人気ブログランキング | 話題のタグを見る

おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

味噌汁の味あるいは世界の秘密〔上)

 四年ぶりに量り売りの味噌を買った。帰宅して包みを開き、こんなに色が薄かったのかとあらためて思う。久しぶりに確かめた味はやっぱり違う。鍋で溶いても色は淡く、それでいてうま味は十分だ。くせがないので具の味が生きる。
 この味噌を使ったおつけをおいしく食べるため、これからは御飯を炊く手間を惜しむまいと思う。長いこと御飯は文化鍋で炊いていた。戸田に置いてあるのだが、今度取ってこようか。土鍋を一つ買ってもいい。電気釜は時間がかかる上、続けて食べないので、温めておいても意味がないのだ(と言いつつ、一日一度はコンビニでおむすびを買い、おつけだけを作っているここ数日の現状だ)。

 私は別に、選びぬいてその味噌に決めたわけではない。正式にはなに味噌に分類されるのかすら知らないままだ。母乳と果汁の時期のあとに、母がそれで作ったおつけの上澄みを私に吸わせた(母の育児日記にそう書いてある)。それで私は生涯その味を好むようになったのだ。合わせみそにするとおいしいと書いてあるのでやってみたこともあるけれど、結局私はこの味に戻ってくるのだろう。御用聞きが届けた味噌で、私の味覚は決まってしまったというわけだ。

 日が伸びてまだ明るい土曜日の夕方、人影のない味噌屋の敷居をまたいで案内を乞うた。返ってきたのは主人の声。よかった。他の人(といっても、それ以外の人に応対されたことはない)ではわからない。現われた主人に名を告げると、「あ」という顏をされる。うちでいつも買っていたおみそはどれでしょう。笑顔で訊ねると、これです、これです、お父さんがいつも買いにきてくれたのは、と容器の一つに彼は近づく。母がまだ生きていた頃から、買物は父がするようになっていたのだ。

 前回来たのは前世紀の、暮れもおしつまった頃だった。彼はそこまでは覚えていない。それでも、父が死ぬ前に家を新築したこと、弟がそっちにいることは覚えていて、おねえさんは今どこにと、そのときと同じ質問をする。同じところにいるんです。日曜日ぐらいしかこっちへ来ないので、とこっちは無沙汰の言いわけをする。これは言わなかったけれど、父の死後かなりの期間、思い出してしまうので家でほとんど料理をしなかった。その後は手に入る味噌で間に合わせてきたし、御飯を炊くこと自体すっかり減った。味噌のパッケージをカゴに入れるだけですむスーパーの買物と違い、避けられないこうした会話がいくらか負担に感じられたということもある。

 長いこと、品物と一緒に置いてゆくマッチに記された、店の場所さえ知りはしなかった。味噌や醤油は御用聞きが持ってくるもの。彼がどこから来るかなど気にとめもしなかった。醤油は一升瓶で届けられ、母に言われて醤油さしに瓶から移した。お勝手の床に醤油さしを置き、口をしっかり合わせて瓶の底を持ち上げる。口さえ合わせればこぼれないと母は言い、確かにそれは正しかった。床でやったのは、調理台まで一升瓶を持ち上げるのが子供の手にはあまったからだ。

 行く道の途中だからお味噌屋さんの場所を教えてあげる。そう弟の奥さんに言ったのは、父がときどき弟にもそこの味噌を届けてやっていたからだ。ついでにお味噌を買いたいと彼女が言い出し、私はためらう。おかしい? おかしくはないけれど……。

 父が作って持ってくる弁当のおかず——玉子焼きや、塩鮭や、ブリの照焼きを姪も甥も楽しみにしていた。シンガポールにしばらく里帰りしていたとき、まだ幼かった姪が味噌汁をほしがったので、Japanese foodの店でお味噌を買ったと義妹は話し、納豆も好きだし、pure Japaneseになっちゃったと言ったものだが、たぶんそれは父の料理の賜物だ。
 おかしいかと訊いたのは、通夜を待つ遺体に対面する前かあとに通る道であったからだ。おかしくはないけれど……父のことを絶対訊かれる。まあ、いいだろう。寄って行こう。これから行くお味噌屋さんはおみそをすくったしゃもじを、後ろ向きのまま、話しながらひゅっと投げるよ。子供たちに前もってそう説明してやる。もとの容れ物にちゃんと入るからよく見ておいで。
by kaoruSZ | 2005-05-26 22:26 | 日々 | Comments(0)