おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ
 本日まで上野の国立博物館でやっていた大琳派展に11日の朝行く。数日前に新宿の高層ビルで見た「ジョットとその遺産」展の印象が吹き飛ぶ良さ(ジョットは本来壁画だから一斑を見たにすぎないとはいえ)。風神雷神の見較べなどにはあまり興味がなかったのだが、宗達、光悦のコラボレーション(昔、辻邦生の小説で読んだっけ)も、光琳に比べほとんど知らなかった弟・乾山の工藝品も楽しめた。こういった洗練の極みというべき品は本当に好みだと思いながら出口近くまで来て、最後に、酒井抱一の弟子で家来で陰に隠れていたような(私の思い込みか)鈴木其一の「夏秋山水図屏風」に心から驚かされる。

 右の夏、生い繁る熊笹の笹縁[ささべり]が同じ幅に白く取られ、全く写実的でない。しかもマットに塗られた緑の山の縁からこの記号化された笹がのぞき、遠近も不明。コバルトブルーの渓流が束になって思いきり走るのが青い高速道路かウドンに見える。白い百合だけがこの上なく写実的に描かれる(「カサブランカ?」「山百合よ」絵の前でおばさまがたが囁きかわす)。

 左、秋では、これまた画面に貼り付いたリアルな桜のわくら葉。焦げ茶の幹を持つ杉の葉先も茶色くなっている。金地にコバルトブルーと金泥だからこれも琳派なのか、しかし昨日描かれたかのようにモダン。日本画の歴史には詳しくないが、たとえてみれば新古今のあとにいきなり「明星」が来たような。新古今の最後に、「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟[コクリコ]われも雛罌粟」なんてあったら、驚くでしょう?

 「絶対的にmoderne」でありつづけるのは至難の業だ。和歌は新古今で絶頂を極めて一度死んでいる。模倣上等、だだし模倣者が天才ならば。絵としてなら、酒井抱一の「夏秋草花図屏風」の方が私は「夏秋山水図屏風」より好きだ。宗達の風神雷神の裏に描かれたという前者は、右が雷に倒れ伏す草花、左が野分に吹き上げられる草花を描いたと解説されればなるほどと思う姿で(屏風の傍に草花のさまを真似、伏して見上げたら最高だろう)、構図は完璧、しかも天の気に翻弄されながらの二度と繰り返されない一瞬の生を描いてあますところがない。数多の追随者を産むであろうがもはやこの先はない。新古今にその先がなかったように。

 其一の構図も完璧である。モチーフはすべて既成のもの、匂いやかに立つ百合は抱一の右隻で地に伏すものに似る。だが、これは、いつの景、いづれの時代の風なのか。これは終っていない。この一瞬は過ぎ去っていない。コバルトブルーの上にかぼそい金で筋をひかれた泡立つ渓流の行方は見定められない。 

 たんに私が無知なだけで、いくつものブログが過去記事でこの作品に触れていた。根津美術館の所有で同館は今建て替え中なのだそう。アニメ絵とかセル画とか言われているのを見て微笑せずにはいられない。まさにそのとおり!(だが、それも、たまたま比較の対象があるのでいまそう見えるだけのこと。)本物を見た直後には絵葉書の一枚も手にとる気がせず、大部の図録のみ購入。文章の少なさに失望するも、解説者は抱一の「夏秋草花図屏風」の草花に其一の手が加わっている可能性を示唆。
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by kaorusz | 2008-11-16 17:48 | Comments(0)

大塚再訪

 最近池袋・大塚史にとみに詳しくなっているSMさんに案内され、黄昏の大塚駅周辺を散歩する。大塚名画座の建物が今もそのままとは知らなかった。階上も、鈴本キネマだった地下も、飲食店が入っている。迷路のような商店街にはあれからただの一度も足を踏み入れたことがなく、とっくに高いビルにでもなっているかと思っていたが、再開発されたわけではなかったのだ。明らかに覚えのある階段の形状。当時は邦画の面白さを知らず、鈴本キネマには廃業が決まってから一度だけ行ったような気がするが、それともついに入ることがなかったのか、記憶はもうさだかではない。小さなスクリーンの大塚名画座はいつも混んでいて、一本しかない通路まで座り見の人で埋まっていたため、最前列のシートの足元に蹲って見たこともある(そして、二本立てのうちの一本が終った途端、後ろを向いて館内を見渡しすばやく席を確保した)。

 映画館のすぐ後ろに神社があるのを全く知らなかった。熱心に通っていたのはたぶん二十代のはじめで、街歩きにも興味がなかったのだと思う。

 電停のプラットフォーム伝いにガードの北側に回ったときはもう暗くなっていたが、前方の変哲もないビルを指し、ここは元はデパートだったそうだとSMさんが言う。場末に過ぎなかった池袋より先にこっちにできたのだと。今は本屋とマクドナルドが入っている一階奥の階段とエレベーター・ホールにわずかに残る往時の華やかさを確認して入口に戻ると、ありし日の姿を伝える写真が二枚飾られていた。その店の名前、白木屋。服飾史にも名をとどめる白木屋……(昭和初年の火事で裾が乱れるのを恐れた女店員が大勢死に、それをきっかけに下着が普及というのは俗説で、実際には逃げ場を失って飛び降りたとも聞くが)、それなら古かろう。SMさんは居酒屋しか連想しなかったし、日本橋東急も今はないが。

 設計者は石本喜久治。帰宅して検索でヒットした先を読むうち、石本建築事務所とは立原道造が若い晩年に勤めた先にほかならぬことに気がついた。

 大塚名画座も検索すると、ここは四回分のスタンプで一回無料になったと書いている人がおり、クリックしかけて気がついた、なんだ自分のブログじゃないかorz; 大塚名画座へ都電で行こうとしたら、あいにく巣鴨のお地蔵様の縁日にぶつかってしまい進むほどに押し寄せる年寄りで満員状態、席は譲らなければならず電車は進まず上映時間に間に合わなかったことまでちゃんと書いてある(一度した話をまたするところだった)。山手線のプラットフォームの高さにいて電車の中から見えた大塚角萬の鶴が金ピカだったことなんか読むまで忘れていた。つい二年ばかり前に自分で書いておきながら。記憶の消滅、加速度的か。

 拙記事で引いている 「南大塚萬重宝」 にも久しく訪れていなかったのだが、元白木屋大塚分室、現大塚ビルのことも、一階の本屋とマックのことも、名画座裏の天祖神社のことも、SMさんとお茶した駅前のベイカリーカフェのことも、そこがちょっと前までベッカーズだったことも、 さすが大塚トリビア紙、近年の記事にみんな載っていた。

 ところで、「南大塚萬重宝」をめくっていて「佃煮にするほど」という形容を見つけた。この言い方、最近では「女は産む機械」と思っている奴が佃煮にするほどという文脈で自分でも使った覚えがあるが、もともとは大学の同級生が、普通なら「掃いて捨てるほど」と書きそうなところで小林秀雄が「佃煮にするほど」と書いていたとその悪意に満ちた表現を面白がって話してくれたもので、私はずっと小林のオリジナルかと思っていた(小林がどこで書いていたのかは未詳)。逆に言えば、実際にこの言い回しが使われている文章に出会ったことがなかったのだ。それが検索によりおびたしい用例に一度に出会う。

 もとベッカーズ、現イースト・イーストには、わけあって実は前日にもひとりで入っていた。杏タルトを食べながら、ガラス張りの店内から高架上を走る電車が見渡せるのがいたく気に入ってしまった。線路の北側から見ても、建物に遮られることなく電車の通過を見られる風景が独特で、微妙にくぼんだ立地も面白い。散歩には、過去に栄え、今はさびれた町が好きだ。

 一度も栄えたことがない土地が開発されるとどういう風景になるかというと……この夜、帰ってきて、駅から自宅ではなくヨーカドーへ抜けようと近道をたどるうち、右手に視界が開けて、広い前庭の向うに、湾曲した屏風のような巨大な建物がファサード一面に明りをともしているのに出会った。明りはついているがすべてブラインドを下ろしているようだ。これはいったい何なのか。敷地内の建物配置図らしきものがあるのを見つけ「ほほえみの郷」とやらほかが入っている、老人のための複合(?)福祉施設とわかった。あの一面の明りの向うには、そこを終の住処とする老人もいるわけか。あたりは草むらと団地と時折車の走り抜ける道があるばかり。私が勘に頼って歩くととんでもない所へ行ってしまうことも珍しくないのだが、今回は、無事、行く手にセブン&アイ・ホールディングスのマークが見えてきた。

 それにしても、「ほほえみの郷」とか「ふれあいランド」とかのネーミングって……。(独り暮しの祖母のもとに定期的にかかってくる「ふれあい電話」は邪魔なだけでしかなかったことを思い出す。祖母はすぐに出られるようにと律義にベッドの上に起き上がって待ち構えているが、電話は決まった時間よりもたいてい遅れ、身体が冷えて固まってしまうのだと言っていた。日当たりがよすぎて午前中は眩しいのに、カーテンは開けていますかと規定の質問を繰り返す。最後まで頭脳明晰だった祖母は、これも型通りに「はい」と答えていた。そして、肌のふれあいがなくなったから、それでふれあい、ふれあいって言うんだろうね、と私に言った)。大塚で見かけたイタリアンの店、外観のダサい印象はどこから来るのか、いろいろあるが何といっても店名だとか、前を通りながら悪口言ってわるかった。レストラン「うまうま」、「ふれあいランド」よりよっぽどいいよ。
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by kaoruSZ | 2008-03-09 19:05 | 日々 | Comments(0)

その後の話をだらだらと

 内閣総理大臣が「謦咳に接し」というべきところを「ケイガンに接し」と教養のなさをにじみ出させ、NHKがまたそれに忠実に字幕をつけてやったそうだが、似たような話を一つ。茂木健一郎のファンのサイトで、モギがまたも若冲について発言している(まあ、するだろうけど)ことを知り、藝大での授業を一部聴く(音声ファイル)が、例の三十幅【さんじっぷく】を「ヒッショウの大作」なんて言っているのでいい加減で止めた(聞き取りづらいし)。

 さて、京都では、二日目、四種類のパン食べ放題の朝食をしっかり食べて(全種類一個ずつしか食べないが)、雨の中を出町柳まで京阪で行き、鴨川を渡り、9時に相国寺到着。10時の開場まで大雨の中、並んで待つ。隣の人が警備員と話していて、今日(金)はまだいい土日はヒサン(絵の前を通り過ぎるだけ)と警備員氏。(翌土曜は9時半、日曜日は9時に開場が早まったとミクシの若冲コミュで知る。)昨年、三の丸尚蔵館でじっくり見た動植綵絵、今回は、うちはせまくて飾るスペースもないからいいですと断っても、どうしても一幅もらってくれと言われたらどれにするだろう、とバカなことを考えながら見る(選び切れなかった)。

 相国寺を出てバスで百万遍へ、吉田山にちょっとだけ迷い込んだあと、cafe進々堂を見つける。もっと広々したところを勝手に想像していた。カツカレーたのむが、カツがちょうど終ってしまったというのでただのカレーセットで昼食。散歩には全く適さない日になってしまったが、雨の中を歩いて荒神橋西詰め(この西詰め、東詰めという言い方、今回覚える)の草分けリバーサイド・カフェでコーヒーとモンブラン。よくも悪くも昔の喫茶店。五条とここでは立地も違うが(efishは切り立った川岸、ここは平らな河川敷)。鴨川、雨が降れば中州は消え水が満ちるのだろうと前日思ったのが実現してしまうが、このあたりではまだ平らな川岸が広く残る。

 店を出るとその岸に下りて、鳥たちを間近に見ながら次の橋まで歩くことにする。川沿いの家々の手前に藤のような紫の小花を一面につけた大きな木がいくつも見えて、近づいてみると「センダン」という札をつけており、思わず葉をちぎってかぐが何も匂わない(栴檀と白檀の混同については読んだことがあったのにこのときは思い出さず)。前回灰色サギと書いた青サギ、白サギ(これはコサギとダイサギの他にチュウサギまでいるのだが、見分けがつかないので白サギにさせてもらう)多し。トビも飛ぶ。シギではないかと思われる鳥も至近距離で見る。

 バスで四条へ。東華菜館の川に面した壁に「翠○の東山を一望」うんぬんとあって、前日の夕方、対岸を通りながら二文字目がどうしても読めず、夜の照明で近くから見ても解読できず、三度目に目をこらすがやっぱり読めない……。恋や変の、今は亦になっている部分を本字にして、上下を山で挟んだような字に見えたが。

 七条で早めの夕飯を済ませようと考えたが、新しいものぎらいなので京都駅ビル内には入る気がせず、京都タワー地下へ。手芸用品売場が大半を占めるというズレぶり(良い)。中華の店(塔苑)で炒飯を頼むと、これが意外に美味しい! しかも630円という安さ。リバーバンクでモンブラン頼まず、炒飯のセットものにすればよかった(セットも格安)。それより、複数で来ればいろいろ取って食べられる。ちょうど隣のテーブルの人たちがそうやっていた。(連れがあれば東華菜館へも行きたいが……。)ともあれ、帰りの列車を待つ穴場を見つけたと思う。



 帰宅後、出かける前からたまっていた新聞に目を通していて、朝刊の二ページ目右下の長谷川櫂の連載にセンダンの名を見つけ(永福門院の歌「薄緑まじる楝の花見れば面影にたつ春の藤浪」を紹介)、なんとセンダン=楝(あふち)であると知る。実物、まったく知らなかった……。季節を考えればこのシンクロニシティも理由のないことではない。最近でもっとありそうにないシンクロニシティの例――デンマークの人形劇映画をスマップのメンバーが吹き替えるという興醒めな話題を繰り返しTVでやっていて(部屋を片付けながらつけっぱなしていたので)、現地の美術館でハンス・ウェグナーの椅子を見るというエピソードがあったあと、インテリアの雑誌を整理していてページをぱらぱらめくったら、「ウェグナーの椅子」という小さな文字が目に入ったこと(しかしこれも、TVでインプットされていなければ、そもそも目がその文字を拾わなかったろう)。

 レストラン菊水、さして建築の知識があるわけでもないのにゼセッションという言葉を書きつけてしまったが、正しいのだろうか? とホテルで検索してもヒットせず。セセッションでもだめで、帰宅してからゼツェッシオンともいうとあるのを見てペーストすると、あった!「素晴らしい。気のせいか、あまり話題にのぼらないように思いますが、これほど分離派(ゼツェッシオン)的な外観の飲食店は超貴重です!」http://home.u07.itscom.net/nardo/kyoto/3.html。写真はここに。 よく見たら、以前から(勝手に)リンクしている「街の風景」の人のサイトではないか。京都の他の近代建築についても記事多し。次回はプリントアウトして持って行かなければ。
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by kaoruSZ | 2007-05-28 05:18 | 日々 | Comments(0)

‘京に着ける夕’

 相国寺の若冲展見に京都へ。最初は夜行バスでと思っていたのが諸事情で新幹線の始発ですらなく、午後五時前京都着。かたむいた日がまだ強いので折り畳みの日傘を差し、鴨川沿いにまず五条へ。リヴァーサイド・カフェefishで、アボカドのゴロゴロ入ったサンドウィッチとコーヒー。灰色サギ、白サギも食事中。九羽の子を連れたカルガモ母さんが泳いでゆく。ツバメ飛びかう。三条のビジネスホテルにチェックインし、夜の町を四条まで散歩。日傘を持っていた左手の甲に発疹。新京極はずれのリプトン・ティーハウスでプリンとフルーツのパフェ。四条大橋の東華菜館とその斜め前(橋を挟んで)のレストラン菊水に注目。特に後者(京阪電鉄の建物かと思っていたらレストランだった)、ヨーロピアン風のレトロなビルなんて自分で説明しているけれど、これ、ゼセッションではないか。
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by kaoruSZ | 2007-05-24 22:47 | 日々 | Comments(0)

八日の燕子花

 木曜日(七日)、Mさんを誘い、かねて行ってみたいと思っていた根岸の子規庵に加え、三の丸尚蔵館での若冲第五期(最終)展へ。
 子規庵、予想されたことだが、座敷の向うにひらけた小さな庭が亡き祖母の家を思わせずにはいない(備えつけのノートにも同じような感想が記されている)。芙蓉が花ざかりなのも見馴れた風景(あれには葉をバリバリ食ってしまう太い芋虫がつく)。座敷で子規と不折の句画展。子規終焉の間の文机で記名する。Mさん、自分では記さず、あとで、人を知るとはかつてはその人の字を知ることだったのに、私の字をはじめて見たという。確かに。ぼろぼろの濡れ縁のあるガラス戸の向うには、まるでディスプレイのように、立派な糸瓜がいくつも下がる。忌日が近いわけだ。

 広縁から庭に降りて一巡 し、裏門から出る仕組み。豊川には祖母が自分で掘ってセメントを塗ったという小さな金魚池があったので、このあたりに……と思わず草の中をのぞく。出る前に売店に寄ると、半分に切った蜜柑をつつく愛らしいメジロの写真が目に入る。餌台のふちにただとまっているところと、頭を下げて蜜柑をついばんでいるところと二種。目白のポーズが違う、よくこういうところを撮ったね、とMさんに話していると、店番をしていた近所の主婦という感じの人が「頑張って撮りました」とほほえむ。庭の草花の写真に白字で句を抜いたハガキを手作りしているらしい。あまりの可愛さに二枚とも買う。メジロの句はないらしい(なくてもいい――ない方が引き立ちそう――だけれど)。

 祖母の家には糸瓜も瓢箪も生った。百坪借り、奥は畑にしていた。末っ子が学齢に達して母子寮を出なければならなくなったとき、私の母が交渉して借りる話を決めてきたという土地で、母子六人の住む家をその上に建てた。子規庵の庭に降りて家を眺めると、瓦屋根の形までそっくりに見え、うちのアルバムにもある、左手に洋室を建て増ししたとき(母の結婚後で、もう弟妹も成長している)の写真とイメージが重なる。要するに二間続きの和室の南に縁側を出すという、かつては(少なくとも本州の太平洋岸では)ごく普通の造りだったわけだ。祖母の家の縁側は子供の頃大好きな場所だった。祖母の晩年、たびたび訪ねていた当時、あの縁側ははたちで死んだ章一郎君(母の弟)の退職金で「出した」のだと祖母から聞いた。そういえば、できたばかりの家は寒くて、枕元の花瓶の水が凍ったと母が言ったことがある。就職が決まったものの一日も出勤しきないまま結核で亡くなった長男のことを、祖母はいつも君づけで略さず呼んでいた。

 若冲展のあと、竹橋方面へ公園内を横切る。池の縁に紅、桃、白と幾本も並ぶサルスベリが美しい。八橋が作ってあるが、Mさん、東下りの八橋を知らないというので説明しようとし、しょうぶじゃなくて、あやめ? とかきつばたが出てこなかった私、ボケ過ぎ。寝不足だったせいにしておこう。Mさん、用事があるので、早い時間に別れる。焼き立てのギョウザとお刺身用のサーモンとタタキ用アジ一匹等買って帰宅するが、TVをつけてお茶を飲みながらギョウザを食べているとご飯を炊くのが面倒になり、サーモンを切ってこれも食べてしまい、ゴロゴロするうち寝入る(眠らないようお茶にしといたのだが)。朝の四時頃目をさまし、丸ごとなので食べられなかったアジを冷蔵庫にしまう。結局、アジは朝食の塩焼きに。よく寝たせい(?)で、今ならかきつばたの折り句も、それどころか伊勢の地の文まで口ずさめるんだが……。
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by kaoruSZ | 2006-09-08 11:29 | 日々 | Comments(0)
  カルチャー・レヴューに成瀬論の続きを書いた。終えることを考えると終わらせられそうになかったので最終回はまた先送りに。

 30日正午過ぎに原稿送り、3時にYさんと谷中の朝倉彫塑館内で待ち合せ。ちょうどに着くと、門の外で待っていたYさん、なんと早く来過ぎてもう見てしまったという。もう一度一緒に入るというが、人が多そうなので私はまたにする。会話の様子では、遠くからも見に来ているようだったとか。話に聞く喫茶店「乱歩」(半濁音の○が歩の字に付く)へ。その前に菩提寺の前に来たので入る。こんなにお寺が多いとは思わなかったというので、振袖火事のあと神田のお寺がこっちへ移ってきて寺町を作ったのだと知識を披瀝。川越から谷中に出てきた先祖はお寺が神田にあった頃からの檀家とは、本家の法事に出たとき聞いた話。「乱歩」、いし辰の並びだった。話の種には面白いが、ゆっくりする場所ではない(二時間で再注文だし)。デニーズ並みにずっといられてタバコの煙が来なくてデニーズのようにコーヒーと称してへんなものを出さないところを探しているのだが、見つかっていない。椿屋珈琲店、珈琲はいいのだが今どき申し訳程度の禁煙席しかなく、しかも喫煙席とのあいだにまともな仕切りがないので呆れた。二三階のうち一階分を禁煙にしてくれたら、東郷青児の絵という趣味の悪さには目をつぶって行きつけにするのに。

 Yさん、「いし辰」大好きだそうで、ここが本店だったかと喜ぶ。突然、前の道を消防車がサイレンを鳴らして通り過ぎる。狭い坂道を消防車が走り下りる光景自体はじめて見るが、それがまた何台も。坂下まで降り、消防車の行った方へ(行き先だし)歩く。途中で、火元はうどん屋さんだと教えてもらう。煙も見えずきな臭くもなかったからボヤだったのだろう。現場の見当はついたが、ヤジ馬になるのはやめて谷中銀座を駅へ向かって上る。ダージリンで早めの夕食。日暮里側しか知らなかったが谷中はいいわね、とYさん。まあ、観光地(倉敷みたいな)と思って外から見ればいいかも。マンションが建っちゃうよりも商店街がそれでやっていけるのなら……。Yさん、翌日も時間あるそうなので読売でもらったプラド美術館の1日までの券をあげる。私は開館と同時に九時に入り、とてもそんなに早くは行けないというYさんは遅く行って、十二時にミュージアム・ショップで落ち合うことに。翌朝、しかし途中で頑張る気をなくし、洗濯物が乾いてから出かける。着いたのは十一時。ひととおり見て、買った絵はがきをよくよく見ようと会場内のソファに腰をおろしたところをYさんに見つけられる。十時半に来たという。六月までやっているから、もっとすいている時期にお金を払ってまた来るつもりなので十二時前に出てしまう。入口は行列札止めになっていた。GW中はやっぱりだめだ。絵はけっこういいのが来ていた。

 湯島から千代田線に乗ることにして不忍池へ。池畔で骨董市。魚を何匹も線描した小皿、いいなあと思って裏を見ると五桁の値段。骨董にまではまだ手を出していない。前日、地下で床屋が撤収作業しているのを見た三信ビルへ。しばらく前から土日祭日は一階の出入口シャッターをおろしてしまうのは知っていたので、「閉鎖しました」という三井不動産の貼紙は当日のみのこととは思いつつ一抹の不安があった。はたしてニューワールドサービスちゃんとやっている。(壁から突き出していた床屋のアメンボウはもう回っていない。)Yさんハンバーガー、私はポークジンジャー。食事のあと、二階廻廊へ。
「これを壊してしまうの?」
 間近で見る装飾に、Yさんの口からもMさんと同じ言葉が洩れる。地下に降りると、床屋のショーケースの中の昔の写真もちろんない。移転先が書いてあったから、そこでまた飾っているのだろう。三信書房は営業中。

 Yさんとはそこで別れて秋葉原へ。交通博物館へ向かう途中、海老原商店健在なのを見る。交通博物館のことはミクシィの近代建築コミュに書いた――。

1日に行ってきました。吹き抜けに吊られたヘリコプターの風防につもった埃や、すっかり古びてしまった(最初に見たときすでに古びていた)複葉機を見上げながら、ときどき立ち寄ってひとけのないがらんとした中でぼうっと過ごしてみたいと思いつつ、時が経ってしまったんだなあと思いました。

以前は夏になると川に面した窓をあけていて(その後展示物ですっかり塞がれてしまいました)、中から水面が見えるのも好きでした。博物館て、たんにそこで見る展示物ばかりでなく、そういう空間そのものが思い出ですね。

遺構は以前の公開時よりちょっとだけ整備&演出されていました。今回スクリーンに使われた高架下のアーチは、そのときは未公開だったと記憶します。階段を上りつめた最後のポイント、前回の時は、草むすプラットフォームへ小さな扉からひとりずつ頭をそっと出して外を見たんですよ。それが、何人も一度に見られるように大々的にガラス張りの開口部が作られていました。遺構の中へ一歩踏み込んだときはひんやりした空気を感じたのですが、昨日は暑かったもので、最後は日のあたる高架上でガラス箱をかぶせられた温室状態でした。


 秋葉原デパートの中でしばらく過ごし、鍛冶町で珈琲とケーキ、暮れなずむ街を淡路町を通り小川町へ。司町、多町あたりがどうなっているかを見たい気もするが、今日はやめておく。この朝、TVで昔のフォーク歌手が耐久コンサート開くとかという話をやっていて「神田川」と「いちご白書をもう一度」の一節を耳にしており、「神田川」はどうでもいいのだが、「いちご白書を……」のルフランがともすればよみがえる。すずらん通りに入る。

  君も見るだろうか  「いちご白書」を 
  二人だけのメモリー どこかでもう一度

 歌詞の意味がどうこうより、ともかく曲がいいのだ。「とーきはながーれーたー」みたいなストレートで一本調子なのとは大違い。

たとふれば、

  青葉さへ見ればこころのとまるかな散りにし花の名残と思へば

のうちつけさに対する

  春はいぬ青葉のさくら遅き日にとまるかたみの夕ぐれの花

のごとし。(例は塚本邦雄からの盗用。)

 閉店間際の書泉グランデで『学生と読む「三四郎」』(石原千秋)買う。神保町、ランチョンの並びにファスト・フード屋だのコンビニだの見なれないのができている(もう何年もあるんだろうけど)。スマトラカレーの店、もしかしてないのかも、と思うと昔のままの地下への階段もそのままにあったので入る。石原千秋、ジュンク堂の規模にはじめて行った学生は腰を抜かすほど驚くと書いている。私がHに連れられてはじめて行って驚いたのは東京堂(昔の)だ。高校生のときで、それまでは上野中通りの明正堂が私の知っている一番大きい本屋だった。Hは小林秀雄訳の文庫『地獄の季節』を買い、私は何も買わなかった(ありすぎて)。明治大学も工事がはじまってからは一度も見ていなかった(これももう何年も前に完成か)。通りにそって夜の中に大きな木がそびえる。むろん新しく植えたもの。昔、Hが、ここで朔太郎が講義したのよね、と指さして言ったもの。そのとき入った喫茶店はとっくに――Hのまだいるうちだったので、あそこなくなっちゃたね、と話し、そうやってその日を覚えていることを互いに確認し合いもした――なくなってしまった)。新御茶ノ水駅までの小センチメンタル・ジャーニー。強い日射しにあたったせいもあって熱っぽく軽い頭痛、幸い翌日までに消える。
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by kaoruSZ | 2006-05-02 20:28 | 日々 | Comments(0)

日比谷公園のダイサギ

 某省に期限の書類提出し、雨のほぼ上がった日比谷公園を抜けて戻る。前回、やはり締切日に持参して同じ道を帰ったのは十一月だったか、五時にはすでに真暗だったもの。木蔭一面に群れなす胡蝶花[シャガ]、母の好きだった花で、昔庭にあった小さな池のほとりに幾つか咲いただけで喜んでいたものだが、こういうところではいくらでも殖える。いや、うちでも、今でもシュートを伸ばして殖えすぎる。土曜日に月島で、贋路地のあるライオンズ・マンションの花壇に植えられたのが咲いているのを見て、昨日の朝出てくるときにうちのにも蕾がついたのを知ったところ。うちでは雪柳がまず咲き、林芙美子記念館で薄色の菫が咲いているのを見たあとで、薔薇の下の濃菫が咲き出しているのに気づき(アスファルトの割れ目から出た株の一輪も。そこにも暑い時期、ずっと水をやっていた)、昨日の朝、白菫も咲き出した(開花にいつもずれがある)のに気づく。オキザリスも黄色い蕾を持ち上げているが、昼間いないので咲いたところを見ていない(日があたっていないと昼間でも閉じる)。この冬は氷点下の夜があって、多肉植物に被害、地面におろしたアロエ一株完全に枯死し、君子蘭もだめかもしれないのがあり、生き残ったのも葉先から黄色く枯れる。(佃島で同じようになった株を見かけた。)うちで一番に咲いたのは春蘭だが、今年は二輪のみ。アマドコロ、土を押し上げてにょきにょき出てきており、紫陽花の下のフリージアにもつぼみつく。

 亀の池でシラサギが漁をしていた。首をまっすぐピーンと伸ばしていて、首の長さに比して胴が小さく、嘴が黄色い(サギのくちばしって黄色かった?)。頭に羽の飾りがない。首をちぢめる(S字形になる)とようやく普通の感じに(首が伸びていると、ハートの女王が握るクリケットのスティックみたいだ)。抜き足差し足進んで、S字形首を一気に水に突っ込む。失敗。しばらく見物することにする。二度目。嘴の間からはみごと銀色の鱗の小魚がはみ出ていた。ピチピチと逃げようとするのをおもむろに呑み込む。ここで見るとどうもダイサギのよう。「首が不釣り合いに長い」というのと、「冬は嘴全体が黄色い」というのが合うから。やっぱり、黄色くちばしはイレギュラーだったのだ(最初、バランスの悪い白鳥のように見えた)。冠をつけた見なれた優雅な姿はコサギで、その飾りも冬はなくなるという。今回見たのは、このページの写真のようにきれいな羽根でふっくら覆われてはいなかった(栄養が悪くて痩せ気味なのか、それともそういう時期?)。それに、首をぴーんとさせているときはこういう印象とは違う。クリケットのスティック(という呼び方でいいのかな)にしてやれ、とキャロルが思っても不思議はない(アリスのあれはフラミンゴか……)。

 三信ビル、残った店は営業中。三信書房で『回想 回転扉の三島由紀夫』(堂本正樹)が本(文春文庫)になっているのをを知り、求める。かつてこの人の『男色演劇史』は愛読したもの。ウェブでちょっと見て、三島と堂本の“兄弟ごっこ”を(あれだけ明示してあるのに)性関係と読めない人がいるのにちょっとあきれる(堂本の文章を読んでこの二人には関係があったのではないかと思った、と書いているのだ)。
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by kaoruSZ | 2006-04-11 05:02 | 日々 | Comments(3)

銀座の青空

 続き物の体裁を取っている記事がすでに二つありながら全然更新のひまがない。報告書は明日、直接持参・提出するけれど、あとがないから今日全部準備しておかなければ。それで、今日はtちゃん主催の会へ行けなかった。(ごめんね。残念だよ。)昨日、jjさんと会っていたのがいけなかった。いや、会えてよかったけどね。二時間くらいで仕事に行くつもりが、結局話し込んでしまった。でも、またしばらく日本に戻ってこない人なんで。

 いし辰でお昼食べたあと、入ったところでやけに高いお茶を飲んで(桂花茶を注文してみた。(私の)孔明に大いにかかわりのある花ですから【カテゴリの売り物という項目をクリック! ただし、今は在庫を切らしているのでまたの機会に】。確かにあの細かい花が入っていた。桂花とは金木犀のこと)、そのあと結局銀座まで行って、ケーキも食べようということになり、コアビル一階のカフェ・モーツァルトに入る。ガラスの函みたいで一度入ってみたかったところだけど、とにかく狭い。外に面した側は喫煙席になっている(オープン・カフェでなくガラスの中)。jjさんが吸うからそっちに行ったんだけど。長いベンチ形のシート、同席の人間に動かれると気持ち悪い(ちゃんと固定しない店も悪いけど、電車のシートにどかっと腰をおろす奴とか、駅のエスカレーターでドスドス、ガンガン、カーンカーン(これはミュール)と、立っているこっちの横を上ってゆく連中と同じで無神経なのだ)。でも、和光の上に青空が見えて、雲が流れるのも見えて気持ちいい。あそこが高層建築でふさがれていたらどうなるんだ、ということでちょっと建築の話もする。落ち着かない場所だったけど、ま、そのうち全席禁煙になったら、道路に面したガラスの内側の席ならひとりで座ってもいいな。苺エクレアはおいしかったし。

 jjさん、高校に入ってすぐのテスト(英数国)で一番をとったのが、今まで東京都でだと思っていたら、全国でだったという(現物が出てきたのだそう)。全然覚えてないけど。私はどうだったのだろう? ともかく数学が駄目だから、そんなによかったわけがない。別のテストで、一年生全体の中で真中辺の順位だった記憶はある(そんな低い順位ははじめてだったから覚えている)。jjさんに言わせると、数学が才能だというのは間違い(神話)で、繰り返し読んで理解するものなのだそうだ。当時も数学が苦手ではなかったけれども、わからなかったことが、卒業してずっと時間が経って、あるとき理解できるようになったとか(そのあいだ数学を研究していたわけではない)。では、私も、いつかじっくりやればできるようになるのだろうか? そうだと言ってくれたけど、でも彼女は、留学前、 自分で録画したアメリカ製のTVドラマ・シリーズの原語版と吹き替えとを繰り返し見るだけで英語会話をマスターし、通訳の仕事ができてしまった人だからね。学問に王道はないけれど、才能ある人の道はある。一生懸命やれば誰にでも道は開けるというのは間違いだし、開けたように見えても結局大したことはない。おまけにそういう連中は、自分が死に物狂いでやって、制度的なトレーニングの結果ようやくそのレヴェルに達したものだから、そういう経験のない人間は素人と思って軽く見るあさましさだ。

 jjさん、今回、日本の大学の国際学部で教えるオファーが来かけて、アメリカの大学へ入るまでの経歴を説明しかけたら引かれたそうだ。高卒で十年以上働いたあと自分の貯金で留学し(そういう元OLならその頃もいっぱいいた)、さらに紆余曲折の末、今教授になろうとしているなんて全くの想定外なんだろう。今回、宴会にもはべって、日本社会はやっぱり嫌だと思ったそう。お母さんの年齢(とケーキの味)を考えれば帰ってきたいところなのだが。ニュージーランドは安全だが、いつまでも外国人扱いのところがアメリカと違い、やはりアメリカに落ち着くしかないかという。

 で、数学に関しては、私が同じようにやって道が開けるというのは疑問だけど、トポロジーは好きなのだというと、意外なことに顔をしかめて、あれは嫌いなのだという。といっても私が知っているのはごくごく初歩にすぎない。コーヒーカップの把手に指をひっかけて、これとソーサーとドーナツでは、カップとドーナツが仲間だといった、抽象化というよりは具体物に沿った話が好きなのだど話す。ちなみにjjさんの専門は応用数学だ。見ると卓上のシュガーポットの両側に耳がついていたので、左右の人差指を差し込んで持ち上げ、これとカップは別なのよね、と私。たぶん私が関心があるのは、単純さに還元することでなく、むしろ逆の方向、現象として花開く多様性の方なのだ。以前書いた列車のつなぎ方も結局そういうことなのではないか。その場ではうまく説明できないうちに、その顔はトポロジー向きだと総括される。意味不明~。
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by kaoruSZ | 2006-04-09 22:06 | 日々 | Comments(7)
  3月29日、Iさんとお花見の予定は前から決まっていたのだが、どうにも仕事が終らなくて、お弁当作る気でいたけれど、その朝一度出て行かなければどうにもならくなり、結局忙しい年度末に朝の十時半に早退し(お花見であるとは、直接関係のない人ひとりにしか打ち明けず。積極的に嘘ついたわけではないが)、いや、なんだかんだで実際には十一時になったけれど、ともかく十一時半までには東京駅で落ち合う。まず、11日にも書いた三の丸尚蔵館の、六幅ずつ五期にわたって公開の若冲展へ。Iさん本物を前にいっぺんに若冲ファンになる。

 日比谷に向かい、三信ビルのニューワールドサービスで食事。いつもの静かさだが、(たぶん)私たちの分を最後にごはんがなくなり、隣のテーブルの人たちはそれを聞いて席を立つ。直前の昼どきに人が押し寄せたのか、名残を惜しむ人が多いのか。この日マスターの姿はなかった。最初の計画では六義園から古川庭園へと思っていたのだが、あるブログ★を見てさる洋館が取り壊されることを、しかもそれが、前から行きたかった林芙美子記念館の隣に建っていると知り、急遽そこへ行くことに。成瀬関連の展示もずっとやっていたのが、3月末で終りと気づく。うっかりしていた。Iさんにはお楽しみということにして伏せていた新たな目的地をそこで明かす。洋館の名は刑部邸。地下鉄で高田馬場へ、そしてたぶん生れてはじめて西武池袋線に乗って中井へ。

 林芙美子の家は質素でつつましやかで、風が吹き抜けるようにというのが本人の望みであったというが、昔の家は確かにそのように作られていたもの。成瀬の『放浪記』の終り近く、田中絹代演じる母親に被布を着せて大切に座敷に据えた、高峰秀子の芙美子を訪ねて、庭の方から昔なじみの加藤大介が近づいてくる、その庭。小林桂樹の画家の夫がそっちの方から入ってきたアトリエも左手にある。沓脱石と丸い飛び石、四角い大きな敷石を連ねた通り道。沓脱石がやたらに大きい。もっと小さいし土に埋もれてしまっているが、実はうちにも昔の沓脱石が今でも濡れ縁の前にある。子供の頃は、空襲で焼けた家の、柱を受ける窪みをうがった土台石が庭に無雑作に転がっていたもの。長方形の敷石は今もあり、その両側にかろうじて残る地面に植物を植えて庭と称しているのだ。かつての父が育った家(規模はこれより大きい、なにしろ大家族だ)やその庭や、昔の暮しの匂いを少しだけかいだ気がする。

 かつてのアトリエ(そこだけ洋間の黒光りする床、これは断じてフローリングではなく板の間である)のガラス・ケースの中に、古い新聞の切り抜きが収められている。NHKの朝の連続テレビ小説『うず潮』の、変色した記事を見つける。Iさんは知る由もないことなので話さないが、これは見ていた。林美智子主演、津川雅彦が恋人役ではなかったか。だが、『うず潮』がそのあと吉永小百合で映画化されたとは知らなかった。袴をはき、髪が短く見える(たぶん後ろで結っているのだろうが)写真入り記事があったが、きれいすぎ! 上京する前の芙美子をやったらしい。『愛と死を見つめて』のあとの、少年のような袴姿を見て、吉永小百合をはじめて魅力的だと思う。

 聳え立つ桜の老木、花は手の届かない高い枝にしかついていない、いや、下の方にも、枝はないが幹から直接花が出ている。若冲の画中にあるような岩と化したがごときゴツゴツした幹と、それが咲かせるミニチュアのような花ぶさの対比が可愛らしい。閉館時刻が近づき、帰出口へと向かいかけたとき、入館者には立ち入れない座敷に立った老婦人が笑顔でこちらに会釈される。私たちのいるうちから元アトリエの展示室をせっせと掃除していた女性が、林芙美子の姪御さんだと教えてくれる。「中にお写真のあった――」展示室にあった記事を思い出してそう言うと、「写真より本物の方がきれいでしょ」と返された。成瀬の映画のことなど少しだけお話してから、隣の洋館について、壊してしまうんでしょうかと尋ねると頷いて、みんなもう引越されたという。あそこはここより古いんですよ、ここは昭和十六年だから。

 坂の上と下に出入口のある家の、庭と反対側の高いところへ最後に登ると――そのあたりにはひなたに菫がかたまって咲いていた――アトリエの屋根にはめ込まれたガラス部分を見ることができ、それ以外は通常の瓦からなる美しい屋根が、その全体を人がささやかな生をいとなむ谷間の家――煮炊きのカマドから煙が上がるような――のように錯覚させる。むろん今は生活の場ではないのだが、それでも念入りに手入れされていればそうやって家も庭も生きつづけるのだ(今は住む人のない祖母の家を思わずにはいられない)。坂の多い尾道に似ているところから芙美子がその土地を選んだのではという話があるが★★、その瓦屋根も尾道を思い出させる。いや、かつては日本中でこういう屋根の連なる風景はいくらでも見られたはずなのだ。

 そこからは、隣の下落合駅近くのカフェ杏奴(刑部邸関連のブログで見つけた)を目指すが、残念ながら早仕舞いを知らせる紙がドアに貼られていた。気がついた店の人に謝られる。次の駅である高田馬場へ向かう途中、巨大な円錐形のかたちに刈られた若緑の木にひかれて薬王院を見つける。花もありそうなので中へ入る、ここも芙美子邸と同じく高低のある地形、参堂を登って古いお地蔵さんや無縁塚を見る。少し前なら枝垂桜がきれいだったろうと思わせる木のすがた。牡丹で有名なお寺とあったのを思い出すが、、むろんこれはまだ。しかし、戻ってくると、境内には侘介、乙女椿、それ以外にも椿の木があり、その上小道に沿ったところでは繁らせた椿の木が花盛りの壁をかたちづくるという素晴しさ。あとで地図を見て、金井美恵子の小説に出てくる「おとめ山公園」はすぐ近くだったと知る。つまり、山手線の駅としてしか目白を知らない私には、それは高田馬場の先としてしか思い浮かばないのだが、実際にはさまざまな線によって結びついているということだ。

 だから、高田馬場に着いたのも、だんだんに近づいたわけではなく、横道から通りへ抜けると不意に道の向うに「愛国喫茶」の看板が見え、はっとしてこちら側の道沿いに目をやると西友があり、その左側にはかつてパール座の入口だったところが見え、行く手にはガードが見えて、長いこと足を向けることがなかったが確かに自分の知っている場所にすでに入り込んでいたことを知ったのだ。(あとになって、向う側に当然見えているはずだった甘納豆の店を目にした覚えがないのが気になってグーグル検索、「花川」閉店していたと知る。)

★冒頭で情報源としてあげられている「玉井さん」のサイトはここ。林芙美子邸についてもいろいろわかる。こちらもこの地域について詳しいサイト。ここにも記事が。多くの人に愛されていたのだ。
★★こちらのサイトで読んだのだった。
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by kaoruSZ | 2006-04-01 21:10 | 日々 | Comments(6)
 15日10時20分に町屋駅でMさんと待ち合わせ、日比谷へ行く約束だった。当然それまでに余裕で確定申告は終えていると信じていた(15日は水曜日なので、月曜日に行けなくても火曜日に行っているはずと)。当日朝になっても、税務署が開くと同時に行って清書すれば、一度帰宅してゆっくり出かけられるとまだ思っていた。実際には、税務署の机に向かい、下書きして来た(本当は提出用だが間違いだらけで汚くなった)申告書を写し終えたのが10時10分、納付は郵便局ですることにして税務署を出、京成のガードに沿った藍染川跡を一路町屋へ。五分遅刻ですむ。

 三信ビル、Mさんは知っていると言っていたが一階を通り抜けたことがあるだけ。かつての朝日生命館の地下遺構見てもらってから三信ビルへ。二階ギャラリーからの景観見せる。大部分のテナントすでに去る。一階ニューワールドサービスでランチ・タイムはじまるのを見はからって入る。Mさんはハンバーガー、私はハンバーガー・ランチ。食後は日比谷公園を散歩。梅まだ満開。黒々としたサラリーマンでベンチが埋め尽くされた昼休みの日比谷公園見るのは久しぶり。日比谷茶廊のメニューにさくらのアイスクリームとあったので、戸外のテーブルで注文。Mさんは桜のハーブティー。傍に沈丁花が咲き、風に香が混じる。木の間から日が射して最初はすっかり春のようだったが、風はやはり冷たい。暖かいと思って薄着だったし。ハーブティーをすすめてくれたのでアイスクリームとひとくちずつ交換。両方とるのが正解かもしれない。でもハーブティーは普通っぽいのでアイスクリームの方が気に入った。途中まで送ると言われ、用心に持ってきたマフラーを巻き銀座を歩く。

 先日からMさんがミクシィ日記はじめたのでコメント大量につけていた。ずっと連絡を取っていなかった人のページを見つけ、あるいは見つけられて、メール送りあったり、マイミクシィになったりもした。突然ミクシィにはまって、「片付けられない脳の病気」コミュニティ(1365人)にも入って書き込んだ。脳の病気とは思わないから最初読むだけのつもりだったが、まるで私が全部書いているようなコメント(実例)に思わず入る。片づけられない人とは自分を笑えるユーモアと心の余裕がある人かと錯覚させる世界。夜になって誕生祝いメールぽつぽつ届く。片付けられないコミュの、誕生日が近い未知の人からも私の書き込みの表現が好きだとお祝いメッセージいただく。誕生日、最近公開にしたばかりだったのだ。「締切直前にならないと書けません」(7102人)コミュにも前から入っているが、かなり症状が重なるようだ。そもそも書類が簡単に出てきさえすれば、確定申告に手間取るような難しい商売ではないんだし。そこに、直前にならないとできない体質が加わればもう無敵(何に?)。なお、その後、「鞄が重くなる病気」(4766人)、「部屋が大変な事 に」(3006人)コミュにも登録した。
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by kaoruSZ | 2006-03-17 15:03 | 日々 | Comments(4)