おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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『高名な依頼人』ノート

(昨年12月11日から今年1月8日まで、及び2月20日にツイートしたものに加筆した。)

 フロイトは『夢判断』で分析の俎上に乗せた自らの夢の一つを「植物学研究書の夢」と名づけているが、コナン・ドイルの五十六篇あるホームズものの短篇の五十篇目にあたる『高名な依頼人』というタイトルも、むしろそのような意味で「高名な依頼人の夢」と解されるべきであろう。つまり、フロイトの夢に出てきた(現実には存在しない)植物学研究書はそれ自体が問題だったのではなく、そのような形で、当時フロイトの心を占めていた気がかりや関心事、及び過去の記憶や昼の残滓の断片が、変形、(再)構成されて織りなされている、そのネットワークこそが問題だったように、『高名な依頼人』も身分の高い依頼人から持ち込まれた事件(実際には存在しなかったと考えられる)の話ではなく、(フィクションの次元で)本当にあった 出来事から、ワトスンがどのように“夢”を構成したか(無論これもフィクションの次元で)を、ちょうどホームズが表面に見てとれる手がかりから物事の真の連関に至るように、辿り直す作業が要請されているテクストなのだ。

『高名な依頼人』という表題は、代理人を介した真の依頼人が、正体を隠した身分の高い世に知られた人であることから来ているが、実のところ、そのような人物である必然性は、表面的な筋からは全く導き出せない。あえて言うなら、『ボヘミアの醜聞』への目配せであろう。高貴な人物の依頼で事件を解決した探偵がまたしても栄誉を得たという表の筋は、いわば顕在夢であリ、過去の主題に繋がる以上の意味はなく、何よりもホームズの心身の不調が目立つ。そしてこれは襲撃という形を取って顕在化した敵(実際には存在しなかった)によるものでは実はない。

『ボヘミアの醜聞』でのアイリーン・アドラーと国王のツーショット写真に相当するのが、ここでは茶色いノートであり、その取り戻し方は、形式的には(どちらの場合も)『盗まれた手紙』からの借用である。ホームズの働きによって、グルーナー男爵とド・メルヴィル嬢の結婚は阻止され、また、ボヘミア王の結婚は妨害をまぬかれたとされる(しかし、過去に女優の愛人がいたとて国王の結婚に支障があるとも思えないから、あれも額面通りの話ではなかった)。

『高名な依頼人』におけるモリアーティとモランへの言及は、この短篇が、実際にあったこと(むろんホームズとワトスンが生きる作品内世界において)に大幅に変形を加えて再構成した(作家としてのワトスンが)話であり、同じくワトスン渾身の作である『最後の事件』(実際に何があったかは私の小説『晝顔』http://kaorusz.exblog.jp/m2013-05-01/をご覧頂きたい)や『空家の冒険』に連なるものであることの指標である。短篇集が出た時、「最近の二冊のホームズには知的な衰えが見られ」るとT・S・エリオットには酷評されたが、目的は表面的な謎解きではなく、ホームズとワトスンの真の関係を、直接彼らのものとしてではなく、彼らの外部に、言ってみれば“客観的相関物”として可視化することなのだから、これでいいのである。

 グルーナー男爵について、ホームズは次のように言う。「複雑な性格と見えますね。犯罪者でも“大”のつく連中は、みんなそうしたものです。わが古馴染みのチャーリー・ピースなんかはヴァイオリンの名手でしたし、ウェインライトも並みの芸術家ではなかった。ほかにも枚挙にいとまなしということです(…)」
 女性に関する記述で悪名高いフロイトの『ナルシシズム論』で、ナルシストとして女や子供や猫科の動物と並んで犯罪者が挙げられているのには、確か柄谷行人が注意を促していた。ここでホームズは、自身も“大”犯罪者であると(「ヴァイオリンの名手」)暗に言っているのだろう。実際彼は“女”でも“子供”でもありうるが、対象愛に偏した通常のヘテロセクシュアル成人男性でだけはありえない。 

 グルーナー男爵は「ヨーロッパ随一の危険な男」と言われている(ホームズによればモリアーティやモランより「危険」だそうだ)。世間知らずの令嬢がのぼせてしまったにすぎない男にかむせられたこの大袈裟な肩書。その犯罪の最大のものは、ヨーロッパの山中での、不慮の事故に見せかけた妻殺しだという。つまり、ライヘンバッハの滝からワトスンを英国旅館へ引き返させた作りごとの中の“幻の英国婦人”としてのメアリの死が、夢の中で変形されたらこうもなろうというものなのである。

「どうしてもきみが乗り出す必要があるのか? そいつがド・メルヴィル嬢と結婚するのがそんなに不都合なのことなのかね」とワトスンは言う。ホームズの身を心配してというのが表面上の理由だが、この問いは、グルーナー男爵の結婚を阻止してくれという依頼を普通に考えたとき、当然発せられるべきものであろう。ホームズの答えはこうだ。「あいつが前夫人を手にかけてるのはまちがいないんだから、それを思えば、不都合はおおありさ」
 おいおいホームズ、それは、ワトスンと二人でメアリの死期を早めたことの変形だろう。「彼の細君は(…)彼が殺害したものであること、あたかも現場を見てきたように明白そのものです」って……。そんな現場見なくたってメアリの死は、君らの駆け落ちに大いに原因があること明々白々だろう。

 ホームズは男爵の元愛人の、淪落の女を探させて連れてくる。殺された前夫人と、男爵が結婚しようとしているド・メルヴィル嬢との間に位置するキティ・ウィンター嬢は、ワトスンの亡き妻メアリと、ワトスンの未来の再婚相手の間にいるホームズと同じ立場にいる。スキャンダルを持つ男が令嬢との結婚を阻止される話に“あからさまに隠されている”のは、ワトスンの再婚をホームズが阻止できなかった話なのだ。

 茶色の革表紙のノートの存在をキティ嬢から聞いたホームズは、彼女を連れて、「生身の女性とも思えぬ」崇高さ、「現実ばなれした神秘性」を持つ令嬢を訪ねる。「感情よりもむしろ頭を使う人間」、普段は雄弁でない自分が「このときばかりはもって生まれた心情のありったけを吐露して、彼女をかきくどいたよ」とホームズはワトスンに語るが、その内容を聞いて違和感を覚えない者はいまい。「妻となってみてはじめて、夫の本性にめざめる女、それでもなお、夫の血に汚れた手、好色なくちびるの愛撫に身をまかせねばならぬ女――そういう女の立場がいかにみじめでおぞましいものか、縷々説き聞かせてやったわけだ。なにひとつ隠さなかったよ――その屈辱、その恐怖、その苦悩、すべてを遠慮なくぶちまけた」――“清らかな、天使のような”娘相手に初対面の男が話す話題としてはいささか生々しすぎやしないか? 

 ホームズの説得に令嬢が一ミリも心を動かされなかったことが述べられたあと、はじめて彼女はホームズの連れに目を向けて誰であるかを問い質し、捨てられた女は空しくまくしたてる。ホームズの言い分とは重ならぬ、何百人もの女が彼にたらしこまれてもてあそばれ破滅しているという、ホームズが言ったのなら納得できるような、一般的で妥当な言辞ではある。

 だからここではホームズこそが〈女〉として語っているのだ――令嬢は、自分はあのかたを愛しておりあのかたから愛されているのだと高らかに宣言し、「だから世間が何と言おうとも、窓の外で小鳥がさえずるほどにも聞こえないということです。よしんばあの気高いかたが、ほんのかたときなりと堕落なさったことがあっても、それを真実の、本来の高みにひきあげてさしあげる、そのためにこのあたくしは生まれてきたのかもしれません」と、いかにも世間知らずの思い込み(に聞えるであろう)を口にするが、いったいここでは誰が語っているのだろう? これはどのような関係についての言葉だろう? ホームズの綿々たる口説は元愛人になりかわってというより、むしろ令嬢の純粋で高尚な愛(「崇高な目標から目をそらそうとしない狂信者」と彼女の美をホームズは評する)に対する、肉欲を語っているのではないか。受動的でマゾヒステイックで女性的な、要するに、誤って“女性特有のもの”とされた欲望を。

 このあとホームズが暴漢に襲われることによって、代りにワトスンが男爵邸を訪れてグルーナー男爵に会い、そこへホームズと女がやって来てという、最後の舞台に至る道が開かれることになる。エリオットに倣って、ここでのホームズは探偵の仕事など全くやっていないと断言してもいいし、『最後の事件』でのモリアーティの襲撃と称するものが、どれも妄想(物語内のメタレヴェルでは、ワトスンがそのように設定し、創作したもの)だったように、ホームズの負傷それ自体が芝居だと考えてもよさそうだが――実際、ワトスン自身、「ひょっとするとこの男、私にさえそうは見せないが、じつはもっと早く回復しているのではないか、などとかんぐってみることさえあった」と言っているのであり、完全な狂言とまでは言わないにしても、要するにどこかで聞いたようなこうした筋書自体を本気にする必要はないと、語りが進んで明かしているのだ。

 しかしその中には、これこそ重要でしっかりと見極めねばならないと言えるものも確かにある。ホームズから泥縄で陶磁器についての勉強を命じられ、明朝の小皿を餌にグルーナー男爵(その道の権威でコレクター)を訪ねた時のワトスンは、その点誤ることはなかった。ワトスンが賞でたのは磁器の繊細な肌ではない。身元を伏せた依頼人の使いとしてベイカー街の部屋に現われた時のデイマリー大佐も「あの男は世にも稀なる美貌の持ち主であるうえ、人をひきつける物腰あり、やわらかな声音あり」と語っていた、グルーナー男爵の美しさである。そのデイマリー大佐自身についてもまた、「豊かな、響きのいい声音」を持ち、隙のない洒落た姿であることが生き生きと述べられて、かの令嬢が「若く、美しく、財産もあり、教養深く、あらゆる点で非の打ちどころのない」と通り一遍に評されているにすぎないのとは対照的だったが、男爵がランプを引き寄せて小皿を検分しはじめると、ワトスンもまた「心ゆくまでそのおもざしを観察する」のである。

「たしかに、並みすぐれた美貌の持主だった。ヨーロッパじゅうに美男の名をとどろかせただけのことはある。体格は中ぐらいだが、体つきがいかにも優雅で、しかもしなやかだ」「声音も魅力があり、(…)年のころは三十になったばかりと踏んだが、あとで知ったところによると四十二だという」とワトスンは評する。
 デイマリー大佐も彼については、「おまけに、女性にはきわめて大きな魅力を持つらしい、あのロマンティックな、謎めいた雰囲気もそなえている」と、「女性には」と断ることを忘れなかったし、それに倣うかにワトスンも「大きな、黒い、ものうげな目を見ると、女性は手もなくふらっとなるだろう」と女のことにしているが、美と受動性を己には禁じ、女として外在化した筈の「男」が、同性の容姿にかくも釘付けになり言葉を費やすこと自体、すでに十分異例である。「美しい――じつに美しい!」とは、むろん男爵が小皿のことを言ったのだが、まるでワトスンが歎声を発したかのようであり、意識的に美術品と男が並行して置かれているのだ。

 先日、グラナダTV版『高名な依頼人』をYouTubeで見たが、原作を表面上忠実になぞりながら、もともと変な話であるので不自然でなく見せようと腐心した結果、見事に意味不明になっていた。筋書の変更で最大のものは、キティ・ウィンター嬢の復讐を無理なく思わせるようにしたのと、最後にホームズが意図的に彼女を男爵邸に伴ったのではないとしている点である。トルコ風呂の様子とか見られて良いけれど、そもそもあれは一篇がワトスンの偽装(創作)で、トルコ風呂の場面は少くともあのような形では無かったはずである。おまけに原作と違って、その前のプロローグがいきなり男爵のアルプス山中での妻殺しだった。『最後の事件』の道行で結局はワトスン(とホームズ)がメアリを殺したも同然なのは確かだから、それなりに重要な細部であるとはいえ。

 グラナダ版は男爵を美男でなくして、令嬢をタカビーから清楚に変えている。また、原作ではホームズが(抜糸済みなのに)繃帯に血が滲む生霊状態で男爵邸に出現し、まさかキティちゃんがあんなことすると思わなかったよああびっくりしたと嘘八百なのを、襲撃後間がないことに変更して不自然さをなくそうとつとめている。壁に掛けられた男爵の肖像に酸がかかるのはワイルド(『ドリアン・グレイの肖像』)写しで面白いが、だったらなおさら、男爵は美貌であるべきだったろう。

 原作では、男爵の美しかった顔は「今や美しい絵の上を作者が濡れた汚いスポンジで擦ったようになっていた」とあり、最初から絵に喩えられているのを、グラナダ版は実際に絵にして見せたわけである。また、原作の記述は、『唇のねじれた男』で、ホームズがタイトルロールの顔をスポンジで拭うくだりを連想させずにはいない(『唇のねじれた男』も、『ドリアン・グレイ』の影響が顕著に見てとれる作品だ)。直前に美男ぶりを賛嘆していた細部を、これはすべて作り物に過ぎないのだと言わんばかりにスポンジの一擦りで拭い去ってみせる。

 これに先立ち、ワトスン目線で男爵の容貌が描写された直後、彼がホームズの回し者である事がバレて男爵は「茶色のノート」のある奥の部屋へ飛んで行き、ワトスンもあとを追う。すると「庭に通じる窓が大きくあけはなたれ」た内側に「血のにじんだ包帯を頭に巻いた」ホームズが立っているのだが、このホームズ、完全に生霊である。「なにか無気味な亡霊のように」とか「その青白くやつれた顔を見定めるひまもなく、つぎの瞬間には、すばやくその影はひらいた窓の外へすべりでた」という描写ばかりから言うのではない。すでに「七日めは抜糸が行なわれた」と書かれていたのだから、その包帯にもはや生々しく血が滲んでいようはずがないのだ。

 この時「外の月桂樹の茂みで、ざわざわと音がし」、男爵が「怒声を発して(…)ひらいた窓ぎわに駆けよ」り、「そのときである!とっさの出来事だが、それでも私はまざまざと見てとった。やにわに一本の腕、それも女性の腕が、茂みのあいだからつきだされたのだ。と同時に、男爵がすさまじい叫びを発した」などというのは『リジイア』で空中にルビー色の雫が出現して盃に落ち、ロウィーナ姫を斃すようなもので、ポーの語り手のように阿片の見せた夢でこそあれ到底リアリズムの水準の出来事とは思われない。「まざまざと」とか「その声はいまでも耳の底に残っている」という強調はその疑いをむしろ強めるものだ。

 それでも、濃硫酸を浴びせられた男爵は顔を押えて部屋中を駆け回ったあげくついに倒れてのたうち回り、「片目はすでに白濁しているし、もういっぽうは真っ赤にただれている」という正視に耐えぬ地獄図絵が展開されるが、駆けつけた使用人の一人がひと目見て失神してしまったというその描写も、よく読めば「ほんの数分前、私が嘆賞を惜しまなかったあの顔が、いまは見る影もなく、さながら画家が濡れて汚れた海綿で、美しい絵の表面をこすったかのようだ」という、すでに述べたように『唇のねじれた男』でホームズが実際に男の顔をぬぐったことを連想させずにおかない比喩は、むしろここでワトスンが立ち会っている全ては絵空事で、人の目をそむけさせずにはいない「人間のものとも思えぬおぞましい顔」は、背後の無を人間化し、表面の下には何もない(あるいはキャンバスか白紙しかない)という事実の隠蔽ないし隠蔽自体の可視化によって、現実の綻びを取りつくろっているのではないかと疑わせる。

 男爵への同情を感じられないまま応急処置をしてやったワトスンがベイカー街に帰り着くと「ホームズはいつもの椅子におさまっていたが、その顔は青ざめて、疲れ切ったようすだった」と、あたかも自室を動かないまま生霊として現場へ出かけていた者の風情、ワトスンの語る「男爵変貌の一幕に恐ろしげに耳を傾け」るが、ワトスンの見たのが幻影でなかった証拠には、件の茶色のノートはちゃんと持ち帰られて卓上にある。そして、ワトスンが正体を見あらわされる前にそれを入手するにはノートのありかが確実にわかっていなくてはならなかったので、「土壇場になって、あの女を連れていくことに決めたんだ」と説明するが、「いくらぼくでも、彼女がマントの下に大事そうにかかえていた小さな包みがなにか、そこまでは見抜けなかったよ」とは白々しい。そのくらいホームズに見抜けなかったわけないだろう。しかも、茂みの中からつきだされた腕は冒頭のトルコ風呂の場面でシーツの間からつきだされる「長い、痩せた、神経質そうな腕」を連想させずにはおかないから、その女の腕とはほとんどホームズ自身の腕としか思えないのだ。

 依頼人の代理デイマリー大佐がそこへやって来て経緯を聞き「神業ですな――まさしく神業だ!」と嘆声を発するが、すぐ見破られるレヴェルの知識しかないワトスンを送り込み、ばれるまでの僅かな時間を使っての単なる盗み、しかも女が何をするかわかっていてわざとそのままにしておく生霊作戦が神業か?

 要するに、依頼人が現われて探偵の仕事を称賛するこのフレームの部分は、文字通り取ってつけた(ホームズなら過去にそのような経験は幾らでもあろうから、ワトスンは適当に見つくろって引用すればよかったわけだ)ものであり、「やあやあ、サー・ジェイムズ(デイマリー)、ちょうどよいところに」云々というホームズの反応や、「あらかじめ呼び出しを受けていたのだろう、この温雅な依頼人は、それにこたえてあらわれたのだった」という、どんな意外な展開があろうと納得してしまう夢の中でのようなワトスンの独白は、“これが現実ではない”ことを示すものとして、むしろその継ぎ目を目立たせるためにあるのだろう。

 この夢はいつからはじまっていたのだろう? この物語の公表の許可を長年求めていて、「十回めくらい」にやっとホームズからオーケーが出たというのが書き出しだが、そのあとに、二人とも「トルコ風呂にはいたって目のないほうで」あり、「行きつけの店の二階」の「ほかとは隔離された一隅」に近頃何か面白いことはないかと問うたワトスンに「返事がわりに」ホームズが、壁にかかっている上着のポケットから依頼人の手紙を取り出すべく例の腕を「つきだした」時に、すでにそれがはじまっていたのは確かである。

 周知の通り、別の短篇ではホームズはトルコ風呂をくさしており、ワトスンはともかく、二人ながら「いたって目のないほうだった」というのがそもそも相当疑わしい。要するにそれも“夢”の一部であり、この話のもとになった現実、すなわちホームズとワトスンが生きている世界において交わされた話題も、男爵と令嬢の交際をめぐるものなどではあるまい。ワトスンの方から、近いうちに再婚するつもりだと打ち明けたというのがtatarskiyさんの推理である。疑惑と不名誉を避けるためのワトスンの再婚についてはここでは詳述しないが、「当時私は、ホームズとは別にクイーン・アン街に居を構えていた」というこのあとの記述も、(少くともワトスンの方では)密かな計画に基づく別居だったと考えれば頷けよう。

 いかにももっともらしい、馴染みのトルコ風呂の店の隔離された一隅などというのは実際には舞台ではなく、ただし「二人並んで横たわっていた時」というのは恐らく事実である。いずれにせよこの時のホームズの反応から以下の“夢”、すなわち事後的にワトスンによって構成された物語は生まれたのだろう。

 要するにこれは“女と結婚しようとした男”が手ひどい罰を受け、結婚が阻止されるという、(現実にはワトスンに結婚されてしまった)ホームズの、夢の中での願望充足(とワトスンの恐怖)の話であるのだ。ホームズの満足感は、依頼人の身分の高さや、「わが友人の職業生活の頂点になったとも言えるこの事件」というワトスンの言葉に置き換えられていよう。

 tatarskiyさんから電話で、私のツイートを見ながら『高名な依頼人』を読み直していたら、ホームズとワトスンが横になって話している場所は勿論、会話の内容、その後に起こったことまで判ったと、変形される以前に戻して全部説明されてしまった。本当にその通りだ……。日付が変ってからまた続き書く。(2013.1.8)

★この続きは書かなかったが、本当は何があったかについての再構成は『凶暴な猫の冒険』と題して小説の形ですでに書いている。手入れする時間ができたらアップする予定。
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by kaoruSZ | 2013-11-07 22:15 | 批評 | Comments(0)