おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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 子供時代に見聞きした事柄の真相が、長い時をへだててあるとき不意に明らかになることがある。いや、真相とは大袈裟な言いようで、それは問題とすら意識されることのないまま、記憶のなかにずっとありつづけていたのであり、解くべき謎があったと知るのは答えの閃いた瞬間なのだが……。

 こうした経験は言葉に関するものに多い。たとえば、「櫂のしずくも花と散る」という歌詞を、私は最初「貝のしずく」と思い込んでいたし、そうではないと気づいた時点で、なお、「花と散る」の「と」については誤解したままでいた。「上り下りのふなびとが」の「が」がその先に動詞が来るべき助詞ではなく、「上り下りの舟人が櫂の滴も花と散る」という一句が夢にも切れ目を持たないと気づいたのは、「花と」=「花と一緒に」ではないと悟ったのよりさらにあとのことである。「上り下りの舟人」はいったいどうしたのか、そんなことは考えもしなかった。「錦織りなす長堤」には、勝手に「朝廷」という字をあてはめていた。

 母方の祖母の家が面している大通りの向うにその床屋はあった。晩年の祖母を訪ねると、店は例の三色のガラス管が正面の看板に斜めに並ぶ洒落た造りに変わっていて、夜になると光の筋を描いているのが家の中からも見えたが、私の子供の頃、いよいよ夏休みの終りが近づくと、東京へ帰る子たちをきれいにしてやってくれと祖母は弟と私をそこへ連れていったもので、すると床屋さんは「東京の床屋」に、俄然、対抗心を燃やしてしまい、念入りに私たちの髪を整え、顔を剃るときは耳たぶにまで剃刀をあてて、東京の床屋はこういうことをするかと私にたずね、しないと答えると満足そうに頷くのだった。

 この理髪店の名が「民衆床」だった。トリコロールの電飾の、それこそ東京でもあまり見ない看板をかかげるようになっても、バーバーともサロンとも名乗りはしなかった。といっても、夏の終りに「東京の子」として行っていた当時、そこはたんなる豊川の床屋だったので、だからこれは、子供のときにその名をどう理解していたかという話ではない。

 4月1日に赤羽駅の構内を乗り換えのため歩いていて、私は豊川の祖母のもとへ行くためには必ず通らなければならなかった豊橋の駅のことを思い出し、そして「民衆床」がなぜその名を持つかがわかったような気がした。豊橋は日本で最初の「駅ビル」ができたところである。その際、民間から資金を集めて建設したため、「民衆駅」と呼ばれたという。いかにも戦後的なこの名前は短期間ですたれてしまったのだろうが、もし、「民衆床」の主人がその時期に店を持ったのであれば、その名前にあやかったというのはありそうなことだ。「民衆駅」のエピソードを知ったのはかなり以前のことだが、この日まで床屋の名とそれとが私の中で結びつくことはなかったのだ。

 日本最初の駅ビルが豊橋のそれと聞いて意外な気がしたのは、そこへ行くために乗り込む列車の出る東京駅が、比較にならない規模の駅ビルを持っていたからだ(しかし、こぢんまりした豊橋の駅ビルを私は好きだった。新幹線開通以前、早朝に発って準急で昼頃着くと、エスカレーターで上がって行って昼食をとり、本やおもちゃを買ってもらった。私が生ビールという文字をはじめて見て生きビールかとびっくりした(http://kaorusz.exblog.jp/321955)のはここの食堂でのことだ)。豊橋駅は祖母が亡くなったとき工事中で、新しくできた駅ビル(ルミネのたぐいのカタカナ名があるはず)になってからは行っていない。東京駅の大丸も建て替えるそうだが……。「行きも大丸 帰りも大丸」という文句を、私は長いこと、「東京駅から出発するときも帰ったときも大丸に寄る」ことだと思っていた。

 3日の夕方、都知事選の期日前投票をすませての帰り、区役所近くの明治通りで、「靴函のデパート」という文字を荷台の幌に掲げた車を見た。車体にも同じことがもっと詳細に書かれているが、なんといっても幌の文字が今どきのレタリングのでないのがすばらしい。「靴函のデパート」とは、それにしてもずいぶん特化した「デパート」ではないか。実は、「○○のデパート」なら「砥石のデパート」という京成ガード下の看板を私はすでに知っていて、残念ながら砥石屋さんは近年それをおろしてしまい――と言っても店をたたんだわけでなく、○○砥石という通常の名称は残している。今思えば、department storeとは、幾つものデパートメントに分かれているところから出た名前なのだろうし、「砥石のデパート」とは砥石部門の意味ではあるまい。だが、子供の頃に知っていた「デパート」という言葉の意味なら、確かに「何でも売っているところ」であり、靴函なら何でも売っている=デパートと考えても無理はないのだ。「屋上」という言葉を、デパートの屋上=遊園地としてしか知らなかった私が小学校に上がる前、学校には屋上があると聞いてすっかり嬉しくなったのと同様に。
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by kaoruSZ | 2007-04-27 07:27 | 日々 | Comments(0)

帰ってきました。

 さほど遠い所ではなし、行きっぱなしでもなかったのだが、TVもラジオもインターネットもない(電話も休止中)ところで多くの時間を過ごしていた。晩年の父と暮らした後そのまま実家にとどまっていたのを、別宅と呼んでいる共同住宅の所有部分を、片付けて住むことにしたのだ。完全に引っ越しというわけではないのだが、まるで新生活をはじめたかのように巣作りをしている。明後日、ウェブもつながる予定。

 七年余り留守にしていたあいだに、巨大ヨ−カド−進出のあおりでスーパーがニ軒つぶれた。一番近かった西友がなくなって不便(あとには、入ることなど考えられないマクドナルド(しかも24時間営業)が。数ヶ月前、更地になった隣に建設中だったのを見つけて呆然としていると、自転車のおじさんが「この辺に西友ありませんでした?」と訊いてきた。「ここです。こんななっちゃって」)。もちろんヨ−カド−は便利だが、だだっぴろいフロアを歩き回るのは街歩きとはまったく違う。これが郊外というものか。

 置きっぱなしだった電気ホットサンド・メーカーをきれいにして食パンを買いに行ったが、パスコの八枚切りしかなく、具を入れ過ぎて器具が締まらない。銀座木村屋のローゲンブロートも食べ尽くしたので、歩いてすぐのところにパン屋があったのを思い出し、ヨ−カド−の帰りに前を通ると、ちゃんと明りがついている。昔、病気のためとしばらく店を閉めていたこともあったが、健在だったのだ。朝は6時半から。

 翌朝8時過ぎに入って行くと、奥で調理しているおじさんに挨拶され、おばさんがカウンターで焼き立ての食パンを10枚に切ってくれる。耳は切るかと言われてそのままにしてもらう。端はいるかと言われて、入れてもらう(なぜか3枚もある)。冷凍しておいてフレンチトーストにしよう。フライパン一つ買おうか。それとも実家から持って行くか。ホットサンドにするのがもったいないので、朝は柔らかいままサンドウィッチにする。暗くなってまた店の前を通ると、棚はおおかた空。その日に売れるだけ作るというのも気持ちよい。

 ウェブ評論誌「コーラ」とっくに出ています。(前回書き上げて送ったと書いた原稿からは全面改稿。大変だったなあ……という記憶はあれどもはや実感なし。一読者になったつもりで読み直すつもり。)

http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html

「寄稿先へのリンク」からも行けます。

 
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by kaoruSZ | 2007-04-24 16:18 | 日々 | Comments(0)