おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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新刊

 コピー本の製本は細心の注意を払わないと覿面に仕上りにかかわるので、けっして好きな作業ではない。
 文章の切れ端をファイルにほうり込みいじっているうちに形になるのとは違うのだ。
 表紙や見返しの紙を選んだり配色を考えたりするのは好きだが。
 グレイの濃淡で渋くまとめた『黄昏の百合』、ともあれ出来上がって嬉しい。
「孔明華物語」の増刷は、結局手が回らなかったので、延期。

今日の売り物
・裏説 鋼鉄三国志 第一集 紺青の別れ
・裏説 鋼鉄三国志 第二集 黄昏の百合

「孔明華物語」については、おわけできるものもありますので直接お尋ねください。
 G46 Westhaven様方にてお待ちします。
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by kaoruSZ | 2007-11-11 01:24 | ◆売り物「孔明華物語」他 | Comments(0)

交地ニハ絶ツコトナカレ

>鋼鉄本で現在できているのは「裏説 鋼鉄三国志」第一集のみですが、イベント当日は三集までそろえて提供する予定。それ以前に第二集ができたら、先に通信販売を開始しようと思っています。【9月3日付「通販の予定など」】

 まったく、二ヵ月先のことなんて予告するものじゃないですね……。

 第二集、現在はまだパソコンの中ですが、出来上がりました。タイトルに挙げた名を持つ即売会は三日後です。
 予定になかった第五話が加わりました。目次とあとがきを以下に載せます。

第二集 黄昏の百合
・第三話 黄昏の百合(甘寧/凌統)
・第四話 百日紅の闇(孔明×陸遜、甘寧/凌統)
・第五話 私の青空
・外伝一 緑陰 其二(周瑜/孫策)

幽霊語る あるいは Comment j'ai écrit certains de mes livres (2) 
九月二十七日衝撃の終劇。最終回でいきなりあんな星が出るなんて、といぶかしむ(文句を言う)向きもあるようだが、私はNASのサイトを教わって公式サイトではぎりぎりまで伏せられていた(放送当日公開)二十五話のタイトル「陸伯言、紅き星落つ五丈原に舞う」と内容紹介(「赤き星が降りそそぐ五丈原――」ではじまる)を見て、ああ、江森三国志から取ったのかと思っていた。江森備の『私説三国志 天の華 地の風』では、五丈原に隕石が落ち、その騒ぎの中を魏延が孔明を連れて逃げることになっている。私自身、江森三国志ベースで書いている「孔明華物語」の一篇の内容紹介として次のように書いた。

  晝顏(ひるがほ) 五丈原に星隕つる大団円を知る由もない魏延は、成
都を包囲し皇帝となれと孔明を唆す。一方、皇帝と謀った姜維は孔明を
陥れる手筈を調えた。勅使が携えるどす黒い毒液は彼の恨みの凝(こ
ご)ったものだ。

 そもそもの「三国志」(三国志演義)では、五丈原で落ちる(流れる)星とは、孔明と対峙していた司馬懿に孔明の死を悟らせるしるしに過ぎない。それを江森さんが隕石に変えて巧みに組み込んだ。「鋼鉄」の赤き星(こちらの本体は地球に接近する彗星であろう)はこの引用なのではないか? 孔明が〈メテオ〉を落して地上を攻撃していると思った人もいたようだが、あれは彗星の周囲の細かい破片の軌道に地球が入って起こった自然現象――あんな燃えつきないでどかどか地球に到達する流星雨があるかは別にして――だろう。

 二十五話で皆が「玉璽」の中へ入ると、あたかも直前まで空で輝いていた「星」の分身のように、玉璽本体が彼らの頭上で光を放っている。大宇宙と小宇宙がそのように呼応しているというのは、古代のコスモロジーから見てもまことに理にかなった話であり、彗星を破壊して大宇宙から帰還してくる陸遜はこのミニアチュアをも破壊することになるのだから筋が通っている。龍の透かし彫りがなされた「玉璽」のキューブはその意匠からして明らかに人工的に造られたものであり、球体こそが玉璽の本体、輝く天体に似た宝珠のたぐいだ。ならば太史慈が玉璽を「玉っころ」と呼んだのも当然だったのだ(玉っころなのは擬似玉璽の方なのに太史慈何言うのと思ったのは私だけ?)。孔明の擬似玉璽は被覆なしの裸の姿。キューブ内に浮かぶ玉璽は細胞のなかの核にも似ているが、蛇がからみあったような、タールを丸めたような剥き出しのそれは、ジャン=ピエール・メルヴィルがコクトーの小説を映画化した『恐るべき子供たち』で、ポールにダルジュロスが送りつけてくる紙に無雑作にくるまれた黒い球体のようでもある。その正体は――毒だ。

 DVDに入る後日談(二十六話)には、少年・姜維が出てくるという。彼が陸遜に似ているという設定だったら……江森三国志の、周瑜と生き写しの姜維の変奏となり面白いのだが。

『私の青空』は予定になかった作品で、「鋼鉄三国志」二十三話への反発をきっかけに書かれた。男同士の関係を賞揚するのに、あからさまに女を排除するのは常套手段で、登場人物に女を入れないことでそこからまぬかれているところに鋼鉄の面白さの一つがあった。性的対象として女を入れ、そして男同士の関係の方を上に置けば、登場人物たちは「ホモ」呼ばわりされずにすむわけだが、それをあえて引き受けたというかねらったのが鋼鉄で、それだけにあの逃避行の回で、孫権は女にしか見えないから女でいい、女として見ようとストレートの男たちに言わせてしまうような作りになっていたのは残念だった。
 しかしこれをホモフォビックと言い切ってしまえるかというと……微妙だ。孫権が女と見なされてヘテロセクシュアリティに回収されてしまうか、それとも、女にしか見えない男である孫権と陸遜のカップルとして撹乱的に働くか。ともあれ、二十三話をあれでやるなら孫権についてこのくらいの前提は必要だというところを書こうと思ってはじめたのは確かだ。結果は、最初の動機よりはるかに複雑な仕上がりになったと思う。

 アニメ『鋼鉄三国志』では、六駿の仲間意識――ホモソーシャリティ――と、孔明/陸遜の愛がずっとせめぎあっていたと思う。陸遜/凌統、太史慈/呂蒙が公然たるカップルを形成し、彼らの会話の中で凌統が陸遜の妻に、孔明が陸遜の昔の女にたとえられ、甘寧が周瑜に死に別れ、諸葛瑾が弟を愛しているこの世界でも、公式にはあくまでホモソーシャリティとホモセクシュアリティのあいだには線引きがなされていた。そして、鋼鉄ファンのブログやニコニコ動画におけるコメント(特に後者)では、陸遜のへタレぶりはしばしばしば非難や悪罵の対象だった。初回から孔明は明らかに悪役としか思えない目つきを陸遜に見えないところではしていたわけだが、しかし、オープニングの映像ひとつとってみても、孔明/陸遜のカップルが話の中心であることは明白だ。孔明の真の目的は最終回まで明らかにされなかったとはいえ、孔明が悪玉でないとわかる結末は予想された。しかし、ここまで来たら孔明が死なないことにはおさまりがつかないだろうという展開になっていたので、でもそれは見たくなくて、もう最終回見るのが嫌なくらいだったが、ともかく見極めなくてはと思って見た。孔明が死ぬのは(誰もがそう信じたと思うけど)お約束として、陸遜死ぬかも、とちらっと思っていた(孔明なしでは生きられない子だから)。でも、主人公だからまさかね、と打ち消して。
 それが――。
 脚本家さすがだ。孔明にとって陸遜という愛の対象を失うのは最大の罰になるから筋も通せたし。そして、第一回から孔明を失う(彼のもとを離れる)ことにあくまで抵抗していた陸遜、最後までそれで通した! 見終わったあとは不思議に気分が爽やかだった。

 凌統の作る陸遜の好物「葱入りの餅」については、たまたま見つけた『ウー・ウェンクッキングサロン 読本1 小麦粉料理 どうしてもわからなかったおいしさのひみつ』(朝日出版社)を参考にした(実際に作ってみた)。小説に出てくる料理の描写については、もう少し詳しく書いてくれたら作れるのにと思うことがあるので、本当は中をパイのような層にする意外なやり方を説明したかったがうるさくなってしまうので……。興味のある方はこの本か、あるいはウェブで「葱花餅」で検索するとたくさんヒットするサイトを参照されたい。

『黄昏の百合』で甘寧の口から洩れる子供についての寸言は、澁澤龍彦編「怪奇小説傑作集 フランス編」に収められたバルベー-ドルヴィリ『罪のなかの幸福』のヒロインの科白から来ている。愛する男の邪魔な妻を殺し、全く罰せられることなく男と熱烈に愛し合って生き、子供のできない女がそう言う。本気でそう思っているのではないにしても気に入っている言説を、登場人物の発話として書き込むのは楽しいものだ。

『私の青空』で孫権が語る旅の物語は、エンマが、夜、眠る夫の傍で耽る空想が発想源にあるが、手元の『ボヴァリー夫人』(翻訳二種類と、該当部分が引かれたジェラール・ジュネットの本を持っているのに)が出てこない室内状況のため直接の引用はできなかった。トナカイの曳く橇で雪原を旅する話は、鈴木三重吉の『少年駅伝夫』から。これは私が子供時代に愛読した物語で、実際に弟を相手に(大半はひとりで)子供部屋で少年駅伝夫ごっこをした。ジャガイモとトナカイの肉の味(原作では宿屋で食べる)は何回想像したかわからない。旅行者が一人称で語るこの話は、実は「再話」――鈴木三重吉が外国のネタ本を使って書いた〔要するに「二次創作」〕――であることが巻末に記されており、解説まで残らず読む子供だった私に、ページを開くたびにかくも親しく語りかけてくる生き生きとした「私」が作者自身でないのみならず、ものを書く[複数の]手の狭間で生じる存在しない幽霊であることを、一種トラウマ的な衝撃とともに刻みつけていった作品。終り近くで孫権が言及する夢の国の王の話は、いうまでもなくH・P・ラヴクラフトの『セレファイス』である。
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by kaoruSZ | 2007-11-08 18:19 | ◆売り物「孔明華物語」他 | Comments(0)