて見たことがないほど人があふれていた。しかしこれは予想されたことなので、奥のドラッグストアを冷やかして(ここで去年は古風なクリスマス・カードが選びきれないほどの種類あるのを見つけたのだが、今年はすっかり入れ替わっていた)昼休みが終るのを待つ。弁当は、朝トーストしたところで「シンプルパン」に具をはさみたくなり、最初玉子をはさみかけたが、三角形のパンにうまくおさまらず、これは私の朝食になった。結局チキンをはさんで、玉子の方だけ予定通り容器に詰める。エメンタール・チーズ美味しいのでワインも抜いてしまおうかと思ったが、酒類禁止の表示があるのであとの楽しみにする。黒パン、前日の夕食と当日の朝食にした残りを、多過ぎるとは思いつつ全部持ってきていたが、楽しく食べてほとんどなくなり、I さん、最後には玉子の容器からじかにすくって食べてしまうほど気に入ってくれたのでよかった。引き上げようと立ち上がるまで周囲に注意を払わなかったが、テーブルはなお、けっこう人で埋まっていた。思いのほか長く大屋根の下で過ごしてしまったが、この時までに空はかげり、外は寒くなっていた。
[PR]
by kaoruSZ | 2005-12-18 19:32 | 日々 | Comments(2)
b0028100_4551917.jpgこの絵はここから。夜の様子はここで見られる。あるいは
ここだともっとよくトナカイが見られる(スタイルがとてもいいのだ。考えてみたら私は夜のここへはまだ一度も行ったことがない)。昼の光の中でしか見たことがなかったけれど、今年は去年と違ってトナカイがお尻を向け合っていないことにはすぐに気がついた(去年はそのことが気になっていた。互いの姿が見えないだろうと思って)。つまり以上はみな去年の写真なわけで、今年との違いはトナカイの向きの他に、これがもしクリスマス・ケーキならチョコレートで作られているであろう“MERRY CHRISTMAS”の札がないこと。トナカイの足元を埋めているのは(もちろん)作り物の白いポインセチアで、これも去年と同じみたい、一年どこかにしまってあったんだねと I さんに言ったが、やはりそうらしい。
[PR]
by kaoruSZ | 2005-12-17 04:50 | 日々 | Comments(0)
  同行の I さんにも森としか教えなかった目的地は目黒の自然教育園で、急いで書いておくと、今ならまだ〈谷〉を埋める繊細な紅葉が見られる。イロハモミジという種類らしい。あとで小石川植物園のサイトを見たら紅葉が散った裸木の絵を載せていたけれど、そっちで大風が吹いたわけではなくてたぶん種類にもよるのだ。うちには両手を延ばせば届くほどのところにかたまって楓が三本もあるのだが、カエデ1は残らず葉を落しているのに、カエデ2は黄色と茶(ところどころなんとか赤)の葉をまだ残しており、カエデ3は緑のまま、黒ずんだ汚い赤になりかけている(春になって芽が出るときも、1が最初で2、3の順。1と2はふだんは折り重なって一つの木に見えるが、芽吹くときと散るときは別の木とはっきりわかる。3は葉の切れが細く明らかに別種。カエデは直射日光を受けると糖ができて紅葉するのだそうで、なにしろ庭というよりただの通路で、朝日しかあたらない状態では色の悪さも無理からぬのか)。13日までには外での飲食に向かないほど寒くなるかと思い、まずは月島で待ち合わせることにする。

  夏以来、下見に行った先週の土曜日まで、勝鬨橋の向うへ渡ることはあっても月島の町なかまでは行っていなかった。待ち合せ場所を探して川に近い6番出口を出ると、夏に建築中だった高層“マンション”がまさに完成して、工事関係者が撤収を開始したくらいの感じ。一階でセブンイレブンが店を開いており、その手前に木が植わっている。木の周囲にドーナツ状にベンチがめぐらしてあるので、ここで待ち合わせようと決める。右手には古い二階家の列が巨大な“マンション”と向かい合っており、一軒不恰好な「セザール・マンション」が突き出して目障りだが、それさえも前に立つのに較べれば低層の可愛いものだ。万一雨が降ったらセブンイレブンに入ればいいので、「シラカシ」と記された木の下で待ち合せることに決める。高層“マンション”、細い通り抜けを設けたり、和船を職人に作らせて屋根だけある戸外に置いてみたり、しかもそれに路地の記憶だとかなんだとか、能書きを並べた説明板をつけて象徴的なモニュメントに仕立てるのに熱心だ。いつの日か、設計者の意図と離れたところで、美しく古びることができるだろうか。

 当日は、ぽかぽかしていた土曜日とうって変わった寒さに、地上へ出るやセブンイレブンに入ってしまったが、先に着いていた I さんは贋路地などをすでに見てまわっていた。住吉神社、小橋、昔の船着場、公園、渡し舟の石碑等、案内する。島の突端が舳先のように大川を分けているところまで行くと、人口渚を歩いていたシラサギが、飛び上がって人口渚と川の本来の深さを隔てる柵に、カモメたちに混じってとまる。中に一羽、オオミズナギドリではまさかあるまいが、灰色でよれよれな感じではあるものの大型の見なれぬ水鳥が一羽いる。日なたは暖かく、打ち寄せる波や水の上に開けた空を I さんも気に入ってくれた様子。本家、元祖と並ぶ佃煮屋の前を通って戻り、佃大橋を渡って右岸の「隅田川テラス」に至る。

2006.4.5追記
 建築が御専門の玉井さんがこの「再生」された「路地」のことを書いておられるのでトラックバックする。
[PR]
by kaoruSZ | 2005-12-15 23:47 | 日々 | Comments(0)

買物のち残業中

 睡眠をちゃんと取って毎日仕事に行き、かつ残業していたのでは映画が見られない。フィルムセンターの〈韓国映画の開拓者 兪賢穆監督特集〉が気になっていたが、もう一週間が過ぎてしまった。どうせ睡眠時間を削るのだったら見に行こうか。いや、ちゃんと眠っていないことには映画は見られない。兪賢穆(ユ・ヒョンモク)監督は1925年生れ。手塚治虫*、三島由紀夫と同年だとすぐわかるのは、亡父も同年だから。

 明治屋にジェラールの缶入りブリーがあったと思っていたら、カマンベールだけだった。クラシック・カマンベールにする。赤ワインをと思っていたが、エメンタールもほしくなり、白の若い辛口に。木村屋で黒パンひとかたまりをスライスしてもらう(ふだんは半量しか買わない)。あとはシンプルパンと称する三角形の白いパンをもとめた。焼いて切れ目を入れ、玉子はサラダ菜とトマトとあわせて中につめることにしよう。

 チキンサラダのサンドウィッチを作ろうと考えて以来、どこかで何回か昼食に食べたおいしいチキンサンド(チキンと玉ねぎにドレッシングがしみている)の記憶がちらりちらりと甦ってくるのだが、鮮明な確信には至らない。かなり昔のことではあるが、あれはどこの、どんな店で、何をしていた時のことか?(青山一丁目で不動産屋の電話番をしていた時か?)子供時代の記憶でもないのにここまで忘れてしまうとは。子供の頃(といっても中学生くらい)、読売に「昭和史の天皇」という連載があって、当時の私は新聞を隅から隅まで読んでいた。玉音盤を軍が奪おうとするのを必死に守った人たち(たとえば)がそれぞれ証言するのだが、その話がみな食い違う。だから書き手は、○○の記憶はこうだ、△△の話では、というふうに並列してゆくのだが、子供の私は、その年寄りたちが、彼らの一生のうちで最大の事件だったに違いないそうした特権的な瞬間を、それほどまでにあやふやにしか記憶していないことに驚きを覚えたものだ。

 そう思った以上当時の私は、この上なくあきらかな記憶を日常的に有していたのに違いない。

*手塚は本当は1928年だそうだ! 大正生まれと偽っていたらしい……。
[PR]
by kaoruSZ | 2005-12-12 20:37 | 日々 | Comments(0)