おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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 一月中は某原稿を書いていたので更新を休んだ。今日、「コーラ」編集人の黒猫氏から『密やかな教育』送られてくる(書評を書く予定)。まだ増山法恵インタヴューを読んだだけだが、彼女の果たした役割の大きさが、知ってみれば納得できる話でなかなか面白い。結局のところ、個々の作家がいるだけだよなー(独り言)。

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 以下は、パトリシア・ハイスミスの『キャロル』(1952年)から。
 変名で出したレズ小説以外はハイスミスの小説はほとんど訳されているとは小林信彦の弁だが、その「レズ小説」である。訳されていないのが惜しまれる。
 なぜ載せるかという理由はタイトルをごらんあれ。


「ねえ、リチャード」
「何?」
 彼の姿は視界の端にあった。腕を前に突き出して、サーフボードに乗っているかのように跪いている。「今までに何回恋をした?」彼女は尋ねた。
 リチャードは笑った。短い、かすれた笑い。「君がはじめてだよ」
「そんなことないでしょ。二回だって言ったじゃない」
「それも数えるなら、あと十二回ってことになる」リチャードは早口で言った。凧に集中しているのでそっけなかった。
 凧は弧を描きながら下降しはじめていた。
 テレーズは、声の高さを変えまいとした。「男の子に恋したことはある?」
「男の子?」リチャードは驚いて繰り返した。
「ええ」
 きっぱりと決定的な調子で、「ないよ」と答えるまでに五秒かかった。
 少なくとも彼は言いよどんだ、とテレーズは思った。もしあったらどうする、と尋ねたい衝動に駆られたが、しかし、そう質問する目的はほとんど見つからなかった。彼女は凧を見つめつづけた。同じ一つの凧を見つめながら、二人はなんと違うことを考えていたことか。「そういう話を聞いたことはある?」彼女は尋ねた。
「聞いたこと? そういう人たちのことを? もちろんあるさ」リチャードは今では直立し、糸巻きの糸を8の字に回していた。
 テレーズは慎重に話した。相手が耳をかたむけていたから。「そういう人たちのことじゃないの。突然、思いがけず恋に落ちてしまった二人のことよ。男同士とか、女の子同士とかで」
 リチャードの表情は、政治の話をしているのと変わらなく見えた。「知り合いに? ないさ」
 テレーズは、彼が再び凧を操り、高く揚げようとするまで待ってこう口にした。「だけどそういうことってあると思うの。たいていの人に。そうじゃない?」
(中略)
互いに恋に落ちる娘たちについては聞いたことがあったし、それがどういう人たちで、見た目がどうであるかもテレーズは知っていた。テレーズもキャロルもそうは見えない。けれどもキャロルへの思いは恋のあらゆるテストをパスし、恋を描くあらゆる文章に一致していた。「私にもありうると思う?」テレーズは単刀直入に聞いた。
「なんだって?」リチャードはほほえんだ。「女の子に恋することが? 思うものか。ないだろう、そんな経験。それともあるの?」
「ないわ」テレーズは、奇妙な、歯切れの悪い調子で言ったが、リチャードはそれには気づかなかった。
「また揚がってきたよ、見て、テリー」
 凧はぎくしゃくしながらまっすぐ上昇してスピードを加え、糸巻きがリチャードの手の中で回転していた。なんにせよ、これまで生きてきて今が一番幸せだ、とテレーズは思った。それなのに、なぜあらゆるものに定義を与えようと心を砕いたりするのだろう。

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by kaoruSZ | 2009-02-06 22:33 | やおい論を求めて | Comments(0)