おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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※続編あり

最近も こんな形★で無責任な言及がなされたところだ。一つだけ断わっておくが、ツイッターでは、自尊心の異常に低い“腐女子”へのエンパワーメントや啓蒙に重点が置かれているので、今回も最後にようやく話題に近づいたところで中絶しているが、本来tatarskiyさんにとって、自称腐女子やジャンルBLは本質的な問題ではない(そもそも私たちはそういった特殊な存在があるとは考えていない。下手な書き手やよく書けていない作品は存在するが)。彼女が扱おうとしていることの一つは藝術の問題、なかんづく女は藝術家――道徳に気をつかい、女の分をわきまえるのではなく、自分の愛するものと欲望に忠実な――になりうるのか(あるいはどうしたらなりうるのか)という問題だ。ちなみに、twitter上での(これまでのような)“啓蒙活動”は近く中止するとのことである。https://twitter.com/tatarskiy1を参照されたい。(kaoruSZ)


“ホモォ騒動”の顛末について


RT @angelcrown: .@amoruk さんの「twitterトレンド一位にまでなった、溢れ出る"ホモォ"にリアルゲイが一人思うこと。」をお気に入りにしました。 http://togetter.com/li/289886

posted at 02:36:28

RT @ma_e: ホモォがあれだけ流行ったのは、腐女子を「腐女子という生き物」化するのが好きな人が多いから

posted at 02:09:19

RT @futeneco: コメント欄にある通り、ホモォは腐女子ってこんなんだ的な嘲笑を含むものだとも思うので、ヘテロ男性→ホモォを好む女性→リアルゲイという構図が当てはまるとは思えないわ。正しいセクシュアリティとそうでないセクシュアリティを区別した上で、後者を女と男性同性愛に押し付ける構造なら分かるけど。

posted at 02:10:45

RT @futeneco: @_surtsey このまとめ主、非腐女子もホモォ祭りに参加してることをまるっと無視して腐女子に責任をなすりつけて、マイノリティを傷つけるのは良くないでしょ?と正論をぶって自分の立場についてはノータッチというところが1番引っかかります。それでいて強くなれと、他人に説教する所も。

posted at 08:17:03

RT @futeneco:性的ファンタジーの分野、っていうかセクシュアリティは基本、社会的に構成されたファンタジーの要素てんこ盛りだし、リアルゲイ(なにそれ)とファンタジーゲイ(なにそれ)を区別する発想をやめた方が宜しいかと。

posted at 20:48:41

RT @futeneco:@_surtsey 私はどのセクシュアルファンタジーにも優劣はないだろうと思っています。同性愛表象でリアルな当事者様と偽物のファンタジーという区別をしても、ホモフォビアの解決にならないどころか、前者をゲイ男性、後者を女性に分けて差別しようとするヘテロ男性規範の反復だろうなと。

posted at 21:31:40

RT @futeneco:@amamako 腐女子とされる人が同性愛差別に加担したというか、それは社会(というよりヘテロ規範)がホモフォビックだからであり誰でも加担しうるわけですが、同性愛表象を好む人間がフォビックというのはあり得ないと思います。腐女子wと揶揄しなければならない現状がフォビックなだけです。

posted at 19:15:32

RT @AyahSaki: 「ホモクレちゃん」を見て、私は正直泣いたね。腐女子が喜んで拡散した自己像は、無害で幸せそうでちょっとキモいけど愛せる感じの生物だったんだよ・・・・・必死で「私達、美しくはないけど無害でかわいいやつです!愛して!」って;▽;泣ける

posted at 02:16:10

RT @amezaiku: 「ホモォ」は腐女子が抑圧されまくり崩壊し「異性愛男性主義の社会に認められたい」と媚売った結果。その結果が「ホモォと寄生を発することで周囲に嘲られながらも笑顔でい続ける哀れな生き物」になった上にリアルゲイ(笑)を初めセクマイコミュニティの目の仇にされたというのだから絶望しかない。

posted at 02:17:13

RT @amezaiku: 腐女子に限らずゲイ文化なんて女を馬鹿にして成り立っているものっすよ。でもそこが指摘されることなんて未来永劫無い。そしてそこをスルーしてゲイやその支持者は腐女子をdisり続ける。

posted at 20:31:50

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まだ話の途中でしたがhttp://twilog.org/tatarskiy1/date-120417関連のある話題なので、後出しジャンケンみたいで恐縮ですが上のRTの一件について少々。(口調の違いは気にしないで下さい)要は自称腐女子の人の自称自虐というのは必然として権力者であるヘテロ男性の感性に規定された通俗なホモフォビアに対するおもねりになるんだよね。

そしてそれを“リアルゲイ”に叩かれるのを恐れて「私はこんなリアルゲイの人に配慮の無い間違った女とは違います!」と主張しだすのも「男の顔色を窺って同性を蔑む」という点で実は全く一緒。“自虐”だろうが“反省”だろうが「女が“正しくない女”を蔑む/嘲る」というミソジニー的パフォーマンス。

つまり、いくら「身の程をわきまえて自虐的に」振舞おうと、おもねるべき相手がヘテロ男性とゲイ男性の両方である以上「あちらを立てればこちらが立たず」というくだらないジレンマに陥るだけになる。そしてますます女同士の相互監視と締め付けあいだけがきつくなり、男からはどのみち憎まれ続ける。

またこうした嘲笑と“自虐”の悪循環は、多くの女性に対する「“腐女子”と認定されることは自らのセクシュアリティに対する一切の尊厳を認められず侮蔑される存在になることだ」という見せしめの効果を担ってもいる。これは実は男性にとっての「自分がホモだと思われる恐怖」に正確に対応するものだ。

だがそもそも男性同性愛及びその表象を愛好することがそれ程に差別されているのは、言うまでもなく社会の権力者であるヘテロ男性がホモフォビックであり、女性とゲイ男性を蔑視しているからでしかなく、そもそも女性がゲイ男性を差別することなど出来はしない。女は常に男の意向を伺い従属するだけだ。

いかなる場合であれ「女が悪いから」ゲイが差別されるというふざけた言い分は、「本物の権力者とは対立したくないが、憂さ晴らしはしたい」という卑劣で虫のいい発想にしか聞こえない。ヘテロ男性にとっても人権や政治的正しさを盾に非難される心配の無い腐女子叩きはホモフォビアの発散に丁度いい。

つまり男性同性愛の表象に関してトラブルが生じた場合に“腐女子”を生贄にすることにはヘテロ男性・ゲイ男性双方に明確な利害の一致があり、暗黙の“紳士協定”が成立している。男が男を告発することには相手の面子を潰して恨まれるリスクがあるが、男が“ふしだらな女”を侮蔑するのは当然だからだ。

男には“男としての名誉”が約束されているが、女にはセクシュアリティに関する独立した尊厳など認められていない。女には“正しい女”か(“腐女子”のような)“ふしだらな女”かを分かつ踏み絵があるだけだ。後者であるとされれば、見せしめとして何をされても“当然の報い”に過ぎない。

だからこそ女は自分が「あんな女とは違う」ことを証明するのに躍起になる。“普通の女”は腐女子だと思われまいと努め、腐女子と思われるのは避けられない場合も、せめて「マイノリティに配慮し身の程をわきまえた」“貞淑な腐女子”として罪一等を減じられることを望む。無論裁定を下すのは女ではない。

女が“女”としてではない性的ファンタジーを持つことなど、彼女の守られるべき尊厳のうちには入らない。これは“当事者様”や“性的マイノリティに理解のある皆様”にとっても当然の前提なので“レズビアン”や“バイセクシュアル”ではない“腐女子”には冷淡だ。

この辺りについては以前に詳述したのでhttp://kaorusz.exblog.jp/18567610/繰り返さないが、今回の一件でも、実際には“弾除け”(にしてサンドバッグ)としての腐女子に遮られて直接的な被害など受けていないゲイ男性の人権の問題としてしか歯止めがかからなかったのがふざけた話なのだ。

真に問題にされるべきは「“腐女子”のせいにすれば好きなだけホモフォビアを公言できる」というヘテロ男性の態度と、それに付け込まれる女性の側の自尊心の欠如であり、必要なのはヘテロ男性のホモフォビアに対する批判と、女性の性的ファンタジーの自由に対するエンパワーメントに他ならない。

今回の一件とは少しばかりズレがあるし、話がややこしくなるので深入りはしないが、いずれにせよ私は女性の側(腐女子とは言わない)がゲイ男性に気を使ったり理解を求めたりすべきいかなる理由も存在しないと考えているし、そうした“男からの承認”を求めること自体が差別の是認にすぎないと考える。

今見返してみればなんともぎこちない文面で気が引けるが、ひとまずこのことに関連のある以前の他の人との会話のログを貼っておく。

http://twilog.org/tatarskiy1/date-111217

http://twilog.org/tatarskiy1/date-111224


なお、上の会話に引き続き返信するつもりで書き溜めたものの中絶していたメモ書きも、この際ポストしておく。何某かの参考になれば幸いである。(了)


(12月18日付の会話より続く)お返事ありがとうございます。ただ、返信を拝見して少々補足させて頂きたい点があります。「不正確なイメージ」を「消費」しているから反論の余地は無いのではないかと怯えてしまわれるとのことですが、これはこんな怯えを抱かせる側が100%悪いだけの話で、貴方を含めたBLを好きな女性には何一つ責められるべき謂れはありません。実は明日の朝早くから用事があるので、今晩は長い文章をツイートする余裕がありませんので、この件についてはまた日を改めてお伝えしたいと思います。では今日はこれにて。

まず「不正確なイメージ」云々ですが、先にお送りした私の連続ツイートの意図の一つは、本物の「正確な」イメージというものは存在せず、それは「これこそが正確なイメージと信じられるべきである」というイデオロギー的な文脈によって浮上してくる虚像にすぎないということです。
これに補足すると、「不正確なものとして否定されなければならない」とされるイメージとは、そのネガに他ならないということです。

具体的には、私が例示したような「性的指向以外はいわゆるヘテロのまっとうな社会人男性と変わらないゲイ男性」というイメージがネガとして否定しているものは、「社会的に不安定な立場の、場合によっては水商売に従事しているような、女装癖があったり“女性的”な振る舞いをする、世間的に“まっとうな男”とは受け取られない」男性のイメージです。つまり、「ゲイは“女”なんかじゃない」と言いたいわけです。
これは“女”として扱われることから逃れようが無い生物学的女性にとってはふざけた話で、本質的に女性差別的な主張です。

早い話が、ゲイ男性は「男のくせに“女”のように男の性的対象になりたがる/男が男を性的対象すなわち“女”にする」と思われているからこそ、「当然女っぽくなどないまっとうな男」であるところのヘテロ男性から差別されるわけで、実はこれは「受動性(性的な受身性を原義とする一連のイメージ)を“女”として外在化した、自らは“女”であってはならないもの」こそが男そのものの起源であり、ゲイ男性の存在はこの男の成り立ち自体を危うくするものだからです。逆に言えば、「男に対して受動的であるもの」こそが“女”の起源であり、つまり“女”とは本質として現実の女性のものではありません。

伝統的に、優れた男性の芸術家が往々にしてゲイである場合が多いのは、この“女”に象徴される受動性から生じる美的な価値こそが優れた「表現」を生み出すのには欠かせないものであり、受動性を単に女性の本質と見なした通俗的な“女”イメージのみに縛られがちなヘテロ男性と違い、ゲイ男性は受動性を自分から外在化していない分だけ通俗的女イメージへ縛りつけられておらず、その分だけより洗練された受動性のイメージを生み出すのに有利だからです。むろんこの有利を優れた「表現」を作り出すのに生かせるだけの才能の持ち主はいつの世にも希少なのですが。

逆に、当然ながら才能さえあればヘテロ男性でも優れた表現者でありえます。また、そもそも“女”とは男性の受動性であることから、男性が作り出し、時には自ら体現する“女”のイメージは、現実の女性以上に“女”らしく、つまり現実の女性以上に優れたものとして受容されるのです。おネエキャラや歌舞伎の女形なんかいい例ですね。二次元美少女は開き直りすぎて誰の目にも子供っぽいですが。

そして男性による男性同性愛の表象は、近代的なヘテロ/ゲイという二分法が成立する遥か以前から文化の中に存在し、これは先述した「通俗的な“女”イメージではない洗練された受動性」の伝統的な表現形式だったわけです。

これまでの流れでお分かりでしょうが、この「男性による受動性の外在化としての“女”」と「男性による洗練された“女”/受動性イメージの創出としての芸術」という図式は、実に有史以来と言っていい程に伝統的なものです。(中絶)

※上の文章、「伝統的に~」以降と話が繋がっていないですが、これは別々に書いていた二つの文章をまとめて投稿したためです。ややこしくてすみません。



★“@hazuma これはマジで素朴な質問なのだけど、BL関係で「ホモォ……」とか呟かれているのはどう感じるの。RT @masayachiba: まぁ、ホモってのは、現在、基本的に「ほぼアウト」の侮蔑語だと思うんだけど。どうでしょう。公の場では。(当事者が自分で自分を茶化すときには使われると思います”
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by kaoruSZ | 2012-07-30 21:22 | 批評 | Comments(0)

tatarskiyの部屋(7)

twitterで腐女子は権力者()だと言い張っていた被害妄想基地外の一件について

以下のまとめは内容的には「tatarskiyの部屋(2)“BLからフェミへ”(笑) 」の続き。
なお、このときtatarskiyさんは中平康監督の『狂った果実』を論じ石原慎太郎のホモフィルぶりについて書いていた最中だったのが中断されてしまって非常に惜しい。http://twilog.org/tatarskiy1/month-1201ぜひ続きを書いていただきたい。(kaoruSZ)
********

RT @Hornet_B: BLはー、腐女子ではない女子オタクにはー、男子むけのごくふつうのポルノと同じ圧力をかけてるよー。男子ポルノが『正常な男』を規定するのに使われているんだとしたら、BLはいまや『正常な女子オタ』の踏み絵になりかねないということさ。
posted at 02:08:13

RT @Hornet_B: 流れちゃったけど、いま、TLのカタスミに、正常な男を規定するもの=ポルノ、で、それと同じような使われ方をしているものなどないって見えたもんだから。いや、もっとずっと小さい狭い範囲ではあるが、もはやBLだってその力を持っているよと。
posted at 02:08:32


@tatarskiy1です。上の@Hornet_Bの馬鹿発言に釘をぶっ刺しておきたいと思ったのですが自分の垢では連続ツイートの途中なのでこちらにコピペ頼みました。→
posted at 02:14:39

→で、本題だがはっきり言ってマジで訳ワカメ。いったい何時BL好きなことが「排他的に“正しい”当然のものとしての女の欲望の形」になったという事実があるの?@Hornet_B、お前自身のBL蔑視から来る被害妄想を投影してるだけだろうが。→
posted at 02:22:01

→それこそ「あんな女たちと一緒だと思われるかもしれない私が可哀想」ってことだろ? それって、「BL好きな女=あんな正しくない女」という前提があるからじゃん。→
posted at 02:23:26

→私自身何度も書いて来た事だが、「男の当然の正しい欲望=女に欲情すること」で、女は「男に欲望されることを受け入れること(より平等な男女関係とやらを望む態度も含む)」が正しいとされる欲望のあり方なの。→
posted at 02:23:57

→だからBL好きな女なんてどれ程多かろうと「公式な正統性」を認められない当然蔑視されるべき異常な欲望でしかないんだよ。「腐女子」という呼称自体が、「正統とされる女子のあり方からすれば“腐って”いる」という自虐的な前提なくしてはありえない。→
posted at 02:26:33

→だから“正常な男”が「当然ホモなんかと一緒にされたくない」と公言して憚らないように、“正常な女”をアピールしたい@Hornet_Bは「当然“腐女子”なんかと一緒にされたくない」ということだよね。頼まれもしないのに差別主義者丸出しでご苦労様。
posted at 02:27:19
[ここまではkaoruSZのtwitterアカウントを借りてポスト]

RT @carpe_diem435 いかんRTしたまま寝てた。私の記憶では、腐女子が「正しい女のあり方」であった事は無いなぁ。寧ろ、「女のオタク=腐女子」というレッテルに対し、「何でもホモにするあいつらと一緒にしないで」ときう反発しか聞いた事ない。
posted at 03:27:52


RT @carpe_diem435 数は多いし、コミケなんかでも確かに腐女子という人口は一定の割合を占めているよ。でも、それは「覇権的」とは言えない。常に気持ち悪い、それこそ腐ったものという自認をつきつけられ、自重を迫られる立場だと思うけどね。
posted at 03:32:44

RT @andy_kam: 批判は受け止めるつもりでいる。でも血を流しながら「ほっといて」と悲鳴を上げざるを得ないほど作品を脇に置いて性やらなんやらにレッテル貼られまくってきた腐女子の状況を全く鑑みず覆いかぶせるようにして「お前らはもうマジョリティだ強者性を自覚しろ」とかやるのはえぐすぎると思う……。
posted at 13:06:15


RT @amezaiku: @carpe_diem435 正直言って腐女子に限らず女オタ(というか女全体で)「認められている正しい姿」っていうのは存在しないと思います。そんな中で「強者を作り出してそれを叩く」というのは間違いだと思います。
posted at 13:10:17

RT @amezaiku: 「BL好きが正しい姿とされている」と言われたら爆笑するし「乙女ゲー好きが正しい姿とされている」と言われたら鼻で笑うし「夢好きが正しい姿とされている」と言われたら苦笑するし「百合好きが正しい姿とされている」と言われたら欠伸するし「少女漫画好きが~」と言われたらryそんなもん。
posted at 13:10:41



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本当は連続ツイートの途中で余計な用事に(ryだが色々とあまりにも酷いので失礼。スズメバチの馬鹿が被害妄想の虜になっているだけの卑怯者なのは当然だし、批判している人たちの言わんとしていることも理解できるのだが、私は所謂BLを好きな女性とそれ以外の嗜好を持つ女性が平等に抑圧されているとはまったく思わないし、andy_kamさんが「批判は受け止めるつもりでいる」と書かれているが、「受け止めるべき批判」などはっきり言ってまったく存在しないしあるなら具体的に教えていただきたいくらいである。

amezaikuさんが言うように、女の好み自体が軽く見られ馬鹿にされているのは確かだが、BLを好きなことは他の男女や女同士のファンタジーを愛好することとはおよそ比較にならない、明白な男性からのヘイトと同性からの差別化としての忌避にさらされるし、それには明白な構造的理由がある。

繰り返し書いてきたことだが、性的ファンタジーに対する社会的視線のヒエラルキーは、ホモフォビアを当然の前提とする男性のヘテロセクシュアリティを中心に、それに対立するように見えて実は相補的である「道徳」に支えられて形成されており、この道徳には「道徳としてのフェミニズム」も含まれる。

端的に言って、BL好きな女性の存在は、まず第一にそれが男性同性愛の表象であること自体によって支配者としてのヘテロ男性の逆鱗に触れ、第二に、男にとっての女であるべき/それを夢見るのが正常であるべき女の分際で「男にとっての男」を思い描くことの逸脱によって、「普通の女」としての同性に「殿方や自分と同じ“普通の女”にあれの仲間だと思われたくない」という忌避とその表明としての差別化を生じさせ、第三に「男にとっての女ではなく、主体性を持って同性と連帯し女であることを肯定する女」という「もう一つの正しい女像」を称揚するフェミニズム的道徳によって「女ではなく男を称揚する利敵行為」として断罪される。

つまり世俗のヘテロセクシズムとフェミニズム的道徳とは、共に「女は女であることを喜ばしく思い夢見るべきである」という根本的な戒律を共有しており、「女性が男同士のイメージを愛好すること」はこの「女性に女イメージへの同一化こそが正当であるとして強いる」戒律と完全に衝突するが故に肯定されえず蔑視されるのだ。

道徳からも世俗のヘテロセクシズムからも後ろ盾を得られない性的ファンタジーが、通俗な世間に対して正統性を主張しうる根拠などありえない。逆に言えば、性的ファンタジーに関するおよそ凡ての通俗な正統性の主張の根拠は、世俗のヘテロセクシズムと道徳とに由来している。

こうした原理に例外は無いがそれも当然のことである。「正統性の根拠たる源泉」を独占してこそ「支配的なイデオロギー」足りえるのだから。他者を差別しうるのは「支配的なイデオロギー」を後ろ盾に持つ者だけだ。平たく言えば「権力の犬」なればこその特権だということだ。

私が「正しい女」「正常な女」と書くとき、それは必ずこの「権力の犬」を意味している。「誰でも人を差別することはあるかもしれないんだから、気を使いましょうね?」などという抑圧的な寝言は、ここまでに散々述べてきた支配的なイデオロギーが権力を振るう厳然たる制度の存在を隠蔽するものだ。

具体例に話を戻そう。今回の場合なら、「百合が好きだから腐女子なんかとは違う/こっちはちゃんと女の子が可愛いと思ってるし、女同士が対等なのっていいことだと思う。あいつらは男を女にしてるだけじゃん」という女にはフェミニズム的道徳が、「男女が好きだから腐女子なんかとは違う/男と女で対等な方が正しいと思うし、あいつらは男を女にしていてゲイ男性に失礼だと思う」という女には、世俗のヘテロセクシズムとフェミニズム的道徳の双方が、それぞれ後ろ盾になっている。

で、「BL好き」な女性がこうした文字通り「権威を笠に着た」発想自体出来ると思いますかね?まして公言することで他者を威圧することができるとでも?その威圧感を感じさせるだけの権威ある後ろ盾が一体どちらにあると仰るのでしょうか?こっちにそんなものがあるわけがねえんだよ権力の犬どもめ。

また例示したような所謂ノーマルカプ厨や自称百合好きによるBL蔑視的な発想は、腐女子の人の間でもかなりの程度内面化されているし、それに正面から異を唱えている人など見たことが無い。それも当然だ。誰もが同じ「支配的なイデオロギー」に規定された構造の上に生きているのだから。

「ちゃんと男女も好きだよ」、「百合もいいと思うよ」、「美少年受けなんかより親父受けの方が面白いよね」こうしたアピールをする発言が物語っているのは個人の嗜好それ自体ではない。本来それ自体はどんなものであろうといかなる正しい価値も正しい意味も無くただ自由なだけだ。問題はこうした発言をアピールとして引き出す動機であり、その発言が支配的なイデオロギーの構造の中でどのような意味を持つのかだ。しかし、誰が逆に「ちゃんとBLも好きだよ」と言わずにおれない程の抑圧の許に置かれていると言うのかね?リアリティ皆無だよ。「苦手自慢」なら腐るほど見たが。

それにしてもこうした所謂BL周辺で姦しく囀られている「望ましくて正しいとされる表現/間違っていて正されるべきとされる表現」のコードを読み解けば、実に馬鹿馬鹿しいことがわかる。

要は「女は女に同一化するのが望ましく正しく(男女、百合)、男が女性的であることはあるまじき間違いである(女性的な美少年より逞しい親父)」ということで、何のことはない、ミソジニーとホモフォビアとヘテロセクシズムに立派に準拠した、正しい男と女の描き方を形を変えて説いているだけだ。

逆に言えば「男に愛される男が女性的に美しく描かれていること、その表象を愛好すること、特に愛好する者が女であること」は蔑まれるべき罪であるということだが、馬鹿でなければこれがヘテロ男性の視点で規定されたホモフォビアでありミソジニーなのはお分かりだろう。

つまりもっともらしい理屈を捏ねてBLを差別したがる連中は、当人が“政治的に正しい”つもりであるのとは裏腹に、釈迦の掌の上でわめき暴れるが如く制度的なヘテロセクシズムに囚われている。それも当然であろう。ヘテロセクシズムとは何よりも男が男に対して受身で愛されることのタブー化である。

ついでに言えばミソジニーの強い一部のゲイ男性が「女が描いた女のような美しい男なんて偽物で差別でふじこ」とゴネていることがあるが、何で「女が描いたら偽物」で「美しいのは差別」になるのかといえば、ご当人が「俺は女なんかとは違う、一緒にされたくない」と女性を差別しているからであろう。

「女同士なら対等だから~」「やっぱり対等な男女を描くのが正しいと思う~」「受け攻め固定より対等なリバの方が~」この手の陳腐なフレーズの決まり文句である「対等」という言葉が意味するものは、要は“犯される女”に象徴される受動的なマゾヒズムとナルシシズムへの罪悪視であるに過ぎない。

つまりは馬鹿な連中からの「男が女を犯すポルノと同じ事をやっている」という非難を内面化して恐れるという、これも抑圧の結果である。何度も書いてきた事だが「受身で愛される/犯される」というマゾヒズムとナルシシズムこそ性的な快楽の源泉であり、これを認めず蔑視するヘテロ男性が特殊なのだ。

馬鹿はヘテロ男性の自己欺瞞を見抜けないまま受動性に対する蔑視だけはきっちり内面化し、その鬱憤を何の権力もあるはずも無い女性の性表現にぶつけて晴らそうとする。こっちの方がヘテロ男性が自身の受動性への蔑視をそれを外在化し押し付けた女性にぶつけるのと相似形なのが醜悪で手に負えない。

繰り返し書いているが、性と性表現が暴力としてしかイメージされず本質的に「罪深い」ものであると言う観念は、制度的な男性のヘテロセクシュアリティが根源的な快楽としての受動性=犯されることを自分のファンタジーとしては否認し、それを「女のファンタジーであり本質」として外在化することにこそ起因する。

「俺は自分が犯されたいのではない、女を犯したいのだ。それこそが男の快楽であり、俺に犯されることこそが女の快楽であり本質なのだ」と主張する一方、無意識下では自分で自分に禁じた「犯されること」の快楽を享受することを許されている存在である女に嫉妬し憎悪を募らせ、この「憎みながらも惹かれずにはいられない」という女へのアンビヴァレンスの結果として「性とは本質的に罪であり、男を誘惑する性的な存在である女とは罪深いものである」という道徳的な観念が生まれるのだ。これが多くの文化圏で宗教と結びついた普遍的な観念であることは誰でもご存知だろう。

つまり「性欲とは攻撃的で暴力的なのが当然のものである」という通念も、「性欲とは罪であり懺悔すべきものである」という道徳的観念も、共に制度的なヘテロ男性のメンタリティから発する主観であり、本質的に男性のものなのだ。
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by kaoruSZ | 2012-07-08 20:48 | 批評 | Comments(0)
<24年組からよしながふみへ(笑)>

……愉快なネタをRTした直後にウンザリする話だが、書いておかねば仕方がない。この時http://twilog.org/tatarskiy1/date-111230とかこの時http://kaorusz.exblog.jp/18505306/とかに書いた話の続きだけど、数年前のはてなとかで群れてたリベラルぶったミソジニスト共の何がクズだったかという話(あとこの時http://twilog.org/tatarskiy1/date-120122とこの時https://twitter.com/tatarskiy1/status/159193953311277056にもちょっと発言してるが)。

要はあの連中が好んでやっていた24年組(特に萩尾望都)とフェミニズムと決まってよしながふみをくっつけて「女性たちの表現の歩みとリンクしたフェミニズム的達成()」とやらをでっち上げるやり口が死ぬほど下らない有害な与太話だったということだが。

今でも「BL やおい」とかと「フェミニズム 24年組 萩尾望都 ゲイ よしながふみ」とかのキーワードで検索すれば、連中が差別的なゲイの男に文字通りヘイコラしながら“正しい女”として承認されその他大勢の同性を差別されて当然の立場に追い込むことに加担した証拠が山ほど残ってるけど。

だいたいテレビドラマレベルの通俗なあざとい“世間のみんなに褒めてもらえる”お話と背景描けないのはテレビに失礼なレベルのバストショットばっかのポンチ絵のよしながふみ如きと、純粋に先駆的な漫画の表現者だった24年組の人を同列に語れる時点で美意識の欠如をひけらかしているに過ぎないわな。

よく「描き手が女性である」というだけでクソもミソも一緒にできるよ。と思うが、それも結局は今でも女性の作品に対しては「独立して優れた表現」であることより「女ならではの“望ましい”女性性の表現」であることが求められているからに過ぎないだろう。通俗化した“フェミらしさ”もその一つだ。

友人のブログの記事だがhttp://kaorusz.exblog.jp/11888365/ここでの吉本隆明の萩尾望都へのセクハラぶり(褒めてるつもりで自分の女性観とホモフォビアをごり押し)と、通俗フェミ的解釈でもって「女性特有の状況や内面が男同士という形で表現されている」とかのたまう馬鹿は結局同じだろ。

よしながふみのくだらない下品さって、そういう俗物どもの「これは貴女の中のフェミニズム的なものの表現なんだよねぇ?」って好色なヨダレ垂れ流したようなリベラルぶった(必然的に)男の価値観にデフォでおもねって作品の外でもベタに「そうなんですよv偉いでしょv」ってコメントする媚び媚びぶり。

そういうあられもなく下品な“政治的に正しい女の媚態”の発露だからこそ、臆病な通俗フェミぶった馬鹿どもが「24年組からよしながふみへ」みたいなでっち上げ偽歴史のゴール()に仕立て上げてくれるんだが。本当は24年組とよしながふみに「男の人が褒めてくれてる」以外の共通性なんて無いよ。

言うまでもないが24年組の人の作品を男が認めたのは、それが誰の目にも明らかな革新的な漫画の表現だったからにすぎないし、そこに政治的道徳的な意味づけなんか必要なかったのも当たり前。でも彼らは同時にホモフォビアと一体の、女が男の同性愛の表現を読み描きする「男心をそそる」理由を探したがった。

よしながふみを持ち上げるのって、そういう男の側のスケベ心と女の側の道徳的な自己正当化を欲する臆病さとに見事に対応しているわけだ。表現としての巧拙ではなく「正しい“女”の内面の表現」として弁明できるかという尺度を最優先した評価軸なんて、道徳の教科書の採録テキスト選びと変わらないが。

当然ながら私はそんな女性差別的な茶番に付き合うつもりはさらさら無いし、他の人にもそんな必要は無いと言い続けるつもりだが。浜の真砂は尽きるとも、差別的な自覚も無い馬鹿の種は尽きないけど。
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by kaoruSZ | 2012-07-02 21:21 | 批評 | Comments(1)