おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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「倒錯は自由にする」

  同性愛者かっこよす。性的に倒錯してる人はみんなかっこよす。 

 きのう「倒錯」という語が出てきたのは、上の文句ではじまるこの記事を見たから。そして、きのうは眠くて、何かひっかかっていながら思い出せなかったのが本日のタイトルの言葉で、スーザン・ソンタグの本に出てきたんだけど、彼女の発言ではなく……あとで説明します。

 上のブログの書き手はなかなか愛すべき人だと思うのだが、そりゃ、「自分は倒錯してない」という同性愛者(この言葉だって問題ありありだと思うが、とりあえずそう呼んでおこう)からの抗議がきても仕方がなかろう。(あと、実際の同性愛者を知らないよね。だって、「みんな」じゃないもん。非難のコメントを受け、書き手いわく 今考えてみるととんでもないことを書いてしまったと思います。「自分の中の美化されたイメージ」は倒錯しててかっこいいなぁと書かなきゃいけないですよね! そうそう、そのとおり! このコメントも可笑しいなあ。) 

  まあ、怒り狂ったり、罵倒を浴びせたりすべきものではないと思うけど。書き手の再コメントで面白い(「可笑しい」じゃなく)と思ったのをもう一つ――[「あたしもバイになりたい」という発言は] [「ヘテロ男から一方的に欲望される対象」でしかない自分の境遇とかセクシュアリティから逃れたいだけという指摘はハッとさせられました。
 
 私の感じ方は、次の「当事者」のものに近い。

id:churchill氏の発言、私はフツーに「あら、かっこよいって言ってもらえるなんて光栄だわ」ぐらいにしか思わないのだけれど、けっこう過敏に反応するかたもいて考えることは多々あります。”倒錯”発言は確かに頂けないけど、「倒錯してますが、何か?」って堂々としてたら良いじゃん。みな異常って言われることに過敏になり過ぎている気がするなぁ。「あなたは同性愛者であることで苦労をしたことがないから、そんなことが言えるんだ」ってよく言われますけど、私にだってそれなりの苦労はあるもんね~。

  こちらは十八歳だって。すてきすてき。
 今日見つけたトラックバック元へ行って見つけた記事なのだけれど、、ありうべき反応として「倒錯者ですが、何か?」大いにありとは私も思っていた。クィアーやオカマ(自称としての)例もある。

「非嫡出子ですけど、何か?」
「嫡出がなんぼのもんじゃい!」

もありだろう。

 話がタイトルに戻ると、これはスーザン・ソンタグが『土星の徴しの下に』という評論集中の一篇でロラン・バルトを論じている中にあった言葉。バルトは「倒錯は自由にする」という古風な考えを持っていた、とソンタグは言うのだ。(だから、ソンタグ自身は必ずしもそれに賛成ではないということ。)それからもう人つ、四方田犬彦の文章でやっぱりバルトを「倒錯者」扱いしていたのがあって、それも「かっこよい」ものだった記憶があり、それから、「perversion」についてのバルトの簡潔な定義「生殖を目的としないセックス」というのもあって(これはフランス語で読んだ。といっても、ろくろく読めない中でこのセンテンスだけ確認した)、これもかっこいいじゃないか。(だったら、避妊してれば「倒錯」か? と言えば、ペニスを膣に入れること=セックスだと思っていて、実際それしかしない人々は、避妊していようがいなかろうが「倒錯」なわけないだろう。)

『土星の徴しの下に』は、原書が出たときに読売の夕刊文化欄のコラム(記者が書くのではない)に紹介されて、私はその記事だけを頼りに、丸善か紀伊国屋か忘れたが(たぶん紀伊国屋)、注文し、半年くらい待って船便で運ばれてきたのを入手。英語の本を平気で読むようになったのは、アメリカ製のゲイ・ポルノを読むようになってからだからずっと後年のことで、このときは読めもしないのに注文したわけだ。その後、この本は翻訳されて、私は買ってしまったけれど、くだんの箇所が「文学は自由にするという古風な考えを」になっていたのには一驚。原文はたしかIt liberatesで(そのときはちゃんと確かめたけど、今は本を探し出せない)、訳者である大学教授はこのItの先行詞を をliteratureだと思ったわけね。文学が自由にする、なんてバルトが言うわけないとは(いくらソンタグの見方だとはいえ)思わなかったのか。まして、倒錯が自由にするなんて考えは浮かびもしなかったんだろうなあ。
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by kaoruSZ | 2006-05-31 22:09 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)

載せたに

「きままな読書会」の過去レジュメを二つ載せました。

http://kimamatsum.exblog.jp/


 蓄積した疲れが出てしまい、二日続けて、夕方になると激しい睡魔に襲われています。
 といっても至極元気ではあるのですが、まとまったことをする時間がとれません。

 プリントアウトしたレジュメがおちていた(自室に)ので、これでも載せておこうとデータを捜索、アップした次第。

 目についたところを拾ってみると――

 149 
 散種;正確で制御された多様牲ではなく、つねに異なり、つねに遅延された意味の増殖。

 150 
 去勢、すなわちファロス的権威による監督の欠如が、「作者」や「書物」を 「テクスト」に変容させる。 

「嫡出」という語は、それ自体に価値観を含むため、かえって、父子関係という概念自体の正統性(父から子へ正しく伝えられる<何か>が存在するという考え――皇位継承者の資格の一件でも、その醜悪さを季節はずれに露呈した――を撃つこともできるだろう。
「倒錯」という語が、規範的なセクシュアリティからの「逸脱」を意味する差別語であるがゆえに、「正常=規範」の正統さの根拠そのものをゆるがせるために使う――流用する――こともできるように。(セクシュアリティは多様だから同性愛者を差別してはいけません、といった生ぬるい言説――この場合、同性愛者という言葉こそが政治的に正しいと見なされている――はこの反対側にある。)

と、整理できていないメモを走り書きしておいて、今日は、予約を三度延期してもらった(仕事を抜けられなくなって)歯医者に行ってきます。先週オフィスのパソコンがおかしくなり(一時は、データをすべて取り出さないと修理できないとまで言われましたが、翌朝になったら機嫌をなおして動いてくれた。霊感のある同僚の盛り塩がきいたのか?!)、目下仕事の方が延期に。

(某MLの一件ではここまで論じる必要はないので、これは自分の――そして親愛なる読者の――ためのメモ。)
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by kaoruSZ | 2006-05-31 06:39 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)

載せりん!

双風舎の『バックラッシュ!』が読みたいで、ブログに載せまい!

http://d.hatena.ne.jp/Backlash/

(豊川弁ではこんな感じ? あ、この「載せまい」は「載せよう」の意味です。)

追記:タイトルもわかりにくいでしょうか?……検索窓に「じょうぶい」と入れると用例が見ます。
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by kaoruSZ | 2006-05-29 02:38 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)

ある会話から

 一人でお昼を食べていると、右隣のテーブルの会話が、気がつくとはじまっている夢のように耳に入ってきていた。左側とは二つのテーブルをつけた形で相席同然だったから、会釈して奥に入り、耳に入る会話は素通りさせていた。サラダが終って、運ばれてきたハヤシライスを黙々とすくっては口に入れていた。

 それが、皿が下げられたあと、持参の本を広げはしたもののさして読む気にもならないので脇に置き、珈琲とミニデザートが運ばれてくるのを待つうちに、急に右側の女の子たちの話が意味をもって聞えてきたのだ。最初、夫に秘密を告白されるとして、どれだったらまだましかという話のようにそれは思えた。ありそうな出来事のうちの究極の選択のようなもの? だが、もしかしたらそれは身近に起こっていることなのかもしれなくて、そのあたりは最後まで判然としなかった。
 
 結婚したはずなのに籍が入っていなかった……これは嫌よね、と二人は頷く。実は夫がズラだった。え? これはわかるんじゃないの? と一人が言う。これならいいかもしれない、とも。ハゲだったとしても、ああ、そうなの、ですんでしまいそう。では、夫がゲイだったら? え、でも、だったら子供できないんじゃない?(これで、子供がいるという設定がすでにあっての話だとわかった。それとも、実際にそういうケースがあって実はどれか、という話? いずれにせよ、当事者でないのは確かだ。)でもそれは……なんとかマウンテンであるじゃない。(このあたりで、ひとことも聞きもらすまいと私は耳をそばだてる……。)

 相手は『ブロークバック・マウンテン』を聞いたこともないらしかった。私は見てないけど○○さんが……ともう一人が言う。(○○さんはそういうのがスキな人らしい。)自分は見てないからわからないけれどとあらかじめ弁明しつつ、彼女は映画のストーリーを話して聞かせる。山に二人で入っているあいだにそういう関係になるんだけど、山を降りて、それぞれ結婚して子供もできるけど、また二人で山に戻って……。

 そして二人が声をあげて笑ったところをみると、笑うべきところでそれはあるらしかった……。私がいっそう耳を澄まして聞き入ったのは、嫡出子という言葉を彼女たちが発したからでもある。その概念をめぐって某メーリングリストで問題になっている最中のそれを、こんなにたやすく日常会話で耳にすることができるとは。

 別の女が産む子を嫡出子にするために結婚する、そのためにいったん離婚してくれと夫に言われたらどうするか? そんな設問なのかもしれなかった。それはかまわないんじゃない? 鷹揚にも一人が言う。でも、向うの子供と自分の子供が対等になってしまうのよ。

 それは嫌よねえ。でしょう、と二人はうなずく。

 教訓。フェミニストの主張と一般の女性の認識の乖離などということを言うべきではない。フェミニストと一般の女の意見が離れているときはフェミニストに味方せよ。

 私生児ではなく嫡出でない子。非嫡出子。婚外子。婚外子ならニュートラルになれるか? 価値観はなすりつけられる。たちまち染まる。現在、父なし子という言葉は死後になっている。だが、幼稚園児の私はちゃんと知っていた。父の不在は誰にでも起こりうる状態なのに、それがどうしてさげすみつつ口に出されなければならないのか、私にはわからなかった。(父なし子はたんに父のいない子ではないのだから、お父さんのいない子を父なし子と呼んではいけないと母は私に教えた――ますますわけがわからなかった。)

 私の物知らずの弟は、自分の娘の出生届に印刷された嫡出の字が読めなかったが、私に意味を確認して、まだそんなことをやっているのか、と呆れるだけの頭は持っていた。

 姪の幼稚園の名簿に父なし子はいなかった。保護者欄に書き込まれているのは、全員が男名前であった。

 比喩としての言葉。言葉はそもそもが比喩である。新聞に載った文章に比喩として「非嫡出子」という語があったことがMLでは問題にされていたのだが、直後に私は堀江敏幸の文章で、「私生児」という言葉が比喩的に使われた例に出会っている。そして、その使い方を的確だと思った。

「これではまるでオールドミスだ」と『地獄の季節』の語り手は嘆息する。危険を冒す勇気も積極性も失った無気力な存在。いまやそう名指されたとて、独身の女たちは自分のこととは思えまい。だが、比喩としては、結婚しない女がそのように分類されていたことを理解できるし、理解すべきだ。意味は歴史的に形成される。(いうまでもなく、ここには、そもそもそう呼ばれるべきでない男が「オールドミス」と性別越境的に呼ばれることの意味も入ってくる。)

 比喩としては擁護するが、たとえば「父兄会」は比喩ではない。これは父及び兄が家長であったシステムとじかに接続された言葉であり、現在の学校で組織される保護者の集まりにこれを使ったとしたら不見識だ。差別するつもりではないとは本人は言うだろう。それはわかっている。その鈍感さこそが問題なのだ。

 ところで、彼女たちの会話に出てきた「ハゲ」であるが……いまやゲイより攻撃しやすい(公然と馬鹿にしてよい)ものになっているのかもしれない。

 映画字幕会社の若い女性社員が、「昔は未亡人は再婚できなかった」という科白に首をかしげるのに出会ったことがある。「未亡人は汚いと思われていたんでしょうか」と彼女は言った。この話を私がした相手のうち二人までが、わからないでいられるなんて幸せだけど、という反応を示した。幸せな歴史的無知は最悪だ。
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by kaoruSZ | 2006-05-21 12:04 | 日々 | Comments(2)

みたび署名の呼びかけ

あとで署名しようと思っていた方
今日の夜中が締切です。


 第3期東京都男女平等参画審議会委員に高橋史朗が入ったことに対する憂慮声明への賛同署名、締切が本日夜中に迫りました。

 詳しいことは二つ前の記事をごらん下さい。

 見るまでもないということでしたら、下記からお入り下さい。
http://www.cablenet.ne.jp/~mming/against_GFB_2.html>

 なお、この「憂慮」は、先に起こった事件のような、上野千鶴子が人権講座の講師に不適格だと不当にも主張するといったこととは、全く別の性質の事柄です。

 今回の問題は、「男女平等参画」に敵対的な内容を公然と発表し、しかも自分の方が正統的「男女平等参画」を主張していると言いくるめようとするような人間を、当の参画審議会に入れたということなのですから。
 
 また、こうしたフェミニズム・バッシャーは、自分が敵とみなしている者について無知でありながら、「過激」というレッテルを貼ってフレームアップを図るようです。フェミニストの著作を撤去させた福井県の「男女共同参画推進員」のように。

 呼び名が「平等」だろうが「参画」だろうが、フェミニズムを抜きにしたgender equalityなどありえぬわけで、こうした恥知らずぶりは糾弾されるべきです。

 目下ここにまとまったことを書く時間がないのですが、「きままな読書会」は更新しましたので、たまにはあっちものぞいて下さい(関係はあるけれど別な話です)。
      ↓
target=_blank>http://http://kimamatsum.exblog.jp/4709451/
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by kaoruSZ | 2006-05-18 15:32 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)
第3期東京都男女平等参画審議会委員に高橋史朗が入ったことに対する憂慮声明への賛同署名は、締切が18日に延期されました。詳しいことは一つ前の記事をごらん下さい。

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A.
 連休中にS&Tさんちではじめて会った大学院生のSさんが、帰りの電車のなかでめざましい意見を表明してくれたので忘れないうちに書きとめておく。

(1)ジェンダーフリーが《性別》を否定することであってなぜいけない? なぜ、そうではないと“彼ら”に合わせて弁明しなくてはならない?
(2)男女共同参画というけれど、「共同」でなくていいと思う。
(3)異性愛も女らしさのうち。

 三番目は私がこうまとめたのであり、実際は、男と恋愛するというのも女らしさのうちに含まれているのだから、ジェンダーとセクシュアリティは切り離せない、といった意味のことだったと思う(今度Sさんに確かめて、違っていたらなおす)。そういう意見が某メーリングリストに出たとたん、皆は沈黙したというのだ。(私は見落したらしい。)話題がセクシュアリティに及ぶとやっぱりそうなっちゃうのか……という話。

B.
 高橋史朗の文章のありかを一つ、前の記事でリファーした(署名サイトへ飛ぶと、もっと資料が載っている)。そこに幼形成熟とか鏡像段階という言葉が出てくるが、使い方がデタラメだ。ジェンダーフリーだのフェミニズムだのの言葉を彼らが持ち出すときと同様に。「過激なフェミニスト」というフレーズに何かの意味があるかのように、でっち上げるときと同様に。もしくは、たんなる権威づけとして、見当外れもいいところで彼らは使う。その滑稽さを理解できないまま、自分に都合のいいように、また、著しく浅薄な意味に変えて使う。というか、もともと理解していないわけだが。何も理解するためには、専門知識とか深い学識とかが必要とされるわけではない。幼形成熟(ネオテニー)という言葉は、私の記憶違いでなければ、福井県で禁書にされた松浦理英子の「優しい去勢のために」にも出てきたのではなかったか。(較べるのも笑止ながら)生物学についてアカデミックな知識があるわけではなかろう松浦がそこで間違うことはけっしてない。

 高橋はネオテニーを、カンガルーの赤ん坊の生まれ方のようなものとして認識しているらしい。つまり、たんなる未熟児として。女が女役割に徹して母親をやれば、つまり、早く子宮から出されてしまった子カンガルーが代用品としての母カンガルーの袋の中で育つように、女が生物学的に規定された環境そのものとして育てれば、子供は赤んぼカンガルーが大人カンガルーになるように、つつがなく男ないしは女に育つと思っているらしい。しかしネオテニーは人間に、「小さい動物たちは交尾し、人間の子供はセクシュアリティを持つ」(レオ・ベルサーニ)という運命を与えた。引き延ばされた子供時代を通り抜けて、「何から何まで贋物の」ジェンダーを身につけた人間の子供には(人間の大人にもである、つまり、性的成熟ののちにも、カンガルーの成体が成体であるように人間が大人になることはありえないのだから)、いかにそれを流用して自らのセクシュアリティを生きるかということしか残っていない。ついでに言うなら、文化とはこうした場所の〈外〉にはありえないものだ。
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by kaoruSZ | 2006-05-10 15:56 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(2)

バカが多くて疲れます

連休明け早々ですが署名のお願いです。

 福井県生活学習館(県の男女共同参画課が置かれた、男女平等センターに相当する施設)で、上野千鶴子や松浦理英子の著作を含む図書150冊が、当の「男女共同参画推進員」の一人のクレームにより「男女共同参画に関係がない」として“禁書”扱いになったかと思えば、5月1日には、東京都男女平等参画審議会の第3期委員に高橋史朗が入っていることが明らかになりました。この人物は、せんだって荒川区で奇怪な男女共同参画推進条例を成立させようと林道義が会長になって画策したときの副会長です。

 高橋の委員就任については、「東京都の男女平等政策の後退を憂慮する市民の会」が、「憂慮声明」を都知事室と生活文化局に提出してきたそうです。

 この「憂慮声明」への賛同署名が11日(木)締切で行われていることを知りましたので、ご紹介いたします。以下のサイトから署名できます。呼びかけ人の名前も明記されており、資料も付されていますので、お目通しの上ぜひご署名を。

http://www.cablenet.ne.jp/~mming/against_GFB_2.html>

☆この人物の書いたもの、たとえばこんなところで読めるようです。http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2005/00003/contents/0001.htm#001


☆福井の事件については、以下に世界日報から抜粋します(赤字はkaoruSZ)。
「県側は過激図書を排除 県センターの150冊対象に」(4/28)
target=_blank>http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/060428/02.html


(前略)近藤推進員は、この宇野課長の回答[「男女共同参画に関する考え方についてはさまざまなものがあり、それ らに関する情報の提供は学習するうえで必要である」]にショックを受ける一方、同学習館にどのような図書が置かれているのか一日がかりで調査。

 その結果、ジェンダーフリーを掲げるものが九冊、「男でもなく女で もなく」「専業主婦が消える日」「優しい去勢のために」「完全離婚マ ニュアル」など、およそ男女共同参画とは無縁の書物が多数あることに気付き、その必要性が非常に疑問視される書籍リストを作成。県議会議員や地元紙などに問題提起してきた。

 こうした中で今年三月、この種の書物、約百五十冊が同センターの書棚から排除されたのである(別表参照)。過激なフェミニスト、上野千鶴子・東大教授の本では、『スカートの下の劇場』など十冊が)排除本とされた。

 宇野前課長(現在、総務部企画幹)は、本紙の取材に対して「政府の基本計画改定で、男女共同参画が目指す方向がより明確になった。それを受けての措置」と述べ、「今後も県民の声に耳を傾けながら柔軟に対応したい」と語った。

 本家明美・男女共同参画推進課長は「宇野課長(当時)から排除するように指示があった。排除した本は、一般の人の目に留まらない倉庫のようなところにある」としている。

 近藤推進員は、「政府や自民党は基本計画改定に基づき地方の男女共同参画センターの書籍や講師選びが適切に行われているか、もっとチェックすべきだ」と述べる。
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by kaoruSZ | 2006-05-08 09:02 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)
  カルチャー・レヴューに成瀬論の続きを書いた。終えることを考えると終わらせられそうになかったので最終回はまた先送りに。

 30日正午過ぎに原稿送り、3時にYさんと谷中の朝倉彫塑館内で待ち合せ。ちょうどに着くと、門の外で待っていたYさん、なんと早く来過ぎてもう見てしまったという。もう一度一緒に入るというが、人が多そうなので私はまたにする。会話の様子では、遠くからも見に来ているようだったとか。話に聞く喫茶店「乱歩」(半濁音の○が歩の字に付く)へ。その前に菩提寺の前に来たので入る。こんなにお寺が多いとは思わなかったというので、振袖火事のあと神田のお寺がこっちへ移ってきて寺町を作ったのだと知識を披瀝。川越から谷中に出てきた先祖はお寺が神田にあった頃からの檀家とは、本家の法事に出たとき聞いた話。「乱歩」、いし辰の並びだった。話の種には面白いが、ゆっくりする場所ではない(二時間で再注文だし)。デニーズ並みにずっといられてタバコの煙が来なくてデニーズのようにコーヒーと称してへんなものを出さないところを探しているのだが、見つかっていない。椿屋珈琲店、珈琲はいいのだが今どき申し訳程度の禁煙席しかなく、しかも喫煙席とのあいだにまともな仕切りがないので呆れた。二三階のうち一階分を禁煙にしてくれたら、東郷青児の絵という趣味の悪さには目をつぶって行きつけにするのに。

 Yさん、「いし辰」大好きだそうで、ここが本店だったかと喜ぶ。突然、前の道を消防車がサイレンを鳴らして通り過ぎる。狭い坂道を消防車が走り下りる光景自体はじめて見るが、それがまた何台も。坂下まで降り、消防車の行った方へ(行き先だし)歩く。途中で、火元はうどん屋さんだと教えてもらう。煙も見えずきな臭くもなかったからボヤだったのだろう。現場の見当はついたが、ヤジ馬になるのはやめて谷中銀座を駅へ向かって上る。ダージリンで早めの夕食。日暮里側しか知らなかったが谷中はいいわね、とYさん。まあ、観光地(倉敷みたいな)と思って外から見ればいいかも。マンションが建っちゃうよりも商店街がそれでやっていけるのなら……。Yさん、翌日も時間あるそうなので読売でもらったプラド美術館の1日までの券をあげる。私は開館と同時に九時に入り、とてもそんなに早くは行けないというYさんは遅く行って、十二時にミュージアム・ショップで落ち合うことに。翌朝、しかし途中で頑張る気をなくし、洗濯物が乾いてから出かける。着いたのは十一時。ひととおり見て、買った絵はがきをよくよく見ようと会場内のソファに腰をおろしたところをYさんに見つけられる。十時半に来たという。六月までやっているから、もっとすいている時期にお金を払ってまた来るつもりなので十二時前に出てしまう。入口は行列札止めになっていた。GW中はやっぱりだめだ。絵はけっこういいのが来ていた。

 湯島から千代田線に乗ることにして不忍池へ。池畔で骨董市。魚を何匹も線描した小皿、いいなあと思って裏を見ると五桁の値段。骨董にまではまだ手を出していない。前日、地下で床屋が撤収作業しているのを見た三信ビルへ。しばらく前から土日祭日は一階の出入口シャッターをおろしてしまうのは知っていたので、「閉鎖しました」という三井不動産の貼紙は当日のみのこととは思いつつ一抹の不安があった。はたしてニューワールドサービスちゃんとやっている。(壁から突き出していた床屋のアメンボウはもう回っていない。)Yさんハンバーガー、私はポークジンジャー。食事のあと、二階廻廊へ。
「これを壊してしまうの?」
 間近で見る装飾に、Yさんの口からもMさんと同じ言葉が洩れる。地下に降りると、床屋のショーケースの中の昔の写真もちろんない。移転先が書いてあったから、そこでまた飾っているのだろう。三信書房は営業中。

 Yさんとはそこで別れて秋葉原へ。交通博物館へ向かう途中、海老原商店健在なのを見る。交通博物館のことはミクシィの近代建築コミュに書いた――。

1日に行ってきました。吹き抜けに吊られたヘリコプターの風防につもった埃や、すっかり古びてしまった(最初に見たときすでに古びていた)複葉機を見上げながら、ときどき立ち寄ってひとけのないがらんとした中でぼうっと過ごしてみたいと思いつつ、時が経ってしまったんだなあと思いました。

以前は夏になると川に面した窓をあけていて(その後展示物ですっかり塞がれてしまいました)、中から水面が見えるのも好きでした。博物館て、たんにそこで見る展示物ばかりでなく、そういう空間そのものが思い出ですね。

遺構は以前の公開時よりちょっとだけ整備&演出されていました。今回スクリーンに使われた高架下のアーチは、そのときは未公開だったと記憶します。階段を上りつめた最後のポイント、前回の時は、草むすプラットフォームへ小さな扉からひとりずつ頭をそっと出して外を見たんですよ。それが、何人も一度に見られるように大々的にガラス張りの開口部が作られていました。遺構の中へ一歩踏み込んだときはひんやりした空気を感じたのですが、昨日は暑かったもので、最後は日のあたる高架上でガラス箱をかぶせられた温室状態でした。


 秋葉原デパートの中でしばらく過ごし、鍛冶町で珈琲とケーキ、暮れなずむ街を淡路町を通り小川町へ。司町、多町あたりがどうなっているかを見たい気もするが、今日はやめておく。この朝、TVで昔のフォーク歌手が耐久コンサート開くとかという話をやっていて「神田川」と「いちご白書をもう一度」の一節を耳にしており、「神田川」はどうでもいいのだが、「いちご白書を……」のルフランがともすればよみがえる。すずらん通りに入る。

  君も見るだろうか  「いちご白書」を 
  二人だけのメモリー どこかでもう一度

 歌詞の意味がどうこうより、ともかく曲がいいのだ。「とーきはながーれーたー」みたいなストレートで一本調子なのとは大違い。

たとふれば、

  青葉さへ見ればこころのとまるかな散りにし花の名残と思へば

のうちつけさに対する

  春はいぬ青葉のさくら遅き日にとまるかたみの夕ぐれの花

のごとし。(例は塚本邦雄からの盗用。)

 閉店間際の書泉グランデで『学生と読む「三四郎」』(石原千秋)買う。神保町、ランチョンの並びにファスト・フード屋だのコンビニだの見なれないのができている(もう何年もあるんだろうけど)。スマトラカレーの店、もしかしてないのかも、と思うと昔のままの地下への階段もそのままにあったので入る。石原千秋、ジュンク堂の規模にはじめて行った学生は腰を抜かすほど驚くと書いている。私がHに連れられてはじめて行って驚いたのは東京堂(昔の)だ。高校生のときで、それまでは上野中通りの明正堂が私の知っている一番大きい本屋だった。Hは小林秀雄訳の文庫『地獄の季節』を買い、私は何も買わなかった(ありすぎて)。明治大学も工事がはじまってからは一度も見ていなかった(これももう何年も前に完成か)。通りにそって夜の中に大きな木がそびえる。むろん新しく植えたもの。昔、Hが、ここで朔太郎が講義したのよね、と指さして言ったもの。そのとき入った喫茶店はとっくに――Hのまだいるうちだったので、あそこなくなっちゃたね、と話し、そうやってその日を覚えていることを互いに確認し合いもした――なくなってしまった)。新御茶ノ水駅までの小センチメンタル・ジャーニー。強い日射しにあたったせいもあって熱っぽく軽い頭痛、幸い翌日までに消える。
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by kaoruSZ | 2006-05-02 20:28 | 日々 | Comments(0)