おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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tatarskiy@black_tatarskiy
裏アカを全く関係ない話題で再稼動することになった。腹立たしいので手短に。昨日(7月31日)の夕方BSで流れていた子供向け番組http://www3.nhk.or.jp/d-station/program/waracchao/が、露骨なホモフォビアと女性差別を幼児に刷り込むのが目的としか思えない最低の代物だった件について。

この番組、ワラッチャオとかいうらしいが、後述の通り全然笑い事ではないという意味で笑えないので、タイトルが皮肉にしかなっていない。後で調べたら私が見てしまったのはリボンつけたあしゅら男爵みたいな可愛くない猫(キャサリンとかいうらしい)が主役のコーナー「キャサリンのマウステッキ」で、この猫が魔法のステッキを使って町の中のいろんな物に魔法をかけて口が利けるようにしてお話しするという趣向らしいが、私が見たのは電柱とお話しする回だった。まず、一本目の電柱に魔法をかけると、黒い線で書いたような口が浮かんできて、男の声が一人称俺で愚痴を言い出す。

曰く、自分は毎日休まずみんなのために電気を送って働いているのに少しも感謝されない上に嫌がらせばかりされている、と不愉快な出来事を列挙しだすのだが、その口調と不満タラタラで投げやりな態度だけでも、「いかにも男」の横柄さが滲み出ていて正直非常に不愉快だったが、これは文字通り序の口。

この長台詞の最後、不満タラタラ電柱男は「列挙してきた不愉快な出来事の中でも極めつけに屈辱的で情けない経験=“オチ”」として「酔っ払いのおじさんに延々プロポーズされてめちゃくちゃ気持ち悪かった」ことを挙げて我が身を嘆きだすのだ。明らかに「ここで笑ってね!」という文脈で差し出される「コントのオチ」としての「軽いホモフォビアネタ」だが、作り手の自覚のなさと幼児番組という舞台の食い合わせがなんとも陰惨な気分にさせてくれる。「こういうのが“笑える”ポイントなんだよ!男が男にプロポーズされるなんておかしいよね!」というホモフォビックな“笑いのツボ”の早期教育だよね。

しかも話はここで終わってくれないのだ。リボン猫はすっかり捻くれてしまった電柱男を説得するために、今度は向かいの電柱に魔法をかける。すると今度は真っ赤なルージュを塗った妙にぷっくりした唇が浮き出てくると、高い女声が露骨な女口調でしゃべり始める。台詞の細かい内容は覚えていないが、要は「あなたのことは私がわかってるわ」という文字通りの「甘いささやき」でもって「傷ついた“男のプライド”を慰撫してあげる女」というあまりにも陳腐な図式で、先程のホモフォビアネタだけでもこれ以上ないほどゲンナリしていた気分を更に下降させてくれた。

で、このホステス紛いの電柱女の台詞に励まされてどん底から一気に有頂天になった電柱男は「君に抱きつきたいけど抱きつけな~い!」と浮かれた台詞を吐き、リボン猫の「よかったね」という内容のコメントと共にめでたしめでたしでコーナー自体が終わる。思い出す度に何度でもウンザリ出来るクオリティ。

食い足りないので追加の解説。後半のベタベタな女記号まみれのホステス紛いの電柱女の登場は、実は前半のホモフォビアネタを受けた必然的なもの。

つまり、男に言い寄られる=女扱いされるという屈辱を受けて傷ついた男としてのプライドが「女らしい女」から慰められつつ「男として立ててもらう」ことによって回復されるという一貫したストーリーを構成していて、見事なまでにホモフォビアとヘテロセクシズムの必然的な結びつきを物語ってくれている。

しかしエロ漫画なんかより、本当はこの手の「健全で微笑ましい差別意識の刷り込み」の方が徹底して批判されるべき「有害な表現」だよね。明らかに「子供の教育に悪い」んだから。

でもこの番組の存在自体が証拠みたいなものだけど、公共放送の幼児向け番組の製作者みたいな、「何が健全か」をジャッジする権力者の側が「明らかに差別的な表現」を“健全”と見なして奨励すらしているわけだ。要は未だに日本でのホモフォビアと女性差別は「微笑ましい健全さの証し」ということだろう。

しかし馬鹿はこの手の幼少期からの絶え間のない文化的刷り込みという前提を無視して「ホモが気持ち悪いのは自然で当然」とかよくのたまえるよね。そしてNHKはこの手の差別的刷り込みの主犯の一角を担ってるくせに『ハートをつなごう』とか、面の皮が厚いにも程がある。完全にマッチポンプだろ。


鈴木薫@kaoruSZ
↑番組の作り手にはホモフォビアとミソジニーを教え込む意図さえあるまい。「内面」から出てくるものを「自由に」表現したら、規範でドクサで差別まみれのステレオタイプになるんだから救いようがない。頼まれたわけでもないだろうに。「表現の自由」があっても「自由な表現」ができるとは限らない。

「表現の自由より自由な表現を」とは晩年の澁澤龍彦が新聞の文化欄に書いていた。

きんちゃん@kinchan666
同性から告白されて気持ち悪い刷り込みってテレビからの影響めちゃめちゃ有るよな…百害あって一利無し
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by kaoruSZ | 2014-08-09 19:09 | 批評 | Comments(0)