おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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「web評論誌コーラ」に今回載せた拙稿を読んだある男性から、「男性同性愛者による女性性の流用」のあたりについて、「ゲイであろうとも「男性権力者」であることへの自己批判がないものには容赦しないということですね」と言われてびっくりした。「たとえゲイであっても」などという、ゲイ差別的発想をしたことがないからだけではなく、「自己批判」という(時代がかった?)言葉自体が私の語彙ではなかったからである。そう言われてあらためて考えてみると、「自己批判」なる行為は、私にとってつねに侮蔑の対象であったように思われる。自己批判、自己嫌悪、自己憐愍――どれも好きなだけナルシシズムの沼に沈んでいてくれという感じなのだ。岸田秀の書くものはおおかたクズだが(というより、あれに本気で感心する奴が)、自己が自己を嫌悪することなんてあるのか、と言っていたのには頷けた。「自己弁護」はまた別な気がする。

 澁澤龍彦の全集を繰っていたら(しかし、全集で読むとなんだか索漠としている。本物の室内のようにすみずみまで居心地良くしつらえられた売場から、ボール箱に入れた商品をただ並べた倉庫に入ったようだ)、単行本『エロティシズム』文庫版(1984年)の、(文庫版あとがきにかえて)とカッコ書きされた「クラナッハの裸体について」の最後に、ちょっと面白いくだりを見つけた。

当時の私はフロイトのエディプス理論やサルトルの実存主義や、さてはバタイユの哲学などに影響されていたので、それが本書の文面にも少なからず反映しているようであるが、現在の私は必ずしもそれらを信奉してはいない。いま読み返してみると、女性に対してかなり辛辣な意見があって自分でも驚くほどだが、これも現在の私の意見とは認めがたい。無責任のようだが、君子は豹変する。なにぶん十七年前の著作なので、これらの点は大目に見ていただきたいと思う。

 文庫になった澁澤は手に取ったことがないので、ここは読んだ覚えがなかった。なるほど、これが自己批判をしない態度か。これでよいのではないかと私は思う。「現在の私の意見とは認めがたい」と率直に書いているのにむしろ驚かされる。女について紋切型を書くのは男の書き手の通弊である上(だからといって容赦したいわけではないが)、このあたりはもとは週刊誌に書きとばしたということもあろうが、特にそういうところが目立っていたかもしれない。俗流フロイディズム片手に女のセクシュアリティ(というカタカナ語はまだなかったが)の本質規定をするのは、「女性に対して」「辛辣」なわけではなく、女がわかっていない――突きつめれば女を人間と見ていない――証拠だというのは、実は小娘が読んでもわかった。それを批判する言葉がこっちになかっただけである。書かれたものは結局そういうところから古びる。

 ところで最近、俗流フロイディズムならぬ、俗流フェミニズム批評というものが存在するのだとつくづく思うことがあった。『ユリイカ』のトールキン特集(1992年7月号)所収の小谷真理「リングワールドふたたび――『指輪物語』あるいはフェミニスト・ファンタジイの起源」を読んだからである。この特集は以前から見たいと思っていて願いが叶ったのだが、もともと評論についてはあまり期待していなかった。これも出た当時は関心がなくて読まなかった同誌の『ロード・オブ・ザ・リング』特集臨時増刊号を先に読んで、トールキンをネタに世迷い言を吐きちらす人々に失望したからでもある(この増刊号では、『指輪物語』愛読者として語る黒沢清のインタヴューがただただ素晴しかった)。

 今回、何といっても収穫は、トールキンの未完の断章『失われた道』と、物語詩『領主と奥方の物語[レー]』を読めたことであった。前者は、目次タイトル脇の紹介によれば「『指輪物語』『シルマリリオン』二つの物語世界をつなぐミッシング・リンク、未完の物語一〇〇枚の全訳。限りある生を前に揺れる父子のファンタジー。作家の自伝的要素が濃厚に反映している現実世界と、神話世界が二重映しに……………」。映画パンフレットによくあるような、こういったあらすじ紹介はたいていはズレたものだし、読者も正確さを期待したりはしないだろう。だが、中身を読み終えてあらためて見たとき、この要約があっていることに気がついた(しかし、これを書いた人はおそらく、自分が書いた内容を理解していない……………)。

『領主と奥方の物語[レー]』の方には、テクストを翻訳した辺見葉子のエッセイが付いていて、先行作品とトールキンのテクストの異同が丁寧に説明されており、非常に興味深く、得るところが多かった。専門家というのは有難いものである。けれどもこの方も、物語詩の話題を離れ、「『シルマリリオン』および『指輪物語』との関わり」を考察する段になると、そこだけは、作品外の言葉に頼る凡百の評者と変わりがない。私の友人(彼女の導きで最近私がトールキンにあらためて関心を寄せるようになった)と私はそれを残念に思いながらも、行き届いた解説に助けられて読むことのできたこのテクストが、私たちの「『シルマリリオン』および『指輪物語』」の読みを強力に裏づけるものであったことを喜んだ。

 さて、「フェミニスト・ファンタジイの起源」であるが――このサブタイトルからして「やおい・ボーイズラブ前史」を思い出させるが、内容的にも、メインストリームの「男性文化」が行き詰まったり、変換点に至ったりした地点から、新たな女性文化がはじまる(はじまった)とする点でよく似ている。先に枠組みを用意して強引に対象にあてはめるという点も同様だが、『密やかな教育』については別枠を設けてあるから、今は「リングワールドふたたび」に限って言う。こういうことをするには、否定(ないし批判的/発展的継承)されるべき「男性文化」と、「来るべき」「フェミニスト・ファンタジイ」の差異を際立たせなければならないが、ほかならぬトールキンをその克服されるべき「男性文化」の側に置いた時点で、すでに小谷の負けは決まっていたのである。

 なぜなら、トールキンは〈男〉ではないからだ。フェミニスト諸嬢の傍に置くと、彼女たちの鼻の下に黒々とした髭が幻視されるほどの乙女っぷりを発揮しているトールキンの世界における、「○○の子、○○」という繰り返される高らかな父系の名乗りは、父権制に与してそれを存続させる合言葉などではない。『シルマリリオン』において表面的には父権制のしるしのように見えるものが、いかに内側からそれをぐずぐずに崩しているか。『シルマリリオン』は『指輪物語』の背景であるという、しばしば前者をネグレクトしていい(“たんなる”背景として)という意味であるかのように言われる言葉は、文字どおりに受け取られるべきものだ。トールキンの「異世界」がどれだけ(文字どおりの)「異世界」であるかをまだ誰も知らない。『シルマリリオン』が読まれぬ/出版されぬまま『指輪物語』が売れてしまい、前者なしでは理解されるべくもない話が圧倒的な支持を受けてしまったトールキンは、それがいかに知られえぬものであるかという苦い事実をあらためて噛みしめていたはずである。

 問題は、サムとフロドの関係がどうとか、トールキンとC・S・ルイスの関係がどうとか、男だけの集いがどうとかいう話でないことはいうまでもない。トールキンは、「ホモソーシャリティとホモセクシュアリティの紙一重」というトピックからも逃れ去る稀有の人なのである。まして、「トールキンは女性の才能を認め、「結婚」によりその才能が埋没する恐れをつと口にしてきたが、いっぽうで自身の妻エディスとは、学問上・文学上のどのような会話も共有しなかったという」(99ページ)とは何が言いたいのであろうか。才能ある妻として学問上・文学上の会話を共有して何かいいことある(あった)のかと小一時間問い詰めたくもない。

 フェミニストというのはずいぶん頭の悪い連中なんだなという冷笑を誘うとしたら著者にも不本意であろうこの論文は、奇しくも、澁澤のあとがきの場合と同じ十七年前に書かれているので、あるいは著者にとって「現在の私の意見とは認めがたい」というようなものになってしまっているのかもしれない。それだったらそれでいいし、いずれにせよこれをもとに糾弾したいなどという気は少しもない。しかし、ともかくこうやって目の前に形として残っているので、少々分析してみたいとは思う。澁澤の場合と違ってすでに過去の問題になってしまっているわけでないのは、『密やかな教育』の一件からも明らかだし、何より、あまりにも典型的にできているので、構造を知るにはもってこいであるからだ。うまくいけば、あなたも私も明日から俗流フェミニズム批評ができる(かもしれない)。(つづく)

★この続きは書いていないが、トールキンの『領主と奥方の物語[レー]』についてはここで論じた。
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by kaoruSZ | 2009-08-18 00:08 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)
 拙稿「緊急座談会「『鋼鉄三国志』は〈事件〉か?」by 鋼鉄オールキャラクターズ」の載った、黒猫房主の主催する ウェブ評論誌「コーラ」3号出ました
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html

 それに先立って、Mさんに鋼鉄のキャラだけでも見てもらおうかと思って、今、ウェブで、『鋼鉄三国志』どれくらい見られるのかちょっと調べてみた。
 それで久しぶりにオープニング見たら……発見してしまった。というか、私が今まで見間違っていた!

 上記座談会中、凌統の発言として――「腰じゃねえ、尻だよ、尻。孔明の奴、羽の扇子持ってないほうの手で兄貴の尻触ってやがった」と書いてしまったのだが、孔明、扇持っていない! 両手で陸遜を抱いている。 みんな、こういうオープニングを見ていたのね。それなら騒がれるはずだと今頃尚更今更納得。
 どうして間違ったかというと、「鋼鉄」の孔明は左肩に、水平に突き出た翼様のものを飾りとしてつけているのだが、はじめてこのオープニングを見たとき、そんな衣裳とは知るはずもなく、孔明のアットリビュートの白羽扇を左手で高く掲げ、右手で陸遜(とはまだ知らなかった)を抱き寄せていると思ってしまったのだ。

 そのときの印象のまま今まで来てしまった。(こういうことはたまにやる。人と違うオープニングを見ていたわけだ……。あのオープニングからして……と人が書いているのを読みながらも、実は認識にズレがあったわけだ。困ったものです。黒猫房主へ即訂正依頼。)それにしてもオープニングの、そのときは未知だったキャラたちに見入っていると、何も知らずにはじめて見た時の感覚が甦り、まさかこうなるとは夢にも思わなかったなあと感慨が……。

 ところで、孔明の翼は左だけだし、袖も左右で違うし、陸遜にしても凌統にしても、皆アシンメトリーが際立つコスチュームだ。服装が変わらない(孫権は例外)のは少年マンガの特徴として、このアシンメトリーは日本的なのだろうと最初に思った。というのは、高島俊男の本で日本では左右非対称が好まれるが、中国では断然左右対称だと読んだところだったから。

 こんな三国志にして中国に怒られないかという書き込みがほとんど紋切型になっていたけれど、なあに「Three Kingdoms」が潜在的にそういう話だということは『男生女相』に出てきた武侠映画の監督も認めていた――「ただし三国志の英雄たちがガチホモってわけじゃないよ」(意訳)。それを顕在化させたときの反応が「腐女子自重」や 「自分も腐女子だけどこれはやりすぎだと思う/ついて行けない」といったコメント[後者は分をわきまえ〈自重〉する良い腐女子であることをアピールするいわば改悛言説]だったのは興味深いが、「座談会」では残念ながらそのあたり十分突っ込めていない。

 さらに、今回書ききれなかったことというか、キャラが喋っているので入れる余地がなかったということもあるんだけど、ともかく洩れてしまったことに、ここに出てくるのは男ばかりだけど、男が本当にカッコよくて価値があって男同士の関係こそが最高だなんて、夢にも思ってくれるなよ(註2)ということがある。

 私自身はネタとわかって書いているわけだけど。「男への愛」からやおい書いてるわけじゃないんだけど。 でも、ベタで教育装置としても機能しうるわけで……。時々心配になる。ミソジニーに加担してしまっているんじゃないかってことに。

 やおいは「ホモフォビアに依存しつつさらにそれを再生産する、二重のホモフォビア装置」という妄説(あえてそう呼ぶ)をもじって、やおいは「ミソジニーに依存しつつさらにそれを再生産する二重のミソジニー装置」と言ってみる(しかるのちそれを否定する)……と言ったセンで考えてみる(今度)。
 ついでにメモしておくと、「男らしさ」に依存/寄生しているという点では、ゲイ男性の場合とも構造は同じ。(cf. レオ・ベルサーニ)

(註1)レズビアンのオモチャでもないけどね。
(註2)これはいうまでもなく女性に対して言っている。
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by kaoruSZ | 2007-12-17 10:42 | やおい論を求めて | Comments(0)
「ユリイカ」の6月臨時増刊号【総特集 腐女子マンガ大系】にMさんこと守(もり)さんが載せる原稿を読ませてもらったので、ウェブマガジン「コーラ」連載の次回の拙稿はそれをめぐるものになった。以下を後記として記す。

守如子さんがここで話題にした特集号を送って下さった。しかしもう読み通している時間はない。とりあえず上野千鶴子と香山リカの文章に、続けて(ページが続いていたので)目を通す。「オタクが性別対称性を持たない以上、オタクの女性版を「女オタク」と呼ぶのは正しくない。したがってあまたある「オタク論」は「男性論」であることの限界をわきまえるべきだ(……)」(上野)。さすが。知識はなくても構造を見抜いている。私が前回、女のオタクは存在しないと書いたのはまさしくこういうこと。どこまでも「女子文化」と決めつけるところはわかってないなと思うが、別にこの人にわからなくてもいい。香山リカ。酷い。最初の一行から最後の一行に至るまで、知識も理解も洞察力もないワイドショートーク。嘆息して本を閉じようとしたとき、上野の論考の前にある金田淳子/三浦しをん対談の最終部が目にとまる。金田 そうなんですけど、やっぱりオナニーをしたことがない女性というのもいるみたいなんですね。/三浦 それは男性のあいだにある都市伝説では?(笑)」【ソンナコトナイヨ。】「金田(……)だから、不思議に思ったのは、そういう人はセックスも楽しめているんだろうかということなんですね。」【そうそう、そうなんだよね!】

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by kaoruSZ | 2007-06-16 07:13 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(3)
個人的な仕返しというのは、あまり好みではない。それはわたしがエクリチュールに対して持っている考えに反するし、そこにはどうしてもさもしさが付きまとうだけでなく、最初の見せ場が終わってしまえば、退屈さが残るだけだと思うからだ。
——ロラン・バルト                                 

彼女は家にいて、知性のはけ口もなかった。むしろダンスに行きたいときでも、他者を最優先して、父の看病をする。彼女は病気になって、このような「女」の意味全体を、さらにそんな意味を含んでいる言語をも拒絶することにより、「女というもの」の義務を拒絶する。(……)アンナの抵抗はどこから生じるのか。明らかに意識ではない。アンナは父を愛しており、彼から解放されたいとは意識的には思っていないからだ。                          ——キャサリン・ベルシー
              
転んでもただでは起きない ついでに行水だ                               
——野良犬黒吉


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I  こんにちは! メール&ウェブ・マガジン「カルチャー・レヴュー」の読者の皆様にはおなじみの——いえ、ごぶさたの——Iでーす。もう一昨年になりますが、『オニババ化する女たち』をサカナにさんと対談して以来ですね。

kaoruSZ(以下S)  Iちゃん、気が早い。ここはまだ「ロワジール館別館」なんだから、〈おなじみ〉ではないでしょ。

I  そういう方にははじめまして! 「カルチャー・レヴュー」見て下さいね。2004年の4344号で、例のトンデモ本について二人でお話ししています。 

S  Iちゃんに来てもらったのは、今回のテーマがまさしくそのオニババ本批判の、ある意味、延長上にあると考えられるからでもあります。

I  え、そうなの? 「こわいもの知らずにも」ここを攻撃してきた、フェミニズム・バッシャー[当ブログ8月1日、2日の各記事〈生物学 対……?〉 〈私がフェミニズムの大義wのために病者という弱者を政治利用しているとか糾弾する御仁が〉およびそこについたコメント参照]の吊るし上げに私が最適だからじゃないの?

S  いえ、吊るし上げようにも、リンク先がないからどこの誰やらわからない。「正体不明なのです」と新しい記事を立てたら(2日)、「はいはい、あなたこそ正体不明ですね」と書き込んできたでしょう。そのあとも、同様の「それを言うおまえこそ」のワンパターンが目立ちます。芸がないのでがっかりしました。

I  直接会うことなどない以上、文章の中にしか、さんはいないんだから、さんについて知りたければここ(ロワジール館別館)を読めばいいのにね。まあ、ああいう人は、ちゃんと読ま/めないからこそ、反射的にからんでくるんだろうけど。

S どこの誰というのは、むろん本名を名乗れとかいうんじゃありません。尻尾を巻いて逃げればすむ状態で出てくるなということです。この人のケースはフェミニズムへのバッシングの一例として、来月1日発行の「カルチャー・レヴュー」で扱う予定ですが、その前に宣伝を兼ねて軽く話しておこうかと。

I  込み入ってますけど、どのあたりから? 

S  発端からやるしかないかな。

I  えーと、まず、【嗚呼女子大生活】というブログをやっているchidarinnさんのエントリ女性の静かな抵抗—うつを政治的に読み替える— (http://d.hatena.ne.jp/chidarinn/20060727/p1も参照のこと)がありまして、それについてkmizusawaさんがご自分のブログ【kmizusawaの日記】に「女性のうつ」は「抵抗」か— を書き、それをさんが読んで、ここ[ロワジール館別館]で触れたんですよね。

S  はい。chidarinnさんはNHKの番組を発想源としてお書きになったんですが、それは私は見ていませんし、kmizusawaさんもごらんになっていません。kmizusawaさんは「抵抗」を意識的、積極的なものとして受け取って、chidarinnさんの意見に反対しています。私は、その解釈は明らかに誤解だと思ったので、「chidarinnさんに基本的には賛成」という立場から書きました。

I  それだけのことが、《元記事の作者は、科学などは関係がないと嘯いて、意図的なプロパガンダを行うことを公言していますが、そのような言説のどこが「ちゃんと考えている」「批判に対してはきちんと答えている」のですか。身贔屓も大概にしてください。そして、あなた方の「大義」のために、病者という弱者を政治利用することはやめてください。もしやめないのであれば、あなた方こそが差別者であると私は告発しなければならないことになりますよ》てな妄説を引き寄せちゃったんですよね。

S  まったく。関係もないのにこっちにフラフラ寄ってきてね。惑星の重力に引かれた彗星のように、と言ったら、自然科学の言説の濫用でしょうか (苦笑)。
 ただ、そのときchidarinnさんの批判者(kmizusawaさん以外の、たとえば【daydreambeliever】http://d.hatena.ne.jp/cachamai/20060727/p4のような)——というよりはむしろ圧倒的な無理解と反感を彼女に向けてくる人たちがいなかったら、私がこの話を取り上げたかどうか疑問です。抵抗としての女性の病というのは、けっして目新しい観点ではありません(病名こそ違いますが古典的な、アンナ・Oのケースについての記述を最初に掲げておきました)。そのことが忘れられ、突拍子もないことのように受け取られることにむしろ驚きました。
 なお、今、Iちゃんが読み上げたfarceur(以下f)なる人物のコメントは、明らかにchidarinnさんへの誹謗中傷です。だって、元記事のどこを読んでも、「科学などは関係がないと嘯いて、意図的なプロパガンダを行うことを公言」してるなんて事実はないもの。

  chidarinnさんのブログでは、f氏もそこまでおかしなことは言ってないんですよね。

S  chidarinnさんの文章を読めてないことは確かだけど、元うつ病者と名乗っていることもあって、なんでこんなことを言い出したんだろうと不審を抱かせるほどおかしくはありません。「当事者」の一部にありがちな、文脈に関係なく自分の主張だけを言い立てることしか頭にない人だとは思いました。《「女性のうつ」問題で元記事作者を擁護していた人はいずれも「批判にきちんと答えていた」などと言うばかりで、私その他の批判には無視を決め込んでいますが、どういうご了見でしょうか?フェミニズムというのは無謬の真理なのでしょうか?》とf氏は書いてますが……この最後の文、笑えるでしょ?

  前の部分とのつながりが完全に不明。

S  こっちは「無視を決め込んでいた」んじゃなくて、その前に[f氏が]chidarinnさんに完全に論破されちゃってるもんで……。

I  議論はそこで終ってるから、あらためて[f氏の意見を]取り上げる必要はないと思いますよね。ところが、それが不満で噛みついてきたんだ。

  自分の意見を容れない相手=狂信的フェミニストというこの飛躍。

I  でも、彼の世界ではそれが“真理”なんですね。「無謬の真理」とか、さんが間違っても使いそうにない語彙なもんで、さんを知っている私としてはなおのこと笑えます。

S  だから、特に私にあてて書かれているわけじゃないんですよ。
 前にね、昼間うちにいたら、「奥さんですか?」と電話がかかってきたの。「違います」と答えるじゃない。そしたら、「ボク、奥さんの浮気を知ってるんだけど」と来た。

I  アハハハー、なんだそりゃー!

S こっちは「バカ」とひとこと言って切りました。なんでヴァカなのか?

I  奥さんじゃないって言ってるのにね。

S  そう。それと同じですよ、f氏のやったことは。《「症状」は「個別的」であるからこそ、薬物療法や心理療法など個別の対応がなされるのであって、「ジェンダー論」などという画一的な処方箋は何の役にも立ちはしません。》と彼は書いていますが、私はこの主張は正しいと思います。では、彼の何が間違っているのか? 私に対してそれを言うことです。これに反することを、私は全く言っていないわけですから。「ジェンダー論」ですべてが解決するなんて、思ってもいない——と私が言明することは、この際たいして重要ではないでしょう。私の8月1日の記事のどこにもそんなことが書かれてないのは、誰が見ても明らかなことです。ついでに言えば、chidarinnさんだって書いていません。要するに、電話の相手に「奥さん」であることを否定されてもシナリオを変更できないボクちゃんのように、f氏には自分の思い込みだけがあって、幻の女(「奥さん」ならぬ「フェミニスト」)しか相手にできない。「個別的対応」が全くできないのです。

  Sさん、その電話切って無視したわけでしょう? どうして今回無視しないんですか。あらためて「カルチャー・レヴュー」で正面から取り上げるだけの価値があります? 手紙のお相手のXさん[件のエントリはXさんあての手紙の形を取っていた]は心配して、「ご意見ありがとうございます」とやり過ごしてしまえ、とメールしてきたんでしょう?

  うん。バカだから相手にするなってね。

I  それなのにどうして?

S  私の方がXさんより、fさんをバカにしてないってことですよ。

I  いったいどうやったらこういう人をバカにしないですむんですか?

S  せいぜい「利用」させてもらいましょう。こっちは逆立ちしたってこんな文章は考え出せやしません。貴重な資料ですよ。

I  芸がないから標本にもなりませんね、とXさんは言ってきたんでしょう?

S  うん。Xさんはつくづく争いを好まない人なんだなと感心しました。私がf氏とケンカするのを心配して、付加疑問文で同意を求めてきたのね。でも、ケンカするわけじゃないから。勝ったところで自慢にもならないでしょ。だいたい、勝ち負けなんて最初から明らかなんだしね。

I  そりゃ、彼我の知力の差が最初から明らかだから!(笑)

S  いえ、フェミニズムが無謬だから!(大笑) 冗談はともかく、私の書いたものをきちんと読んでくれる人には、こっちは難癖をつけられているだけだとわかるでしょう。相手の言っていることの根拠のなさを示すのは簡単だけど、それでは時間を取られるだけで得るものは何もない。

  だったらなぜ無視しないのか。

  だって今回、得つつあるものがすごく多いんだもの! 前回の「カルチャー・レヴュー」の締切のとき、私、書けずに困っていたでしょ。それが今度のことで、脳が一挙に活性化されたの。

I  下らない言いがかりでも有難い?

S  8月1日付の手紙の形をとった記事には、実際にXさんに出した手紙が組み込まれているわけですが、あれを載せたときもまだ不調でした。Xさんに意見を言ってもらえると有難いと思ってたんだけど、なんとこのとき、Xさん、うつじゃないかというほど、気分的に落ち込んでいて。

I  ま!

S このまま治らなかったら心療内科に行こうかと思っているなんてメールが来て。だから、f氏のことでは心配してくれたけど、それ以外の助言はもらえなかったの。ところが、今回のことに直接関連するものしないものとりまぜて読むうちに、あそこでまだ萌芽状態だった考えがどんどんつながって行きました。だから今回、「映画館の日々」[Sが「カルチャー・レヴュー」に隔月掲載している記事」http://kaorusz.exblog.jp/i16/参照] のスペースで、そっちをやりたくなりました。f氏は、chidarinnさや私が病者を政治利用するとか意味不明のことを書いてましたね。そんなことはありえないけど、勝手に飛び込んできて木の根っこにぶつかりバカをさらしているウサギは利用できます

I  farceur完全利用。

S  反論なんていうレベルじゃなくね。

  論文でも書きますか?

S  いえ、そうじゃなくて、Iちゃんに語るというレベルなの。

I  えー、そんな低レベル?!

S  どうして低いのよ! f氏に語ったってはじまらないじゃない。私は啓蒙なんて退屈なことはしません。むしろIちゃんにこそ語りたい。だからぜひお相手を。

I  うーん。せいぜい読者を退屈させないよう努力してみます……。

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by kaoruSZ | 2006-08-28 13:06 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)

生物学 対……?

X・・・・様

 メールありがとうございます。おっしゃるようにこの頃「ロワジール館別館」は更新が滞りがち、最近はMさんに以前出したメールの一部を載せてほそぼそとつないでいる状態ですが、今回いただいたメールが直接でなくても刺戟になってでしょう、目下心にひっかかっていることをいくつか書きたくなりました(ブログでなく、こういう形ならば書けそうです)。またご意見いただければ嬉しく存じます。

 昨日、うちのブログからもリンクしているkmizusawa さんという方のサイトで、「女性のうつ」は抵抗か?という記事を見つけました。ここでは批判されていますが、私は基本的にはこの考え方(抵抗だという見方)に賛成です。「抵抗」というのは何も主体的で積極的なものでなくてもいいわけで、本人が主観的には悩んでいる症状であっても抵抗でありうるし、フロイトの「ヒステリー」も抵抗だし、とそんなことを考えました。
  元記事、面白いのですが、コメントがたくさんついていて前後に続きもあり、まだ全部は読んでいません。食事に行くときプリントアウトして持って行き、読もうと思っています。
(ここまで書いて食事行ってきましたが……ごはんが来る前に読み終えちゃってちょっと拍子抜け。こちらのブログはごく若い人ので、本文はまだまだ学生っぽいことしか書いてないかな……でも、ちゃんと考えているし、批判に対してはきちんと答えていると思いました。)

 kmizusawa さんとこのコメント欄にあるような、精神疾患は生物学的原因によるのに勝手に意味づけしようとしているという批判は、セックスでしかないものになぜ政治的なジェンダーを持ち込むんだというのと同じ形式ですね。私は、こうした批判は敵を間違えていると――それが真にあてはまるのは、女性性を素直に受け入れずに「抵抗」(これは意識的なものといってもいいかも)するから病気になるのだという言説だと思います。たとえ原因としてはケミカルな変化が観察されるとしても、症状としてあらわれてくるものは個別的なわけです。私の亡き友人はかつてある女子大に入り、良妻賢母主義がいまだに残っているのが嫌だと言って退学、三十近くなって別の大学を受けて入り直し、その後、精神疾患を発症しました。彼女から、精神科の医者に「学校をやめた時点でおかしかったんじゃないの?」と言われたと聞いたとき、私は、それはひどいんじゃない? と言ったものです。

 女性性の規範に従わないから心身の病気になる(という意味でその医者が言ったのかどうかは不明ですが)というイデオロギーが、いまだに死にきらずに起き上がってくるというのは、「オニババ化する女たち」の例一つを見ても明らかです。乳癌になった私の叔母は、三十年前に似たようなことを医者から言われました。女というものはちゃんと適齢期に結婚して、出産、授乳すべき身体をもっているので、自然に逆らうとそうなるというようなことを(二十九で結婚して二人の子供を産んでも当時はそういわれたんです)。叔母はその若い晩年に、自分が元気だったらウーマン・リブをやっていたと思う――意識的抵抗の人だったわけで、それだけにその敗北した姿は痛ましかった――と言っていましたが、医者の言うことはあきらめとともに受け入れていたようです(当時十代だった私ははげしく否定)。現に病気になって弱くなっていましたからね)。

 その関係で、「女性性の受容」という例の言葉[註:以下で話題になる集まりの中で使われていた]が気になり、そのままグーグルに入れたらけっこうヒット。その中に、Xさんが参加したという集まりのアナウンスメントもありました。あれには、レズビアンはヘテロセクシュアルの女性に較べて、自分自身の女性性をポジティヴに受容できないと思う、とありましたね。私など、ここでまずこの人の思考の厳密さに疑いをもってしまいます。「セクシュアル・マイノリティ」(というカテゴリー自体、私は自分からは使いませんが)の女性が対象の場所ならばスルーしてしまうかのかもしれませんが(それもまた問題だけど)。ヘテロセクシュアルの女性がこれを読んだら、自分だってべつに受け入れているわけじゃない、と思うのでは? 

 そんなことを考えていたところに、Xさんが、「自分は異性愛者だけどクイアだ」と主張する研究者(のタマゴですか?)の女性に声をかけられたと書いてこられたので、面白いと思ったのです。実際にそう言って寄ってくる人のうざったさというのもよくわかりますが、先の集まりの担当者の、「女性」であり「レズビアン」であるという自己規定の強さ(どちらのカテゴリーの自明さにも疑いを持たないこと)にはそれ以上の違和感を感じます。

「小児性愛者」が「同性愛者」と並列されていたという話ですが……それはぜひ、問題にしてくださいね☆。「オカマ」というのも、いろいろな意味で問題ぶくみの言葉ですが、使うなというよりあえて使ってみるのもいいかもしれません。美川憲一をTVで見て、まだ小さかった私の姪が「オカマだ」だと呟いたほどに、また、その母親が、一般に女に属するとされるものを甥が無邪気にねだったとき、「オカマになっちゃうよ」と応じたほどに、「ネットおかま」という言葉が平気で新聞に載るほどに、現代の日本で人口に膾炙した(甥のような子供から、その母親のような外国人にいたるまで)言葉なわけですし。
(異性愛者だけど私もクイアという人に「私もオカマ」と言いかえてもらって、意味の広がりを試すのも面白いかも、と思ったり。)

 ところで、同性愛に「原因」(フィジカルな)が欲しくてたまらない人たちが、科学的事実以前にあまた存在していることは重々承知していますが、またこんな記事がありました。http://www.usfl.com/Daily/News/06/07/0717_018.asp?id=49542

「男子が産まれるたびに、[同じ母親から生まれる]次の男子が同性愛者の確率は33%上昇する」というんですが、その中にこういう記述が。

> 2003年にピュー・リサーチ・センターが行った調査によると、米国人の42%が同性愛の理由を生活習慣上の選択と回答したほか、30%は生まれつき、14%は親のしつけとそれぞれ理由を挙げた。
>
> 同性愛問題の専門家であるジャック・ドレスチャー医師は、性的志向を生物学的要因と結びつける人は、そうでない人に比べて同性愛者の権利を支持する傾向が高いと指摘。「生物学的要因かどうかの問題はそうした文化的衝突の中で大きな役割を演じ、市民の権利や結婚に対する考え方も付随する」と説明した。


 同性愛には生物学的要因があると考える人ほど、同性愛者に対して寛容であるという、いつものやつですね。
 最後の、抗体がどうこうという文章、意味不明ですが。

 それから、いちいち指摘するまでもないことながら、「原因探し」がなされるのはつねに「男性」についてです。
 これに対応するような、女の場合についての後天的説明といえば……男にmolestされた結果、レズビアンに「走る」というやつでしょうかね。女は「普通」(!)に育てば「普通」に女になるはずなのに、そうでないのはよっぽどのことがあったのだろうと考える。外部から正常性を阻害された結果としての「逸脱」。それで思い出すのが、mixiのフェミニズムコミュの反ポルノスレッドです。あそこでも、ポルノに出演する女や「売春婦」は、トラウマ的経験をしたためにそうなったのだろうといったことがやすやすと一般化されていました。

☆小児性愛と同性愛を「一緒にする」というのは、並列ということもあるけど、同一視もされますよね。ずっと前のレズビアン&ゲイ映画祭でこんな作品がありました。息子がゲイと知った母親が涙ながらに、それじゃあ結婚はできないのね、でも養子をもらうのはだめよ、同性愛者は子供をmolestするから、と言うんです。そのお母さん自体カリカチュアライズされてるんですけど、あ、そうか、向うでは一般にそういう認識ってあるんだ、とあらためて思いました。
 その映画、台詞はフランス語(だったかな)英字幕つきで、私は字幕でそう読んだんですが、日本語字幕のほうは、翻訳者がわからなかったと見えて、「子供に影響があるから」と、インパクトゼロになっていました。
「生物学的要因」を男の同性愛者自身が支持する(特にアメリカで)のには、子供を誘惑して同性愛に引き込むいうイメージを払拭したいというのもあるんでしょうね。

 あきれた話をもう一つ。
 東北大の女の生物学者が上野千鶴子を読んで仰天し、ジェンダーがセックスに影響を与えるわけがないと書いていたという話は、去年の暮れから正月にかけてブログで名前は出さずに取り上げた(こことかこことか)あったんですが(『大航海』できまま[「きままな読書会」]やったときに お話ししたかも)、つい先日、日本学術会議の、生物学とジェンダー学の対話とかいうシンポジウムがあったでしょう? あのとき、こわいもの知らずにも上野さんに直接質問反論 したんだそうですよ。自分のブログ(「大隈典子の仙台通信」)にそう書いてました。

 さらにその先に、結局対話は成立しなかったようだとして、こんな記述が――。

>「 「生物学的な性」の起源は、「有性生殖」という戦略が取られたときに遡る。
今手元にある資料では調べきれなかったが、地球の誕生が46億年前、最初の生命体誕生が40-35億年前、それから、真核細胞の出現が25-20億年前、多細胞の出現は15-10億年前で、有性生殖はだいたい同じ頃であったかと思う。(……)「言語」の起源をどこまで遡れるのかは私は不案内なので言及しないが、どうあっても、地球の歴史を1年とした場合に、大晦日の除夜の鐘が聞こえる頃であることには違いない。
>・・・これが、生物学者が考える「性の歴史」であり、それは、どんな言葉を使おうが使うまいが、リアルなものとして地球上に存在していたのだ、という風に考える。
そして、そこには何ら、政治的な意図などは介入しない。


 どうしてここまで頭悪いんでしょうね。(最後の一行、読む者を思わずほほえませます。)
 べつにこういう人とあえて対話を成立させる必要もなさそうですが、問題はこういう人が仙台では男女共同サンカクナントカの役をやっていることかも。
 東北大学の女性研究者支援事業で、高校の女子生徒を対象にロールモデルとして派遣される女の院生に、なんて名前つけたと思います?サイエンスエンジェルなんです。違和感を感じるとコメントを寄せた女の研究者に、だけどたくさんの応募がありましたよ、なんて答えてる!
 さらに、その女性研究者から、

 >「物事の捉え方は、人によって異なるものだと実感しましたが、ほんの少しでも、「いやだ~」と思う女性の気持ちがわかりませんか?
あるいは、わかりたいと思いませんか?


と言われても……わからないらしい(どうもこの人、そういう気持ちがわからないという以前に、こうした文章にこめられた皮肉とか逆説とかが読めないようなフシが……)。
 こうなるとまともな議論をしにあえて訪れようとする人もいなくなり、コメント寄せるのは、反フェミ的な考え方を吹き込んでてめえの陣営に取り込みたい人間か、立場上彼女におもねるしかない学生かになってしまうのではないかしらん。

《凡庸な紋切型》の言説を採集するフィールドとしては貴重かもしれませんよ。
と思いきり(でもないか)悪口言ったところで終りにします。
(ブログではそうそう悪口も書けないんでこちらで。)

 そうそう、フェミコミュの反ポルノスレッドについても私はそういう意味で貴重だと思っています。酔ったMさんに、ああいうのに私がいちいち反論しなくちゃいけないんですか? と言われちゃいました。本人覚えてないかもしれませんが。

鈴木 薫

2006年7月27日



■追記

 同性愛の原因(?)についての記事に関しては、Xさんから別のソースを教えてもらった。結論部はこうなっている。
http://gayjapannews.com/news2006/news278.htm

> 「ひとつの可能性として、母体の免疫システムが男性胎児に影響を与えているのかもしれないとボガート氏は推察している。「母体の免疫システムは男性胎児を異質なものとして捉え、反応するかもしれない。女性胎児の場合、母体もまた女性であることから反応しないのではないか。」これは Rh- の血液型の母親が Rh+ の胎児を妊娠したときに起こる免疫システムの反応に似ていると考えられる。治療をしなかった場合、その母親は将来の妊娠において胎児を攻撃する可能性のある抗体をつくりだすことがある。

>「なにが起こっているかはまだ不明だが、その仮説はかなり刺激的だ。」とブリードラブ氏とミシガン州立大学の同僚による論評は述べている。


 免疫システムと性的指向に関係があるということが先に証明されているならともかく、これだけではあまりにもこじつけめいている。男の子を続けて産むことで子宮が同性愛者(男)を産み出すいわば悪い子宮に変質するというこのストーリー(ホラー?)から私が連想したのは、夢野久作の小説にあるような、前の夫の影響が女の体(端的に言えば子宮)には残るので、再婚して妊娠しても純血な子は得られず、前の男の特徴が混じってしまうといった擬似[トンデモ]科学的説明だ。
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by kaoruSZ | 2006-08-01 18:45 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(5)
■女性のためのポルノグラフィについての第二の手紙

Date: Thu, 25 Nov 2004

M......様

>なるほど、身体表象との近接性が必ずしも性別に拘束されない
>ことは、どこまでも重要なことなのだなと思いました。

 逆に言うと一般的には拘束されるんですよね。
 それが当然のことと思われるほど性同一性って堅固なわけですね。
 なぜなんでしょう?(という疑問も起こらないほどに)
 だからこそ、榊原史保美さんの“やおい女性はFTMトランスセクシュアル”説になってしまったりするのかなと思ったりします。

(中略)

>A※※※さんとかって、ポルノのムチ打ちシーンをみると、常に
>ムチ打ち刑の事件を想起してしまうタイプのかたなのだと思います。
>誰もが現実を想起してしまう表象もあると思いますが、そうではない
>ものもありうるのだということをどうやって主張したら伝わるのか、
>これが私の課題だと思っています。

 子供のとき、テレビの拷問シーンとかで昂奮したことないんでしょうかね。
 あるいは、あとからの知識で、そういうので感じてはいけない、と抑圧してしまったのか。
 また、急に思い出しましたが――これは私の記憶ではなくて大岡昇平が書いていたのですが、幼い頃、お姫様が悪漢にさらわれる挿絵を見て、自分も女の子になりたいと思ったとか、そのさらう男に父のイメージが重なったとか、そんな話がありましたね。男のままで受け身になるのは禁忌だから女になりたいのか、女の子になった方がよりその状態を楽しめるからか(恐らく両方でしょう)。大岡昇平はもちろんフロイトの知識があって書いたはずです。

(中略)

 ジェンダーは同一化して遊ぶためのものだというのは、うっかりすると四半世紀前になるのか、岸田秀のセミナーに通ったとき(カルチャー・センターのはしりみたいなものでした)、岸田さんとの雑談で主張したことでもあるのですが、理解してくれませんでしたね。(あ、当時は、今のような意味でのジェンダーという言葉はなかったので、「〈男〉とか〈女〉とかいうのはそれを使って遊ぶためのもの云々」と言っていたんでしょう。)彼のいう〈幻想〉は、今思えば構築主義的本質主義になるのかな。

(中略)

 ふつう、「男女の項の入れ替え」っていうと、女の方が能動的になるとか、男のヌードを見て楽しむとか、そういうことが想定されているんでしょうね。あるいは、男がポリガミーだから女もそうするとか(僕は愛人を作るから君も好きにしていいよ、という形で、サルトルとボーヴォワールをはじめ失敗例があまたあるようなたぐいの)。

 もともと男女のポジションが非対称なので、単純に入れ替えてもだめで、やおいという迂路を通って男性表象を女性が楽しむ、ということですよね。男が女を性的対象としてポルノ化してきたのと同じことをやおいによって女がするのか、というよくある非難に対しても、そういう単純な入れ替えではないんだということで反論できそうな気がします。

(中略)

 私こそ、こうしていろいろ考えるきっかけになるお話を聞けて、また、文章を読ませていただいてよかったです。ブログにあるやおい論コーナーを更新できるかもしれません。
 では、風邪などひかないようにがんばって下さい。私は昨日帰ってすぐ寝たので、幸い頭痛は消えました。

鈴木 薫

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by kaoruSZ | 2006-07-20 13:10 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)
■女性のためのポルノグラフィについての第一の手紙

Date: Thu, 24 Nov 2004

M・・・・様

昨日はお疲れさまでした。久しぶりにああいう研究発表というものに接して、それだけでも刺激になった気がします。(読書会も、この際マンネリを打破しないと……。)

 以下、結論部を読んでの感想をだらだら書きます。
 細谷さんの「脅かされ感」説に対する批判、私も細谷説には違和感があったので(女ならこう感じるはず、というあたり、直観的に)、全面的に賛成です(1)。で、これをつきつめれば、犯されるのが男性の身体ならば脅かされないのか、というIHさんの問題提起に対しても、女の身体を持っているからと言って女性身体の表象により近いポジションにいるわけではない、と主張することができるのではないかと思うのですが、どうでしょう。(とりあえずコミックと小説に限っての話ですが。)

 表象と現実はあくまで別もののだという例として個人的な経験を。私が英語のゲイ・ポルノ、それもSMのハードなのにハマっていたとき(それはそれは見事に書かれているのです)、シンガポールで、駐車中の車にいたずらをしたアメリカ人の未成年者が、ムチ打ち刑の判決を受けるという事件がありました。それで、シンガポールのムチ打ち刑がどういうものかについて、解説が新聞に載ったのですが、日常的に笞打ちの話など浴びるほど読んでいた私なのに、それが実際に国家によって刑罰として行なわれるとなると、ただただ嫌悪を催させるだけのものであって、とてもeroticiseできるようなものではない。あらためてファンタジーと現実の差を思いました。

 話はずれますが、わりと最近、警察の調書というものをとられたことがあるんですよ。というのは、一年前に上司の留守中に変な客があって、適当にあしらって帰したことがあったんですが、その男、実はあちこちの企業を訪ねては脅迫していた暴力団員で、しばらく前に逮捕されたんですね。それで、うちにも来たと自供したので、直接応対した人に任意で話を聞きたいということで。

(中略)

 私の話を聞いて刑事がメモをとり、一人称で作文してくるんですが、できあがったのを見てびっくり。「感じの悪い人なので私は早く帰ってもらいたいと思い」、とか、随所に「私」の感情が捏造されて、「脅える存在」にされていました。暴力団員に対面した「女」の心理というものなんですね、きっと。もちろん書き直してもらいましたが。これだけのことでも腹立たしいのだから、もしも殺人犯だったら、もっともらしく心理を書かれてさぞ不愉快なことでしょう!
 
 閑話休題。夢オチとか、合意の上でのSMとか、暴力性を緩和する状況というのは、一般的に小説としての技巧であろうとも思います。ゲイ・ポルノでもよくあるのを思い出しました(私自身、登場人物を女同士に変えて書いてみたこともあります)(2)。

 竹村さんに対する批判、面白いと思いました(3)。
『絶望論』の著者[清田友則氏]が、竹村さんのことを、エディプス・コンプレックスがわかっていないと言って批判しているんですが、ここでの竹村さんの意見には、その批判があたっているのではないかと思わせるところがあります。「エディプス・コンプレックスがわかっていない」とは、男女の差異がわかっていないという意味ととりあえずとっていいと思います。「ジェンダーからの解放とは「全員男に似る」ということではない」という点については、清田氏も賛成すると思います。彼はもっぱら、竹村さんがまっとうな意見を言いながら、それに対抗して持ち出してくる案がだめ(というより、対案がないじゃないか)、というような批判をしていました。

 で、問題の「多様な差異が抑圧的な意味づけをともなわずに共存できるあり方」という[竹村氏の]言葉ですが、あらためて見るとかなり空疎な言葉にも思えます。ジェンダーの廃絶だけがあって、ジェンダーをめぐって遊ぶ余地が全くない。Mさんの文章を読んでいて、やおいについても、やおいもまたこの意味での「男女の項の入れ替え」であって、だからこそ性別が男であることに固執しているのだと主張できると思いました。

 以上、思いつくままにまとまりのない話ですが、ひとまず忘れないうちに。

 鈴木 薫



(1)ここでMさんは、2002年の日本女性学会総会での細谷実氏の発表について批判している。
この発表については、日本女性学会のニューズレター
http://www.joseigakkai-jp.org/news91.htm に次のようにまとめられている(ただし、
本人の手になるものではない)。

「男性が暴力ポルノを見て不快感を感じたとしても脅かされ感を感じないのではないかと思われること、そこには身体の外形に基づく現実社会におけるポジションが色濃く影を落としているように思われること、したがってリベラリズムにおいてポルノに対する見たい・見たくないの問題を趣味判断の問題と位置付けるのは、この身体の外形に基づくポジションの相違という問題に対する認識を欠いていると思われること」

(2) これは、Mさんの具体的な発表内容に対するコメント。

(3)竹村(和子)氏の、ジェンダーからの解放とは「全員男に似る」ということではない」、単なる「男女の項の入れ替え」ではだめだ、という主張に対してのもの。
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by kaoruSZ | 2006-06-09 16:48 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(14)

載せりん!

双風舎の『バックラッシュ!』が読みたいで、ブログに載せまい!

http://d.hatena.ne.jp/Backlash/

(豊川弁ではこんな感じ? あ、この「載せまい」は「載せよう」の意味です。)

追記:タイトルもわかりにくいでしょうか?……検索窓に「じょうぶい」と入れると用例が見ます。
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by kaoruSZ | 2006-05-29 02:38 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)

ある会話から

 一人でお昼を食べていると、右隣のテーブルの会話が、気がつくとはじまっている夢のように耳に入ってきていた。左側とは二つのテーブルをつけた形で相席同然だったから、会釈して奥に入り、耳に入る会話は素通りさせていた。サラダが終って、運ばれてきたハヤシライスを黙々とすくっては口に入れていた。

 それが、皿が下げられたあと、持参の本を広げはしたもののさして読む気にもならないので脇に置き、珈琲とミニデザートが運ばれてくるのを待つうちに、急に右側の女の子たちの話が意味をもって聞えてきたのだ。最初、夫に秘密を告白されるとして、どれだったらまだましかという話のようにそれは思えた。ありそうな出来事のうちの究極の選択のようなもの? だが、もしかしたらそれは身近に起こっていることなのかもしれなくて、そのあたりは最後まで判然としなかった。
 
 結婚したはずなのに籍が入っていなかった……これは嫌よね、と二人は頷く。実は夫がズラだった。え? これはわかるんじゃないの? と一人が言う。これならいいかもしれない、とも。ハゲだったとしても、ああ、そうなの、ですんでしまいそう。では、夫がゲイだったら? え、でも、だったら子供できないんじゃない?(これで、子供がいるという設定がすでにあっての話だとわかった。それとも、実際にそういうケースがあって実はどれか、という話? いずれにせよ、当事者でないのは確かだ。)でもそれは……なんとかマウンテンであるじゃない。(このあたりで、ひとことも聞きもらすまいと私は耳をそばだてる……。)

 相手は『ブロークバック・マウンテン』を聞いたこともないらしかった。私は見てないけど○○さんが……ともう一人が言う。(○○さんはそういうのがスキな人らしい。)自分は見てないからわからないけれどとあらかじめ弁明しつつ、彼女は映画のストーリーを話して聞かせる。山に二人で入っているあいだにそういう関係になるんだけど、山を降りて、それぞれ結婚して子供もできるけど、また二人で山に戻って……。

 そして二人が声をあげて笑ったところをみると、笑うべきところでそれはあるらしかった……。私がいっそう耳を澄まして聞き入ったのは、嫡出子という言葉を彼女たちが発したからでもある。その概念をめぐって某メーリングリストで問題になっている最中のそれを、こんなにたやすく日常会話で耳にすることができるとは。

 別の女が産む子を嫡出子にするために結婚する、そのためにいったん離婚してくれと夫に言われたらどうするか? そんな設問なのかもしれなかった。それはかまわないんじゃない? 鷹揚にも一人が言う。でも、向うの子供と自分の子供が対等になってしまうのよ。

 それは嫌よねえ。でしょう、と二人はうなずく。

 教訓。フェミニストの主張と一般の女性の認識の乖離などということを言うべきではない。フェミニストと一般の女の意見が離れているときはフェミニストに味方せよ。

 私生児ではなく嫡出でない子。非嫡出子。婚外子。婚外子ならニュートラルになれるか? 価値観はなすりつけられる。たちまち染まる。現在、父なし子という言葉は死後になっている。だが、幼稚園児の私はちゃんと知っていた。父の不在は誰にでも起こりうる状態なのに、それがどうしてさげすみつつ口に出されなければならないのか、私にはわからなかった。(父なし子はたんに父のいない子ではないのだから、お父さんのいない子を父なし子と呼んではいけないと母は私に教えた――ますますわけがわからなかった。)

 私の物知らずの弟は、自分の娘の出生届に印刷された嫡出の字が読めなかったが、私に意味を確認して、まだそんなことをやっているのか、と呆れるだけの頭は持っていた。

 姪の幼稚園の名簿に父なし子はいなかった。保護者欄に書き込まれているのは、全員が男名前であった。

 比喩としての言葉。言葉はそもそもが比喩である。新聞に載った文章に比喩として「非嫡出子」という語があったことがMLでは問題にされていたのだが、直後に私は堀江敏幸の文章で、「私生児」という言葉が比喩的に使われた例に出会っている。そして、その使い方を的確だと思った。

「これではまるでオールドミスだ」と『地獄の季節』の語り手は嘆息する。危険を冒す勇気も積極性も失った無気力な存在。いまやそう名指されたとて、独身の女たちは自分のこととは思えまい。だが、比喩としては、結婚しない女がそのように分類されていたことを理解できるし、理解すべきだ。意味は歴史的に形成される。(いうまでもなく、ここには、そもそもそう呼ばれるべきでない男が「オールドミス」と性別越境的に呼ばれることの意味も入ってくる。)

 比喩としては擁護するが、たとえば「父兄会」は比喩ではない。これは父及び兄が家長であったシステムとじかに接続された言葉であり、現在の学校で組織される保護者の集まりにこれを使ったとしたら不見識だ。差別するつもりではないとは本人は言うだろう。それはわかっている。その鈍感さこそが問題なのだ。

 ところで、彼女たちの会話に出てきた「ハゲ」であるが……いまやゲイより攻撃しやすい(公然と馬鹿にしてよい)ものになっているのかもしれない。

 映画字幕会社の若い女性社員が、「昔は未亡人は再婚できなかった」という科白に首をかしげるのに出会ったことがある。「未亡人は汚いと思われていたんでしょうか」と彼女は言った。この話を私がした相手のうち二人までが、わからないでいられるなんて幸せだけど、という反応を示した。幸せな歴史的無知は最悪だ。
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by kaoruSZ | 2006-05-21 12:04 | 日々 | Comments(2)

みたび署名の呼びかけ

あとで署名しようと思っていた方
今日の夜中が締切です。


 第3期東京都男女平等参画審議会委員に高橋史朗が入ったことに対する憂慮声明への賛同署名、締切が本日夜中に迫りました。

 詳しいことは二つ前の記事をごらん下さい。

 見るまでもないということでしたら、下記からお入り下さい。
http://www.cablenet.ne.jp/~mming/against_GFB_2.html>

 なお、この「憂慮」は、先に起こった事件のような、上野千鶴子が人権講座の講師に不適格だと不当にも主張するといったこととは、全く別の性質の事柄です。

 今回の問題は、「男女平等参画」に敵対的な内容を公然と発表し、しかも自分の方が正統的「男女平等参画」を主張していると言いくるめようとするような人間を、当の参画審議会に入れたということなのですから。
 
 また、こうしたフェミニズム・バッシャーは、自分が敵とみなしている者について無知でありながら、「過激」というレッテルを貼ってフレームアップを図るようです。フェミニストの著作を撤去させた福井県の「男女共同参画推進員」のように。

 呼び名が「平等」だろうが「参画」だろうが、フェミニズムを抜きにしたgender equalityなどありえぬわけで、こうした恥知らずぶりは糾弾されるべきです。

 目下ここにまとまったことを書く時間がないのですが、「きままな読書会」は更新しましたので、たまにはあっちものぞいて下さい(関係はあるけれど別な話です)。
      ↓
target=_blank>http://http://kimamatsum.exblog.jp/4709451/
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by kaoruSZ | 2006-05-18 15:32 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)