おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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晝顔―Beau de jour (上)


 わが友が私を主人公にして書いた話に私がいろいろ不満のあることは確かだけれども、その内実に関してはとかく誤解があるようだ。それらが事実と異なっていると私が非難したというのは「事実」ではない。私は、彼が『凶暴な猫の冒険』[近日公開]の中で描いてみせた、かの愛すべきメイドとは違うのだ。この娘は、彼がクイーン・アン街にいたとき短いあいだ仕えていたが、私の最初の訪問の際、シャーロック・ホームズが自分について、あれこれ言いあてるのではないかと恐れていた。むろん私には、彼女が見抜かれるのではと思っていた程度のことは、彼女が私たちの周りをうろうろしている間にわかってしまったが、雄の孔雀じゃあるまいし、ところかまわず尾羽根を広げたりはしない。この田舎娘が主人に語ったところでは、小説というのは「事実」を書くものだと思っていたので、それまで、私を主人公にした彼の小説は、すべて「本当にあったこと」を「そのまま」書いたと信じていたそうである。私の友は、お伽話で「私」と名乗る者の語る出来事がとうてい現実にはありえない例を挙げ、彼女の認識を改めようと試みたが、彼女は、彼のような有名な小説家が自らの名を名乗っての語りが、お伽話と同じレヴェルで絵空事でありうるなどとは思ったこともなかったので、すっかり混乱してしまったという。

 私は、「何度となく、僕ら二人のささやかなお伽話の出発点となった、あの部屋」という、私たちの下宿をさして彼が『空家の冒険』で使った(私の台詞であるが、むろん私がそう言った「事実」はない)言いまわしが好きだ。もっとも、公刊されている版では「お伽話」が「冒険」になっているが。「お伽話」だと、なんだか自分がシャーロック・ホームズよりもむしろR・L・スティーヴンスンの『新アラビア夜話』の主人公にでもなった気がして楽しいし、私が呼ぶ子を吹き鳴らすとレストレードとその部下(Lestrade and his merry men)が空家に飛び込んでくるというクライマックスも、私の中では現代風の無味乾燥な建築の中に、突如ロビン・フッドとその愉快な仲間か、さもなければお伽の国の兵隊が出現したように変換されるのである。

 そして「事実」云々を言うなら、シャーウッドの森の住人や玩具めいた兵隊はもとより、レストレードと部下たちもそこにとどまることはできないだろう。ついでに、彼らに取り押えられ、私をにらみつけているセバスティアン・モラン大佐(及びそのありそうもない空気銃)や、モリアーティの亡霊も消え失せて(互いに会ったこともない彼らは、私のファイルのMの項でしか隣り合わせたことがなく、わが友が粉飾を重ねて捏ね上げた同名の神話的人物と比べれば、取るに足らぬ小悪党でしかない)、あとに残るのは文字どおりの空いた部屋ばかりだ。いみじくも「空家の冒険(The Adventure of the Empty House)」と題されたお伽話の舞台となったあの部屋は、だから本当にemptyであり、空虚で無意味な空間なのである。「事実」にこだわるなら、221bの真ん前のカムデン・ハウスは、少なくとも一八九四年春には空家でなかったことを強調しておこう。ブラインドには夜遅くまで仕事をする人影が映り、それがベイカー街を挟んだ暗い部屋の奥からも見られた。むろんそこには実物大の蝋人形など置かれていなかったから、残念ながら膝立ちでそれを動かすハドスン夫人の活躍の機会もなかった。人目を引くために用意された大道具小道具をとっぱらってみれば、あとには私たちの再会しか残らないのであり、通りを隔てた、煌々と明りのともるカムデン・ハウスの二階とは対照的に、私たちの部屋はインク壺の底のように黒闇の中に沈んでいた。そしてそれこそが『空家の冒険』において語られなかったことなのである。

 彼の書くものにおいて私がつねに感嘆措くあたわざる思いがしたのは、あの空っぽの部屋に象徴される空虚な舞台に、大衆の好みに叶う道具立てや人物を手際よく配置して、謎の提示から解決にいたるめざましい物語を組織する手腕ではなかった。そうした物語とは別にある、注意深い読者にしか見えないものだった。私の方法として彼が提示したものは、むしろ彼自身の作品に対して適用されねばならないだろう。その際に重要なのは、あらかじめ謎とされたところには謎はなく、あくまで自分の目で機巧(からくり)を発見しなければならないということだ。だが大衆はつねにファサードに魅了され、たかだかシャーロック・ホームズが解いてみせる謎にしか興味を持たない。彼自身、自分の書くものが読み捨ての大衆小説と見なされて、批評の対象にすらならないことに、しばしば苦しみ、苛立った。だが、彼は、その困難な試みをけっしてあきらめはしなかったのだ。  

 たとえば『最後の事件』の場合、力強い叙述が人々を引きつけ、物語の内容が読者の心を揺り動かしもしただろう。だが、当事者である私から見れば、これは彼がいかに自分の作品の中に秘密を巧みに隠し、かつそれが心ある人の目には読み取られるよう、工夫を凝らしたかという見本である。力強いと言えば聞えはいいが、実のところかなり荒唐無稽な話なのに、それが問題にされることはほとんどなかった。後年、『空家の冒険』を原稿の形で見せられた時、私は自分が姿を消していた、そして彼が私を死んだものと思っていた三年間に、自分がチベットを旅したり、メッカやハルトゥームを訪れたりしたことにされている(それを得々と彼に語っている)のにあきれたものだ。私はハガードの小説の登場人物ではない。シゲルソンというノルウェー人の名を騙って探検旅行記を書いたとまで言われたのでは、もう怒る気にもなれなかった。ここでの私はただの法螺吹きであり、チベットで“She”と会った(シャーロック・ホームズ対洞窟の女王!)と書かれなかったのがせめてもの救いというものだ。ついでに言えば、モンペリエにしばらく滞在はしたが、そこでコールタール誘導体の研究をした覚えはない。当時私は、兄のマイクロフトから回してもらった諜報の仕事でヨーロッパを移動することが多かったが、兄が送ってくれるストランド・マガジンが受け取れないほど遠くへ行くことは絶対になかった。そこに見出す、わが友が私の物語を書き継いでいたシリーズと、短い送り状に記された彼の消息、それだけが私の渇を癒やし、私をかろうじてこの世に繋ぎとめているものだったのだから。 

 要するに、ああしたものは皆、彼一流の韜晦とお遊びと煙幕なのである。「本当にあった」話を絶対に「そのまま」書くことなく(書くことができず)、しかし表現することをけっしてあきらめなかった彼の筆は、虚実のあわいに成立する危うい「冒険」にすべてを賭けた。「シャーロック・ホームズの冒険」の劈頭を飾る短篇第一作『ボヘミアの醜聞』、スカンディナヴィアの王族と、アメリカ生まれの「世間には正体不明のいかがわしい女として記憶されている今は亡きアイリーン・アドラー」(と彼は書いている)のあいだの揉め事を私が調停した一件をもとにしたあのフィクションに、すでに彼の方法論(メソッド)は明らかだ。「世間には正体不明のいかがわしい女として記憶されている」――読者はこの文を、一般には身持ちの悪いあばずれくらいに思われていたが、それは誤解で、シャーロック・ホームズが一目置くほどの女だったという意味と思うことであろう。実際、この短篇のアドラーはそう見える。しかし、その真の意味は、「世間にはその事実は知られていない」が、本当は「男」だったというものだ。〝彼女〟の正体は彼の非ホームズ作品『時計だらけの男』の、不慮の死を遂げた青年だと言えば、当たらずとも遠からずだろう。むろん本名はアイリーンでもアドラーでもない。もっとも、〝ボヘミアン・スキャンダル〟を表沙汰にされるのではと、某王族(こうした重要でない人物に、架空の長々しい名前や肩書や大袈裟な衣装を与えてダミーにするのは彼の典型的なやり口だ)に気を揉ませた当の人物は、時計だらけの青年のように薄命ではなく、小説発表時の一八九一年にはパートナーともども健在だったし、今も亡くなったとは聞いていない。後で述べるが、「今は亡き」と彼が付けたのには理由があったのだ。

 
 スカンディナヴィアの――正確に言えばデンマークの王子の一人で、継承順位から見て王位に就く可能性はまずない、身分の高さの割には気楽な身の上の人物が、ベイカー街をお忍びで訪ねてきたのは一八八八年のことだった。ワルシャワで見失った彼のオフィーリアを追って、世紀の終りの大英帝国の首都に至ったのである。わが友がでっち上げたいけすかない訪問者と違い、いたって気さくなプリンスであり、地味な、だが細部に至るまで気を抜かない、ロンドンっ子に何の遜色もない垢抜けた出で立ちで、ツイードのスーツに合わせたタイには緑柱石(ベリル)のタイピンをあしらっていたが、この宝石が、彼の描いたヴァージョンではブローチとなって、アストラカンの毛皮を前身頃 と袖口に付けたダブルの上着の威風堂々たるボヘミア王が赤い絹の裏地を見せて跳ね上げている、濃紺のマントの襟元を留めていたのには笑ってしまった。いかにも北欧人らしい金髪にライトブルーの目、つやつやしたピンクの頬をしたこの殿下は、彼がモデルの虚構内人物同様、結婚を控えた身であったが、女優でアルト歌手の愛人との関係もそのまま続けるつもりでいたところ、相手はいつの間にかそれまで専属だったワルシャワのオペラ座も退団して、ふっつり消息を絶ってしまった。しかも手許に置いておかれては剣呑な品を持ち去っていたので、慌てて手を尽して探させたところ、英国人の弁護士と一緒に彼の故国にいることが判明し、急遽渡英してきたというわけだった。

 ニュージャージー出身の「世間には正体不明のいかがわしい女として知られた」アイリーン・アドラーのことなら私も少しは知っていたので、当初、恋人の性別も、〝ボヘミアン・スキャンダル〟(このダブル・ミーニングを使いたいばかりに、わが友は依頼人をボヘミア王にしたのである)であることも誤魔化そうとした殿下に、事件については包み隠さず話してもらわなければ困ると釘を刺しておいて、駆け落ちしたカップルの様子を探りに行った。最初のうち弁護士のノートンが、たんに法律上の問題の相談に乗っている友人なのか、それとも足繁く通ってくるのは恋人だからか(男女なら最初から迷わなかったのだが)見極められずにいたところ、思いがけず彼らの結婚式に立ち会うことになった顛末のいくらかは、必要な修正を加えて『ボヘミアの醜聞』に移されている。未練たらたらだった殿下に引導を渡し、ブツを返してくれるようアドラーを説得した。高額で買い戻す上に手切金も別に用意するという王子の言葉を伝えたのだが〝彼女〟は身の安全のため品物は持っていたい、金はびた一文受け取る気はないと言ってこれを拒んだ。

『ボヘミアの醜聞』のヴィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモンド・フォン・オルムシュタイン陛下は絵に描いたような高慢な王様であり、アイリーン・アドラーは地球上のどんな男も虜にする美女であるが、これはお伽話というものだ。このアドラーは、たぶん作者の狙いどおり、バイエルン王の愛妾だったローラ・モンテスを思わせるなどと評されたものだったが(ちなみにわが友はオーストラリアでの幼年時代に、金鉱掘りの男どもをめあてにはるばる巡業に来た、落ちぶれたローラ・モンテスのダンスを見ているそうだ)、実際の〝彼女〟は、アメリカの田舎の気のいいあんちゃんだった出自を時にのぞかせないでもない、実にさばさばした人柄だった。もちろん、歌と演技の才能はたいしたものだったし、その気になればいくらでも妖艶に見せることができた。私たちはそれより何年も前、ロンドンで一度だけ公演を聴いているが、帰り道でわが友が、「人形のように綺麗なひとだし、天使のような声だが、目を閉じて聴いていると男だか女だかわからなくなる時がある」と鋭いことを言った。「ワルシャワ帝室オペラのプリマドンナでありながらコントラルトだ。そこに彼女の秘密がある」と私は答えた。彼は全く訳がわからないという表情だったので、私は歌手が実は男であることを教えてやった。驚嘆し、どうしてそんなことを知っていると言うので「蛇の道はヘビさ」と答えると、「なるほど、君もときどきそんなふうに変装して性別不明に思えることがある」と彼は言った。この時の記憶が、『ボヘミアの醜聞』では男装したアドラーが私たちをつけてきて、「シャーロック・ホームズさん、こんばんは」と声をかけるという展開になったのだろう。「どこかで聞いたような声だが」と作中の私は言うが、それはたぶん私自身の声なのである。

 アドラーは弁護士のノートンとは、ロンドンにいた頃すでに知り合っていたのだが、仕事でワルシャワに行った彼と偶然再会すると、デンマークの王子とは別れ、仕事も辞めて愛に生きることに決め、王子が万一怒りのあまり復讐を考えた時のために例のものを持ち出して英国に戻り、いささか怪しい書類を揃えて(私が立会人になった結婚式の時はそれで少々手間取ったのである)本物の結婚証明書を得たあとは、夫とアメリカに渡るつもりでいた。品物が何かは人物の特定に繋がるので明かせないが、写真ではない。それとは全く関係なく、私が以前から引出しに入れていてthe womanと呼んでいた写真があり、私から来歴も聞いていたので、わが友はこれを話に織り込むために小説では写真にしたのである。

 スティーヴンスンを愛するのと同じくらいエドガー・ポーを愛するわが友は『盗まれた手紙』の細部を大胆に取り込んでいるけれど、路上で捕まえて身体検査ができるのは、盗まれたのが手紙だからである。今回の品の場合は身につけて歩くのはとても無理だ。だが、写真にしたので、そこまで細かくポーをなぞることも可能になった。外で騒ぎを起こしてその隙にというのもポーだが、パリの素人探偵の場合と違い、アドラーの自宅付近に動員されたエキストラの規模といったら常軌を逸している。これは、この情景がリアリズムに基づくのではなく、一種のスペクタクルとして描かれているからだが、こうした方法への注目が当時も今もほとんどないのも、彼が通俗読物の作家と見なされてきた証拠だろう。

 現実のアイリーンは殿下への別れの手紙に自分のポートレートを添えて私に託し、私は殿下にそれを渡した(むろん私は写真を欲しがったりなぞしなかった)。そして、明日、彼らはアメリカ行きの汽船に乗るが、殿下がどうしても品物を取り戻したいとあれば少々荒っぽい手段を取る用意もある。しかし〝彼女〟は今後、妻として生きてゆくつもりでいるから、自分の真のセックスを公表して彼に迷惑をかける心配はまずないと請け合った。「本当は私が買い戻したいのは彼女の心です」と王子は完璧な英語で言った。「もしもそれが買い戻せるものならば」そして、それが無理ならこれ以上は追わぬと言い、手紙を開くとその内容も私の言葉を裏付けるものだったので、彼は嘆息しつつもアイリーンの写真を大切に手帳のあいだにはさみ込み、気前のいい謝礼を払ってくれた上、渋い古金の嗅煙草入れを私に下賜して国へ帰った。

 だからシャーロック・ホームズを手玉にとったアイリーン・アドラーという、あの誰もが好きなお話は、彼の頭から出てきた作り事にすぎないのだ。さらに言えば、女嫌いで、色恋沙汰にうとく、自分の思考に感情を交えることを海老料理に混じった砂粒のごとく嫌悪する、論理一辺倒の朴念仁というはなはだ魅力を欠いた探偵の肖像を描いてみせた上で、その彼にしてなお忘れえぬ一人の女性がいるとか、彼の視野の中では彼女が女なるものの全体を覆い隠しているので、彼にとって女といえば彼女しかいないのだという盛り上げ方も同様だが、物語の効果のためのこうした演出に文句をつけようとは思わない。しかし彼は、その女――the woman――に私が恋しているわけではないという明快な言明が、おおかたの読者の貧弱な理解力を越えることに十分な認識がなかったようだ。その結果、私は、アイリーン・アドラーとはどういう関係だったのかという質問に、後年まで悩まされることになった。ホームズさん、彼女は本当に恋愛対象ではなかったのですか? 本当は恋人だったのでしょう? 確かに私の同類だが……。わが友は、私が彼にインデックス・ファイルの中からアドラーの名前を探させて、ユダヤ教のラビと、深海魚に関する研究論文を書いた参謀将校の間にそれを見出した(もちろんAの項目にではない)と記しているが、それは、女性の名がそこに載っているはずのないファイルだった。それにしても、ラビ、オペラ歌手、参謀将校という、このどう見ても脈略のない取り合せにどういう共通点があるのかと、疑った者はいないのだろうか。WE ARE EVERYWHERE! そもそも私のファイルに名前があるというだけで、同類であり、まっとうではないのである。全く、〝彼女〟が何者か知った上で質問をするがいい!

 私は女をことさら嫌いなわけではない。ただ無関心なだけだ。これははっきり言っておきたいが、女への関心を四六時中毛穴から滲み出させているような男が、実は女を憎んでおり、女を罰したいという欲望に苛まれているのは、その男が犯罪者であるか否かにかかわらず珍しいことではない。そうした欲望ほど私にとって無縁なものはないのである。私が色恋沙汰に向かないかどうかは、この先に書かれる事柄によって明らかになろう。確かに、相手が女性である場合はそうかもしれない。そして私が感情的な人間であるか否かは、そうではないと書いたわが友が一番よく知っている。そうそう、良い機会だから、ここで一つだけ訂正しておきたい。彼は、ホームズは以前はよく女の浅知恵を馬鹿にしたがアドラーの事件以来そういうことはなくなったと書いているけれども、私は、女を貶めるようなそうした文句を吐いたことは一度もない。仮に私がそうした男だったとして、「アドラーの事件」が、そのような認識を改めさせる何ものも含んでいなかったこともこれまでの説明でおわかりだろう。先の記述は、彼が通俗的な読者に迎合するという悪しき誘惑に屈した稀な瞬間の一例なのである。

「今は亡きアイリーン・アドラー」には別の意味が隠されている。「『今なお忘れえない』唯一の女、彼女のせいでもはや他の女は目に入らず、女と言えば彼女しか思い浮かばない女」。今ではどこを走っていたのかもうわからない列車の中ではじめてあの話を読んだ時、この〝女〟とは私のことだと確信したと言ったら、読者は私の頭がどうかしていると思うだろうか。

 アイリーン・アドラーは私だ! なぜなら、私こそが、彼の“the woman”であるのだから。ボヘミア王はアドラーを、「世に知られた怪しい女(well-known adventuress)」と呼んでいる。怪しい女adventuressとは何か。最近は駱駝に乗って砂漠を横断するような女もいるから、adventuressとはそのような男まさりの婦人でもあるのだろう。だが、当時はもっぱら、男を籠絡する芳しからぬ評判の婦人を指していう語であった(ちなみに、実際のデンマークのプリンスは、元恋人に対してこのような言葉を使いはしなかった)。だが、男性形のadventurerなら、単に冒険者の意味となる。私たちの共有する部屋が繰り返しその出発点になり、彼がその伴侶となった冒険にたずさわる者。つまり〝彼女〟とは、世に知られた「シャーロック・ホームズの冒険」の主人公以外の何ものでもないのである。わが友は、私が“adventuress”でもあると知った時、怖じ気をふるって私と縁を切ろうとしたのだった。そのために私たちはライヘンバッハの滝まで行くことになり、私は死んだと見せかけて彼の前から姿を消した。『ボヘミアの醜聞』で、彼は私の喪に服しながら、アイリーン・アドラーにかこつけて、「今は亡きシャーロック・ホームズ」への追憶と讃美を語っていた。ロンドンを遠く離れた場所で私がこれを見た時どんな気持ちがしたかは想像してもらうしかない。

 わが友によって私はしばしば、不当にも、理性を万能として情緒的なものを排する、鼻持ちならぬ男として戯画化されている。『四つの署名』で私は、すでに刊行された『緋色の研究』において彼がロマンスにページを割き過ぎていると文句を言うが、これは私がロマンスを解さないからではなく、わが友が、私との「ロマンス」――彼が私に興味を抱き、舞台の俳優を見るように私を見つめ、私を謎と見なしてそれを解きたいと思い、私が何ものか知りたいと望んでいる――に十分な紙幅を与えていなかったからだ。私はその視線に応え、彼に自分を見せびらかし、感嘆されることを願ったのだ。彼が私の探偵術をほめたたえた時、私がほんのり頬を上気させたと彼は書いている。探偵術をほめられたホームズは、「美貌をほめられた小娘よろしく」はにかむのだと。これを読んで私が赤面したことは言うまでもないが、彼は肝心な点を見落して(あるいは書き落して)いる。誰にほめられてもはにかむわけではない。好きな相手にほめられたからに決まっているではないか。

『ボヘミアの醜聞』は彼が往診の帰りにベイカー街で、かつては自分も住んでいた建物のドアを目にして、もう一度私に無性に会いたくなり、見上げるとブラインドをおろした明るい窓に私のシルエットが行き来するのが見えて、懐しさのあまりベルを鳴らし、階段を上って行くところからはじまる。このブラインドの人影は『空家の冒険』のダミーのそれですっかり有名になってしまったが、蝋人形を狙撃するモラン大佐は、重ねて言うが存在しなかったのであり、こちらの方が先行し、本質的なのである。このドアは夢の入口であり、このくだりは現実にはありえない夢のはじまり、語り手の夢の中への入場だ(もしも映画にするなら、最後に彼が同じように二階の窓を見上げる時、そこは闇に閉ざされているだろう)。現実にもこんなことは起こるはずがなかった。彼は新婚生活の幸福と新しい職業生活の確立で忙しく、私のことなど忘れてしまい、向うからわざわざ私を訪ねることなどありえなかったし、私は新家庭に招かれてもけっして行こうとはしなかった。不意にこちらから顔を出して誘い出さないかぎり、私たちの冒険はそのまま立ち消えていただろう。

 突然訪ねてきた彼を物語の中のシャーロック・ホームズは無言で迎えるが、それでもこの再会を喜んでいるらしかった(と彼は言う)。これは死者との夢の中での邂逅に他ならない。すべてが追憶の光に照らされ、すべてがこの世ならず美しい。本物のどんな女にもまさる輝くばかりのアイリーン・アドラーの家で繰り広げられ、私の演技をわが友が窓の外から見たことになっている情景は舞台にかけられたそれであるが、同時にこの舞台は魔法にかけられてもいよう。それは私が魔術師のように鮮やかな手並みを見せて喝采に応えるという、私たちが初めて会った時、大学病院の実験室で私のささやかな成果を彼に見せた時の記憶の召喚に他ならない。

 小説ではアドラーとノートンはヨーロッパへ去ったことになっているが、すでに述べたように現実の彼らは、アドラーの故郷である米国へ向かった。なぜ彼は彼らの行き先をヨーロッパとしたのか? これが掲載された「ストランド」をはじめて読んだ列車の中で、私にはすぐにわかった。私たちの、ロンドンからブリュッセルへ、シュトラスブルクへ、ジュネーヴへ、そしてローヌ川の渓谷を経て、恐ろしい滝の傍で終る道行に合わせるためである。小説の中のシャーロック・ホームズはアドラーの家政婦から、ノートン夫妻はヨーロッパへ発ち、もう戻ることはないと告げられる。そして私は気づいたのだ。最初、友人なのか恋人なのかはっきりしないと言われる彼らがであるのかを。仕事を辞め、引退して二人で暮らしたい、許されるならこのような場所で。これはスイスの山中で、もしも生き延びることがあればと、私が彼に語った夢ではないか。どこまでも追ってくる振り払い得ない(実際の彼らの場合はそうではなかったが)脅威から逃れ、ヨーロッパへ脱出して仕合せになったカップル。ライヘンバッハで私を失ってしまった(と信じていた)わが友は、この二人のケースをありうべかりし私たちとして描いたのである。


晝顔 Beau de jour (中)へ続く

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by kaoruSZ | 2013-05-22 23:05 | 文学 | Comments(0)

晝顔―Beau de jour (中)

『醜聞』の最後で、彼は私がアドラーの写真に見入り、彼女をthe womanと呼んで、引出しに今も入れていると言っている。もし私が本当に死んだと思っていなくて、どこかで私に読まれるかも知れないとわかっていたら、彼はそう書くのをためらったかもしれない。私のthe womanの写真は、マイクロフトがそのままの状態にしておいてくれたベイカー街の下宿の部屋の引出しに、当時もそのまま入っていたし、今はこれを書いている机の引出しに昔と変らず収められているが、それはアドラーではないからだ。このような変更はthe womanへの冒瀆だと、(生きていれば)私が思うかもしれないと彼は思ったであろうし、実際、彼の下に戻ってきてからそう訊かれたこともある(そんなことは全くないと私は答えた)。

「これは誰なの」その写真がはじめて彼の目に触れてそう訊かれたとき、私はジェラール・ド・ネルヴァルの「アルテミス」の詩句を引いて答えた――〝C'est la Mort - ou la Morte. (それは死 ― あるいは死んだ女……)〟 the womanの声を私は聴いたことがない。それを偲ぶとしたら一番近いものはヴァイオリンの音色だろう。彼が小説中のthe womanにIrene Adlerと名づけたことを私はこよなく思っている。実際、これ以上の命名はありえまい。これをイレーネと訓んで、その姓もまた示すようにドイツ系だと思う者はそう思えばよろしい。アメリカ生まれだからアイリーンだろうと思う人もいるだろうし、もちろん本名ではありえないのだが、この方がまだ正しい解釈だ。これはぜひアイリーンと発音されねばならないだろう。フルネームは私のthe womanの実名の一種のアナグラムにもなっている。彼女について私が話したことを覚えていて、いわば彼女を記念してこういう名前にしてくれたことは嬉しかったし、彼に感謝したいと思った。

『ボヘミアの醜聞』に私は、「今は亡きホームズ」への彼の思いをはっきり読み取ったのだった。こういう読者は私以外にありそうにないが、私という読者が存在していることを彼は知らない。私はその瞬間、彼に会いにイギリスに飛んで帰りたかった。ニームから帰国して彼の診察室にまっすぐ向かったあの夜のように。彼のメッセージを確かに受け取ったと知らせ、私の変らぬ気持ちを伝えたかった。しかしそれは不可能だった。彼には妻がいた。当時私は彼女の健康状態について全く知らなかったし、実は彼自身もそうだった。ホームズものを書いていると彼は寝食を忘れ、どうしてもこれだけ書いてしまいたいと書斎から出ず、医業も滞るようになった。彼の健康を気づかう妻に、これが自分の代表作になるよと目を輝かした。やがて妻の健康が損なわれはじめたが、彼は最初のうちほとんど気にとめず、机の前を離れることがなくて、気がついた時は手遅れだった。私との別れから二年後に、ストランド・マガジンのインタヴューに答えて、彼は私を「私の失われたミューズ」「私のインスピレーションの源」と公然と呼んでいる。明らかに彼は私を、ポーの「私の魂、サイキ」や、「ユラリウム」や、「天使たちがレノアと名づけた類い稀なる輝く乙女」に匹敵するような、男のミューズとして語っているのだ。

 ポーの短篇では周知のとおり画家の妻が、夫が彼女の頬から赤みを奪ってその肖像を画布に定着してゆくに従って衰弱し、絵が完成したとき彼女は死んでいる。私の友の場合、夫のミューズになることのなかった妻は、彼が永遠に失われたと信じる追憶の中のミューズに霊感を受けつつ創作にわれを忘れているあいだに、その傍で弱ってゆき、ついには血を吐いて死んで行った。これをグロテスクと見るのは読者の自由であるが、いずれにせよ私がこうしたことを知るのはずっとあとであり、彼の妻がそれほど早くこの世を去るとは想像もせず、具体的に思い描く未来は空白であった。ただ、与えられた仕事に没頭することが、『空家の冒険』で私の言葉として紹介されているとおり、悲しみを癒す唯一の薬だった。彼の場合もそれは同じで、その成果が、私がはるかロンドンの匂いを運んでくる「ストランド」を開いて見出す彼の新作だったのである。

『最後の事件』のモリアーティとシャーロック・ホームズの対決も、すでに述べた方法論によって彼が捏造したものである。モリアーティことモーティマー元教授は、確かに私の人生にとっても重要な役割を果たした人物で、地方の大学での教え子との〝ボヘミアン・スキャンダル〟の噂が広まって辞職に追い込まれ、ロンドンに出てきて、男色バーと曖昧宿兼阿片窟の経営にたずさわる一方、そのネットワークを使ってさまざまの悪行に手を貸しはしたけれど、ロンドン中の犯罪に彼がかかわっているとか、あれもこれもモリアーティの陰謀だとか、犯罪界のナポレオンだとか――わが友の書き立てたことときたら、もう一度彼の弟が訴えを起こしても不思議はないほどの言いようである。むろんそれは、わが友が大衆の好みをよく知っていたからに他ならない。お伽話には悪役――しかもその極端な形の――が不可欠なのである。モリアーティ(このおなじみの名前で呼ぶことにするが)の店は、公刊された作品の中にも変形されたかたちで登場する。一つだけ挙げるなら、『唇のねじれた男』でセントクレアのもう一つの顔はただの物乞いにまで縮小されてしまっているが、あの男はモリアーティの腹心であり、様々な姿に身をやつすことにおいて、またそれ以外の意味においても私の同類であった。わが友は、私がその種の場所で潜入捜査をしていることは早くから知っていた。しかし、私にとってそこが二重の意味で〝ハント〟の場だと気づいたのはかなり後だったし、 モリアーティに関しては、私の長年の努力と警察の機動力がその組織を崩壊させることになる数ヶ月前になってやっと知ったのである。

 モリアーティと私は対決などしたことはない。私は何度か彼を見かけたし、向うも私の姿は見ているが、シャーロック・ホームズとしての私は一度も認めたことがないからだ。その界隈に出入りするうち、私はフレッドという若者と知り合った。彼はジェイムズ・モリアーティの年の離れた愛人だった。いや、言い直そう。モリアーティの愛人だったからこそ、私は彼に近づいたのだ。可愛らしい顔立ちの性格のいい若者ではあった。アイルランド移民の子で、自分の知的能力よりも低い教育しか受けていなかった。知的好奇心が旺盛で、藝術的センスもあり、モリアーティに惹かれたのも、主に彼がフレッドの周囲には皆無だった、教養あるインテリだったからだろう。モリアーティにとっては教え子との関係の反復だったのか。いずれにせよ、彼がフレッドにとって、性的にも知的にも手ほどきを受けた教師だったのは間違いない。

 フレッドを誘惑するのは簡単だった。私はまさか、「謙遜を美徳と呼ぶ者には同意できない。論理的な人間はあらゆる出来事を正確にありのままに観察しなければならない。自分への過小評価は自分の能力を誇張するのと同様に事実に反している」と主張するほど鉄面皮ではないが、この種の仕事に困難を感じたことがない。急いでつけ加えておくが、これはあくまで〝仕事〟の場合で、そうでない時にどんな苦しみを嘗めることになったかはこの先で明らかになるだろう。ともあれ、フレッドの年上の恋人は、私のせいでにわかに色褪せてしまった。恋の魔法が解けて、彼をそのありのままの姿――長年欲望を抑え込んできた、冴えない容貌の、何百人もいる同類と変らぬ、田舎の凡庸な(元)大学教師、ようやく欲望を解放したと思ったら社会の圧力にあえなく屈することになった負け犬、反社会的事業によって小金を稼ぐ初老の男――で見るようになり、彼より先に私を〝先生〟として選んでいればよかったと思うようになったのだ。

 それでも彼はなかなかモリアーティと別れようとしなかった。そうしたいと言いながらためらっていた。生活の基盤がすべてモリアーティの下にあったからだけでなく、私と違って彼には情があったからである。むろん私は、彼にモリアーティから離れられたのでは都合が悪いので、彼と手を切らないよう、だが私との関係はできるかぎり悟られないようにと助言した。組織の内情に通じ、しかもモリアーティに甘やかされているこの若者は、恰好の情報源であった。モリアーティは恐らく他に男ができたのに気づいたであろうが、相手が私とは最後まで知らず、あえて追求するだけの度胸もなかった。フレッドは父親に可愛がられて育った末っ子だったが、敬虔なカトリックの父親と違って自分のことを理解も支持もしてくれる、もう一人の父親として自由思想家のモリアーティを見出したのだった。しかし、モリアーティがなぜそれほどまでに社会を憎み、敵対しようとするのか、まだ若く、荒い風に当たってこなかった彼には到底理解できず、その行為の正当性に疑問を抱きはじめたところだった。

 フレッドのそうした悩みを、私は巧みに利用した。彼の相談に乗るふりをして、モリアーティへの反感を煽り、裏切りをそそのかし、なおも彼が口ごもっていることを吐き出させるため、犯罪研究家で顧問探偵のシャーロック・ホームズ氏に手紙を書くよう勧めた。彼は情報を十ポンドで買う。事前情報を彼に流せば、小遣い稼ぎができる上、モリアーティのせいで不幸になろうとしている人々に対する、彼の良心の咎めを解消できる。名前を耳にしたことくらいあるだろうと言うと、「知ってるよ、ジョン・H・ワトスンの小説だろう」と彼は言った。「でも、あんなのは通俗だから読まなくっていいって、ジムが」私は笑いをこらえて、あれは小説でモデルはまた違うんだと言い(彼は疑わしげな顔をして私を見た)、この男は警察ではないので、彼の年長の恋人の身の安全を脅やかすようなことにはならないと請け合った。

 すぐにではなく、また頻繁にではなかったが、フレッドは郵便で情報をよこすようになった。回りくどいやり方で十ポンド札が彼には届いた(そのことを私に話すことはなかったが、金が入ったからと言って私に一杯おごってくれた)。彼の署名は「ポーロック」で、ベイカー街にわが友がたまたま訪れている時にポーロックからの手紙が届き(しかもそれは暗号になっていた)、私は彼に、重大人物の周辺にいるこの風変りな協力者について話してきかせた(すでにお気づきの方もあろうが、この時のことを、彼は『恐怖の谷』というマニエリスティックなブリコラージュ小説に利用している)。Eをギリシア風に手書きするのは耽美主義者好みで、むろんモリアーティの影響だった。 

 一方で私は彼に対し、モリアーティの情人であるフレッドとの交際についても隠さなかった。この若い男が私に内通し、その結果、モリアーティの天下が終りを迎える日も近いと(もちろん、私がこの若者をモリアーティから寝取ったことは話さなかった)。本人も耽美主義に憧れたに違いないモリアーティが、教育すれば完璧なダンディを作れると夢見ているのかもしれないこの青年が、ポーとコールリッジとワイルド、それにジュール・ヴェルヌを愛読しているとは話したが、ドクター・ワトスンの小説について何を言ったかを伝えるのははばかられた。

 長々とフレッドのことを書いてきたのには理由がある。わが友が私を避けるようになったのは、私の全面的な協力の下、ロンドン警視庁がモリアーティの店やアジトを急襲して、異例の大量検挙を行なって以来のことであるからだ。警察の発表によれば、首魁は幾つかあった隠れ家の一つで、拳銃で自らの頭を撃ち抜いて死に、そのそばに若いフレドリック・Mが同じ銃で死んでいるのが発見された。モリアーティが自決しているのを見つけたMが後追いをしたものと見られた。

 この直前、私は人気のない昼の酒場の片隅にフレッドを呼び出し、彼の名前は知られていないからしばらく身を隠すようにと勧めた。自分が警察官ではないが捜査関係者で、何のために彼に近づいたかも教えてやった。彼は真青な顔をして聞いていたが、ただ一言、「ジムはどうなるの?」と尋ねた。「罪にふさわしい償いをすることになるね」と私が答えると、彼は立ち上がり、「シャーロック・ホームズさんに助けてもらおう」と言った。「これからベイカー街に行ってみる」
 私が笑い出したので彼はその場に立ちすくんだ。笑いつづける私を無表情な目が見つめていた。私はようやく笑いやむと、自分の本当の名前を明かした。彼はつぶらな目をしていたが、その灰色の目がこの時はさらに、これまでに見たこともない大きさに見開かれ、全身が硬直した。震える唇で彼は私に言った。「悪魔、この小賢しい悪魔!」そして私に唾を吐きかけると、いっさんに店を走り出た。
  


 のちに『最後の事件』と呼ばれることになる出来事のはじまりは、わが友が私をそれとなく避けるようになったことだった。できるかぎり、私はそれに気づかないふりをしようと努めた。まるで私が気づきさえしなければ無かったことにできるかのように。
 彼を誘い出そうとしたり、単に会おうとしたりして家に行くと、これから出かける用事があると言われた。そういうことさえ、以前はないことだった。彼は私の用事を最優先にしたし、それがどうしても無理な時は事情を説明したからだ。
 それから、彼の妻が出てきて、夫は徹夜のあとで眠っているとか、何時の汽車に乗る予定だとか、まだ帰らないとか言うようになった。最後の場合は、彼が帰宅するのを物陰から確かめた直後のことだった。最初私は、彼女が私を彼から遠ざけようとしているのではないかと疑った。しかしこの自己欺瞞は長くは続かなかった。私が彼女のせいと思い続けていたとしたら、観察力を疑われてしかるべきだったろう。彼が明らかに私を避けている、他ならぬ彼が。私が誘えば間違いなくやって来て、私を見守ってくれ、私の見事な腕前に賞賛を惜しまなかった彼が。

 その頃私はフランス政府に頼まれて、現地に赴いて捜査をすることになっており、その前に彼と話しておきたかった。しかしそれが叶わないまま出発の日を迎えてしまい、私は重い心を抱いて海を渡った。ナルボンヌとニームから彼に手紙を送った。通常私は、手紙というものはまず出さない。電報を打てるところへは電報を打つし、仕事で必要があればむろん書くが、それはその時々の目的に最適化した形でである。相手に対し最大限の効果を上げるべく、その際はインクの色から切手まで注意深く選ぶのであり、私の仕事一般について要求される入念な心遣いをここでもけっして怠らない。私の個人的印象を良くするためとか、自己表現のためとかではない。相手に思わせたいとおりの私になりきるためだ。言ってみれば、私に私心というものがないように、私信というものはないのである。自分の気持ちをああでもないこうでもないと、紙の上を行きつ戻りつくどくど書きつらねるのが私の趣味ではないように、人気挿絵画家の桜ん坊の図案入りとかチヨガミとかの、レターセットで文通する女学生じゃあるまいし、私は便箋、封筒に凝ったりしない。その私が手紙を出したのだった。しかも二通。これがいかにただならぬことであるかは、むろん彼にはわかっていた。だからその手紙に返事をしないというのも、忙しくてつい延び延びにというようなものではありえなかった。

 何があったのか。この時点でまだ私にはわからなかった。だが、この些細な(と私は思おうとしたが、明らかにそうではなかった)徴候は、私たちの関係の不安定さを、それがいかなる堅固な基盤も、継続の保証も持たず、確実な何ものにも支えられておらず、彼が私たちの冒険を本にする際、好んでそう呼んだ、良き市民の義務や彼らの善良な妻子や立派な肖像画に描かれて顕彰されるべき彼らの徳とは何の関係もない、真面目に扱う必要のない架空の「お伽話」としか世間からは見なされず(むろん彼は一種の皮肉と矜持をこめてこの語を使っているのであるが)、彼がそう望むだけでいつでも打ち切られうるものであるのを見せつけられることになった。正直に言おう、その時点で私は気が狂わんばかりになった。
 

 二通目の手紙で、私ははっきり返事がほしいと書いてやった。愚かしくも私は数日間手紙を待ちつづけた。しまいにはフロント係は、私の顔を見ただけで口をNonの形にし、かぶりを振るようになった。希望を捨てないのは私の美徳の一部だろうか。決定的な宣告がすでに手許に来ているのに、私はそれを開くのを延期し続けているのだった。遅かれ早かれすべてを知ることになるだろう。その時に心を満たすのはもはや、何をもってしても取り除き得ない絶望だけだろう。私は仕事に専念することで、そうしている間だけはこの事実を忘れようと努めた。それによって少しでも精神のバランスを保とうとした。皮肉なことに、時間がかかると思われていたかの地での仕事は、この集中が幸いして予想よりも早く片づいた。私の明晰な頭脳と水際立った手腕がこの時ほど口を極めて賞賛されたことはなかったし、英本国の外でこれほどまでに私の名が人々の口の端(は)に上ったためしもなかった。以前、ところも同じフランスで、二ヶ月以上も捜査に没頭して事件を解決した直後、心身の疲労で倒れたように、仕事が終ると私は虚脱状態に陥った。あの時はリヨンから電報を打つと、彼はすぐさまロンドンから駆けつけてくれたのだった。そして三日後には一緒にベイカー街に戻り、さらに一週間後には静養のため、彼の軍隊時代の旧友の田舎の家の客となっていた。四年前、とても信じられないが、たった四年前のことだ。四月だった。ちょうど今頃だったのだ。

 私は夢を見た。単純な夢だった。リヨンのデュロン・ホテルでそうだったように、彼が私を迎えにきたのだ。電報も打ってないのによく判ったね。新聞で見たんだと彼は言った。病院の住所と病床の私の写真まで出ていたというので、いつ写真を撮られたのかと私はしきりに首をひねった。さあ、ベイカー街のわが家に帰ろう。わが家、と彼が言う、その言葉は胸に甘く響いた。都合のいいことに、夢の中では彼は今でもベイカー街で私と暮しているらしかった。そのくせ、本当は彼が結婚していることもよくわかっていたのだが、それを言うと彼にその事実を思い出させてしまうと思い、黙っていた。

 目を開けると涙で頬がぬれていた。はじめは喜びの涙だったのが、夢であることがはっきりするにつれて絶望の涙になった。それは頬を横につたい、耳へと流れ込み、姿勢を変えるとたちまち枕に広がった。もう二度とそうやって彼が迎えにくることはない。これまでちゃんと見ようとしてこなかったものを、今は目をつぶっていてさえ直視するしかなかった。
 彼が私を拒絶するようになったのは、モリアーティの事件の際に私が何をしたかがわかってしまったからだろう。私は油断していた。彼の観察力を見くびっていた。彼が、そう思われがちであるような、探偵の引き立て役などでないことを忘れ、どうせわからないとたかをくくって、手がかりを平気で見せてしまっていたのだ。

 彼は気づいたのだ。密告者ポーロックの正体がフレッドだということに。そしてフレッドが自殺したと聞いても私が眉一つ動かさなかったばかりか、冷笑していたことを思い出したのだろう。フレッドを仲間に引き入れたことについて、私は他に、何を彼に話したろう? 私の手管についても、私は彼に仄めかしていたのに違いない。私の言葉のはしばしを繋いで彼は真相に到達したのだ。そして私をおぞましいと思うようになったのだ。私の男たちとの関係についてはそれ以前から察しがついていたはずで、彼に知られていると私が気づいていることも彼にはわかっていただろう。

 けれども互いにわかっていることと、それを実際に口に出すこととはまた違う。話してしまって彼が私を受け入れるという保証はないのだ。どんな男でもいともたやすく手玉に取れるのだと私が彼にひけらかす動機は一つしかなかった。彼に嫉妬させたかった。私の価値を教えることで彼に私を欲しいと思わせたかった。そうした自分自身の心理について、私は顔と顔を合わせて見るように明らかに、あたかも他人の犯罪心理や犯罪の機序を分析するように知り尽くしているつもりだった。わが友についても、あの時期に妻を求め、家庭を作った理由は振り返って見れば明白で、私に機がなかっただけだと思っていた。実際、私との冒険もこれが最後になるだろうと言っていたくせに、私が誘いをかければ彼は必ず出てきたのだ。

 そもそもなぜモリアーティを敵視して、彼を破滅させることに少なからぬ情熱を傾けてきたのか、フレッドのことでなぜ私があのように冷淡だったか。それ以前に、なぜこの仕事に私が携わるようになったのか。そこまで話さなければ彼は納得しないだろう。私への反感を和らげて私を許す気にはならないだろう。だがそれは説明できないこと、私自身、わかっていても言葉にはしたためしのないことだった。自分の明晰さを私は過信していた。自惚れていた。私は私自身さえ、鏡の中の影のようにおぼろにしか見ていない。もし彼が話を聞いてくれるなら話したい。話せる相手は彼しかいない。私の感情生活について、誰にも言ったことのない決定的なことを打ち明けたい。しかし、この状態では、以前にもましてそれはありえないことになってしまった。()。

 彼が完全に私と関係を断つつもりでいる。それだけでも真っ暗な穴の中に突き落されるようなことであるのに、このような仕打ちを受けたことで、かえって私の方では、彼から離れることなど考えられず、彼なしでは生きられないとわかってしまった。フランスの捜査関係者に別れの挨拶もせず、私は船上の人となった。ただ彼に会うことだけを思って海峡を渡った。

 バーゼルで私は彼にこうしたことをすべて打ち明けた。それまで私が彼に言っていなかった最大の秘密は父に関することだった。不慮の事故で、滞在先のロンドンで亡くなったとだけは話してあったが、父の死が兄と私に与えた深刻な影響は、私がなぜ探偵という職業をはじめたか、また、マイクロフトがどうしてあのような非社交的な私生活を送っているかにかかわるものだ。モリアーティがどうして私にとって最大の敵と目されるようになったかもそのことが説明してくれる。わが友はこの件について完全に了解してくれたが、ここでその詳細に立ち入るのは、私だけでなく兄にまでかかわることであるので御勘弁願いたい。


 その晩、診察室にいた彼に会えたのは偶然に過ぎなかったのだろう。すでに妻は寝ている時間で、家中でそこだけ明りがともっていた。フランスにいるとばかり思っていたので、ベルを鳴らしたのが私とは思わなかったのだろう。こちらの顔をひと目見て彼がぎょっとしたのがわかった。私だったからではない。あまりのやつれようにである。だが、私の言葉にはもっと驚いたに違いない。フランスだったんじゃないのか、もう仕事は終ったのかという問いかけにもろくろく応えず、「モリアーティが追いかけてくる。もう死ぬしかない」と繰り返すばかりだったのだから。
 もちろん私はモリアーティがすでにこの世の人ではないのを知っていた。だが、君に見捨てられたら死ぬしかないとは言えない以上、そうでも言うしかないではないか。いや、計算してそんな台詞を吐いたのではない。その言葉は口から自然に出てきた。私はその狂人になりきっていた。

「君は疲れているんだ。一週間ほど旅行にでも出て静養したほうがいい。必要ならぼくも一緒に行こうか」と彼は言った。「リヨンから帰った時もそうしたっけね」
 それでは彼もあの時のことを忘れたわけではないのだと思ったが、すぐに苦々しい思いが甦ってきた。「奥さんがいるんだろう? 仕事もあるんだろう? 君には無理だ」唇を嚙んで横を向いた。
「妻や仕事のことより今の君の方が心配だ。明日の朝、すぐにでも発とう」
 この男はなんと口がうまいのだろう、と私は思った。女性に対する時はいつもこの調子で、私のことも女並みにあしらっているのだ。私を避けつづけ、手紙の返事もよこさなかったくせに、君の方が心配とは、どの面下げて言うのだろう。

晝顔 Beau de jour (下)へ続く

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by kaoruSZ | 2013-05-22 23:03 | 文学 | Comments(0)

晝顔―Beau de jour (下)

「あいにくヘイター大佐は旅行中なんだ。湖水地方から絵はがきをもらったところでね。だからライゲートはだめだけれど、もっと遠くへ行こうか。どこに行きたい? いっそ外国に行く?」
「どこでもいい。どこでも同じことさ、ぼくには」君と一緒なら、と声には出さずつけ加える。
「それなら、今夜は泊まっていくね?」彼は言ったが、彼の妻と顔を合わすのも、彼が彼女に旅行の許可を求めるのを見るのも耐えられなかったので私はかぶりを振った。仕方がない、と彼は言った。そして、翌朝必ずヴィクトリア駅に来るようにと言って私を送り出した。

 診療所を出ると、私はまっすぐペルメル街の兄のところへ向かった。ベイカー街の部屋で一人になるのは耐え難かった。マイクロフトはこれまでのことを私が少しは話したり、話さなくても察しがついていたりした唯一の相手だったが、さすがに私の様子には驚いたことだろう。ワトスンと明日の朝一番に旅に出ることにした、もう戻ってこられないかもしれないから後のことは頼むと言っただけで、すぐに事情を察してくれ、それ以上何も訊かなかった。ただ、「自分にできることなら何でもする」と言い、旅先で何かあれば必ず連絡することを私に約束させた。

 翌朝、駅で落ち合うと、彼はすでに一等車室を予約していた。かなり早くに来て待っていたらしかった。妻に何と言い訳したのだろうという考えが浮かんだが、口には出さなかった。余談になるが、この時、私たちをはたから見ていた人がいて、彼の妻が捜索願を出した時、その証言でホームズが彼を連れ出したとされた。「ゆうべはどこにいたの?」彼が訊き、「兄のところさ」と私は答えた。このやりとりのうちに、列車はおもむろに動き出していた。ゆっくりと過ぎ去ってゆくプラットフォームを見やった時、背の高い男が群集を懸命にかき分けながらやって来て、大きく手を振るのが見えた。「あ、モリアーティだ!」私は叫び、彼はぎょっとした顔になって振り返り、手を振って私たちを見送る兄の姿を認めた。列車は急激に加速して、次の瞬間、勢いよく駅を離れた。向き直って私を見つめる彼の表情は痛ましげだった。

 むろん私は実の兄を死人と見間違えたりしない。しかし、モリアーティと兄が似ているとは前から思っていたのであり(兄のように太っていないところと年齢を除けば)、彼の店に変装して入り込み、間近にその姿を見た数少ない機会に、私はしばしば、この場に兄が現われて、二人がウィリアム・ウィルスンとその分身のように向かい合ったらどうだろうと想像したものだ。だから、ホームに兄の姿を見つけ、咄嗟に「モリアーティ」の名が出たのは、私にとってみれば必ずしも突拍子もないことではなかった。もちろん彼には、私がもう本当に気が狂ったとしか思えなかったろう。

 彼は何を思って一緒に出発したのか。その時点では目的地も定めていなかった。私をここまで追いつめたのは自分の拒絶以外にありえないと、直観的に理解したには違いない。今ここで少しでも自分に拒絶されたと感じれば、私はすぐにでも死を選ぶのではないか。だから私の〝妄想〟にしばらくは付き合ってやろうと決めたのだろう。しかし今は一緒でも、彼はいつまでもこうしていられる身ではない。遅かれ早かれ妻の下へ帰らねばならない。この最初からわかり切った結末を思って私は苦しみ、彼に去られる前に自分から姿を消そうと、カンタベリー駅に停車中、列車が動き出す寸前に降りてしまった。いや、その瞬間はほとんど何も考えられず、頭の中が空っぽになって飛び降りたのだ。当然のことながら彼は私を追ってきて、捕まえることはできたものの、揉み合う私たちの前を、私たちの荷物を載せた列車はスピードを上げて走り去った。なぜ逃げ出したのかと問われて私は「モリアーティが追ってきていた」と答えた。そう答えるしかなかったのだ。

 荷物をカレーで無事回収すると、私たちはブリュッセルに向かった。二日間の滞在中に、私は思い立って彼を誘って汽車に乗り、ミディという駅で降りた。駅前にカフェがあった。多分ここだろう。せっかくだからべルギービールを注文し、用意の本を取り出した。鞄の底に入れられて私と一緒にあちこち旅した、手擦れしたごく薄い本だ。何の飾りもない表紙に表題が印刷されている。
  Une Saison en L'Enfer
「ランボーじゃないか」彼が言う。
「一八七三年七月十日――」と私は言った。「二人の詩人はここで汽車を待ちながら酔っ払ったあげく、ヴェルレーヌがランボーに捨てられそうになり、外の舗道で相方に拳銃を発射したんだよ」 
「へえ、ここだったのか」彼は急に天井を見上げ、興味深そうにあたりを見回す。

 彼にはわかっているのだろうか。彼らと私たちの隠微な類似を。ブルジョワ家庭に招き入れられた反逆児は二十八歳のヴェルレーヌをそそのかし、年長の詩人は、妻と生まれてまもない息子を置いて、ランボーとともにパリを出奔、ロンドンへ、ブリュッセルへと放浪の旅を続けた。ランボーの倍近い年を重ねた分別ざかりの私たちは、逆にロンドンから大陸に渡り、こうしてブリュッセルに来て、そしてリュクセンブルクを経てシュトラスブルクへ向かおうとしている(かつての少年詩人は私たちと同世代である。とうに詩を捨て、今はアフリカで武器商人をしており、パリの詩壇を馬鹿にしきっているとか)。
 彼はどこまで私と一緒に来るつもりなのか。手紙を無視し、二度と会いたくないと思ったくせに、顔を見たらほだされたのか。私の弱りっぷりを目のあたりにして、今は刺戟しないで調子を合わせるべきだと思ったのか。それともそういうエクスキューズを得たからこそ、いきなり私と国外へ出るなどという思い切ったことができたのか。

 彼は黙って出てきたのだろうと思っていた。妻がまだ寝ているうちに、使用人には、急患があって往診に行くとでも誤魔化して。考えてみれば説明のしようなど無いのだから。自分でも自分の動機に気づかずに、彼は私を死なせないためという表向きの理由の下に大胆なことをやっている。私に惹かれていることにそこまで無自覚なのか。事件にかこつけて誘いに来るのは、実は誘惑していたとようやくわかったのか。わかったとして、自分もポーロックのように翻弄され、破滅させられると恐れたのか。今度のことで私の本性を思い知り、遠ざける気になったのか。そうだとしたらなぜいつまでもついてくるのか。
 
『地獄の季節』のページを繰って私は求める詩句を探した。「錯乱」の章にそれはあった。声低く私は誦した。「マ・サンテ・フィ・ムナセ ラ・テルール・ヴネ ジュ・トンべ・ダン・デ・ソメィユ・ドゥ・プリュズィゥール・ジュール……」

わたしの健康は脅やかされた。恐怖は来た。幾日もの眠りに落ち込んでは起き上がり、この上なく悲しい夢また夢を見つづけた。死出の旅へとこの身は熟し、わたしの弱さは、影と旋風の國キムメリイの果て、世界の果てへと危難の道を辿らせた。

「これは今のぼくのことさ」と私は言った。「君も知るとおりぼくの健康は脅やかされた。恐怖とはモリアーティのことだ。君はどこまで危難の道をぼくと一緒に辿るつもりなんだ?」
「ぼくはどこまでも君と一緒だよ、ホームズ」
 彼はどうしてこんなに優しいのだろう。昔馴染みの病人に対するいたわりか。生殺しにされるより死んだ方がいいこともあるのだが。たとえ一緒に来てくれても、望みのものが手に入らないとしたら同じ、いや、もっと悪いのだが。

 三日目。私たちは遠くシュトラスブルクまで来た。彼には知らせず私はロンドンに電報を打っていた。彼の搜索願が出ていないか警察に問い合わせたのである。夜になってホテルに戻ると返事が来ていた。それを彼に見せて私は言った。
「君は帰れ」
「なんで」
「ぼくといるのははもう危険だ。これ以上ぼくと一緒にいればロンドンでの立場を失うことになる。君は帰って仕事に戻ってくれ。これは真剣な話だ」
 ホテルの食堂で、私たちは三十分もやりあった。外から見ればぼくたちが駆け落ちしたとしか見えないぞ、と私は言った。今ならまだ間に合うからぼくに構わず帰るがいい。ぼくのためという大義名分があるものだから、君は無自覚に――。
「お客さま」不意に耳元で声がした。支配人がテーブルの横に立っていた。「どうかなさいましたか」
「いや……大丈夫」

 あやしまれるほど大きな声を出していたのか。他人の目にどう見えているかなど、その瞬間まで私は全く自覚がなかった。数少ない客たちの目が私たちに向けられている。私はヒステリー女のように金切り声を上げていたのだろうか。支配人は立ち去った。友は立ち上がると、腕をつかんで私を部屋に連れて行った。腋の下に冷や汗が流れ、私は広い肩に寄りかかった。このまま彼が抱きすくめてくれたら……。だが、彼は私をベッドに掛けさせると、自分が寝る支度をはじめた。と言っても、私が逃げ出すのを恐れ、眠らずに見張っていようというのだった。同じ部屋に寝ても、どんなに私のことを気づかってくれたとしても、私は監視人と隣り合わせのベッドにいるだけなのだった。距離がなければ監視は成立しない。この距離はどうしても詰めることのできないものだった。私と私の終焉のあいだに立ちふさがって邪魔をするこの男を私はほとんど憎みはじめていた。

 私は眠らなかった。彼がついに睡魔に負けて静かな寝息を立てはじめると、私は身じまいを整えて、最初から解いていなかった荷物をまとめ、足音を忍ばせて部屋を出た。二人分の宿代を精算して、ひんやりとした夜の空気の中に出る。頭上には満天の星。「モノーベルジュ・エテ・ア・ラ・グランドゥルス メゼトワール・オ・シエル・アヴェ・タン・ドゥ・フル‐フル(大熊座がぼくの宿だった 空ではぼくの星たちが 優しくさらさら鳴っていた)」乾いた舌で私はひとりごちた。彼が帰らないのなら私が出てゆく。このままでは世界の果てへ行き着くばかりだ。

 私は駅で捕まった。二人ともほとんどものを言わず、ただ二度と放すまいと、彼の指が私の両手首を痛いほど握っていた。最終の夜行列車の出発時刻が迫っているのを見て、このままジュネーヴへ向かって旅を続けようと彼は言った。従うしかなかった。乗換駅で停車した時、もう逃げないからここで降りて休ませてくれと私は頼んだ。夜が明けかけていた。交代したばかりのフロント係に私たちはどう見えたろう。よろよろと入ってきて部屋を頼む疲労困憊した男二人……。

 語るべきことはもうあとわずかしか残っていない。私はそれを短く、しかし正確に述べようと思う。それを私が喜んで長々と書きたがっているなどとは思わないで頂きたい。それでも重要な細部を省略することはできないだろう。私の友は『最後の事件』で、シュトラスブルグで三十分間話し合ったあと、結局一緒に旅を続けることにし、夜のうちにジュネーヴまでの旅程をかなりこなしたと、嘘にならない(というか、読者にはわけがわからなかったであろう)最低限のことを書いているが、これはどういう意味かと尋ねてきた人がいないのが私には不思議である(「事実」は、右のように、夜中にホテルを(予定外に)チェックアウトし、途中でまた一緒になって、ジュネーヴより手前のそこまで辿りついたという次第)。

四月二十八日、バーゼル。私たちはその日いちにちホテルの部屋にとどまった。夜もずっとそこにいた。翌二十九日の早朝、私たちを見送ったのが同じフロント係であったとしたら、私たちを前日の朝の客と認めることさえ難しかったに違いない。実際には別人だったので、もとからそんなに楽しげで仕合せそうな二人組と私たちを思ったことだろう。私たちは再び車中の人となった。ジュネーヴまでの旅程を私たちはおおかた寝て過ごした。

 星空の下の長い道が過ぎ去って、明るい空の下に彼とともに歩み出た時、世界は何と美しく見えたことか。モリアーティを追うという長期にわたる大きな目標が消滅し、そして私がなぜそれを目標にしてきたかという真の理由を彼に話したことで、私が探偵という仕事を始め、そしてこれまで続けてきた(強迫的な)動機の、その大半もまた消滅したのだった。ロンドンの闇の世界に惹きつけられる理由はもう私にはないのだ。そのためだろう、これまでになく、今身を置いている大自然に私の注意は惹きつけられた。
「こんなに生き生きしている君を見るのははじめての気がする」そう彼に言われて、私はそんなことを話してきかせた。間もなくそこから永遠に旅立とうというこの時になって、私ははじめて世界の眩い美しさに目を開き、一木一草までが心に触れてくるように思われた。
「驚いたね」と彼は言った。「ぶな屋敷の一件でウィンチェスターに行った時でさえ、君は田舎の春ののどかで美しい風景をよそに、孤立してある家々の中で起りうる、摘発されない犯罪にしか思いをいたさなかったのに」
「君の冒険の記録もここで終るね。ぼくが宿敵モリアーティを倒し、経歴の頂点を極めたところで」私は友に語りかけた。
「残念ながらホームズ、ぼくにはもうそれだけの時間はない。ぼくたちの最後の事件の記録は書かれることがないよ」
「いいさ。もう、そんなことはどうでもいいほど仕合せなんだから」と私は言った。「でも――もしも、もしも夢見ることが許されるなら、引退して、どこかこういう自然の中で、君と二人で静かに暮らせたらと思うよ。本当に、そういうことができたらどんなにいいかしらん。小さなコテージを手に入れて、どこかの水辺で」

 夢のような一週間、私たちはローヌ川沿いの渓谷をさまよい歩き、ロイクにそれて、まだ雪深いゲミ峠を越え、インターラーケンを経てマイリンゲンに立ち寄った。それは仕合せな旅だった。空は藍色に澄みわたり、私たちは尽きることのない光の中を歩んでいるかと思われた。それでも夜はまたやってきたが、それは休息といたわりに満ちた別の時間のはじまりだった。風は額に涼しく、水は甘かった。そして夜の終りに、新たな永遠の一日がまた開始された。足下には春の若草が萌え、頭上には冬の処女雪が残っていた。自分たちが死に場所を求めていることを私たちは一瞬たりとも忘れることがなかったが、それは私たちが分かちあっている幸福を少しも損なうことがなかった。一方で、どれほど幸福であっても、つきまとう影のように私たちの罪は拭い去ることのできないものだった。英国へ戻れば、私たちのしていることは収監に値する犯罪なのだ。

 一度、ゲミ峠を越え、憂愁に満ちたダウベン湖のほとりを歩いていて、右の尾根から巨大な岩がはずれて転がり落ち、音立てて背後の湖に消えたことがあった。あの場所では春の落石はよくあることだとガイドは弁解するように言ったが、私は何も言わずに、ただ傍の友にほほえみかけた。石に当たって二人して死ぬならそれもよいと私たちは目で語っていたのだ。別れる時このガイドは、あなたがたはまるで新婚旅行の男女のように仲がいいと洩らした。なかなか目の利くガイドである。

 マイリンゲンの小さな村に到着し、ペーター・シュタイラーの経営する「英国旅館」に泊ったことはわが友が書いているとおりである。五月四日の午後、私たちはそこを出発した。その先は、丘を越えてローゼンラウイの村に泊まるようにと言われていた。しかし私たちはそこへ行くつもりはなかった。私たちの真の目的地は、丘を半分ほど登ったところにある、ペーターからもぜひ立ち寄って見て行くようにと念を押されていた、ライヘンバッハの滝であった。

 滝の描写をくだくだしく繰り返す必要はないだろう。そこは実に恐ろしい場所だった。
「オ・コンファン・デュ・モーンド・エ・ドゥ・ラ・シメリイ、パトゥリ・ドゥ・ローンブル・エ・トゥルビヨン(影と旋風の國キムメリイの果て、世界の果てに)」絶壁の上で、彼は私の耳に口を寄せて囁いた。影の國の恐しい裂け目は、艶やかな黒い岩石で表面を覆われた、磨き上げられた暗い鏡にも似た垂直の壁だった。雪解けで水量を増した奔流がそこへどっと流れ込み、はるか下で黒い岩に当たって砕け、白い飛沫を上げている。〝つむじ風(トゥルビヨン)〟を模すかのように水は渦巻き、泡立って、人間の叫びにも似た声が奈落の底から立ちのぼる。世界の涯はこのように滝になって落ちているのか。 彼を伴い、辿ってきた「危難の道」は、ここで本当に終りなのか。私をここまで連れてきたのは私の弱さだったのか。本当に、私たちの生きられるところはこの世界にはないのだろうか。

 その時、スイス人の若者が一人、滝の上へ続く細い道をこちらへ向かって走ってくるのが見えた。見守るうちに私たちの前に至り、封筒を友に手渡したが、そこには今しがた後にしてきたホテルの紋章があった。私たちと入れ替りに到着した病気の英国人の容態が思わしくなく、スイス人医師を拒んで同胞の医師の診察を求めているという、私がすでに知っている文面を、彼は私に読んで聞かせた。「どうも、世界の果てまで来ても追っ手はかかるようだよ、ホームズ」そう言って彼は肩をすくめた。患者が女で肺病の末期云々という『最後の事件』の記述は、こののち彼の妻が発病して死に至った経緯が彼に書かせたものだ。私はそこまでロマネスクな想像力の持ち主ではない。それに、その簡潔な文面が、それだけでこの常ならぬ時にさえ、わが友の正義感と職業意識を刺戟し、持ち前の他人への優しさと心遣いを引き出すのに十分であることを知っていた。

「行ってくればいいよ。いや、ぜひ行きたまえ。ぼくはここで待っている」
 一瞬、彼はためらった。この恐しい場所に私を一人で置いて行きたくなかったのだ。それからスイス人の若者の方を向くと、自分が戻るまで、ガイドとして私の相手をしながらその辺を散策していてくれるよう頼んだ。彼が財布を取り出して多額のチップを与えたので青年は恐縮した。彼の姿が見えなくなると、私は自分も財布を出して、若者に約束の金の残りを渡した。若者は喜色満面で、しばらくは「英国旅館」に近づかないようにという私の注意に大きく頷いた。

 青年が去ると私は無為の中にひとり残された。私たちは本当に一緒に死ぬつもりでここへ来たのであり、わが友は今なおそう思っていよう。ここへ戻って私と滝へ飛び込むのだと、この瞬間も信じているのだ。だが、彼を死なせるわけにはいかなかった。そのために私が取りうる、これが最良の方法だった。ただ自分のためだけにあるこの空白の中で、私は手帳を取り出して彼への短い手紙を認め、ページを破り取ると、彼が戻ってきた時すぐに見つかる岩を選び、目印としてアルペンシュトックを立てかけた。シガレット・ケースで注意深く紙片を押えた。

 これだけの仕事を終えてしまうと私は自由になった。一切を捨てた男のように私は自由であり、心は深淵へ舞い落ちる木の葉のように軽やかだった。自分自身を含めた世界へのあらゆる気づかいから解放された今、全人類からさえ切り離された恐るべき自由が、しばし私をどこでもないところに憩わせてくれよう。日は天頂にあった。あらゆるものが抗いがたく固有の色と輪郭をそなえ、影を失い、二度と闇に紛れることのない光を放って大いなる秩序と晴朗さのうちに一切が動きを停めたこの瞬間、混沌は限りなく遠ざかり、夜は二度と訪れることがないかと思われた。いかにささやかであろうとも、自らの運命をこの手に握った心地よさを私はつかのま味わった。そして私が目を閉じると夜はそこにあった。まぶたの裏ではなおも色彩が渦巻いていようとも、間もなくそこには形あるものが残らず没し去る、仕切り壁のように厚い闇しか存在しなくなるだろう。最後に私は別れたばかりの最愛の友を自分の心から切り離した。それは言ってみれば崖っぷちにつかまっている自分の指を、一本一本、自分の意思で剝がしてゆくようなものだった。そして墜ちて行ったのは彼の方だった。私は彼を女との泥の中の幸せへ帰してやったのだ。もはや生きる理由はなかった。有無を言わせぬ水の力は、石炭のように黒く輝く竪穴状の巨大な裂け目へ、緑の柱となって放たれていた。自らの重みに身をゆだねて落下する、飛翔と紛うその瞬間を私は夢見た。滝壺の黒い岩のごつごつした縁を乗り越えてあふれた水は、再び流れとなってほとばしり、永遠に休息を知らない深淵は沸き返っていた。厚い水煙が蒸気釜のような音を立てて絶え間なく湧き上がる、途切れることなく生成する渦と、嗄れることのない叫び、耳を聾するどよめきの中で、私は自分が完全に平静であり、心は鎮まって乱れも曇りもなく、脈が規則正しくしっかりと打ち、身体には精気が漲っていることに満足だった。今なら自分の人生が無駄ではなかったと信じて心穏やかに死ねる。そう思いながら、泡立ち、荒れ狂う深淵の咆哮へ身を乗り出した。

*   *   *

ワトスン君
騙してごめん。でも、ぼくを君から引き離し、君の前からいなくなるにはこうするより他なかった。どうか許してほしい。愛している。誰よりも。そして君を愛したどんな人よりも。君にはどんなに感謝してもし足りない。楽しかったね。この一週間は夢のようだ。ついさっきまで、このまま死んでもいいくらい仕合せだった。君のおかげで人と生まれて味わいうる最上の喜びを味わうことができた。ありがとう。君が一緒に死ぬと言ってくれたことだけでぼくは満足だ。愛の頂点を極めた今、たとえ命を捨てても惜しくはない。英国を離れる前に、あとのことはみな兄のマイクロフトに頼んできた。君は死んではいけない。奥さんによろしく。いつまでも君の忠実なる友、シャーロック・ホームズ




晝顔  Beau de jour (上)
晝顔  Beau de jour (中)

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by kaoruSZ | 2013-05-22 23:00 | 文学 | Comments(0)