おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

<   2006年 11月 ( 5 )   > この月の画像一覧

傑作!

 夜、フィルムセンターで、初見の『近松物語』。
 
私はまだ溝口を知らなかった……。
[PR]
by kaoruSZ | 2006-11-30 23:14 | 日々 | Comments(0)
 それが手に入らない――そう聞かされた瞬間、それは私のほしくてたまらないものになった。いつの間にか頭上は夜空になっていた。その下を両親に手を曳かれて進んでゆく私に覆いかぶさるように左右に並んだ熊手には、ついに見出された「ほしいもの」が鈴なりになっている。それをまのあたりにしながら、あきらめなくてはならないとは。私の本当にほしいもの――それはついに私のものにはならないのだ。

 私は間違っていた。それを欲しいと思うのは、けっして手に入らないからこそである。逆に言えば、自分のものになってしまえばもうそれほど欲しくないということだ。もちろん、そこそこそれを楽しむことはできるが、夜の中に、文字通り手のとどかない高みに吊られて輝いていた、あの欲望の対象はついに手に入れられないということだ……。

 最近、私は琺瑯のミルクパンを欲しくなった。たんに琺瑯ならいいというのではなく、ある特定のミルクパンをである。デザインが気に入って、ミルクティー(チャイ)を作るのにいいなとは前から思っていたが、ふだん使っているただの片手鍋でも間に合うので、あえて買わずにいた。それが先日、製造中止になると知った。そのシリーズ全体が廃番になるのだ(といっても、私の気にかかるのはミルクパンだけなのだが)。次にその店に行ったとき、私はそれを買う決心をしていたが、もうミルクパンは棚になく、値段表の品名と金額がホワイトで塗り潰されていた。

 それでものすごくそれが欲しくなったのかというと、そうではない。いや、新宿店も見てみようとその足で向かったのだから、その程度には執着していたわけだが。幸いそこには、ミルクパンがまだ展示されていた。それを持ってレジに行くと、店員は在庫を調べて現品しかないと言い、これでもいいかと訊く。問題がなければいいという私に、店員は些細な瑕を指摘してくれた。機能的には問題ないが、内側に色ムラがあるのだ。他店の在庫を調べてみると店員は言った。何日かかかりますが、もしなかった場合のために、これはお取りおきしておきますか? 

 私は一瞬ためらい、そして断わった。それでもいいというのでは、あまりにも執着しているようではないか(実際、しているのだけれど)。もし他店に在庫がなかったら、縁がなかったと思ってあきらめよう。私はそう考えた。そのあと別の店にも寄り、ミルクパンをいくつも見た。有名なデザイナーのものをいくら眺めても、当然ながらあのミルクパンには及ばない。(つづく)
[PR]
by kaoruSZ | 2006-11-30 09:43 | 日々 | Comments(0)
 それは「手に入らないもの」だろう。手に入るものはその代理、虚しい「それ」の影に過ぎない。しかし私は「それ」を激しく欲する。だからこそ私は、何かにあまりにも執着する(あるいはそう見られる)のが嫌なのだ。

 両親に連れられ、はじめて酉の市に行った宵のこと、とてつもなく人の多い列のなかに私はいた。「おとりさま」はまだずっと先のようだった。みんなそこに行こうとしていた。父も、母も、そのとき「おとりさま」とは何であるかまだ知らなかった幼い私も。そこまでの道端には延々と露店が並んでいて、その前を、人々はゆっくりゆっくり進んでいた。

 もし私が何か「ほしいもの」を見つけたら、両親がその場で買ってくれることは明らかだった。列はのろのろとしか動かないので、吟味する時間は十分あった。食べるものについては、私はまったく眼中になかった。たぶん衛生上の理由からだろう、買い食いは禁じられていた——というより、そもそも外で売っている色鮮やかなそれらは、食べ物とも思わぬよう親からしむけられていたので、ほしいという気さえ起こらなかったのだ。

 両親、とりわけ父は、そういう場所へ行ったとき、(ほしいものは何でも買ってやる)という態度を取るのがつねであった。いつかどこかで——池の端の夜店であったような気がするけれど、たぶん記憶違いだろう——それをはっきり言葉で言われて、(「ほんとうにほしいもの」とは何だろう?)という疑問がはじめて私に生まれた。目の前に並ぶおもちゃのたぐいを私は見つめた。どれが本当の「私のほしいもの」だろう? すると父は、「これはほしくないか?」「これはどうだ?」と、つぎつぎおもちゃを手に取りはじめた。

 適当なところで私は頷いたのだと思う。「ほしい」——私がそう応えたのは、針金を通したビニール紐で編まれた籠の中に、スピッツが二匹入ったミニアチュアに父が手をかけた時だった。そうやってそのおもちゃは私のものになった。実際のところ、その犬たちには全く惹かれていなかったのだが。

「おとりさま」への道を進んでいたとき、私はもっと慎重だった。「ほしいもの」があらわれるまで、首を縦には振るまいと思った。それはなかなか見つからなかった。しかし、とうとう、ピンク色の、小さな、人形のための長靴を私は見つけた。私の「カール人形」は、着がえの服こそ母が私の服の残りぎれで縫ってくれていたのでたくさん持っていたけれど、靴は、上野の松坂屋から私に箱ごと抱かれてタクシーで帰ってきたときにはいていた、赤い靴一足きりだったのだ。これであの子に雨靴をはかせられる。

 しかし、それは私の人形の付属物であり、一種の実用品であったから、考えてみれば純粋に私の「ほしいもの」とはいえなかった。長かった道がそのときとうとう尽きて、私たちは「おとりさま」に到着した。通路の両側に並ぶ熊手は、幼い私には並木のように見えたはずだ。そびえ立つ熊手――とさえそのとき私はまだ認識していなかったはずだが——を飾る無数のミニアチュアが振り仰いだ目に映ったとき、私はそこに「私のほんとうにほしいもの」が今度こそ見つかるのではないかと思った。だが、その夢は、即座に母の言葉によって破られた。あの小さなおもちゃの一つだけを買うことはできず、それを手に入れるためには、一万円もする熊手全体を買わなくてはならないというのだ。
[PR]
by kaoruSZ | 2006-11-29 13:57 | 日々 | Comments(0)
『漱石の白くない白百合』という本を図書館で見つけて借りた(塚谷裕一、文藝春秋 1993)。刊行当時よく書評に取り上げられ、私も立ち読みした覚えがある。『それから』の男女が白い百合の香の中に閉じこもるクライマックスを現在の私たちが読むとき、鉄砲百合を思い浮かべるのが自然であろうし、著者によれば、映像化された『それから』にもすべて鉄砲百合が使われていたという。

 しかし、現代の私たちにこそ馴染み深い鉄砲百合は南西諸島の原産で、『それから』が書かれた当時、今のように普通に手に入るものではなかったという。さらに、その濃密な香りの描写から、著者はそれを「山百合」と断定する。山百合は「白百合」ではない――花弁の中央に黄色い筋が通った上、一面に斑が入[い]っているのだ。

 ということなら、私はこの花を知らない――代助と三千代を雨の室内に閉ざす重苦しい香も、実は全く経験のほかだったことになる。子供の頃、夏休みの学校行事で行ったどこかの山の斜面に「自然に」百合が咲いているのを見て驚いたことがあるが、あれもそのような華やかなものではなく、ただの「白百合」であった。あれは何だったのだろう? これも漱石の頃にはまだ「帰化」していなかったという、台湾原産の高砂百合だったのだろうか? 万葉集に出てくる百合は赤かったのだそうだ[「ひめゆり部隊の」花は? と今回思いついて検索してみたら、これも赤いのだ!]ただし、山百合も「夜目遠目」には「白百合」で通る。白い百合といって漱石が提示するものが山百合だと、当時の読者にはわかっていたのにそれが忘れられたのだと著者は言う。

 ここまでは表題の論文の内容ですでに知っていた。だが、本書を読み進んだところ、この話には続きがあった。聖処女の象徴たる白百合――マドンナリリーは、日本にはもともと存在しない。明治以降(観念として)入ってきたこの象徴としての「白百合」が、現実の「白くない」山百合に投影され、文学者たちは花弁の模様を無視して山百合を「白百合」と描写するようになった。そして――ここからが面白いのだが――黄色い筋と斑点が見えていないふりをし、「白」と言いくるめながら、彼らは、山百合のもう一つの特徴である、褐色の雄蘂だけはリアルに描写したのである。「精悍な褐色」の蘂を持つことは白百合であることと矛盾しない――生物学者である著者から見れば、それはとりもなおさず、彼らの眼前にあるものが山百合である証拠なのだが。

 これを読みながら、ゆくりなくも私は乱歩の『心理試験』を思い出した。犯行現場で見ていたものを、別の時に見たと思い込んで喋ってしまう。表層に隠された百合の正体、褐色の花粉という「無邪気な」言い間違い――それは、被分析者の語りにおけるアクセントの移動や隠蔽記憶を、探偵小説とフロイディズムの近縁性を思い起こさせる。現実効果のためだけであるかのように繰り広げられる一見無意味な描写(たとえば犯行現場の)が、分析家(探偵)には意味を持ってくる。精悍な褐色の蘂は、カフカの『掟の門前』で仰ぎ見られる番人の、毛皮の襟や立派な鼻やダッタン人風のひげのようではないか。
[PR]
by kaoruSZ | 2006-11-27 13:25 | 日々 | Comments(0)

片付いた部屋

 帰宅すると母が来ていた。

 もう遅いので今日は先に寝るという。そのあと私が四畳半の座敷(1)に戻ってみると、そこには何一つなくなっていた。ただ畳が白々とひろがっている状態にまで、母が片付けてくれたのだ。隣の六畳(2)との境のふすまはたて切られていた。母はそっちでやすんだらしい。

 不意に私は思い出した。漏水があると言われて、目下、留守のあいだや夜間は水栓を閉めている(3)。母は知らないから、何もしないで寝ただろう。いや、それ以前に、水が使えなくて困ったのではないか。いや、それ以前に……。

 白々と部屋の一方を塞いでいる襖を私は見た。私は強くまたたいたが、スクリーンが上がってその向うの現実をあらわにはしなかった。だから私は襖をあけて入り、布団の中でこちら向きに横になっている母を見出すと、しゃがみ込んで声をかけた。「お母さん、お母さんはもういないけど……」

 母にはわかっているようだった。
 

(1)十一年前の五月、母はこの部屋で就寝中に急逝した。
(2)長くこちらを「茶の間」としていたが、母の死後、父は四畳半で寝起きも飲食もするようになり、私もそれを踏襲している。
(3)これは事実である。

------------------------------------------------------
 帰宅すると母(あるいは他の誰か)が来ている……という状況は、前夜読んだマンガ(今市子の『いとこ同士』。男主人公が同僚を連れて帰ると、恋人である従弟が来ていたり、従弟が来るというのに母が帰らずにいたりする)に由来している。また、読売の夕刊で読んだ記事(様子を見にきた妻に優しい言葉をかけて眠りにつき、そのまま亡くなった先輩の学者の話)が、母の最期を思い出させたということがある。
[PR]
by kaoruSZ | 2006-11-22 10:50 | 日々 | Comments(0)