おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

<   2006年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧

『父 中原淳一』(1)

 昔、母方の祖母から、ふとん生地の端布をはぎ合わせた掛布団をもらったことがある。うちは四人家族なので人数分送ってくれたのだが(ふとん皮だけが送られてきて、綿は母が入れたらしい。晩年の祖母のもとに通っていたとき、そうした掛ぶとんシリーズの一枚をかけて寝たことがあるが、母の仕事と違い、それはごく薄い夏掛けに作られていた)、特に私のためには、赤い生地や花柄ばかりを集めてやや小型に仕立てた一枚があった。長年愛用していたが、先年、白いカバー(これは綿レースで縁取りした母の手製)の端が弱って裂けてしまった。市販のカバーでは大きさが合わない。直線のミシンならかけられるから(曲線だってかけられないことはない)、いつか自分でカバーを縫ってまた使おう。そう思って押入れに入れたきり何年も経つ。

 私のやることはたいていそんなふうだが、ここで話題にしたいのはそのことではない。中原淳一の長男・洲一が書いた『父 中原淳一』(中央公論社1987年)という本のことだ。話は戻るが、祖母が布団の端ぎれをそんなたくさん持っていたのには理由がある。母の年の離れた妹が結婚するとき、祖母は布団一式を自分で縫って、綿を入れてもらうため布団屋に持ち込んだ。すると、布団屋の女主人から、最近では布団を縫える人がいなくなって困っていた、ぜひ仕事をと頼まれて、以来、かなりの年になるまで(彼女は四十五歳で私の祖母になっているから、このときでもまだ五十代だったはず)、「布団屋に奉公しちゃった」と自ら称する内職をミシンを踏んで続けたのである。(後年、寝たきりに近くなった祖母に言われて家の中から外を見ると、通りを隔てた斜め向かいの布団屋はシャッターを閉ざしていた。跡継ぎのいないまま、布団屋のおばあさんは祖母より早く亡くなったのだ。)あるとき、そうした端切れのいくばくかを祖母にねだった。何にするのと祖母は訊ね、本に出ていた着物姿の人形を作るのだと答えると、喜んで、私に好きな端切れを選ばせてくれた。母の持っていた、昔の手芸の本(「主婦と生活」か何かの附録)に、出来上がりがカラー・グラビアに載っていた、作り方を何度も読み返した、身体も全部布製で、髪は毛糸の束を半返しにしてとめつけた上に鹿の子の手柄をかけた髷を乗せ、中原淳一のあの少女の顏(とは当時は知らなかったが)を染料で描いた人形を、いつかは作りたいと思っていたのだ。

 もともと裁ち落しだから大きな布はなかった。人形に着せる縞柄か何かの生地は、別に手に入れなくてはならないだろう。ただ、半襟などのアクセントに、それらの小布は使えるだろうと思われた。そうやって持ち返った端切れが、そのまま箪笥の抽斗で何年も眠りつづけたことはいうまでもない。人形を作るのはあきらめても、はいで椅子用の小座布団にしたらどうかと考えたこともある。布を組み合せ、出来上りを想像して、結局また抽出しにしまいこむ(それでも、いつの日か、ポーチぐらいはできるのではないかという希望はまだ捨てていない)。

 母が取っておいた婦人雑誌の附録は、私の子供時代の特別な愛読書だった。もともとは、熱を出して肋膜に影があるとか言われたあとの長い恢復期に、寝床のなかで家じゅうの本を呼んでもまだ読み足りなかったとき、母が出してきたものだ。私が中原淳一の名も覚えたのは、強いまなざしをもった少女人形の、あるいは、まだウェストを絞らない年齢の幼ない女の子のためのワンピースの作者としてだった。ドレスの前につけられた半円形の大きなポケット(幼稚園に入る前に私が着せられていた母の手製のエプロン——実際にはスモックというべき形だった——にも、そんなポケットがついていた)はボウルに見立てられ、そこに盛られたように、果物のアップリケがされていた。中原自身も、服飾作家が自身の愛用品を紹介する欄に写真入りで登場し、商売道具のペン先を大胆にアップリケした自らのネクタイについて語っていた。

18日にMさんにあてたメールの一部:

ところで、今日、日比谷図書館で中原淳一の息子が父のことを書いた本を借りたのですが、中原淳一ってゲイだったんですね。よく知られた話なんでしょうか?
私は知らなかったけど。
グーグルしても、伊藤文学しかそのことを言ってなくて。
ひまわり、それいゆがなつかしかったりする世代じゃないけど、子供の頃、母の手芸の
本でデザインが好きだなと思って見ると中原淳一だった(本人も出てきたりした)という思い出があるんですよ。
小さいときから女性の服飾をはじめとした女らしいものに惹かれて、本当は自分がそういう少女になりたくて、でも実際はむくつけき男で、本物の女は好きな男を「堕落」させてしまうので嫌い、性的なものを剥ぎ取った少女像を描いて、結局現実の女に対しては抑圧的に働くという……。



『父 中原淳一』(2)http://kaorusz.exblog.jp/4428380/
『父 中原淳一』(3) http://kaorusz.exblog.jp/4429355/
『父 中原淳一』(4) http://kaorusz.exblog.jp/4469181/
 
[PR]
by kaoruSZ | 2006-03-24 21:48 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(5)
 15日10時20分に町屋駅でMさんと待ち合わせ、日比谷へ行く約束だった。当然それまでに余裕で確定申告は終えていると信じていた(15日は水曜日なので、月曜日に行けなくても火曜日に行っているはずと)。当日朝になっても、税務署が開くと同時に行って清書すれば、一度帰宅してゆっくり出かけられるとまだ思っていた。実際には、税務署の机に向かい、下書きして来た(本当は提出用だが間違いだらけで汚くなった)申告書を写し終えたのが10時10分、納付は郵便局ですることにして税務署を出、京成のガードに沿った藍染川跡を一路町屋へ。五分遅刻ですむ。

 三信ビル、Mさんは知っていると言っていたが一階を通り抜けたことがあるだけ。かつての朝日生命館の地下遺構見てもらってから三信ビルへ。二階ギャラリーからの景観見せる。大部分のテナントすでに去る。一階ニューワールドサービスでランチ・タイムはじまるのを見はからって入る。Mさんはハンバーガー、私はハンバーガー・ランチ。食後は日比谷公園を散歩。梅まだ満開。黒々としたサラリーマンでベンチが埋め尽くされた昼休みの日比谷公園見るのは久しぶり。日比谷茶廊のメニューにさくらのアイスクリームとあったので、戸外のテーブルで注文。Mさんは桜のハーブティー。傍に沈丁花が咲き、風に香が混じる。木の間から日が射して最初はすっかり春のようだったが、風はやはり冷たい。暖かいと思って薄着だったし。ハーブティーをすすめてくれたのでアイスクリームとひとくちずつ交換。両方とるのが正解かもしれない。でもハーブティーは普通っぽいのでアイスクリームの方が気に入った。途中まで送ると言われ、用心に持ってきたマフラーを巻き銀座を歩く。

 先日からMさんがミクシィ日記はじめたのでコメント大量につけていた。ずっと連絡を取っていなかった人のページを見つけ、あるいは見つけられて、メール送りあったり、マイミクシィになったりもした。突然ミクシィにはまって、「片付けられない脳の病気」コミュニティ(1365人)にも入って書き込んだ。脳の病気とは思わないから最初読むだけのつもりだったが、まるで私が全部書いているようなコメント(実例)に思わず入る。片づけられない人とは自分を笑えるユーモアと心の余裕がある人かと錯覚させる世界。夜になって誕生祝いメールぽつぽつ届く。片付けられないコミュの、誕生日が近い未知の人からも私の書き込みの表現が好きだとお祝いメッセージいただく。誕生日、最近公開にしたばかりだったのだ。「締切直前にならないと書けません」(7102人)コミュにも前から入っているが、かなり症状が重なるようだ。そもそも書類が簡単に出てきさえすれば、確定申告に手間取るような難しい商売ではないんだし。そこに、直前にならないとできない体質が加わればもう無敵(何に?)。なお、その後、「鞄が重くなる病気」(4766人)、「部屋が大変な事 に」(3006人)コミュにも登録した。
[PR]
by kaoruSZ | 2006-03-17 15:03 | 日々 | Comments(4)

年度末の締め続くが……

 井亀あおいの遺稿集2冊ようやく本屋に届く。
 そのあとに注文したサラ・ウォーターズの『茨の城』上下巻も一日早く届いていたので、金曜日にあわせて受け取る。

 夜、七時の回を目指して渋谷へ。次郎長三国志第六部。大政が故郷の荒れた屋敷の門前まで来て(伊藤の表札あり)、入れずに立ち去ろうとするとき、「旦那様」と女に呼びかけられて逃げ出し、人通りの多い道へ。手前を馬に乗った武士が横切ったりする雑踏。次には画面手前に二人をおいての、伊藤政五郎ではござらぬ、ヤクザの大政……と地にひれ伏すのを女も膝を突き手を伸ばして触れえない。追い、逃げ、押し、引く、アクションの素晴しさ。そうしているあいだにも、画面上部の後方には大勢の人々がゆきかっているさまを見せる。

 一部二部では、何かというと茶摘み娘の映像が出てちゃっきり節が響きわたるアナクロニズム(後代の事物が前代に混じり込んでいること〔原義〕)で、明るいヴァラエティ調だったが、ここでは女房お蝶も最期を迎え、一転して暗い。しかし、浪曲、御詠歌(?) 洋楽コーラスとりまぜて、ミュージカル化かそれともコロスか、ちゃっきり節(今度は出ない)もその一環として次郎長物語を彩っていたと知る。最後、「清水へけえろう」の一言で雨に濡れる橋上の旅がらすたちへ収束させる様式化も見事。『第七部 初祝い清水港』の予告編が最後に入る。わー、これは見たい(当時はお正月映画だったのか?)。しかし、一挙上映、もうこの日でおしまいなのだ。

 最終上映の『第5部 殴り込み甲州路』続けて見る。最初はお祭りのシーン延々。ようやくおなじみになった次郎長一家の面々がおみこしのかつぎ手の中に見分けられる。これは全部見るよりほかないシリーズだった! 疲れている自覚がなかったのだが、殴り込みに至るまえに気持ちよく寝入ったらしい。気がついたら不覚にもスクリーンが暗くなった直後(らしい)。車庫行きのバスの車内でのようにひとり取り残されなくて(経験あり)よかった。

 ミクシィの若冲コミュニティに以下の書き込みあり。これはすごい若冲イアー! 絵は寝不足でも見られるのが有り難い。

●花鳥-愛でる心、彩る技<若冲を中心に> (三の丸尚蔵館; 無料)
3月25日(土)~9月10日(日)
 第1期:3月25日(土)~4月23日(日)
 第2期:4月29日(土・祝)~5月28日(日)
 第3期:6月3日(土)~7月2日(日)
 第4期:7月8日(土)~8月6日(日)
 第5期:8月12日(土)~9月10日(日)

●プライスコレクション 若冲と江戸絵画展 (東京国立博物館)
 7月4日(火)~8月27日(日)
[PR]
by kaoruSZ | 2006-03-11 10:19 | 日々 | Comments(8)
 カルチャー・レヴューまだ更新されていないようだが、原稿落してはいない(ギリギリだったけど)。黒猫さんから感想来たので、一応形になっているとわかってほっとする(このところ、一晩寝かして読み返すひまなく手離しているため謙虚)。

 土曜日、朝イチで東京都美術館へバーク・コレクション見に行く。若冲はもちろんだがほかも面白い。無名の作者による麦畑の屏風――モダン! 洛外洛中図なんて派手で置けないけど、これなら置きたい(どこにだ)――とか、源氏物語絵巻のハンディ版(ぬりえにしたい線描)とか、酒井抱一の弟子のミニチュア絵巻とか。渋谷シネマヴェーラでマキノ雅弘の次郎長シリーズ2本見る。下の階に入っている新しいユーロスペースと共通会員券になっていたので、早速入会。2本立ての合間に(というより、入れ替えと思い込んでいたので出てしまったが、手元にはちゃんと半券ではなく次の回のチケットが残っていた)、東急本店前のブック・ファーストにはじめて入り、河出文庫の棚で松浦理英子の『葬儀の日』を探すが(持っているけど出てくるわけがないので、「乾く夏」の内容を手っ取り早く確かめようと思った)見つからず、水間碧『隠喩としての少年愛』があったので買う。以前、女性学年報に、やおい論(とは彼女は呼ばないのだが)を本名(たぶん)で書いていた在野研究者の別名による総決算本だが、ダメダメ。精神分析と言って典拠にするのがユングで、要するに形而上学、現実の男性同性愛とは関係ないというのは、「私の王国は地上のものではない」という宣言だ。ポルノの否定はフロイトからユングへの後退をなぞるかのよう。24年組はよくてもSMはダメな人。Mさんのいう旧世代のフェミニストとも通じるか。小児性欲理論だけは捨てないでくれとフロイトはユングに頼んだんだよね。女性学年報のときはここまでユングに肩入れしている印象はなかったのだが。原型の導入による個体史の(子供時代の)過小評価。少年愛嗜好は女性に先天的にそなわっているもので、それが出るか出ないかは環境によるということになってしまうのだ。ひとことで言って彼女の主張は、女性の少年愛嗜好(と彼女は呼ぶ)は母親からの自立の隠喩だという仮説の普遍化なのだが、DNAまで行っては何をかいわんや(それ以前にすでにダメだけど)。生物学的本質主義とは結局プラトニズムのことか。

 井亀あおいを知ったことが一番の収穫かもしれない(水間本、資料としては買っても惜しくない。文章はちゃんとしているし。一つだけ長所をあげるなら、この人は自分のそういう嗜好が切実な問題であるからこそかかわりつづけてきたのであり、ただの研究テーマとして政治的、イデオロギー的発言をするようなポジションからははるかに遠いことだ。結局、袋小路に入ってしまったようだが)。十六歳で自殺した少女だが、日記と創作が二冊の本として残されているそうで、引用されている文章を見て読みたくなる。日比谷にでもあればと、東京都、荒川、台東と図書館検索するが、広尾にしかない。とうに絶版だと思い込んでいたのだが、最後にe-honで検索してみたら、なんと新本で、ある! 早速二冊とも注文。あおいの母親、小学生の彼女を、よるべない表情をしているからと特殊学級に入れることを望み(特殊学級の教師と子供の関係を見て、そこで指導してもらえばそういう表情が消せると考えたそうだ)、成績上位の子を入れられないと断わられたとか。すご過ぎ。
[PR]
by kaoruSZ | 2006-03-01 18:27 | 日々 | Comments(5)