おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

タグ:場所、街、建築 ( 14 ) タグの人気記事

大塚再訪

 最近池袋・大塚史にとみに詳しくなっているSMさんに案内され、黄昏の大塚駅周辺を散歩する。大塚名画座の建物が今もそのままとは知らなかった。階上も、鈴本キネマだった地下も、飲食店が入っている。迷路のような商店街にはあれからただの一度も足を踏み入れたことがなく、とっくに高いビルにでもなっているかと思っていたが、再開発されたわけではなかったのだ。明らかに覚えのある階段の形状。当時は邦画の面白さを知らず、鈴本キネマには廃業が決まってから一度だけ行ったような気がするが、それともついに入ることがなかったのか、記憶はもうさだかではない。小さなスクリーンの大塚名画座はいつも混んでいて、一本しかない通路まで座り見の人で埋まっていたため、最前列のシートの足元に蹲って見たこともある(そして、二本立てのうちの一本が終った途端、後ろを向いて館内を見渡しすばやく席を確保した)。

 映画館のすぐ後ろに神社があるのを全く知らなかった。熱心に通っていたのはたぶん二十代のはじめで、街歩きにも興味がなかったのだと思う。

 電停のプラットフォーム伝いにガードの北側に回ったときはもう暗くなっていたが、前方の変哲もないビルを指し、ここは元はデパートだったそうだとSMさんが言う。場末に過ぎなかった池袋より先にこっちにできたのだと。今は本屋とマクドナルドが入っている一階奥の階段とエレベーター・ホールにわずかに残る往時の華やかさを確認して入口に戻ると、ありし日の姿を伝える写真が二枚飾られていた。その店の名前、白木屋。服飾史にも名をとどめる白木屋……(昭和初年の火事で裾が乱れるのを恐れた女店員が大勢死に、それをきっかけに下着が普及というのは俗説で、実際には逃げ場を失って飛び降りたとも聞くが)、それなら古かろう。SMさんは居酒屋しか連想しなかったし、日本橋東急も今はないが。

 設計者は石本喜久治。帰宅して検索でヒットした先を読むうち、石本建築事務所とは立原道造が若い晩年に勤めた先にほかならぬことに気がついた。

 大塚名画座も検索すると、ここは四回分のスタンプで一回無料になったと書いている人がおり、クリックしかけて気がついた、なんだ自分のブログじゃないかorz; 大塚名画座へ都電で行こうとしたら、あいにく巣鴨のお地蔵様の縁日にぶつかってしまい進むほどに押し寄せる年寄りで満員状態、席は譲らなければならず電車は進まず上映時間に間に合わなかったことまでちゃんと書いてある(一度した話をまたするところだった)。山手線のプラットフォームの高さにいて電車の中から見えた大塚角萬の鶴が金ピカだったことなんか読むまで忘れていた。つい二年ばかり前に自分で書いておきながら。記憶の消滅、加速度的か。

 拙記事で引いている 「南大塚萬重宝」 にも久しく訪れていなかったのだが、元白木屋大塚分室、現大塚ビルのことも、一階の本屋とマックのことも、名画座裏の天祖神社のことも、SMさんとお茶した駅前のベイカリーカフェのことも、そこがちょっと前までベッカーズだったことも、 さすが大塚トリビア紙、近年の記事にみんな載っていた。

 ところで、「南大塚萬重宝」をめくっていて「佃煮にするほど」という形容を見つけた。この言い方、最近では「女は産む機械」と思っている奴が佃煮にするほどという文脈で自分でも使った覚えがあるが、もともとは大学の同級生が、普通なら「掃いて捨てるほど」と書きそうなところで小林秀雄が「佃煮にするほど」と書いていたとその悪意に満ちた表現を面白がって話してくれたもので、私はずっと小林のオリジナルかと思っていた(小林がどこで書いていたのかは未詳)。逆に言えば、実際にこの言い回しが使われている文章に出会ったことがなかったのだ。それが検索によりおびたしい用例に一度に出会う。

 もとベッカーズ、現イースト・イーストには、わけあって実は前日にもひとりで入っていた。杏タルトを食べながら、ガラス張りの店内から高架上を走る電車が見渡せるのがいたく気に入ってしまった。線路の北側から見ても、建物に遮られることなく電車の通過を見られる風景が独特で、微妙にくぼんだ立地も面白い。散歩には、過去に栄え、今はさびれた町が好きだ。

 一度も栄えたことがない土地が開発されるとどういう風景になるかというと……この夜、帰ってきて、駅から自宅ではなくヨーカドーへ抜けようと近道をたどるうち、右手に視界が開けて、広い前庭の向うに、湾曲した屏風のような巨大な建物がファサード一面に明りをともしているのに出会った。明りはついているがすべてブラインドを下ろしているようだ。これはいったい何なのか。敷地内の建物配置図らしきものがあるのを見つけ「ほほえみの郷」とやらほかが入っている、老人のための複合(?)福祉施設とわかった。あの一面の明りの向うには、そこを終の住処とする老人もいるわけか。あたりは草むらと団地と時折車の走り抜ける道があるばかり。私が勘に頼って歩くととんでもない所へ行ってしまうことも珍しくないのだが、今回は、無事、行く手にセブン&アイ・ホールディングスのマークが見えてきた。

 それにしても、「ほほえみの郷」とか「ふれあいランド」とかのネーミングって……。(独り暮しの祖母のもとに定期的にかかってくる「ふれあい電話」は邪魔なだけでしかなかったことを思い出す。祖母はすぐに出られるようにと律義にベッドの上に起き上がって待ち構えているが、電話は決まった時間よりもたいてい遅れ、身体が冷えて固まってしまうのだと言っていた。日当たりがよすぎて午前中は眩しいのに、カーテンは開けていますかと規定の質問を繰り返す。最後まで頭脳明晰だった祖母は、これも型通りに「はい」と答えていた。そして、肌のふれあいがなくなったから、それでふれあい、ふれあいって言うんだろうね、と私に言った)。大塚で見かけたイタリアンの店、外観のダサい印象はどこから来るのか、いろいろあるが何といっても店名だとか、前を通りながら悪口言ってわるかった。レストラン「うまうま」、「ふれあいランド」よりよっぽどいいよ。
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by kaoruSZ | 2008-03-09 19:05 | 日々 | Comments(0)

その後の話をだらだらと

 内閣総理大臣が「謦咳に接し」というべきところを「ケイガンに接し」と教養のなさをにじみ出させ、NHKがまたそれに忠実に字幕をつけてやったそうだが、似たような話を一つ。茂木健一郎のファンのサイトで、モギがまたも若冲について発言している(まあ、するだろうけど)ことを知り、藝大での授業を一部聴く(音声ファイル)が、例の三十幅【さんじっぷく】を「ヒッショウの大作」なんて言っているのでいい加減で止めた(聞き取りづらいし)。

 さて、京都では、二日目、四種類のパン食べ放題の朝食をしっかり食べて(全種類一個ずつしか食べないが)、雨の中を出町柳まで京阪で行き、鴨川を渡り、9時に相国寺到着。10時の開場まで大雨の中、並んで待つ。隣の人が警備員と話していて、今日(金)はまだいい土日はヒサン(絵の前を通り過ぎるだけ)と警備員氏。(翌土曜は9時半、日曜日は9時に開場が早まったとミクシの若冲コミュで知る。)昨年、三の丸尚蔵館でじっくり見た動植綵絵、今回は、うちはせまくて飾るスペースもないからいいですと断っても、どうしても一幅もらってくれと言われたらどれにするだろう、とバカなことを考えながら見る(選び切れなかった)。

 相国寺を出てバスで百万遍へ、吉田山にちょっとだけ迷い込んだあと、cafe進々堂を見つける。もっと広々したところを勝手に想像していた。カツカレーたのむが、カツがちょうど終ってしまったというのでただのカレーセットで昼食。散歩には全く適さない日になってしまったが、雨の中を歩いて荒神橋西詰め(この西詰め、東詰めという言い方、今回覚える)の草分けリバーサイド・カフェでコーヒーとモンブラン。よくも悪くも昔の喫茶店。五条とここでは立地も違うが(efishは切り立った川岸、ここは平らな河川敷)。鴨川、雨が降れば中州は消え水が満ちるのだろうと前日思ったのが実現してしまうが、このあたりではまだ平らな川岸が広く残る。

 店を出るとその岸に下りて、鳥たちを間近に見ながら次の橋まで歩くことにする。川沿いの家々の手前に藤のような紫の小花を一面につけた大きな木がいくつも見えて、近づいてみると「センダン」という札をつけており、思わず葉をちぎってかぐが何も匂わない(栴檀と白檀の混同については読んだことがあったのにこのときは思い出さず)。前回灰色サギと書いた青サギ、白サギ(これはコサギとダイサギの他にチュウサギまでいるのだが、見分けがつかないので白サギにさせてもらう)多し。トビも飛ぶ。シギではないかと思われる鳥も至近距離で見る。

 バスで四条へ。東華菜館の川に面した壁に「翠○の東山を一望」うんぬんとあって、前日の夕方、対岸を通りながら二文字目がどうしても読めず、夜の照明で近くから見ても解読できず、三度目に目をこらすがやっぱり読めない……。恋や変の、今は亦になっている部分を本字にして、上下を山で挟んだような字に見えたが。

 七条で早めの夕飯を済ませようと考えたが、新しいものぎらいなので京都駅ビル内には入る気がせず、京都タワー地下へ。手芸用品売場が大半を占めるというズレぶり(良い)。中華の店(塔苑)で炒飯を頼むと、これが意外に美味しい! しかも630円という安さ。リバーバンクでモンブラン頼まず、炒飯のセットものにすればよかった(セットも格安)。それより、複数で来ればいろいろ取って食べられる。ちょうど隣のテーブルの人たちがそうやっていた。(連れがあれば東華菜館へも行きたいが……。)ともあれ、帰りの列車を待つ穴場を見つけたと思う。



 帰宅後、出かける前からたまっていた新聞に目を通していて、朝刊の二ページ目右下の長谷川櫂の連載にセンダンの名を見つけ(永福門院の歌「薄緑まじる楝の花見れば面影にたつ春の藤浪」を紹介)、なんとセンダン=楝(あふち)であると知る。実物、まったく知らなかった……。季節を考えればこのシンクロニシティも理由のないことではない。最近でもっとありそうにないシンクロニシティの例――デンマークの人形劇映画をスマップのメンバーが吹き替えるという興醒めな話題を繰り返しTVでやっていて(部屋を片付けながらつけっぱなしていたので)、現地の美術館でハンス・ウェグナーの椅子を見るというエピソードがあったあと、インテリアの雑誌を整理していてページをぱらぱらめくったら、「ウェグナーの椅子」という小さな文字が目に入ったこと(しかしこれも、TVでインプットされていなければ、そもそも目がその文字を拾わなかったろう)。

 レストラン菊水、さして建築の知識があるわけでもないのにゼセッションという言葉を書きつけてしまったが、正しいのだろうか? とホテルで検索してもヒットせず。セセッションでもだめで、帰宅してからゼツェッシオンともいうとあるのを見てペーストすると、あった!「素晴らしい。気のせいか、あまり話題にのぼらないように思いますが、これほど分離派(ゼツェッシオン)的な外観の飲食店は超貴重です!」http://home.u07.itscom.net/nardo/kyoto/3.html。写真はここに。 よく見たら、以前から(勝手に)リンクしている「街の風景」の人のサイトではないか。京都の他の近代建築についても記事多し。次回はプリントアウトして持って行かなければ。
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by kaoruSZ | 2007-05-28 05:18 | 日々 | Comments(0)

‘京に着ける夕’

 相国寺の若冲展見に京都へ。最初は夜行バスでと思っていたのが諸事情で新幹線の始発ですらなく、午後五時前京都着。かたむいた日がまだ強いので折り畳みの日傘を差し、鴨川沿いにまず五条へ。リヴァーサイド・カフェefishで、アボカドのゴロゴロ入ったサンドウィッチとコーヒー。灰色サギ、白サギも食事中。九羽の子を連れたカルガモ母さんが泳いでゆく。ツバメ飛びかう。三条のビジネスホテルにチェックインし、夜の町を四条まで散歩。日傘を持っていた左手の甲に発疹。新京極はずれのリプトン・ティーハウスでプリンとフルーツのパフェ。四条大橋の東華菜館とその斜め前(橋を挟んで)のレストラン菊水に注目。特に後者(京阪電鉄の建物かと思っていたらレストランだった)、ヨーロピアン風のレトロなビルなんて自分で説明しているけれど、これ、ゼセッションではないか。
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by kaoruSZ | 2007-05-24 22:47 | 日々 | Comments(0)

八日の燕子花

 木曜日(七日)、Mさんを誘い、かねて行ってみたいと思っていた根岸の子規庵に加え、三の丸尚蔵館での若冲第五期(最終)展へ。
 子規庵、予想されたことだが、座敷の向うにひらけた小さな庭が亡き祖母の家を思わせずにはいない(備えつけのノートにも同じような感想が記されている)。芙蓉が花ざかりなのも見馴れた風景(あれには葉をバリバリ食ってしまう太い芋虫がつく)。座敷で子規と不折の句画展。子規終焉の間の文机で記名する。Mさん、自分では記さず、あとで、人を知るとはかつてはその人の字を知ることだったのに、私の字をはじめて見たという。確かに。ぼろぼろの濡れ縁のあるガラス戸の向うには、まるでディスプレイのように、立派な糸瓜がいくつも下がる。忌日が近いわけだ。

 広縁から庭に降りて一巡 し、裏門から出る仕組み。豊川には祖母が自分で掘ってセメントを塗ったという小さな金魚池があったので、このあたりに……と思わず草の中をのぞく。出る前に売店に寄ると、半分に切った蜜柑をつつく愛らしいメジロの写真が目に入る。餌台のふちにただとまっているところと、頭を下げて蜜柑をついばんでいるところと二種。目白のポーズが違う、よくこういうところを撮ったね、とMさんに話していると、店番をしていた近所の主婦という感じの人が「頑張って撮りました」とほほえむ。庭の草花の写真に白字で句を抜いたハガキを手作りしているらしい。あまりの可愛さに二枚とも買う。メジロの句はないらしい(なくてもいい――ない方が引き立ちそう――だけれど)。

 祖母の家には糸瓜も瓢箪も生った。百坪借り、奥は畑にしていた。末っ子が学齢に達して母子寮を出なければならなくなったとき、私の母が交渉して借りる話を決めてきたという土地で、母子六人の住む家をその上に建てた。子規庵の庭に降りて家を眺めると、瓦屋根の形までそっくりに見え、うちのアルバムにもある、左手に洋室を建て増ししたとき(母の結婚後で、もう弟妹も成長している)の写真とイメージが重なる。要するに二間続きの和室の南に縁側を出すという、かつては(少なくとも本州の太平洋岸では)ごく普通の造りだったわけだ。祖母の家の縁側は子供の頃大好きな場所だった。祖母の晩年、たびたび訪ねていた当時、あの縁側ははたちで死んだ章一郎君(母の弟)の退職金で「出した」のだと祖母から聞いた。そういえば、できたばかりの家は寒くて、枕元の花瓶の水が凍ったと母が言ったことがある。就職が決まったものの一日も出勤しきないまま結核で亡くなった長男のことを、祖母はいつも君づけで略さず呼んでいた。

 若冲展のあと、竹橋方面へ公園内を横切る。池の縁に紅、桃、白と幾本も並ぶサルスベリが美しい。八橋が作ってあるが、Mさん、東下りの八橋を知らないというので説明しようとし、しょうぶじゃなくて、あやめ? とかきつばたが出てこなかった私、ボケ過ぎ。寝不足だったせいにしておこう。Mさん、用事があるので、早い時間に別れる。焼き立てのギョウザとお刺身用のサーモンとタタキ用アジ一匹等買って帰宅するが、TVをつけてお茶を飲みながらギョウザを食べているとご飯を炊くのが面倒になり、サーモンを切ってこれも食べてしまい、ゴロゴロするうち寝入る(眠らないようお茶にしといたのだが)。朝の四時頃目をさまし、丸ごとなので食べられなかったアジを冷蔵庫にしまう。結局、アジは朝食の塩焼きに。よく寝たせい(?)で、今ならかきつばたの折り句も、それどころか伊勢の地の文まで口ずさめるんだが……。
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by kaoruSZ | 2006-09-08 11:29 | 日々 | Comments(0)
  カルチャー・レヴューに成瀬論の続きを書いた。終えることを考えると終わらせられそうになかったので最終回はまた先送りに。

 30日正午過ぎに原稿送り、3時にYさんと谷中の朝倉彫塑館内で待ち合せ。ちょうどに着くと、門の外で待っていたYさん、なんと早く来過ぎてもう見てしまったという。もう一度一緒に入るというが、人が多そうなので私はまたにする。会話の様子では、遠くからも見に来ているようだったとか。話に聞く喫茶店「乱歩」(半濁音の○が歩の字に付く)へ。その前に菩提寺の前に来たので入る。こんなにお寺が多いとは思わなかったというので、振袖火事のあと神田のお寺がこっちへ移ってきて寺町を作ったのだと知識を披瀝。川越から谷中に出てきた先祖はお寺が神田にあった頃からの檀家とは、本家の法事に出たとき聞いた話。「乱歩」、いし辰の並びだった。話の種には面白いが、ゆっくりする場所ではない(二時間で再注文だし)。デニーズ並みにずっといられてタバコの煙が来なくてデニーズのようにコーヒーと称してへんなものを出さないところを探しているのだが、見つかっていない。椿屋珈琲店、珈琲はいいのだが今どき申し訳程度の禁煙席しかなく、しかも喫煙席とのあいだにまともな仕切りがないので呆れた。二三階のうち一階分を禁煙にしてくれたら、東郷青児の絵という趣味の悪さには目をつぶって行きつけにするのに。

 Yさん、「いし辰」大好きだそうで、ここが本店だったかと喜ぶ。突然、前の道を消防車がサイレンを鳴らして通り過ぎる。狭い坂道を消防車が走り下りる光景自体はじめて見るが、それがまた何台も。坂下まで降り、消防車の行った方へ(行き先だし)歩く。途中で、火元はうどん屋さんだと教えてもらう。煙も見えずきな臭くもなかったからボヤだったのだろう。現場の見当はついたが、ヤジ馬になるのはやめて谷中銀座を駅へ向かって上る。ダージリンで早めの夕食。日暮里側しか知らなかったが谷中はいいわね、とYさん。まあ、観光地(倉敷みたいな)と思って外から見ればいいかも。マンションが建っちゃうよりも商店街がそれでやっていけるのなら……。Yさん、翌日も時間あるそうなので読売でもらったプラド美術館の1日までの券をあげる。私は開館と同時に九時に入り、とてもそんなに早くは行けないというYさんは遅く行って、十二時にミュージアム・ショップで落ち合うことに。翌朝、しかし途中で頑張る気をなくし、洗濯物が乾いてから出かける。着いたのは十一時。ひととおり見て、買った絵はがきをよくよく見ようと会場内のソファに腰をおろしたところをYさんに見つけられる。十時半に来たという。六月までやっているから、もっとすいている時期にお金を払ってまた来るつもりなので十二時前に出てしまう。入口は行列札止めになっていた。GW中はやっぱりだめだ。絵はけっこういいのが来ていた。

 湯島から千代田線に乗ることにして不忍池へ。池畔で骨董市。魚を何匹も線描した小皿、いいなあと思って裏を見ると五桁の値段。骨董にまではまだ手を出していない。前日、地下で床屋が撤収作業しているのを見た三信ビルへ。しばらく前から土日祭日は一階の出入口シャッターをおろしてしまうのは知っていたので、「閉鎖しました」という三井不動産の貼紙は当日のみのこととは思いつつ一抹の不安があった。はたしてニューワールドサービスちゃんとやっている。(壁から突き出していた床屋のアメンボウはもう回っていない。)Yさんハンバーガー、私はポークジンジャー。食事のあと、二階廻廊へ。
「これを壊してしまうの?」
 間近で見る装飾に、Yさんの口からもMさんと同じ言葉が洩れる。地下に降りると、床屋のショーケースの中の昔の写真もちろんない。移転先が書いてあったから、そこでまた飾っているのだろう。三信書房は営業中。

 Yさんとはそこで別れて秋葉原へ。交通博物館へ向かう途中、海老原商店健在なのを見る。交通博物館のことはミクシィの近代建築コミュに書いた――。

1日に行ってきました。吹き抜けに吊られたヘリコプターの風防につもった埃や、すっかり古びてしまった(最初に見たときすでに古びていた)複葉機を見上げながら、ときどき立ち寄ってひとけのないがらんとした中でぼうっと過ごしてみたいと思いつつ、時が経ってしまったんだなあと思いました。

以前は夏になると川に面した窓をあけていて(その後展示物ですっかり塞がれてしまいました)、中から水面が見えるのも好きでした。博物館て、たんにそこで見る展示物ばかりでなく、そういう空間そのものが思い出ですね。

遺構は以前の公開時よりちょっとだけ整備&演出されていました。今回スクリーンに使われた高架下のアーチは、そのときは未公開だったと記憶します。階段を上りつめた最後のポイント、前回の時は、草むすプラットフォームへ小さな扉からひとりずつ頭をそっと出して外を見たんですよ。それが、何人も一度に見られるように大々的にガラス張りの開口部が作られていました。遺構の中へ一歩踏み込んだときはひんやりした空気を感じたのですが、昨日は暑かったもので、最後は日のあたる高架上でガラス箱をかぶせられた温室状態でした。


 秋葉原デパートの中でしばらく過ごし、鍛冶町で珈琲とケーキ、暮れなずむ街を淡路町を通り小川町へ。司町、多町あたりがどうなっているかを見たい気もするが、今日はやめておく。この朝、TVで昔のフォーク歌手が耐久コンサート開くとかという話をやっていて「神田川」と「いちご白書をもう一度」の一節を耳にしており、「神田川」はどうでもいいのだが、「いちご白書を……」のルフランがともすればよみがえる。すずらん通りに入る。

  君も見るだろうか  「いちご白書」を 
  二人だけのメモリー どこかでもう一度

 歌詞の意味がどうこうより、ともかく曲がいいのだ。「とーきはながーれーたー」みたいなストレートで一本調子なのとは大違い。

たとふれば、

  青葉さへ見ればこころのとまるかな散りにし花の名残と思へば

のうちつけさに対する

  春はいぬ青葉のさくら遅き日にとまるかたみの夕ぐれの花

のごとし。(例は塚本邦雄からの盗用。)

 閉店間際の書泉グランデで『学生と読む「三四郎」』(石原千秋)買う。神保町、ランチョンの並びにファスト・フード屋だのコンビニだの見なれないのができている(もう何年もあるんだろうけど)。スマトラカレーの店、もしかしてないのかも、と思うと昔のままの地下への階段もそのままにあったので入る。石原千秋、ジュンク堂の規模にはじめて行った学生は腰を抜かすほど驚くと書いている。私がHに連れられてはじめて行って驚いたのは東京堂(昔の)だ。高校生のときで、それまでは上野中通りの明正堂が私の知っている一番大きい本屋だった。Hは小林秀雄訳の文庫『地獄の季節』を買い、私は何も買わなかった(ありすぎて)。明治大学も工事がはじまってからは一度も見ていなかった(これももう何年も前に完成か)。通りにそって夜の中に大きな木がそびえる。むろん新しく植えたもの。昔、Hが、ここで朔太郎が講義したのよね、と指さして言ったもの。そのとき入った喫茶店はとっくに――Hのまだいるうちだったので、あそこなくなっちゃたね、と話し、そうやってその日を覚えていることを互いに確認し合いもした――なくなってしまった)。新御茶ノ水駅までの小センチメンタル・ジャーニー。強い日射しにあたったせいもあって熱っぽく軽い頭痛、幸い翌日までに消える。
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by kaoruSZ | 2006-05-02 20:28 | 日々 | Comments(0)

休日

 土曜日、たまりにたまった用事のなかでいったい朝イチで何をやるべきか悩んだが、9時に上野へ駆けつけてプラド美術館展を読売にもらったタダ券で見るのはやめて(しかし、早く見ないとこの券、四月いっぱいしか使えない。展覧会自体は六月までやるけど)、10:30からの『ブロークバック・マウンテン』見に日比谷シャンテへ。映画館のサイトで見たら、土曜の第一回はガラガラとは書いていなかったけれど実際にはスキスキだった。早めに着いて先に券買って近くでモーニング。ギリギリに行ってもどこでも座れた。二回目以降は全席指定。これが嫌いなので、一回目に行きたかった。

 見た結果は、薄味でがっかり。ミクシィでSさんが、いかにもステレオタイプな紹介記事を紹介してくれていて、そこには同性愛という特殊なドラマだけど普遍的なテーマとあったが……Sさん、ただの「普遍」でしたよ!
 男同士、ましてやカウボーイ同士である必然性まるでなし。
 せっかく西部劇が積み重ねてきた「男同士の関係」という素材があるのに、全く利用しないんだか、できなかったんだか。
 監督はたぶん「特殊なドラマ」の味わいを理解していないのだ。
 私は子供のときからずっとそういう西部劇系の「ドラマ」は、性的“嗜好”の対象だったからね。
 
 その私が、二人の男優にもその関係にも、何の魅力も感じなかった。女優たちはよかったけど、そっちに観客の目を行かせて、脇のドラマでふくらみを持たせて何とかしようと思ったのかねー、監督は、という感じた。
 というか、主筋がふくらんでいない。
 あれで泣く人がいるのか? 信じられない。

 始まる前、泣けるというから厚地のハンカチ持ってきたんだけど、という声(男の)が何列か後ろの席でして、それとなく振り向いてみたらゲイの二人組だったが、彼のハンカチも必要なかった模様。

 資料としてパンフレット買う。ざっと見ただけだが、原作の翻訳者の文章だけが面白かった。原作の方がいいのかな。

 このあとは日比谷から西日暮里まで地下鉄で行き、歩いて日暮里駅方向へ戻り、ウェブで評判のいい「ダージリン」でカレー。辛くて美味しかった。以前谷中に来たときもこの店の看板は見た覚えがある。そのあと、行きそびれていた朝倉彫塑館へ。伯母(伯父のつれあい)の法事で来たとき、帰りに喪服のまま見て行こうと思っていたら、お斎は別の場所に用意してあるということで上野まで連れて行かれてしまい、果たさなかったのだ。外観からは想像のつかない素晴しい空間。特に池を中心にめぐらされた廊下と座敷。林芙美子邸とどっちかやるけどどっちにすると言われれば、私は林邸の方でいいけれど、あの池はいいなあ。夢の中で見たことがあるかもしれない。池の面を吹き渡ってくる風が気持いい。全然違うけど、鎌倉の近代美術館の水の上の建物も好きだ。

 少しでも木がまとまって生えていると風が通って本当に涼しく感じるのは、地代を払いに、夏、従兄の家へ行くたび感じること。父の生家の庭のなごりのひとかけらだ。朝倉邸の窓の内鍵はうちのとそっくりだ。小さくずんぐりとしていて、押し込んで鍵をかけ、あけたときは抜いてそのまま垂らしておく仕掛け。屋上まで上って見下ろすと、目の下のほんのそれだけでしかない場所に、信じられないほどの濃密な緑。周りはまだまだ低層住宅だし、台地の上だからひときわ高くそびえているけれど、かつてはここからただ黒い甍の波のつらなりだけが見えたのだろう。父はここに来たことがあるのだろうか? あったら何か言うと思うから、なかったのかもしれない。知らなかったのだろうか? 父と来ていたら家の細部についていろいろ説明してもらえ(というか、得意になって説明されて)、面白かったろうと思う。

 素通りするには近過ぎるので菩提寺にも寄った。といっても、墓石を眺めてきただけ。伯母の法事で伯父二人の家の墓の場所をはじめて知ったので、そこも見てくる。要するに父以外の男のきょうだいはすべてここに墓を持つ――父は末っ子で、土地と家と墓地をもらいそこねた人なので、ここにはうちの墓所はない。祖父の戒名をはじめてよくよく見る。本当に、あまりにもベタで可笑しくなるほど、律儀な働き者の名前だ。
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by kaoruSZ | 2006-04-24 15:31 | 日々 | Comments(0)

あの洋館はもうない

 刑部邸に重機が入り、他の棟を壊してメインの洋館に近づいていることは玉井さんいのうえさんのブログで読んで承知していたが、とうとうあの愛らしい不思議なファサードも瓦礫と化してしまったと知る。

 心惹かれる写真サイトを見つけるとリンクしているのだが、そのようにして先日出遭ったRoc写真箱へ、先週の木曜日、何の気なしに行ってみた。花をつけたニラ★とおぼしきひとかたまりの花がアップされている。うちのニラもそういえば道に面した外壁に繁る蔓薔薇の下の菫の隣に咲き出していたっけと思いつつ、添えられた文を読んで、刑部邸のアトリエがとうとう壊されたこと、その前に、建物の足もとに咲いていた花を撮ったものだと知る。白い花はもう一種類見えるが、これはまぎれもなくシャガ、花は小さいながら花弁に紫と黄の模様が入り、一人前にアイリスのかたちをしている。(一つ前の記事に、母が好きだったと書いたところだ。)花々は消え去った建築への供華としてあげられていたのだった。

 うちのシャガはこれよりあと、週末にようやく一輪ひらいた。地中を伝って離れたところにいくらでも新しい葉を伸ばす。うちでは場所が狭いから、他の植物を駆逐して占拠されないようたまに引き抜くが、抜いたのをほうっておくとまたそこから根を張るくらい強い。刑部邸の草木はどうなるのか。土を掘り返してごっそり運び去りでもしなければ半ば野生化した草花たちは生き延びられようが。あとには低層<マンション>が建つという。今度林芙美子記念館を訪ねるときにはどうなっていることか。

★母はニラと呼んでいたが、検索するとニラの花はいかにもアリウム属らしい蘂の目立つもの、ガクが花びら様に発達を遂げた仲間と思われる、星形の白い花とは別ものだ。母が勘違いしていた? 首をかしげつつ、ためしにハナニラと打ち込んでみると、シンプルな見なれた花がヒットした。ずっと野菜のニラだと思い込んでいた(発育が悪くて葉が寝ているのかと思ったが、もともとそういう性質なのだった)が、食用にならない別種だという。食べなくてよかった(もしかしたら、戸田に生えていたのを一度くらい食べたかも……)。

          *

 今日、朝日新聞本社の西側斜面の緑地帯で、真赤なシャクナゲの大木が花盛りなのを見た。八重桜も満開。葉が黄色い八重桜で、子供のときは少しも美しいと思わなかった花だが、今はこれはこれで面白いと思う。八重桜に豊かなヴァリエーションがあることを一度に知ったのは、大阪の造幣局の通り抜けを歩いてから。初めて勤めたところで、無駄に出張に行かされ、結局目的も達成できずに時間があいてしまったときに、勧められて行ったのだ。シャクナゲ、戸田のアパートを建て替える前は、空いた場所に三本ほど地植えにしていた。父はどうやって手に入れたのか、苗を買ったか、誰かにもらったのか、普請の際にいらないから処分してくれと客に言われた庭木をせっせと運んできては植えていたから、あれもそうだったのか。その場所を四畳半と呼んでいたのは、それくらいの広さしかなかったからである。

 しかし、アパートの立て替えで四畳半の草木も行き場をなくし、一部を人にあげてあとは結局処分されてしまった。シャクナゲの一本、真赤ではなくピンク色のところが値打ちなんだと父が言っていた株は大工さんにもらわれて行ったが、そのとき二階に住んでいた私が、早朝物音に気づいて上から見ると、大工さんはせっせとシャクナゲを掘っていた。そのあと父から電話があって、職人が仕事に来ているかと訊いてきたが、誰も来ていなかった(古いアパートを壊す前の準備段階だったのだ)。結局その日は誰も来ずじまいで、父は、天気がいいのにしょうがねえなあシャクナゲだけはすぐ取りにきて、と言っていたが——あのシャクナゲは、今年ピンクの花をつけているだろうか?
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by kaoruSZ | 2006-04-17 14:18 | 日々 | Comments(2)
  3月29日、Iさんとお花見の予定は前から決まっていたのだが、どうにも仕事が終らなくて、お弁当作る気でいたけれど、その朝一度出て行かなければどうにもならくなり、結局忙しい年度末に朝の十時半に早退し(お花見であるとは、直接関係のない人ひとりにしか打ち明けず。積極的に嘘ついたわけではないが)、いや、なんだかんだで実際には十一時になったけれど、ともかく十一時半までには東京駅で落ち合う。まず、11日にも書いた三の丸尚蔵館の、六幅ずつ五期にわたって公開の若冲展へ。Iさん本物を前にいっぺんに若冲ファンになる。

 日比谷に向かい、三信ビルのニューワールドサービスで食事。いつもの静かさだが、(たぶん)私たちの分を最後にごはんがなくなり、隣のテーブルの人たちはそれを聞いて席を立つ。直前の昼どきに人が押し寄せたのか、名残を惜しむ人が多いのか。この日マスターの姿はなかった。最初の計画では六義園から古川庭園へと思っていたのだが、あるブログ★を見てさる洋館が取り壊されることを、しかもそれが、前から行きたかった林芙美子記念館の隣に建っていると知り、急遽そこへ行くことに。成瀬関連の展示もずっとやっていたのが、3月末で終りと気づく。うっかりしていた。Iさんにはお楽しみということにして伏せていた新たな目的地をそこで明かす。洋館の名は刑部邸。地下鉄で高田馬場へ、そしてたぶん生れてはじめて西武池袋線に乗って中井へ。

 林芙美子の家は質素でつつましやかで、風が吹き抜けるようにというのが本人の望みであったというが、昔の家は確かにそのように作られていたもの。成瀬の『放浪記』の終り近く、田中絹代演じる母親に被布を着せて大切に座敷に据えた、高峰秀子の芙美子を訪ねて、庭の方から昔なじみの加藤大介が近づいてくる、その庭。小林桂樹の画家の夫がそっちの方から入ってきたアトリエも左手にある。沓脱石と丸い飛び石、四角い大きな敷石を連ねた通り道。沓脱石がやたらに大きい。もっと小さいし土に埋もれてしまっているが、実はうちにも昔の沓脱石が今でも濡れ縁の前にある。子供の頃は、空襲で焼けた家の、柱を受ける窪みをうがった土台石が庭に無雑作に転がっていたもの。長方形の敷石は今もあり、その両側にかろうじて残る地面に植物を植えて庭と称しているのだ。かつての父が育った家(規模はこれより大きい、なにしろ大家族だ)やその庭や、昔の暮しの匂いを少しだけかいだ気がする。

 かつてのアトリエ(そこだけ洋間の黒光りする床、これは断じてフローリングではなく板の間である)のガラス・ケースの中に、古い新聞の切り抜きが収められている。NHKの朝の連続テレビ小説『うず潮』の、変色した記事を見つける。Iさんは知る由もないことなので話さないが、これは見ていた。林美智子主演、津川雅彦が恋人役ではなかったか。だが、『うず潮』がそのあと吉永小百合で映画化されたとは知らなかった。袴をはき、髪が短く見える(たぶん後ろで結っているのだろうが)写真入り記事があったが、きれいすぎ! 上京する前の芙美子をやったらしい。『愛と死を見つめて』のあとの、少年のような袴姿を見て、吉永小百合をはじめて魅力的だと思う。

 聳え立つ桜の老木、花は手の届かない高い枝にしかついていない、いや、下の方にも、枝はないが幹から直接花が出ている。若冲の画中にあるような岩と化したがごときゴツゴツした幹と、それが咲かせるミニチュアのような花ぶさの対比が可愛らしい。閉館時刻が近づき、帰出口へと向かいかけたとき、入館者には立ち入れない座敷に立った老婦人が笑顔でこちらに会釈される。私たちのいるうちから元アトリエの展示室をせっせと掃除していた女性が、林芙美子の姪御さんだと教えてくれる。「中にお写真のあった――」展示室にあった記事を思い出してそう言うと、「写真より本物の方がきれいでしょ」と返された。成瀬の映画のことなど少しだけお話してから、隣の洋館について、壊してしまうんでしょうかと尋ねると頷いて、みんなもう引越されたという。あそこはここより古いんですよ、ここは昭和十六年だから。

 坂の上と下に出入口のある家の、庭と反対側の高いところへ最後に登ると――そのあたりにはひなたに菫がかたまって咲いていた――アトリエの屋根にはめ込まれたガラス部分を見ることができ、それ以外は通常の瓦からなる美しい屋根が、その全体を人がささやかな生をいとなむ谷間の家――煮炊きのカマドから煙が上がるような――のように錯覚させる。むろん今は生活の場ではないのだが、それでも念入りに手入れされていればそうやって家も庭も生きつづけるのだ(今は住む人のない祖母の家を思わずにはいられない)。坂の多い尾道に似ているところから芙美子がその土地を選んだのではという話があるが★★、その瓦屋根も尾道を思い出させる。いや、かつては日本中でこういう屋根の連なる風景はいくらでも見られたはずなのだ。

 そこからは、隣の下落合駅近くのカフェ杏奴(刑部邸関連のブログで見つけた)を目指すが、残念ながら早仕舞いを知らせる紙がドアに貼られていた。気がついた店の人に謝られる。次の駅である高田馬場へ向かう途中、巨大な円錐形のかたちに刈られた若緑の木にひかれて薬王院を見つける。花もありそうなので中へ入る、ここも芙美子邸と同じく高低のある地形、参堂を登って古いお地蔵さんや無縁塚を見る。少し前なら枝垂桜がきれいだったろうと思わせる木のすがた。牡丹で有名なお寺とあったのを思い出すが、、むろんこれはまだ。しかし、戻ってくると、境内には侘介、乙女椿、それ以外にも椿の木があり、その上小道に沿ったところでは繁らせた椿の木が花盛りの壁をかたちづくるという素晴しさ。あとで地図を見て、金井美恵子の小説に出てくる「おとめ山公園」はすぐ近くだったと知る。つまり、山手線の駅としてしか目白を知らない私には、それは高田馬場の先としてしか思い浮かばないのだが、実際にはさまざまな線によって結びついているということだ。

 だから、高田馬場に着いたのも、だんだんに近づいたわけではなく、横道から通りへ抜けると不意に道の向うに「愛国喫茶」の看板が見え、はっとしてこちら側の道沿いに目をやると西友があり、その左側にはかつてパール座の入口だったところが見え、行く手にはガードが見えて、長いこと足を向けることがなかったが確かに自分の知っている場所にすでに入り込んでいたことを知ったのだ。(あとになって、向う側に当然見えているはずだった甘納豆の店を目にした覚えがないのが気になってグーグル検索、「花川」閉店していたと知る。)

★冒頭で情報源としてあげられている「玉井さん」のサイトはここ。林芙美子邸についてもいろいろわかる。こちらもこの地域について詳しいサイト。ここにも記事が。多くの人に愛されていたのだ。
★★こちらのサイトで読んだのだった。
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by kaoruSZ | 2006-04-01 21:10 | 日々 | Comments(6)
 三信ビルのことを阪急梅田駅コンコースと同じくらい素敵な場所ではないかと書いている人がいて、阪急梅田駅コンコースとは?と調べてみたら、まさに壊されようとしている素敵な場所ではないか!

 年内にやらねばならぬこと多過ぎ、なんだかまったく元気が出ず、昼前に日比谷へ行って三信ビルの地下からエレヴェーターで上がると、クリスマス・ツリーの代りに正月のわけわからぬ飾り(クリスマスツリー大。いや、クリスマスツリーに決まった大きさはないか。人間大だ)置いてある。三井資本だからこのくらいの飾りはあたりまえにできるわけだな、別に左前でビル壊すわけじゃなし、と飾りに罪はないが意地悪な目で見て通る。ニューワールドサービスで、コーヒー、トースト、ベーコン、スクランブル・エッグのモーニング。もう一度エレヴェーターに乗って(中身は変哲もない。上野松坂屋の古エレヴェーターの面白さはない)二階へ上がると、男の人が写真撮ろうとしてエレヴェーター・ホールに立てられた立て札を、抱えて横へどかすところだった。警備員でなくてほっとしたろう。立札は言わずと知れた、テナントの邪魔になるから撮影するなというもの。解体が話題になるまではなかったし、昔ここで私も写真を撮っている。仕事納めのあとでテナントは誰もいない。彼の邪魔にならぬようギャラリーを一周する。

 丸善で手帳見るつもりで日比谷公園には寄らずにオアゾまで歩こうと思っていたが、亀の池の縁で少し日を浴びる気になって入る。池の背景の石垣に白いものが動いて、見るとシラサギではなく、猫。駆け下りることなど不可能な、絶壁に近い石垣の途中から、へっぴり腰で水際へ飛び降り、水の中から石垣が出ているだけの、その狭い水際をううろうろと歩いては止まる。まあ、陸に戻れないことはなかろう……。振り向くと、青空を背景に木々(その下のベンチにはここに住みついている人が寝ている)の枝の拡がるさまが、光の量も方向も何もかも申し分なくこの上なくリアルに目に映る――世界は時々このように美しい。
 少し元気になって園内一周する。枝の間に風前の灯の三信ビルの姿。その左手には、かつて同様に鐘楼のある朝日生命館が並んでいたのだ。前景に冬薔薇を入れて、二つのビルを一緒に撮ったこともある。
 
 先日何箇か拾ったカリンの実、カリンの木の下でまた一つ拾う。

 濠に来ているカイツブリが長々と潜水しては離れたところに浮び上がるのに時々見入りながら丸の内へ.。「デジタル散歩」のhumsumさんが、三信ビルと同じ設計者による(これは知らなかった)日本工業倶楽部のことを書いていたので、そっちをちょっとだけ見る気になる。昔を知っているので、変わりようをこれまでは見たくなかったのだ。
 果たして悪い方の予感が当たった。職工織女像だの、花の飾りだの、部分的には残しているのだろうが、レプリカで置きかえ過ぎだ。東京駅側、下の通りの反対側歩道から何度見上げたかしれない、上階にバルコニー(建物の外に突き出していない、室内に入り込んだ型)の並ぶ、外国の街か絵の中のような、あの空間に身を置いてみたい、ねがわくは住んでみたいと思わせる側面を見せてひっそりとたたずんでいたかつての魅力は雲散霧消し、まるでテーマパークの建物のよう。残念ながらこれは贋物だ。その向うの、同様に高層ビルを背負って外見だけ残された、優雅な三角屋根*を今もとどめてはいるはずの銀行倶楽部にはもはや近づく気がしない。
 新丸ビルも今やあとかたもないが、その後ろにも装飾的な美しいビルがかつてはあった(日本工業倶楽部はかなり無骨なほうである)。いつかああした写真をここにアップすることがあるかもしれない。

 オアゾがあったところには国鉄本社があり(これは特に惜しむような建物ではなかった)、東京駅を通り抜けた反対側には私の勤め先が八階に入っていたビルがあって、新宿駅構内に案内所スペースを借りていたので、私は毎月家賃をそこへ納めに行っていた。ある年、麹町税務署の年末調整の説明会が日本工業倶楽部であって、給料計算もしていた私はそこへ行くよう上司に言われた。年末調整の方法などすでにわかりきっていたから、中が見られるとほくほくして出かけた。配られたプリントに、孔雀の装飾と真紅のカーテンで荘厳された金色の内装をスケッチした。
 同じ場所での説明会の案内は翌年も来た。これ、行ってきますねと上司に言うと、去年行ったからもうわかってるでしょとあっさり言われてしまった

*リンク先で見ると、銅板葺きのあの屋根はひどいことになったらしい。結婚式場に使われているらしいが。東京駅舎に今の技術で手を入れて、果たしてちゃんとした仕事ができるのか心配だ。
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by kaoruSZ | 2005-12-29 22:05 | 日々 | Comments(1)

「花日記」

「パラレル・ヴィジョン展」より前に世田谷美術館で何か見たのではないかと考えるうち、不意にある画家の名が浮かんできた。「ルシアン・フロイド 世田谷美術館」で検索すると、世田谷美術館の過去の展覧会一覧にヒット(美術館のサイト内にあったのに見つけられないでいた)。92年、「パラレル・ヴィジョン」展の前の年になる。思い出した。確かにあれが最初だった。読売の夕刊の文化欄で記事を見て(今回のウナ・セラディもそう)、はるばる尋ねて行ったのだ。期待にたがわず素晴しかった。翌年は、たぶん、シュヴァルの城の模型を見たくて行った(そしてダーガーを発見した)。翌94年、「秦の始皇帝とその時代」展に招待券をもらって行っている。どうやらこれですべてのようだ。
 けさ、「ウナセラ・ディ・トーキョー」展について検索していて、次のような文章に行き当たった。[カッコ内は内心の声]

 久しぶりに砧の世田谷美術館に行く。12年ぶりのことだ。 [私と同じだ(そのときはまだルシアン・フロイド展を思い出していない)。]前に行ったのは「ラヴ・ユー・トーキョー」展。アラーキーと桑原甲子雄のふたり展だった。 [パラレル・ヴィジョンと同じ年だったのか(あとで——上記の過去の展覧会一覧で——知ったところでは、パラレル・ヴィジョンの直前だった)。]12年前が東京ロマンチカ、そして今度はザ・ピーナツの60年代のヒット曲のタイトルをそのままいただいたもの。歌謡曲は必然的にノスタルジックな感じがする。つまり、私も歳を取ったということだ。 [おや、私と似たような感想を!]

 ここまで読んで、梅本洋一の署名に気がついた。プロの書き手が複数で運営するサイトだったのだ。ホームに行くと、三信ビルについて、丸の内の変わりようについてと、私が最近書いたばかりのテーマと偶然重なる梅本さんの文章が見つかった。

……確かにオアゾにも丸ビルにも人が集まっている。丸の内中央通りには高級ブランドの露面店が軒を並べている。(……)高層もアトリウムもその複合体としても建物に人を集めるのに成功しているように見えるが、こうした選択は、丸の内をまるで郊外のショッピングセンターのように変えているもともとストリートであった丸の内が、それぞれの単体のビルの集合体に変貌しているからだ。/東京の再開発は、見事にストリートを消している。恵比寿ガーデンプレイス、代官山アドレス、六本木ヒルズ、それらのどれもが「広場」とその周辺に建つ高層ビルという構成で人を集めているが、それらは明瞭に周囲には何もない郊外のショッピングセンターの技法 なのだ。広場に集まった人は皆エレヴェーターに乗り最上階をめざす。そして各階層には商店が重層する。ストリートを「遊歩」する人は姿を消し、ランドマークを中心に円周状の街が建設されているからだ。強調は引用者]

 なるほど。先日も木場のイトーヨーカドー(実はここは嫌いではない)で——子供連れでやってきてそこから一歩も出ずに一日中過ごせるのであろう施設の一角で——家族連れに混じってテーブルにつき、ソフトクリームをなめながら、こういう環境で育つのと、上野の山で遊び、広小路を歩き、親の買物のあと松坂屋の食堂に入った私の子供時代との違いを考えていたところだった(木場はともかく、戸田のイトーヨーカドーときたら、ほんとに「周囲には何もない」)。

 そういうことを今度は書こうと思い、さっきもう一度行ったとき、同じサイト内にすごい日記を見つけた。花日記という可愛らしい名前にひかれてクリックしたその書き物が、映画批評に携わる学者たちのサイト内にあってなぜ異色かと言えば、作者の田中花さんが風俗店で働いているからだが、すごいというのは内容を指していうのではない。その文章の感触といったら——何と言ったらいいのだろう、ルノー・カミュの男あさり日記か、ミシェル・レリスの夢日記みたいなのだ。
 すっかり魅了されてしまったので、東京の郊外化についての考察はひとまずおくことにする。
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by kaoruSZ | 2005-05-23 23:37 | 日々 | Comments(0)