おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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■女性のためのポルノグラフィについての第二の手紙

Date: Thu, 25 Nov 2004

M......様

>なるほど、身体表象との近接性が必ずしも性別に拘束されない
>ことは、どこまでも重要なことなのだなと思いました。

 逆に言うと一般的には拘束されるんですよね。
 それが当然のことと思われるほど性同一性って堅固なわけですね。
 なぜなんでしょう?(という疑問も起こらないほどに)
 だからこそ、榊原史保美さんの“やおい女性はFTMトランスセクシュアル”説になってしまったりするのかなと思ったりします。

(中略)

>A※※※さんとかって、ポルノのムチ打ちシーンをみると、常に
>ムチ打ち刑の事件を想起してしまうタイプのかたなのだと思います。
>誰もが現実を想起してしまう表象もあると思いますが、そうではない
>ものもありうるのだということをどうやって主張したら伝わるのか、
>これが私の課題だと思っています。

 子供のとき、テレビの拷問シーンとかで昂奮したことないんでしょうかね。
 あるいは、あとからの知識で、そういうので感じてはいけない、と抑圧してしまったのか。
 また、急に思い出しましたが――これは私の記憶ではなくて大岡昇平が書いていたのですが、幼い頃、お姫様が悪漢にさらわれる挿絵を見て、自分も女の子になりたいと思ったとか、そのさらう男に父のイメージが重なったとか、そんな話がありましたね。男のままで受け身になるのは禁忌だから女になりたいのか、女の子になった方がよりその状態を楽しめるからか(恐らく両方でしょう)。大岡昇平はもちろんフロイトの知識があって書いたはずです。

(中略)

 ジェンダーは同一化して遊ぶためのものだというのは、うっかりすると四半世紀前になるのか、岸田秀のセミナーに通ったとき(カルチャー・センターのはしりみたいなものでした)、岸田さんとの雑談で主張したことでもあるのですが、理解してくれませんでしたね。(あ、当時は、今のような意味でのジェンダーという言葉はなかったので、「〈男〉とか〈女〉とかいうのはそれを使って遊ぶためのもの云々」と言っていたんでしょう。)彼のいう〈幻想〉は、今思えば構築主義的本質主義になるのかな。

(中略)

 ふつう、「男女の項の入れ替え」っていうと、女の方が能動的になるとか、男のヌードを見て楽しむとか、そういうことが想定されているんでしょうね。あるいは、男がポリガミーだから女もそうするとか(僕は愛人を作るから君も好きにしていいよ、という形で、サルトルとボーヴォワールをはじめ失敗例があまたあるようなたぐいの)。

 もともと男女のポジションが非対称なので、単純に入れ替えてもだめで、やおいという迂路を通って男性表象を女性が楽しむ、ということですよね。男が女を性的対象としてポルノ化してきたのと同じことをやおいによって女がするのか、というよくある非難に対しても、そういう単純な入れ替えではないんだということで反論できそうな気がします。

(中略)

 私こそ、こうしていろいろ考えるきっかけになるお話を聞けて、また、文章を読ませていただいてよかったです。ブログにあるやおい論コーナーを更新できるかもしれません。
 では、風邪などひかないようにがんばって下さい。私は昨日帰ってすぐ寝たので、幸い頭痛は消えました。

鈴木 薫

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by kaoruSZ | 2006-07-20 13:10 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)

天国的

 いろいろ楽しいことはあっても全体に低調のまま推移、7月1日発行のウエブ&メールマガジン「カルチャー・レヴュー」(隔月で書かせてもらっている)の原稿が1日朝になっても書けていない事態に。昼食抜きで五時前までかかって(途中でパソコントラブる)なんとか脱稿。蕎麦屋で天ぷらその他を乗せた冷やしそばを食べ、銀座松屋のバーゲンでスカーフとハンカチを買い(しかし、今までそういうものを扱っていた、入ってすぐの場所まで海外ブランドにあけわたしてしまったねえ)、翌日は三の丸尚蔵館での若冲展第三期最終日なので(ミクシィの書き込みでは日付を間違えてしまった。頭こんがらがっている)朝から出かけ、開門前に着いてしまう。一緒に展示されていた昔の中国の絵(若冲も参考にした?)も面白かった。2000年に京都で見たとき、鳥獣屏風(静岡美術館のは返されてしまったあとだったからそれ以外――というのはいうまでもなくプライス・コレクションで、そう表示されてさえいたのだが、当時はプライス・コレクションの何たるかを知らず )が展示された室内にたたずんでいたとき思い浮べていたのは「天国的」という言葉だったが、「百鳥図」にそれと通ずるものを思う。

 昨日は勤め帰りに映画でもと思い立ち、何をやっているかと調べる。フィルムセンターでロシア・ソビエト映画祭初日――ともすれば面倒になるのを抑えて向かう。よかった。『死という騎士』、ロープシンの『蒼ざめた馬』が原作で、しかも最近の作。監督挨拶つき。

○ロシア・ソビエト映画祭 7/4~30

三百人劇場のチラシが出ていた。ラスト・ショウになる。
○ソビエト映画回顧展   8/5~8/18
○中国映画の全貌2006 8/19~9/10

FC、8月からは
○日活アクションの世界 8/1~9/24

○目下、渋谷シネマヴェーラでは山口百恵特集やっている。

○フィルムセンター、今月は小ホールでのアンコールも(成瀬あり。ただし、見逃したのはない)。

 しばらく、勤めに通うように映画に通おうと思う。
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by kaoruSZ | 2006-07-05 14:17 | 日々 | Comments(0)