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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

アンナ・フロイトはわれらの同時代人

 フロイトの末娘は、現代の日本に生きていれば、やおいに才能を発揮しえたであろう人である。フロイトの分析したbeating fantasyの例として挙げられた患者の数の少なさ(どころかその実在の疑わしさ)、男の子が打たれるというのはアンナ・フロイトの(マスターべーション)ファンタジーであり、彼女自身、それについて論文を書いていることなどは知っていたが、アンナの論文が日本語になっているはずもなかった。

 Elisabeth Young-Bruehlによるアンナの伝記を読むと、パパ・フロイトも、娘も、彼女のプライヴァシーがばれないように、患者にことよせてそれぞれの論文を書いたことがわかる。また、アンナにはそれ以前に、詩や小説という形で自分のファンタジーを表現していた時期があった。

 若い騎士と彼を従わせる年長の男は、実にフロイト的なことに、娘と父の置き換えとされ、近親姦の回避のため男同士に偽装したとされた。アンナは、空想の中では年下の男に同一化しており、そこでは女は脇役としてしか登場してこなかった。アンナは一生独身で(レズビアン説がこの本では否定されている)、自分の性的ファンタジーを学問化することで父の領域に参入することができ(学会でのはじめての発表がこれであった。彼女は患者を診て論文を執筆したとしているが、実際に患者を診察する以前から論文は書きはじめられていた)、フロイトの子供たちの中で唯一、彼の跡継ぎになり、ある意味で息子としての生涯を全うした。

 フロイトの伝記はたいていロンドンでの彼の死で終るし、妻が完全に姿を消すのに反比例してアンナが重要な役割を果たすのは周知のとおりだが、実際にはアンナは1982年まで生きていたとこの本で知る。マルト・ロベールの『ファミリー・ロマンス』を読んでアンナが激怒したというくだりに出会ってちょっと驚く。(そんな最近――でももうないか――の本を読んでいたんだと)。フロイトの父は、ロベールが描いたような息子の反抗を誘う厳格なユダヤの家父長はでなく、その正反対の、freethinkerで優しく寛大で受動的な男性だったと、お祖父さんを直接知るアンナは抗議しているのだ。 そういえば、キリスト教徒に帽子を叩き落されておとなしく拾った話を父に聞いて、ハンニバルに同一化したんだったっけ、フロイトは。

『風と木の詩』文庫版七巻の高取英の解説に、竹宮恵子にインタヴューしたとき、少年ジェットがブラックデビルにつかまるところでドキドキしたと竹宮が言ったとある。少女に特有なのだろうと高取は言っているが、むしろ、なぜ、男の子がそういう空想をしない――しなくなり、ブラックデビルと戦うことしか考えなくなる、すなわち自己規制する(それと意識することなく、つまりそうした願望を持ったことさえ否定して)――のかと問うべきなのだ。

 大岡昇平は、幼年時に、父に愛されるために女の子になりたいと思ったと、また、お姫さまがさらわれる挿絵の、さらって行く男に父を感じたと書いている(むろん、フロイトを読んだ上で)。悪名高いペニス羨望の男性における等価物を、父に対する女性的態度であるというのはフロイトの卓見だが、別にブラックデビルが父親の置き換えだと固定して考えることはない。逆に、父親と考えたって全然問題なかろう。これは個人の心理学を越えた、アクセス可能な表象の話なのだが。『密やかな教育』で問題なのは(他にもあるが)、そのあたりの(エロティシズムについての)考察が全くないこと。関係ないけど、幼いアンナはBlack Devilと家族に呼ばれていたんだとか(naughtyだったので)。
by kaoruSZ | 2009-04-07 06:18 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)