ノーマン・ブラウンと多形倒錯の夢――『密やかな教育』をめぐって(1)
2009年 08月 15日そこでもちょっと触れていますが、石田美紀著『密やかな教育 〈やおい・ボーイズラブ〉前史』(洛北出版)について批評するはずだったのがまた延びて、次回の宿題となっています。同書は、竹宮恵子らによる新しい少女マンガが七十年代に登場した背景、中島梓/栗本薫の活動、雑誌JUNEの果たした役割等を、関係者の証言を同時代の社会的、文化的状況にからめて記述しようとした試みですが、残念ながら「社会的、文化的状況」に関して、基本的な事実誤認が多過ぎます。そこを押えておかないことには、全体についての批判もできませんので、次の「コーラ」(本年12月発行)が出るまでに、同書の関連トピックをシリーズとして取り上げることにしました。話があちこち飛ぶかもしれませんが、おつき合いいただければ幸いです。
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セクシュアリティと生殖機能を分離してみたらどうなるか。いったい何になるのだろう。こういった考えは六〇年代にすでに盛んになっていたことで、この分野の開発に関する僕のオリジナリティを主張することはできないんだ。以前にノーマン・ブラウンの『ライフ・アゲインスト・デス』という本を読んだことがある。その中で彼は、幼児性欲があらゆる倒錯的傾向を発現しやすいというフロイト理論について語っている。生殖とは関係のない、性器に集中しない分散したセクシュアリティのことなんだ。体中に遍在した、抑圧されていないセクシュアリティだ。
こう語っているのは、カナダの映画監督デイヴィッド・クローネンバーグです(クリス・ロドリー編/菊池淳子訳『クローネンバーグ オン クローネンバーグ』フィルムアート社、1992年)。ここで『ライフ・アゲインスト・デス』と表記されているのは、周知のとおり、日本でも1970年に『エロスとタナトス』という題で翻訳の出た本で、訳者の秋山さと子は、あとがきで次のように書いています。「訳者は精神分析学の中でもユング派に属する考えを持つものであるが、それにもかかわらず本書を日本に紹介する決意をした理由は、一つには現在世界各国で常識となっているフロイト及び精神分析学的な思潮が日本ではまだあまり知られることなく、特にフロイトに関しては、かなりの誤解がなされていることを悲しむとともに、臨床の分野においてのみならず、より広く一つの思潮としてのフロイトの紹介を試みたいと考えていたことがあり(…)ユング心理学に関しても、もう一度フロイトにまで戻って考えなおす必要性を痛感していたことにもよる」。
フロイトについて「かなりの誤解がなされている」のは今もたいして変わらないかもしれませんが、フロイトに戻ると言っても、この頃は、ラカンなどまだ影も形もなかったのです。
“Life against Death”は1959年の出版で、著者のノーマン・ブラウンは古典学者、『エロスとタナトス』というタイトルはフランス語版の訳題です。秋山さと子によれば、これは「訳者がヨーロッパに滞在中[鈴木注、64-68年]は主としてこの題名の下に話題になっていたことから」採用されたもので、「アメリカにおけるベスト・セラーの一つとして、各国語に翻訳され、ヨーロッパでも知識人の間に大きな波紋を巻き起こした」とのことです。なるほど、クローネンバーグが読んでいても不思議はありません。
この本を日本においていちはやく紹介したのが、われらが澁澤龍彦です(もちろんフランス語で読んだのでしょう)。と言っても、澁澤のことですから、「以下の所論は、このブラウン氏の見解と私の空想をごちゃまぜにして、自由に展開した勝手気ままなエッセイであり、もとより心理学でもなければ哲学でもなく、まあ、私自身の信仰告白を裏づけるための、一種の文学的覚えがきであると御承知おき願いたい」とことわっています。「ホモ・エロティクス ナルシシズムと死について」と題されたエッセイが雑誌「展望」に載ったのは1966年、私は後年『澁澤龍彦集成』で読みましたが、単行本『ホモ・エロティクス』も一度書店で見かけたことがあります。函から途中まで引き出して、「ワイン色の別珍」(と『澁澤龍彦全集』には外観が記されています)の表紙の感触をしばらく楽しんだあと、もとどおり函に収めて棚に戻しました(高かったのです)。
余談ですが、前回の「コーラ」拙稿で澁澤の本について言及し、「黒ビロードの装幀」と書いたとき、念頭にあったのはあの表紙でした。『全集』の記述を見る前で、黒でないのは承知していたのですが、何となくそう書いてしまいました。澁澤のエッセイに夢中だったくせに、『エロスとタナトス』(もちろん日本語です)を手に入れて読んだときには、この元ネタがあればもう澁澤はいらないと思ったものです。まだ二十歳そこそこで生意気だったのでしょう。
閑話休題。長々と『エロスとタナトス』について説明してきたのは、澁澤が責任編集者だった雑誌『血と薔薇』(68-69)について、『密やかな教育』においては、「『血と薔薇』がヨーロッパ起源の官能に傾倒したのは、第二次大戦後、政治・経済・社会・文化のあらゆる領域において日本に絶大な影響を及ぼすアメリカに抵抗するためであったからである」(124)という珍説が展開されていたからです。その証拠として著者が挙げるのは、『血と薔薇』復刻版のリーフレットに載った種村季弘の言葉です。
アメリカ的なセックスの解放というと、どこか青年期の成長幻想のようなものが匂いますね。アメリカはもともと万年ユースフェティッシュ(青春崇拝)の国だから。「血と薔薇」のほうはしかし成長を拒否したとはいわぬまでも、それとは無縁の、いわば永遠の少年の世界、もっといえば子供の多形倒錯(フロイト)の世界を夢見ていたのだと思います。
これを引いて著者は、「種村がいう、『血と薔薇』が求めたアメリカ的なセックスの解放に対するオルタナティヴとは、すでにみてきたとおり、ヨーロッパの官能であったといえるだろう」と述べています。「すでにみてきたとおり」に相当する部分はたいして長くないのですが、そこで著者は、「同誌に集った男性知識人・芸術家が異議申し立ての一環として実践する「エロティシズム」の源は、日本でも、アメリカでも、アジアでもなく、ヨーロッパであった」(122)として、『血と薔薇』「創刊号のラインナップ」が、ポール・デルヴォー、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ、澁澤の「苦痛と快楽 拷問について」、種村季弘の「吸血鬼幻想」、塚本邦雄の「悦楽園園丁辞典」等であったことを挙げ、「いずれも、エロスとタナトス、そしてグロテスクが混交するヨーロッパ起源の、あるいはヨーロッパにまつわる作品群である」としています。
なぜ、「日本でも、アメリカでも、アジアでもなく、ヨーロッパであった」であって、「アフリカでも、モルジブでも、オセアニアでも、アラスカでも、マダガスカルでも、ボツワナでも、コートジヴォワールでも、モーリタニアでも、セネガルでも、ラップランドでもなく、ヨーロッパであった」でないのか、とまぜっかえすのはやめておきましょう。エドワード・サイデンスティッカーは、フランスかぶれの日本人による、日本的なものを「源」としない軽薄な実践が気にさわったようで、カタカナ語だらけで「フランス的なものが多すぎる」と『血と薔薇』を批判し、返礼として澁澤に、そのカタカナ名前を「災翁」呼ばわりされた愉快な文章を書かれています(「土着の「薔薇」を探る」)。その彼でさえ、そうやってアメリカに抵抗しているなどという解釈を聞かされたら、笑い転げたことでしょう。
「創刊号のラインナップ」に関して言うなら、カタカナ名前はともかく、この掲載に端を発して本となった種村の『吸血鬼幻想』を見れば、フィルモグラフィーにはアメリカ製吸血鬼映画(メキシコ製も目立ちます)が並んでいますし、日本の古典にも通暁する塚本は、ヨーロッパのみならず古今東西の文学を自在に逍遥しているはずです。澁澤のエッセイにしても、拷問と性愛の形式的類似を述べた内容ですから、特にヨーロッパ起源というわけでもなく、むしろ、日本の少女マンガ家らが、少年マンガの拷問シーンの思い出――ありていに言えば萌えの記憶――について語っていたことを思い出させます。ああいうのはどこかに記録されているのでしょうか。そのあたりを文章に起こし、澁澤のエッセイなど参考にしつつ本書で論じてくれていれば、さぞかし興味深い資料になったろうにと惜しまれます。「エロティシズム」が日本起源でないことだけは確かですが、アメリカ対「官能のヨーロッパ」という対立も存在しません。前もって作っておいた枠組みで彼らの仕事を裁断しないかぎりは。
そして、種村の、「成長を拒否したとはいわぬまでも、それとは無縁の、いわば永遠の少年の世界、もっといえば子供の多形倒錯(フロイト)の世界 」 という言葉が指すものも、 アメリカと対立する「官能のヨーロッパ」などではなく、具体的にブラウンの『エロスとタナトス』であり、それにもとづく「ホモ・エロティクス」に代表される澁澤の思想です。種村自身、吸血鬼について書きながら、同じようなこと(生殖から切り離された性とエロティシズムの探求)をやっていたのであり、親しい仲間として、そのあたり、非常によくわかっていたはずです。「アメリカ的なセックスの解放」を種村が引き合いに出したのは、不案内な人にもイメージしやすくするための配慮でしょう。それを著者は、「アメリカがヨーロッパに対立させられている」と思ってしまったのですね。
けれども、ここで「アメリカ的なセックスの解放」に対立するのは、最初に引用したクローネンバーグの言葉にもあるような、生殖を目的として組織された性器中心主義的セクシュアリティのオルタナティヴとして想定されたもののことです。それを「アメリカ的」と呼ぶのは、たしかにアメリカをバカにするものかもしれませんが、これは都会人が地方出身者を「田舎者」と呼ぶようなもの、アメリカへの「抵抗」というのは全くの的外れです。なお、ノーマン・O・ブラウンはメキシコ生まれのアメリカ人です。
web評論誌コーラの編集氏から、拙著について鈴木さんが評論をかかれると、拙著編集担当に連絡があったのは、たしか昨年末だったと思います。
前回(4月)、今回(8月)の更新を、楽しみにしておりました。
といいますのも、編集担当は鈴木さんを存じ上げておりませんでしたが、
「やおい」論の論客として名を轟かせている鈴木さんに拙著がどう斬られるのか、とどきどきしておりましたが、なかなか正面から扱ってくださらず肩すかし半分というのが、正直なところでした。
しかし、このエントリを見て、ああとっても「らしい」反論だなと感心しております。
「らしい」というのは、
これまで、粘り強く執筆されている連載を貫いているレトリックのことをさしています。
「AはBについてCといっている。しかしBについてはAの知らないDEFがある、よってAがのべる結論は信用にたりない」
拙著が取り扱った『血と薔薇』について詳しいフォローアップにいつもながらさすがと思いましたが、私の考えをここで述べておきます。
つづく
今回指摘された箇所は、事実誤認というよりは、
文献についての解釈、読みの違いではないかと思います。
拙著では、『血と薔薇』をラインナップだけから、「アメリカに対するオルタナティヴとしてのヨーロッパ」を述べているわけではありません。
グラビア写真、宣言文を分析し、ヨーロッパ的な官能の想像力の突出と、それをまとった男性身体というトピックを提出し、ヴィスコンティ作品の日本独自の受容について、男性が男性身体について表現する/語ることの意義を考察しました。
ともあれ、おっしゃる『血と薔薇』にまつわる情報を否定することはもとより私の意図ではありません。
鈴木さんはだからなにもわかっていない、と嘲笑する気も、もちろんありません。
戦後の日本において、とりわけ二度の安保闘争が戦われ敗北した当時の日本で、アメリカの影響を捨象したうえで、拙著が扱いました70年代に登場する「少年愛」少女マンガの意義を、鈴木さんなら、どのように分析され、考えられているのかを、一読者として読みたいと思います。
すでに拙著だけでなく、様々なやおい論が遡上にのせられ、そうとうの出汁をだしております。
「特にヨーロッパ起源というわけでもなく、むしろ、日本の少女マンガ家らが、少年マンガの拷問シーンの思い出――ありていに言えば萌えの記憶――について語っていたことを思い出させます。ああいうのはどこかに記録されているのでしょうか。そのあたりを文章に起こし、澁澤のエッセイなど参考にしつつ本書で論じてくれていれば、さぞかし興味深い資料になったろうにと惜しまれます。」
などどと、もったいぶらずに、どうかこの辺りで、がっつり鈴木薫のやおい論とはこうだ、と教えていただきたいです。
これは、鈴木さんの読者は、少なからず待ち望んでいると思います。
少なくとも、私はそうです。
コーラのプロフィール欄にて、
「今やマンガは真剣に読まれ論じられる対象であるし、それに疑念を投げかける者こそ見識を疑われるだろう」と断言する一方で、三島由紀夫はその気になれば特攻隊に加われたはず(昭和二十年に)と信じている大学の先生はどの程度恥ずかしいのだろう?
と書かれています。
この箇所は私のことをおっしゃっていると思いますが、「三島由紀夫はその気になれば特攻隊に加われたはず(昭和二十年に)と信じている」
というのは、事実誤認です。
拙著111頁には、そのような記述はありません。
「戦争を生き抜いたことを三島がどのように考えていたのかについては、様々な解釈が存在するが(註11)、」
となっています。
註11には、特攻隊志願もできただろう、という解釈を、三島由紀夫研究者のベアタ クビャク ホチの論文がのべていると記述しています。
厚顔無恥を恥ずかしいとおっしゃるのは結構ですが、再度当該箇所をお読みいただきたく存じます。
ながながと失礼いたしました。