おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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萌えの人・松田修

「酷愛偽装譚」――なんという恥ずかしい題名。意味はしかとわからないながら、いかにも恥ずかしい文字づら、文字のならびではないか。そして、「恥」という文字が指紋のようにそここに捺された彼の文章。松田修がそんなにも恥ずかしがってみせなかったら、私たちはあるいはそれほど彼の「恥」に気づかなかったかもしれないのに。
 彼はつねに率直に萌えを語った。恥をその裏にぴったりと貼りつけながら。世代的には三島由紀夫の同時代人なので、三島があのような生涯しか送れなかったことは、別に彼の生きた時代の限界からではないことが推察される。三島には恥ずかしがってみせるだけの器量がなかったのだ。   

 少なくとも十年は表紙を開かなかった『華文字の死想』を手に取った。『刺青・性・死』も、『闇のユートピア』も、『非在ヘの架橋』(それにしてもどのタイトルも今のものではない)も、クローゼットの棚の最上段と天井の間に積み上げた中に(たぶん)まぎれて見えないが、これだけは本棚の隅にずっと残っていた。再録が多く、雑誌ですでに見たものもあって、あまり身を入れて読んだ覚えのない一冊。しかし、偶然目にとまった「酷愛偽装譚」のページに、かつて引き込まれた記憶が甦ってくる。

 目次にはない「真山青果を解く鍵」というサブタイトルつきの「酷愛偽装譚」は、初出が「真山青果全集」補巻五月号とあるが、年の記載はなく、『非在への架橋』に収録されたことが知られる(78年8月)。青果の戯曲『平将門』(1925)の通常の評価は、松田によれば、「歴史=正史の蔭の部分に、新しい解釈と共感をもたらしたものとして」高いものであるのだそうだ。「しかし、あえていえば、青果の創作の真意は、ことさら見捨てられていたようである」。何が「見捨てられていた」のか。松田の熱い語りを聞こう。

青果はこの作品で何を語り、何を書こうとしたのか。それは将門と貞盛の愛、それもほとんど性愛に近い愛であった。

この悲劇の男が愛するものは――真に愛するものは――妻でも、子でも、弟たちでもない。従弟の貞盛――不幸にも将門が殺す結果になった、伯父国香の子貞盛であった。

貞盛は、「気高い、物思ひの深い子」であったと将門はいう。/「指先など白く、女のようにしなやかで」あったとも。

少年期の貞盛を回想して、「俯いてものなど考へる時、黒い睫毛が匂はしく影をつくつて……」――これが将門における終生の貞盛像なのだ。

イメージの貞盛を愛するが故に、上洛しながら、避けて会わない。なぜか、「気が引けて会はれ」ないのだ。いや、よりはっきりいえば、愛の深さのゆえに会えないのだ。

将門はいう、「太郎の前に出るのが苦しいのだ。自分の粗野が恥しいばかりではない。太郎の眸にあふと……」、だから会えないのだ。そのことを思い出として語るときさえも、将門は「羞ら」っている。ここから、次のようにいえば短絡にすぎるだろうか。/青果の恥の意識は、いわれるごとき単なる田舎士族の体制意識の恥ではない。美意識による恥なのだと――。

そんな貞盛の妻と早く定められた、お互いに従妹の東の君を、将門は奪って妻とする。加害者でありながら、将門は脅えている。[…]東の君を抱くことによって貞盛に怯え、怯えながら連帯しているのだ。貞盛に怯え、怯えることによって連帯しているのだ。貞盛に処罰されたくて、奪ったとさえいえるだろう。東の君を奪ったのではなく、貞盛の婚姻を妨害したのだ。


 こうした解釈を許す青果のテクストを松田が引用するのを、ここではさらにつづめて示す。

おれは、彼と従弟と云はれることが、心の誇りでもあったが、また恥かしくもあつた。(略)。おれは彼の悦ぶ顏を見るために、人知れずどれほど心を苦しめたか知れない。[……]彼はカラカラとは笑はない。匂はしい睫毛の深い目に、たヾニコと片頬に微笑んでおれの戯れた所作を眺めてゐるのだ。おれはいつも後で、自分の愚かしさを恥ぢるのだが、それでも幼い従弟のよろこぶ顏が見たかつたのだ。はヽはヽヽ。

 このくだりに、松田は次のようなコメントをつける。

これはもう、明らかに通常の人間関係ではない。将門の弟四郎の言葉を借りれば、「思慕」に他なるまい。男が男を愛することの、何というみずみずしい描写だろう。五十年の時差を埋めて、それは官能的である。

 他の青果作品の同様の部分を抜き出し、比較検討した末、松田はこう書く。

私とても恣意的に、青果作品のあちこち読みさがして、男同志の愛のみ拾い上げ、青果の「一面」をでっち上げようとするものではない。しかし、「平将門」をその典型として、青果作品のかなりのものが、男心と男心の、ときに性愛の感覚さえ伴う、響き合い、触れ合いの冴えを主題としていることは、動かしがたいであろう。

「男同志の愛のみ拾い上げ」「でっち上げようとする」ものだと言われることへの抵抗。「萌え」は脳内にあるのではなく、確かにテクストに見出されるのだという主張。それにしても、詩人や作家やエッセイストとしてではなく、国文学研究においてそれをやった松田は過激であった。

「一九八〇年代初めまで、同性愛を理想化して描くことは反俗的な美意識の表明であった」(『月光果樹園』)と高原英理が書いている(こればかり引用しているけれど)。『華文字の死想』(ペヨトル工房)の出版は一九八八年(書き写そうとしてペヨトル工房だったかと驚く)。この間、いかなる変化があったのかは措くが、上の引用だけ見ても、それが男の専有物であった時代の男-男表象への「萌え」を、それが女にも共通するものであることを確認しつつ、読み味わうことができるだろう。

 遡って一九七〇年、予定された死からさほど遠くないところにいた三島由紀夫は、ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』の、突撃隊粛清のシーンについて次のように書いた。

私事ながら、この「血の粛清」の政治的必然性は、拙作「わが友ヒットラー」に詳しいが、もちろんヴィースゼーの一夜については、私の戯曲は科白で暗示するにとどめてある。それを一つのショウに仕立てて、この映画の本筋とは関係ないところに、このやうな血のバレエ・シーンを置いたヴィスコンティの企みの深遠さは、推し量るすべもないが、るいるいと重なる白い裸体が血の編目を着てゐる描写には、一種のしつこい耽美主義が溢れてゐる。

「オレはこれに萌えた!」

 そう言えないばかりに三島は、「ヴィスコンティの企みの深遠さは、推し量るすべもないが」などと、韜晦しつつ書きつらねるしかなかったのだ。だが、これが、「映画の本筋とは関係ないところ」で、己れの美的/性的嗜好を芸術という名のスペクタクルたらしめて世の人々に見せつけたヴィスコンティに対するオマージュと、同好の貴種を見出した感動(そして羨望)でなくで何だろう。近年公にされた堂本正樹の『回想 回転扉の三島由紀夫』(文春新書)は、秀吉から死を賜った関白秀次が高野山で小姓たちの介錯をする(「彼等は常に御情深き者共なれば、人手にかけじと思召す御契りの程こそ浅からね」)『聚楽物語』の血みどろ絵を見せられたあとの、三島との最初の「切腹ごっこ」について次のように書いている。

「あとは歌舞伎の「判官切腹」の真似で神妙に勤めた。[…]そこで三島が小さく「ヤッ」と声を掛け、首筋に刃があたる。私は前にのめって伏し、死んだ」。小道具は「浅草などで外人向きに売っている」とおぼしき、三島の用意した大小である。仰向けにされた「首の無い筈の死者は、薄目を開けて次なる介錯者の兄貴の死を眺めた」。そして「三島は上半身裸になった。まだボディビルを始めていなかった裸は痩せて貧相で」……しかし三島は真剣な演技を続け、「ドッと私の死骸の上に倒れ込んだ」。

 ヴィースゼーの白い裸体についての記述をあらためて私は思った。

「もちろん」、「映画の本筋とは関係ないところ」でそれをやれるヴィスコンティと違い、三島は政治という口実を必要とした(そうでなければ、たとえば松田修のような「恥」を忍ばなければならなかったろう☆☆)。世間向けには、原作・脚色・監督・主演の『憂国』でさえ、男女の相対死(あいたいじに)という形でしか差し出すことができなかった。代りに、堂本(および他の男性)に筆写、書き替えさせて中井英夫のパートナーB氏が出していた「アドニス」に載せた『愛の処刑』、『憂国』演出者・堂本との、撮影の二日間泊まり込んだ帝国ホテルのツイン・ルームでの「リハーサルを兼ねた」「久しぶりの切腹ごっこ」等々があったろうが、「ヴィスコンティの企み」の秩序と美、襲撃前の気遠くなるほどの待機の静けさと豪奢な悦楽を思うとき、それはあまりにも貧しくはなかったか? 金井美恵子が書いている、幼いナボコフがわがものにした、黒鉛の芯が端から端まで通ったロリータの背丈ほどの太い巨大な鉛筆と、『青の時代』の文房具屋の貼りぼて鉛筆の差にもまさる彼此の差。三島にもそれはわかっていただろう。映画制作や他の映画出演も含めて、すべてがリハーサルであったかのような(「『憂国』が済むと「ゴッコ」はやんだ」と堂本は描いている)一回きりの本番が、いくら西武百貨店特注のコスチュームに身を固めての真剣(文字通りの!)プレイであろうと、ヴィスコンティのまばゆさの足許にも山裾にも及ばぬ――「総監や総監室の調度、バルコニーの片端やを瞳に灼いて死ぬなど、いささか侘びしすぎる」(松田修)――自己処刑は、裸電球の下でまばらな観客を前にしての場末のドサ回りにも似たショウでしかついにありえぬことが(「三島の刀影に、森田の凛々しい顏が映る」と、自分でも信じなかったであろうことを松田は書いている)、三島にはわかっていたに違いない。


さらに三十年の時差があり……数年前、若い日本美術研究者の講演を聞く機会があった。特に草創期の歌舞伎の話のあたりに、松田修の著作を髣髴させるものがあり、終了後、私は直接、話が面白かったと伝えた上で尋ねた。私の知識は松田修あたりで止まっているが、その後、国文学の分野で研究の進展はあったのだろうか、あれば読んでみたいのだが、と。果たして、自分の知識も「松田修先生」の仕事から来るものだと彼女は答えた。そうやって松田が読みつがれていると知って嬉しかった。ただし、松田を継ぐ者はいないということだった。

☆☆ 『華文字の死想』の巻末「解題」をしているのは山口昌男であるが、今日、その内容のうち、三分の一を占めるマクラの部分は、松田に対するセクハラとしか読めない。インドネシアで、伝統儀礼についての知識を授けられる代償に、ホモセクシュアルの行為をしかけられて調査をあきらめたという話を披露した山口は(松田のテーマである美少年だの同性愛だのの話題に入る前に、「自分はそうではない」とことわっているわけだ)、帰国後の調査報告で、「ジョークであるが」と前置きしつつ、「このように調査は、私の勇気の不足と決断力の無さの故に挫折したが、次は、松田さんあたりに同行して貰いたいと思っている」と喋ったと書いている。
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by kaoruSZ | 2009-08-23 11:08 | Comments(0)
「web評論誌コーラ」に今回載せた拙稿を読んだある男性から、「男性同性愛者による女性性の流用」のあたりについて、「ゲイであろうとも「男性権力者」であることへの自己批判がないものには容赦しないということですね」と言われてびっくりした。「たとえゲイであっても」などという、ゲイ差別的発想をしたことがないからだけではなく、「自己批判」という(時代がかった?)言葉自体が私の語彙ではなかったからである。そう言われてあらためて考えてみると、「自己批判」なる行為は、私にとってつねに侮蔑の対象であったように思われる。自己批判、自己嫌悪、自己憐愍――どれも好きなだけナルシシズムの沼に沈んでいてくれという感じなのだ。岸田秀の書くものはおおかたクズだが(というより、あれに本気で感心する奴が)、自己が自己を嫌悪することなんてあるのか、と言っていたのには頷けた。「自己弁護」はまた別な気がする。

 澁澤龍彦の全集を繰っていたら(しかし、全集で読むとなんだか索漠としている。本物の室内のようにすみずみまで居心地良くしつらえられた売場から、ボール箱に入れた商品をただ並べた倉庫に入ったようだ)、単行本『エロティシズム』文庫版(1984年)の、(文庫版あとがきにかえて)とカッコ書きされた「クラナッハの裸体について」の最後に、ちょっと面白いくだりを見つけた。

当時の私はフロイトのエディプス理論やサルトルの実存主義や、さてはバタイユの哲学などに影響されていたので、それが本書の文面にも少なからず反映しているようであるが、現在の私は必ずしもそれらを信奉してはいない。いま読み返してみると、女性に対してかなり辛辣な意見があって自分でも驚くほどだが、これも現在の私の意見とは認めがたい。無責任のようだが、君子は豹変する。なにぶん十七年前の著作なので、これらの点は大目に見ていただきたいと思う。

 文庫になった澁澤は手に取ったことがないので、ここは読んだ覚えがなかった。なるほど、これが自己批判をしない態度か。これでよいのではないかと私は思う。「現在の私の意見とは認めがたい」と率直に書いているのにむしろ驚かされる。女について紋切型を書くのは男の書き手の通弊である上(だからといって容赦したいわけではないが)、このあたりはもとは週刊誌に書きとばしたということもあろうが、特にそういうところが目立っていたかもしれない。俗流フロイディズム片手に女のセクシュアリティ(というカタカナ語はまだなかったが)の本質規定をするのは、「女性に対して」「辛辣」なわけではなく、女がわかっていない――突きつめれば女を人間と見ていない――証拠だというのは、実は小娘が読んでもわかった。それを批判する言葉がこっちになかっただけである。書かれたものは結局そういうところから古びる。

 ところで最近、俗流フロイディズムならぬ、俗流フェミニズム批評というものが存在するのだとつくづく思うことがあった。『ユリイカ』のトールキン特集(1992年7月号)所収の小谷真理「リングワールドふたたび――『指輪物語』あるいはフェミニスト・ファンタジイの起源」を読んだからである。この特集は以前から見たいと思っていて願いが叶ったのだが、もともと評論についてはあまり期待していなかった。これも出た当時は関心がなくて読まなかった同誌の『ロード・オブ・ザ・リング』特集臨時増刊号を先に読んで、トールキンをネタに世迷い言を吐きちらす人々に失望したからでもある(この増刊号では、『指輪物語』愛読者として語る黒沢清のインタヴューがただただ素晴しかった)。

 今回、何といっても収穫は、トールキンの未完の断章『失われた道』と、物語詩『領主と奥方の物語[レー]』を読めたことであった。前者は、目次タイトル脇の紹介によれば「『指輪物語』『シルマリリオン』二つの物語世界をつなぐミッシング・リンク、未完の物語一〇〇枚の全訳。限りある生を前に揺れる父子のファンタジー。作家の自伝的要素が濃厚に反映している現実世界と、神話世界が二重映しに……………」。映画パンフレットによくあるような、こういったあらすじ紹介はたいていはズレたものだし、読者も正確さを期待したりはしないだろう。だが、中身を読み終えてあらためて見たとき、この要約があっていることに気がついた(しかし、これを書いた人はおそらく、自分が書いた内容を理解していない……………)。

『領主と奥方の物語[レー]』の方には、テクストを翻訳した辺見葉子のエッセイが付いていて、先行作品とトールキンのテクストの異同が丁寧に説明されており、非常に興味深く、得るところが多かった。専門家というのは有難いものである。けれどもこの方も、物語詩の話題を離れ、「『シルマリリオン』および『指輪物語』との関わり」を考察する段になると、そこだけは、作品外の言葉に頼る凡百の評者と変わりがない。私の友人(彼女の導きで最近私がトールキンにあらためて関心を寄せるようになった)と私はそれを残念に思いながらも、行き届いた解説に助けられて読むことのできたこのテクストが、私たちの「『シルマリリオン』および『指輪物語』」の読みを強力に裏づけるものであったことを喜んだ。

 さて、「フェミニスト・ファンタジイの起源」であるが――このサブタイトルからして「やおい・ボーイズラブ前史」を思い出させるが、内容的にも、メインストリームの「男性文化」が行き詰まったり、変換点に至ったりした地点から、新たな女性文化がはじまる(はじまった)とする点でよく似ている。先に枠組みを用意して強引に対象にあてはめるという点も同様だが、『密やかな教育』については別枠を設けてあるから、今は「リングワールドふたたび」に限って言う。こういうことをするには、否定(ないし批判的/発展的継承)されるべき「男性文化」と、「来るべき」「フェミニスト・ファンタジイ」の差異を際立たせなければならないが、ほかならぬトールキンをその克服されるべき「男性文化」の側に置いた時点で、すでに小谷の負けは決まっていたのである。

 なぜなら、トールキンは〈男〉ではないからだ。フェミニスト諸嬢の傍に置くと、彼女たちの鼻の下に黒々とした髭が幻視されるほどの乙女っぷりを発揮しているトールキンの世界における、「○○の子、○○」という繰り返される高らかな父系の名乗りは、父権制に与してそれを存続させる合言葉などではない。『シルマリリオン』において表面的には父権制のしるしのように見えるものが、いかに内側からそれをぐずぐずに崩しているか。『シルマリリオン』は『指輪物語』の背景であるという、しばしば前者をネグレクトしていい(“たんなる”背景として)という意味であるかのように言われる言葉は、文字どおりに受け取られるべきものだ。トールキンの「異世界」がどれだけ(文字どおりの)「異世界」であるかをまだ誰も知らない。『シルマリリオン』が読まれぬ/出版されぬまま『指輪物語』が売れてしまい、前者なしでは理解されるべくもない話が圧倒的な支持を受けてしまったトールキンは、それがいかに知られえぬものであるかという苦い事実をあらためて噛みしめていたはずである。

 問題は、サムとフロドの関係がどうとか、トールキンとC・S・ルイスの関係がどうとか、男だけの集いがどうとかいう話でないことはいうまでもない。トールキンは、「ホモソーシャリティとホモセクシュアリティの紙一重」というトピックからも逃れ去る稀有の人なのである。まして、「トールキンは女性の才能を認め、「結婚」によりその才能が埋没する恐れをつと口にしてきたが、いっぽうで自身の妻エディスとは、学問上・文学上のどのような会話も共有しなかったという」(99ページ)とは何が言いたいのであろうか。才能ある妻として学問上・文学上の会話を共有して何かいいことある(あった)のかと小一時間問い詰めたくもない。

 フェミニストというのはずいぶん頭の悪い連中なんだなという冷笑を誘うとしたら著者にも不本意であろうこの論文は、奇しくも、澁澤のあとがきの場合と同じ十七年前に書かれているので、あるいは著者にとって「現在の私の意見とは認めがたい」というようなものになってしまっているのかもしれない。それだったらそれでいいし、いずれにせよこれをもとに糾弾したいなどという気は少しもない。しかし、ともかくこうやって目の前に形として残っているので、少々分析してみたいとは思う。澁澤の場合と違ってすでに過去の問題になってしまっているわけでないのは、『密やかな教育』の一件からも明らかだし、何より、あまりにも典型的にできているので、構造を知るにはもってこいであるからだ。うまくいけば、あなたも私も明日から俗流フェミニズム批評ができる(かもしれない)。(つづく)

★この続きは書いていないが、トールキンの『領主と奥方の物語[レー]』についてはここで論じた。
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by kaoruSZ | 2009-08-18 00:08 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)
 拙稿「〈あたしは腐女子[クィア]」だと思われてもいいのよ〉――男性のホモエロティックな表象と女性主体(下)」の載った、web評論誌「コーラ」http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html最新号が間もなく出ます。

 そこでもちょっと触れていますが、石田美紀著『密やかな教育 〈やおい・ボーイズラブ〉前史』(洛北出版)について批評するはずだったのがまた延びて、次回の宿題となっています。同書は、竹宮恵子らによる新しい少女マンガが七十年代に登場した背景、中島梓/栗本薫の活動、雑誌JUNEの果たした役割等を、関係者の証言を同時代の社会的、文化的状況にからめて記述しようとした試みですが、残念ながら「社会的、文化的状況」に関して、基本的な事実誤認が多過ぎます。そこを押えておかないことには、全体についての批判もできませんので、次の「コーラ」(本年12月発行)が出るまでに、同書の関連トピックをシリーズとして取り上げることにしました。話があちこち飛ぶかもしれませんが、おつき合いいただければ幸いです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 セクシュアリティと生殖機能を分離してみたらどうなるか。いったい何になるのだろう。こういった考えは六〇年代にすでに盛んになっていたことで、この分野の開発に関する僕のオリジナリティを主張することはできないんだ。以前にノーマン・ブラウンの『ライフ・アゲインスト・デス』という本を読んだことがある。その中で彼は、幼児性欲があらゆる倒錯的傾向を発現しやすいというフロイト理論について語っている。生殖とは関係のない、性器に集中しない分散したセクシュアリティのことなんだ。体中に遍在した、抑圧されていないセクシュアリティだ。

 こう語っているのは、カナダの映画監督デイヴィッド・クローネンバーグです(クリス・ロドリー編/菊池淳子訳『クローネンバーグ オン クローネンバーグ』フィルムアート社、1992年)。ここで『ライフ・アゲインスト・デス』と表記されているのは、周知のとおり、日本でも1970年に『エロスとタナトス』という題で翻訳の出た本で、訳者の秋山さと子は、あとがきで次のように書いています。「訳者は精神分析学の中でもユング派に属する考えを持つものであるが、それにもかかわらず本書を日本に紹介する決意をした理由は、一つには現在世界各国で常識となっているフロイト及び精神分析学的な思潮が日本ではまだあまり知られることなく、特にフロイトに関しては、かなりの誤解がなされていることを悲しむとともに、臨床の分野においてのみならず、より広く一つの思潮としてのフロイトの紹介を試みたいと考えていたことがあり(…)ユング心理学に関しても、もう一度フロイトにまで戻って考えなおす必要性を痛感していたことにもよる」。
 フロイトについて「かなりの誤解がなされている」のは今もたいして変わらないかもしれませんが、フロイトに戻ると言っても、この頃は、ラカンなどまだ影も形もなかったのです。

“Life against Death”は1959年の出版で、著者のノーマン・ブラウンは古典学者、『エロスとタナトス』というタイトルはフランス語版の訳題です。秋山さと子によれば、これは「訳者がヨーロッパに滞在中[鈴木注、64-68年]は主としてこの題名の下に話題になっていたことから」採用されたもので、「アメリカにおけるベスト・セラーの一つとして、各国語に翻訳され、ヨーロッパでも知識人の間に大きな波紋を巻き起こした」とのことです。なるほど、クローネンバーグが読んでいても不思議はありません。

 この本を日本においていちはやく紹介したのが、われらが澁澤龍彦です(もちろんフランス語で読んだのでしょう)。と言っても、澁澤のことですから、「以下の所論は、このブラウン氏の見解と私の空想をごちゃまぜにして、自由に展開した勝手気ままなエッセイであり、もとより心理学でもなければ哲学でもなく、まあ、私自身の信仰告白を裏づけるための、一種の文学的覚えがきであると御承知おき願いたい」とことわっています。「ホモ・エロティクス ナルシシズムと死について」と題されたエッセイが雑誌「展望」に載ったのは1966年、私は後年『澁澤龍彦集成』で読みましたが、単行本『ホモ・エロティクス』も一度書店で見かけたことがあります。函から途中まで引き出して、「ワイン色の別珍」(と『澁澤龍彦全集』には外観が記されています)の表紙の感触をしばらく楽しんだあと、もとどおり函に収めて棚に戻しました(高かったのです)。
 余談ですが、前回の「コーラ」拙稿で澁澤の本について言及し、「黒ビロードの装幀」と書いたとき、念頭にあったのはあの表紙でした。『全集』の記述を見る前で、黒でないのは承知していたのですが、何となくそう書いてしまいました。澁澤のエッセイに夢中だったくせに、『エロスとタナトス』(もちろん日本語です)を手に入れて読んだときには、この元ネタがあればもう澁澤はいらないと思ったものです。まだ二十歳そこそこで生意気だったのでしょう。

 閑話休題。長々と『エロスとタナトス』について説明してきたのは、澁澤が責任編集者だった雑誌『血と薔薇』(68-69)について、『密やかな教育』においては、「『血と薔薇』がヨーロッパ起源の官能に傾倒したのは、第二次大戦後、政治・経済・社会・文化のあらゆる領域において日本に絶大な影響を及ぼすアメリカに抵抗するためであったからである」(124)という珍説が展開されていたからです。その証拠として著者が挙げるのは、『血と薔薇』復刻版のリーフレットに載った種村季弘の言葉です。

  アメリカ的なセックスの解放というと、どこか青年期の成長幻想のようなものが匂いますね。アメリカはもともと万年ユースフェティッシュ(青春崇拝)の国だから。「血と薔薇」のほうはしかし成長を拒否したとはいわぬまでも、それとは無縁の、いわば永遠の少年の世界、もっといえば子供の多形倒錯(フロイト)の世界を夢見ていたのだと思います。

 これを引いて著者は、「種村がいう、『血と薔薇』が求めたアメリカ的なセックスの解放に対するオルタナティヴとは、すでにみてきたとおり、ヨーロッパの官能であったといえるだろう」と述べています。「すでにみてきたとおり」に相当する部分はたいして長くないのですが、そこで著者は、「同誌に集った男性知識人・芸術家が異議申し立ての一環として実践する「エロティシズム」の源は、日本でも、アメリカでも、アジアでもなく、ヨーロッパであった」(122)として、『血と薔薇』「創刊号のラインナップ」が、ポール・デルヴォー、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ、澁澤の「苦痛と快楽 拷問について」、種村季弘の「吸血鬼幻想」、塚本邦雄の「悦楽園園丁辞典」等であったことを挙げ、「いずれも、エロスとタナトス、そしてグロテスクが混交するヨーロッパ起源の、あるいはヨーロッパにまつわる作品群である」としています。

 なぜ、「日本でも、アメリカでも、アジアでもなく、ヨーロッパであった」であって、「アフリカでも、モルジブでも、オセアニアでも、アラスカでも、マダガスカルでも、ボツワナでも、コートジヴォワールでも、モーリタニアでも、セネガルでも、ラップランドでもなく、ヨーロッパであった」でないのか、とまぜっかえすのはやめておきましょう。エドワード・サイデンスティッカーは、フランスかぶれの日本人による、日本的なものを「源」としない軽薄な実践が気にさわったようで、カタカナ語だらけで「フランス的なものが多すぎる」と『血と薔薇』を批判し、返礼として澁澤に、そのカタカナ名前を「災翁」呼ばわりされた愉快な文章を書かれています(「土着の「薔薇」を探る」)。その彼でさえ、そうやってアメリカに抵抗しているなどという解釈を聞かされたら、笑い転げたことでしょう。

「創刊号のラインナップ」に関して言うなら、カタカナ名前はともかく、この掲載に端を発して本となった種村の『吸血鬼幻想』を見れば、フィルモグラフィーにはアメリカ製吸血鬼映画(メキシコ製も目立ちます)が並んでいますし、日本の古典にも通暁する塚本は、ヨーロッパのみならず古今東西の文学を自在に逍遥しているはずです。澁澤のエッセイにしても、拷問と性愛の形式的類似を述べた内容ですから、特にヨーロッパ起源というわけでもなく、むしろ、日本の少女マンガ家らが、少年マンガの拷問シーンの思い出――ありていに言えば萌えの記憶――について語っていたことを思い出させます。ああいうのはどこかに記録されているのでしょうか。そのあたりを文章に起こし、澁澤のエッセイなど参考にしつつ本書で論じてくれていれば、さぞかし興味深い資料になったろうにと惜しまれます。「エロティシズム」が日本起源でないことだけは確かですが、アメリカ対「官能のヨーロッパ」という対立も存在しません。前もって作っておいた枠組みで彼らの仕事を裁断しないかぎりは。

 そして、種村の、「成長を拒否したとはいわぬまでも、それとは無縁の、いわば永遠の少年の世界、もっといえば子供の多形倒錯(フロイト)の世界 」 という言葉が指すものも、 アメリカと対立する「官能のヨーロッパ」などではなく、具体的にブラウンの『エロスとタナトス』であり、それにもとづく「ホモ・エロティクス」に代表される澁澤の思想です。種村自身、吸血鬼について書きながら、同じようなこと(生殖から切り離された性とエロティシズムの探求)をやっていたのであり、親しい仲間として、そのあたり、非常によくわかっていたはずです。「アメリカ的なセックスの解放」を種村が引き合いに出したのは、不案内な人にもイメージしやすくするための配慮でしょう。それを著者は、「アメリカがヨーロッパに対立させられている」と思ってしまったのですね。

 けれども、ここで「アメリカ的なセックスの解放」に対立するのは、最初に引用したクローネンバーグの言葉にもあるような、生殖を目的として組織された性器中心主義的セクシュアリティのオルタナティヴとして想定されたもののことです。それを「アメリカ的」と呼ぶのは、たしかにアメリカをバカにするものかもしれませんが、これは都会人が地方出身者を「田舎者」と呼ぶようなもの、アメリカへの「抵抗」というのは全くの的外れです。なお、ノーマン・O・ブラウンはメキシコ生まれのアメリカ人です。
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by kaoruSZ | 2009-08-15 15:23 | 密やかな教育 | Comments(4)