1974年のTRANSSEXUAL(11)
2004年 12月 09日
(Jan Morris“Conundrum”についてのノート)
男たちのあいだで
性別適合手術はもちろん、ホルモンを使うことさえなかった時代に、男の恰好をして男たちの中で働き、男として生きた女性たち(アメリカの話だったと思う)について書かれた本を読んだことがある。彼女たち——彼らというべきか——の一人は、男同士の場合にのみ男たちが見せる、女に対するときには絶対に見せない態度の魅力について証言を残している。過去の無名のFTMトランスジェンダーは、あくまで男として男たちの中にあることに喜びを見出していたのだが、モリスが男に変装して男の社会に潜り込んだ女性に自分をなぞらえるとき、いうまでもなくそのようなケースは想定されていない。とはいえ、モリスもまた、そのような状況を楽しんでいたことには変わりない。
男性社会に潜り込んだ女の人は、誰にも見咎められずに盗み聞きがでいるという、特権的な立場におかれたような気もするにちがいない。一人の男として男たちの間にいるのがどんな気分のものだったか、私はもう忘れてきているし、今後もそのような状況に置かれることは、絶対にないといっていいだろう。しかし、それは、非常に楽しい体験であった。みんなが私に対して何の別け隔てもない態度を示してくれるのが、意外に思えた。みんなに受け入れられたことで、私は奇妙な満足感をおぼえた。(43-44)
これはモリスが自分を男ではないと思っているため、男として受け入れられたことを「意外」と言っているのだが、同時にモリスは、性的対象としての「男」ならびに男だけの世界では「女」となりうる自分の魅力についても、けっして鈍感なわけではない。
ところで、男性社会に潜り込んだ女の人の心を最も強くとらえるのは、何といっても、ハンサムで溌溂とした若い男たちにとりまかれている楽しさであろう。当時私は、その楽しさをあまり意識していなかったが、それをおおいに楽しんでいたことは間違いない。/(……)まわりの人たちは、ときどき本能的に、私の中に女を感じていたらしい。そういうことは、その後もよく起こった。女の人がそれを感じとってくれると、私は気が楽になった。その人の前で男らしいふりをするのは、気骨の折れることだったからだ。男は、それを感じとると、思いもかけないくらい親切にしてくれるのだった。したがって、私は、軍隊でも、ラーンシング・カレッジにいたころと同じように、庇護者にはこと欠かなかった。私の本が盗まれると、誰かがとり返してきてくれた。議論に負けそうになると、必ず誰かが支援にのりだしてきてくれた。英国機甲軍団の訓練所に入っていた時も、私のポンコツオートバイがなかなか始動しなくなって困っていたりするとすぐ誰かが手を貸してくれた。サンドハーストで私と同室だった士官候補生は、私の頼む雑用を、何でも、つまらないことほど熱心にやってくれた。勝手な憶測かもしれないが、彼はむしろ喜んで、その雑用をやってくれていたような気がする。
こうした取り扱いを受けているうちに、私は、自分が切羽詰まった状況に追い込まれることなど絶対にないと思うようになっていった。そうなる前に、必ず誰かが、仲裁してくれたり、許してくれたり、私にかわって矢面に立ってくれたりするものと、勝手に決め込んでしまったのだ。こういう心理は、女なら誰でも、身に覚えがあるにちがいない。(44-45)
女が甘やかされ、依存心が強くなること。むろんそれは、肝心なところで権力を奪われていることの裏返しなのだが、後年、手術後のモリスも、若いころと同様に、これを不愉快でないと言っている。男に「なった」ことで他人の態度が変わった、以前にように軽く見られず丁重な態度で遇されるようになった、自分の中身は変わらないのにという意味のことを書いていたのは、たしかMTFの虎井まさ衛さんだったと思うが、モリスの場合はその逆で、ウェイターから軽く扱われるようになる。「もちろん、私にも、いすをひいたり、コートを着せかけたり、ドアを開けたりというような、習慣的に女性に対してはらわれる敬意は、ちゃんとはらってもらえる。しかし、そんなのはとるに足りない敬意であって、いっしょにいる男性だけが正式の客と見做されているということが、私にはよく分かるのであった」(211)
けれども、そういうことはすぐに「ごく自然」に感じられるようになったとモリスは言う。「習慣と環境の力」はそれほど強いのだと。(まさに、「女はこうして作られる」である。)
「ふつうの女がもっと若いころにそれ[女に対するさまざまな制約]に適合していったのと同じような経過をたどって、それに適合しようとしていたのであった。もちろん、それは、決して不愉快なことではなかった。男たちの恩に着せるような態度が頭にくることはあっても、親切にされるのは非常に嬉しかった」(211-212)
モリスは〈セクハラ〉にさえ「適合」するだろう。とはいえ、それは百数十ページ先のことだ。今は男として男たちのあいだにいたモリスの話をもう少し続けることにしよう。
男たちのあいだで
性別適合手術はもちろん、ホルモンを使うことさえなかった時代に、男の恰好をして男たちの中で働き、男として生きた女性たち(アメリカの話だったと思う)について書かれた本を読んだことがある。彼女たち——彼らというべきか——の一人は、男同士の場合にのみ男たちが見せる、女に対するときには絶対に見せない態度の魅力について証言を残している。過去の無名のFTMトランスジェンダーは、あくまで男として男たちの中にあることに喜びを見出していたのだが、モリスが男に変装して男の社会に潜り込んだ女性に自分をなぞらえるとき、いうまでもなくそのようなケースは想定されていない。とはいえ、モリスもまた、そのような状況を楽しんでいたことには変わりない。
男性社会に潜り込んだ女の人は、誰にも見咎められずに盗み聞きがでいるという、特権的な立場におかれたような気もするにちがいない。一人の男として男たちの間にいるのがどんな気分のものだったか、私はもう忘れてきているし、今後もそのような状況に置かれることは、絶対にないといっていいだろう。しかし、それは、非常に楽しい体験であった。みんなが私に対して何の別け隔てもない態度を示してくれるのが、意外に思えた。みんなに受け入れられたことで、私は奇妙な満足感をおぼえた。(43-44)
これはモリスが自分を男ではないと思っているため、男として受け入れられたことを「意外」と言っているのだが、同時にモリスは、性的対象としての「男」ならびに男だけの世界では「女」となりうる自分の魅力についても、けっして鈍感なわけではない。
ところで、男性社会に潜り込んだ女の人の心を最も強くとらえるのは、何といっても、ハンサムで溌溂とした若い男たちにとりまかれている楽しさであろう。当時私は、その楽しさをあまり意識していなかったが、それをおおいに楽しんでいたことは間違いない。/(……)まわりの人たちは、ときどき本能的に、私の中に女を感じていたらしい。そういうことは、その後もよく起こった。女の人がそれを感じとってくれると、私は気が楽になった。その人の前で男らしいふりをするのは、気骨の折れることだったからだ。男は、それを感じとると、思いもかけないくらい親切にしてくれるのだった。したがって、私は、軍隊でも、ラーンシング・カレッジにいたころと同じように、庇護者にはこと欠かなかった。私の本が盗まれると、誰かがとり返してきてくれた。議論に負けそうになると、必ず誰かが支援にのりだしてきてくれた。英国機甲軍団の訓練所に入っていた時も、私のポンコツオートバイがなかなか始動しなくなって困っていたりするとすぐ誰かが手を貸してくれた。サンドハーストで私と同室だった士官候補生は、私の頼む雑用を、何でも、つまらないことほど熱心にやってくれた。勝手な憶測かもしれないが、彼はむしろ喜んで、その雑用をやってくれていたような気がする。
こうした取り扱いを受けているうちに、私は、自分が切羽詰まった状況に追い込まれることなど絶対にないと思うようになっていった。そうなる前に、必ず誰かが、仲裁してくれたり、許してくれたり、私にかわって矢面に立ってくれたりするものと、勝手に決め込んでしまったのだ。こういう心理は、女なら誰でも、身に覚えがあるにちがいない。(44-45)
女が甘やかされ、依存心が強くなること。むろんそれは、肝心なところで権力を奪われていることの裏返しなのだが、後年、手術後のモリスも、若いころと同様に、これを不愉快でないと言っている。男に「なった」ことで他人の態度が変わった、以前にように軽く見られず丁重な態度で遇されるようになった、自分の中身は変わらないのにという意味のことを書いていたのは、たしかMTFの虎井まさ衛さんだったと思うが、モリスの場合はその逆で、ウェイターから軽く扱われるようになる。「もちろん、私にも、いすをひいたり、コートを着せかけたり、ドアを開けたりというような、習慣的に女性に対してはらわれる敬意は、ちゃんとはらってもらえる。しかし、そんなのはとるに足りない敬意であって、いっしょにいる男性だけが正式の客と見做されているということが、私にはよく分かるのであった」(211)
けれども、そういうことはすぐに「ごく自然」に感じられるようになったとモリスは言う。「習慣と環境の力」はそれほど強いのだと。(まさに、「女はこうして作られる」である。)
「ふつうの女がもっと若いころにそれ[女に対するさまざまな制約]に適合していったのと同じような経過をたどって、それに適合しようとしていたのであった。もちろん、それは、決して不愉快なことではなかった。男たちの恩に着せるような態度が頭にくることはあっても、親切にされるのは非常に嬉しかった」(211-212)
モリスは〈セクハラ〉にさえ「適合」するだろう。とはいえ、それは百数十ページ先のことだ。今は男として男たちのあいだにいたモリスの話をもう少し続けることにしよう。
by kaoruSZ
| 2004-12-09 09:38
| 読書ノート(1)
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Comments(1)
はじめまして、興味深く拝読しました。
今トランスジェンダーについての文献を探していたところなのですが、確か虎井さんは女性から男性になったFtMです。
参考までにリンクを貼っておきます。
https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E7%94%B7%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%B7-%E8%99%8E%E4%BA%95-%E3%81%BE%E3%81%95%E8%A1%9B/dp/4787231235
今トランスジェンダーについての文献を探していたところなのですが、確か虎井さんは女性から男性になったFtMです。
参考までにリンクを貼っておきます。
https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E7%94%B7%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%B7-%E8%99%8E%E4%BA%95-%E3%81%BE%E3%81%95%E8%A1%9B/dp/4787231235
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