おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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さよなら銀座パルミ

 前の週に誕生日を迎えた友人のお祝いを兼ねクリスマスの昼の銀座へ。古い二階建ビルのレストランで、昭和通りを見おろしながらランチ、伊東屋に寄ったあとトリコロール本店へ、暮れ方までいて築地へ歩き、聖路加のトイスラー館のサンタクロースだらけのイリュミネーション、聖路加ガーデンのツリーとトナカイ、展望台からの眺めを楽しみ(人がいなくて穴場)、木挽町でお蕎麦を食べて帰る。27日、この日閉店の数寄屋橋の東芝ビル地下、ちゃんぽんと皿うどんとギョウザの「一点」(いーてん)で食べ納め。昔ここを見つけたとき一緒だったjjと(ちゃんぽんというものはここではじめて食べて美味しさを知った。皿うどんというのも、ああいう麺とは知らなかった。以後も、ここ以外ではほとんど食べたことがない)。その際、ここなら一人でも入りやすいね、と言いあったものだが、その通りになった。仕事帰りに頻々と立ち寄るようになったのだ。

 阪急数寄屋橋店と並んでビル内にあった旭屋書店で(あるいは近藤書店で)買った本を手に、あるいは、「quatre saisons」と「私の部屋」が阪急の一階だった時分はそこを見てから、地下におりて銀座パルミ(地下商店街の名前)のどこかに、一時は週一二回は腰を落ち着けていた。「善光寺蕎麦」もたまに行ったが、その並びに広島風お好み焼き屋があって、私は広島風お好み焼きというものをはじめて食べて気に入ったけれど、二回ほど行ったところで店がなくなってしまった。そこへ私を連れて行った人は持病を抱えながら仕事を続けていたが、とうとう故郷の出雲に帰り、五十歳で亡くなった。ホット・サンドウィッチの「銀座アゲイン」へは、お葬式に日帰りで出雲まで一緒に行った人に案内されたのが初めだが(職場から預かってきた香典の束の分厚さに、父は顏をしかめて馬鹿だなあ、と言った。行く人に託すのが利口だと言うのだが、馬鹿でもいいんだと答えた。内心、香典を差し出す連中に飛行機代をカンパしてくれとは思った)、この人は転勤し、私もその後辞めたから今は音信がない。

「銀座アゲイン」の、具を二種類選べるホットサンドは最初こそそのヴォリュームに驚いたが、以後は平気で平らげていた。いつも辿りつく頃はお腹が空ききっていたのだ。ここのアイス・ティーはレモンを櫛形に割ったのをグラスの縁にひっかけて出てきて、私はそれまで外でコーヒーを頼むことが多かったのだが、ここではアイス・レモン・ティーを注文するのが定番になった。顏を覚えられるというのはあまり好かないのだが、狭い店だしそうも行かず、新しく作ってみたプリンだから食べてみて、と出してくれたりするのを有難くいただいた。「アゲイン」の真上にはシチューの店があって、メニューはビーフ・シチューともう一つハンガリー風か何かのシチュー(私はそっちが好み)、バタートースト(ただの食パンのトーストでそれがいい)とサラダでセットだった。焼きりんごも温かいのと冷たいのが揃っていた。内装はどこか少女趣味で(シュガーポットやミルク入れも花柄)、それに似つかわしくないマスターが一人でやっていた。「アゲイン」と「一点」のどちらかに入るのが一番多く、軽くすませたい時は「イタリアン・トマト」にも入った。

 母が急死した一年後、父に肺がんが見つかり、手術後は父と暮らすことになった。ホットサンドやちゃんぽんをたまには食べたいと思いつつ、父が待っている(夕飯を用意して)ので、この時期、寄り道は本屋だけになる。父の不労所得が途切れた一年間だけ、父を私の被扶養者にした(それでも大して税金が減るわけではなかった)。父にちゃんぽんを食べに行かないかと誘ったが、あまり美味しいものじゃないぞ、という返事。いいところがあるからと一度連れて行こうと思っていたが機会を逸した。築地のがんセンターでの診察の後は、父にも歩いて行ける距離の洋食屋「メイジ」でよく昼定食を食べた。冷凍物を使わないというここのミックスフライはおいしかった。ミックスグリルに入ってくる柔らかい肉だけのハンバーグも他に例がなくて、一度ハンバーグ定食にしたけれど大きすぎると飽きるとわかった。健啖家だった父はミックスフライを喜んでいたが、だんだん食が細り、ライスを半量にしてくれと頼んでいた。フライも食べ切れなくなり、私に回してくるようになったが、ウースター・ソースを先にかけてしまうので、レモンとタルタルソースで食べたい私はいつも怒っていた。勤め帰りにも寄ることがあったが(父が死んだ後はしばらく行けなかった)、店内のTVで「お江戸でござる」をやっていた日に行ったあと、日をあけずにまた食べたくなって行ったら、また「お江戸でござる」をやっている。考えてみたら一週間経っていたのに、仕事が忙しくて錯覚したのだった。                                                
「アゲイン」とシチューの店は、数年前、気がついた時には消えていた(「銀座アゲイン」はその名前のまま、千葉くんだりの某所に出店しているらしい)。閉店挨拶や移転先の貼紙もなしに。「メイジ」もある日なくなっていた。他のメニューも食べてみたいと思っていたのだが。老夫婦でやっている店だったから引退したのだろう。銀座パルミの店が櫛の歯が抜けるように欠けてゆき、後が入らないことから悪い予感はしていたのだが、東芝ビル建替えだそうで、向かいの「直久」で訊いたら年内は営業すると言っていたという話を、数ヶ月前にjjから聞いた(「直久」のねぎラーメンとギョウザも美味しいとわかって私も寄るようになっていた)。「善光寺蕎麦」と「イタリアン・トマト」も閉店した。だが、これらの店は他の場所にもあるので味が消えるわけではない。「一点」で会計時、調理場の中から笑顔の老店主にお辞儀され、他で店をやらないのかと尋ねるとかぶりを振る。たぶんそうだろうと思っていたが、それまで訊く気になれないでいたのだ。これまでのお礼を言って出る。

 27日は父の九年目の命日であった。クリスマスは両親がはじめてデートにこぎつけた日でもあるが、数えてみればそれからちょうど六十年が経っていた(「この年はノルドールが中つ国へ来てから五百三年目であった」という『シルマリリオン』のエルフの時間感覚もこんなものか)。国際フォーラムの光輝く並木を抜けて東京駅から帰る。
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by kaoruSZ | 2009-12-30 22:43 | 日々 | Comments(0)
人でなしの恋――『シルマリリオン』論序説 と題して書きました。

http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/eiga-9.html
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by kaoruSZ | 2009-12-16 21:17 | 日々 | Comments(0)