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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

『うたかたの記』あるいは「München―一八八六年」(1) 2022.11.6−11.18

『舞姫』をめぐってほぼ毎日ツイッターで書き継いでいる時に、久方ぶりに神保町へ出かけて三茶書房に入ったところ、「伯林―一八八八年」という背文字が目に飛び込んできた。 明治二十一年の冬は来にけり――これが私のためにここに置かれたのでなくて何だろう。世界は「ユービック」になってしまったのか……

 そのようにして、『伯林―一八八八年』(海渡英祐)に出会った。「昭和42年度第13回江戸川乱歩賞受章作」「鷗外文献を渉猟した的確な考証」と帯にあるが、渉猟とはとうてい呼べないものの私自身も調べている最中なのでいろいろ出どころがわかる。もとより鷗外をそれほど読んでいたわけではなく、知らないものも多いが、以前だったら全くわからなかったろう。短篇『大発見』は折りよく先日読んだところで、ベルリンの日本公使館の様子は承知していたし、「家主が料理店を経営しているのが都合がいい」下宿のことは、『鷗外の恋人 舞姫エリスを探せ』(六草いちか)で知った。シュプレー川と聞いても以前なら何の連想もなかったが、六草氏の本を読んだ後では、ああ、あのカモメの飛び交う、となる。

『伯林―一八八八年』の主人公森林太郎には、エリスの同輩の踊り子ベルタという、架空の人物――いや、エリスも太田豊太郎も架空の人物であるから、『舞姫』には存在しない人物と言おう――そのベルタの恋人でもある岡本修治という友人がいるが、「林太郎は仲のよかった画家の原田直二郎を通じて、この男と知りあった」とある。「原田」は「架空の人物」ではなく、これも六草氏の本の、“ミュンヘン三羽烏“とキャプション付きの写真に(架空ではない)森林太郎と並んで写っていた(表記は直次郎で、「架空の人物」の方はわざと改めているのだろう)。この名前は覚えがあると思いながら調べていなかったが、調べたところ、 『うたかたの記』に登場する画家のモデルとされていた。おまけに、初めて知ったがドイツ女性との間に子を生しており、帰国後、女性から養育費を求める訴えを起されていた!(本人すでに病気で、結核で死去のため不成立。なお渡欧前から日本に妻子あり。)

重要な脇役となる岡本は、「法律を学びにドイツへやって来たのだが、いつの間にか法律の方はお留守になって、文学や哲学に熱中してしまい、いまでは新聞の通信員をつとめたり、ほかに翻訳や臨時の通訳などをして何とか自活している」と、どこかで聞いたような身の上である。

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『伯林―一八八八年』、よく出来ているがエリス可哀想過ぎ。鷗外には本命の美女がいて、要するにアルヌー夫人の代りのロザネット。星新一の、鷗外からの手切れ金でエリス来日説を私は珍説と呼んだが、「かなりの金を工面して、そっと彼女のもとに残して行ったのが、彼のせめてもの罪ほろぼしだった」という伏線を見るに、かつては珍ではなかったのかも。

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『うたかたの記』と『文づかひ』、読んだのがあまりに昔なので、とりあえず「青空文庫」で目を通した。『伯林―』のヒロイン(エリスではないのだ)クララと林太郎ははじめての出会い以前に、シュタルンベルク湖(言うまでもなく『うたかたの記』の舞台で、ルートヴィッヒ二世終焉の地)で、互いの姿を見ているとされている。

『うたかたの記』、凄いなあ……『舞姫』の次に、もうこれ? 高校の教材に相応しいと思われるくらいになめられた、『舞姫』の次に――。昔読んだ時はルートヴィッヒ二世への関心からだったので、王がその母に恋したマリイという娘がどうこうという、何やら込み入った“作り話“が本筋なのに失望した記憶があったが、今回は異様なヒロイン、マリイに驚きながら、彼女も、『文づかひ』のイイダ姫も、『伯林―』のクララがそこから作られた素材であることを納得しつつ読んだ。これはあからさまな藝術家小説だ。私は、『舞姫』もそうだと――すでに書いたように(『舞姫』ノート (上) https://kaorusz.exblog.jp/32419266/)、主人公が「近代小説」を書きはじめるまでを記述した藝術家小説だと――思っているが、『うたかたの記』は、画工(画家)の巨勢(こせ)を主人公にすることでそれを明示している。

 最初、すみれ売りの十二三歳の少女マリイにミュンヘンのカフェで出会った巨勢は、学生が連れていた犬におびえて取り落し、踏み躙られた菫(何の象徴かは明白だ)の代金だと言って、店から追い出された彼女に金を与える。これは太田豊太郎がエリスに懐中時計を渡す行為に相当し、成長したマリイが語る、「母のみまかる前、三日四日のほどを安く送りしは、おん身の賜(たまもの)なりき」というのは、時計を質入れした金でエリスの父が埋葬されたのに通じる。この束の間の出会いによって彼女は彼のミューズとなり、あらゆる美と彼とのあいだに、その顔が割って入るようになる。六年後、「ミネルワ」と呼ぶカフェで再会した彼女は美術学校のモデルをして自活しているが、美術に関しては男に劣らぬ知識を持ち、狂人と見られかねない奇矯な言動で、娼婦に身を落すことから自らを守っていた。

 マリイが巨勢に語るところでは、「父はスタインバハとて、今の国王に愛でられて、ひと時栄えし画工なりき。」王とはルートヴィッヒ二世である。マリイが十二の時、王が(同名の)母のマリイに恋慕して無理矢理従わせようとしたのを父が助け、逆上した王に暴行されて、人に担がれて帰るという事件が起きた。巨勢曰く「王の狂人となりて、スタルンベルヒの湖に近き、ベルヒといふ城に遷(うつ)され玉ひしことは、きのふ新聞にて読みしが、さてはその頃よりかかる事ありしか」。マリイ曰く「囈語(うわこと)にマリイといふこと、あまたたびいひたまふを聞きしもありといふ。我母の名もマリイといひき。望なき恋は、王の病を長ぜしにあらずや。母はかほばせ我に似たる処ありて、その美しさは宮の内にて類(たぐひ)なかりきと聞きつ。」巨勢に救われたのは、父が病死し、マリイが菫売りまでするようになった頃だった。

 やがて母も失うと親切ごかしに引き取る人があったが【註】、ある日新しき衣(きぬ)着よと言われて、客と船に乗せられ、意味の分らないまま、恐れてシュタルンベルクの水に飛び込む。気がつくと漁師の夫婦に助けられており、そこの娘になった。すでにここまででも、いい加減込み入っているが、さらに、その後、近辺の裕福なイギリス人の家で小間使をしていた時にもの読むことを覚え、女家庭教師の蔵書を読み尽くしたとなると、藝術家のミューズである女の登場人物としてはかなり異質である。去年、イギリス人たちが帰国してしまうと、漁師の娘では貴族の家などに勤め口はなく、モデルにと請われたことをきっかけに、鑑札を受けて美術学校のモデルになった。

 マリイはこのように巨勢に来し方を物語り、実の父と行ったこともあるシュタルンベルク湖へ巨勢を誘う。しかし、二人が湖水に舟を浮かべている時、岸にルートヴィッヒ二世と侍医グッデンの姿が現れ、マリイは驚いて立ち上がり、王は母によく似たマリイを見ると、一声その名を呼んで浅瀬に踏み入る。マリイは気を喪って傾いた舟から水に落ち、その際、水中の杭で胸を打つ。王と、止めようとするグッデンが争うのを横目に、巨勢は舟にマリイを助け上げ、彼女の養い親である漁師の小屋へ急ぐ。

 これは、鷗外がルートヴィッヒ二世の事件を素材として見た、「夢」のようなものだろう。恐しく多くのものが、ここには水中の藻のように、ひしめき、絡みあい、置き換えられ、「圧縮」されている(しかし解きほぐすことは不可能ではない)。

 事態をさらに込み入らせることになるが、海渡英祐の小説をここに近づけて見るなら、『伯林―一八八八年』のクララは、明らかにマリイが“モデル“である。クララもまた女優だった美しい母に生きうつしで、画学生たちが集うカフェに一人混じるマリイのように変人ではないが、並みの女からは抜きん出たと見える教養を持つ二十四五歳の女詩人で、二年前、ルートヴィッヒの事件の三ヶ月後に、林太郎がシュタルンベルク湖畔で見た時は、「品のよい白髪の男と美しい娘の二人づれ」だった。男は「もと軍医」の養父であり、昨年亡くなったという。「(…)シュタルンベルクは養父にとって、思い出の土地だったらしいのです。退官したときから、もう一度遊びに行きたいと、よく申していましたが、あれが結局最後の旅になりました……まえから腎臓を患っておりまして、当人は医者だけに、自分でもう長くはないと思っていたらしいのです……」これに続いて林太郎自身の腎臓病についての見解、さらに、無名の語り手による、当時の医学状況の解説が入るので、読者はたんにそうした知識(鷗外の職業や死因も含めて)を、作者が引用したのだと取るであろう。しかしそうではないのだ。

 先へ行って林太郎は、養父の代りにクララとシュタルンベルク湖畔を歩きたかったと言っている。これは、自分が「父」に取って替わりたかったと言っているのだ。いや、林太郎が取って替わりたいのはその父ではない(腎臓病で死期を自覚した「もと軍医」ならば、そのままにしてすでに未来の彼自身ではないか)。彼が取って替われなかったのは一介の軍医なぞではなく、このあと登場するクララの本当の父、神のごとき力ある大人物であり、『伯林―一八八八年』はついにその父から彼女を引き離せなかった男の話である。

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 すでに述べたように巨勢と少女マリイの出会いは、太田豊太郎とエリスの出会いの変形されたものだ。『舞姫』を成立させる口実としての「出世か恋か」という通俗的な設定を取り払ったあとの、藝術家による彼のミューズの発見である。なにしろ巨勢は、「そのおもての美しさ、濃き藍いろの目には、そこひ知らぬ憂ありて、一たび顧みるときは人の腸(はらわた)を断たむとす。その面、その目、いつまでも目に付きて消えず(…)ドレスデンにゆきて、画堂の額うつすべき許しを得て、ヱヌス、レダ、マドンナ、ヘレナ、いづれの図に向ひても、不思議や、すみれ売のかほばせ霧の如く、われと画額との間に立ちて溲礙をなしつ」というほど、この俤に取り憑かれてしまうのだ(これが、「この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか」と語られた、エリスの再来なのは言うまでもない)。彼は幻の少女をモデルにした未完成の「ロオレライ」の絵を携えて、六年ぶりにミュンヘンに戻って来る。

 太田豊太郎の「政治社会に出でんとの望みは絶ちしより幾年をか経ぬるを」という台詞は、エリスとの生活が年単位で続いたわけはないのでいささか奇妙だが、巨勢がミュンヘンを再訪するまでに六年もの歳月がかかっているのも逆に不自然だ。しかしこちらは、言うまでもなく、マリイが成長するまでに必要な時間である。そしていったん再会が起こってしまうと、時は急加速する。「明治二十一年の冬は来にけり」以降の、エリスの妊娠、相澤との再会、大臣に従ってのロシア行きの慌しさと同様に、会ってから一週間で、マリイは巨勢のアトリエに来て自分の身の上を物語り、そのまま巨勢をシュタルンベルク湖へいざなう。そして水に落ちて死んでしまうのだ。

 マリイの来歴はほとんど幾つかの別の話を繋ぎ合わせたように見える。暴虐な王、家の没落、花売り娘、孤児、そして拾われた子。思いがけず身を置くことになった、女家庭教師のライブラリイでの幸福な時間。マリイの過去とは、そこで読んだ無数の物語の断片を継ぎはぎした夢ではないのか。だが、この寄せ集めとは、実際に鷗外が(フロイトが「夢の仕事」と呼ぶものに似て)、手持ちの断片を使ってやったことであり(それはまた海渡氏が「鷗外文献を渉猟」してやったことでもある)、この、起源の曖昧な無根拠な寄せ集めこそが、小説と呼ばれるものなのである。

 思えば太田豊太郎と教会の扉に倚って泣くエリスとの出会いの場面も、どこかから取って来られてそこに置かれたようなものであった。エリーゼ・ヴィーゲルトの身元は六草いちか氏によって突き止められたが、森林太郎とエリーゼがどこでどのようにして出会ったのかは、いまだに謎のままだ。しかし、巨勢とマリイ・ハンスル(本名はスタインバハ)との出会いが、『舞姫』のそれの反復であることは疑いない。父を亡くして窮地に陥り、身を売るまでに追いつめられた美しい娘を、“金“を渡すことで救う。マリイの場合、一度目は(すみれの)「落花狼藉、なごりなく泥土に委ねたり」と、暗示にとどまっていたものが、二度目には、父と行ったことのある場所での、客の男との船遊びという形で現実のものとなろうとする。湖水に身を投げて逃れた時、マリイは一度死んだのだろう。死んで、そして生まれかわったのだろう。水の中から見つかった子供とは、モーゼ以来の神話的形象であり、誕生の暗喩だろうが、あくまでも“リアリズム小説“である『うたかたの記』では、 「帰るべき家なしと言張りて、一日(ひとひ)二日(ふたひ)と過(すぐ)す中(うち」に、漁師夫婦の質朴なるに馴染みて、不幸なる我身の上を打明けしに、あはれがりて娘として養ひぬ」と、かぐや姫のような“見出された子“の来歴が継ぎ目を見せずに語られる。その後、イギリス人の家の小間使になる孤児の少女とは、またしても何かの物語から引いて来られたかのようだ。しかしそれは紛れもなくマリイなのであり、ただし、 「シオペンハウエルを右にし、シルレルを左にして」座る下宿の豊太郎のさまをめづらしく眺めたことであろう、彼と知り合うまで「手に入るは卑しき「コルポルタアジユ」と唱ふる貸本屋の小説のみ」で、彼の貸し与える本で「漸く趣味をも」知ったエリスからははるかに遠い、「ギョオテ、シルレルの詩抄」、「キョオニヒが通俗の文学史」、「ルウヴル、ドレスデンの画堂の写真絵」、「テエヌが美術論の訳書」を読みあさって大人になったマリイなのである。

『伯林―一八八八年』では、森林太郎がエリスとの「余所目に見るより清白」(『舞姫』)な、煮え切らない交際を続ける一方、すでに見たように免官後の豊太郎そのものである(ただし、出世をめぐる懊悩とは無縁な)岡本修治がいるので、クララ・ヴァルターは、はじめから林太郎の純粋な「憧憬」(この単語は、ゲーテから取られたとあとから明らかにされるクララの詩集の題名でもある)の対象として登場する。なにしろクララは、シルレルに関して言えば、岡本から「友人の森林太郎君、陸軍一等軍医で、いまはコッホ研究所で細菌学の研究をしていますが、文学にも強い関心を持っています」と紹介されて、「あなたはシラーのお仲間というわけでございますのね」と返すような女なのだ。〔シルレル、軍医だったのか! 知らなかった……〕

 岡本の恋人ベルタとその母(岡本との仲に反対する)の住まいの描写には、外観も屋根裏部屋も『舞姫』のエリス母娘の住居の記述が、そのまま流用されている。そしてそこで起こる悲劇――本題の殺人事件の解決に林太郎がかかわるための序章となる――も、母親が娘に客を取らせようとする、『舞姫』の設定をそのまま流用したものだ。ただし相手はヴィクトリア座の座頭(ざがしら)などではなく、政府の要人である伯爵で、その代価も、エリスの部屋に活けられていた「ここに似合はしからぬ価(あたい)高き花束」や、豊太郎の懐中時計で暗示されるのではもはやなく、「この貧しい家庭には、いかにも不似合な」「何枚かの金貨」として、むき出しの――いや、「絹のハンカチ」にくるまれた――光を放っている。

『舞姫』で、鷗外はいち早く“母“を殺していた。「諫死」や、「峰子[鷗外の母]を満足させるために、毅然たる母親像を描きたかったからではないでしょうか」という見当外れの解釈を呼び込む表現で(「舞姫ノート(上)」の始めを参照されたい)、母を排除していた。母親として登場するのは、娘を搾取する、貧苦の痕を額に刻んだ老媼(おうな)ばかりだった(十六七のエリスの母がそれほどの年であったとも思えないが、「五十を踰えし母に別るもさまで悲しとは思はず」と語られる豊太郎の母も、もちろんこの時代では年寄り扱いだ。ちなみに実際の森峰は、鷗外帰朝時、四十二に過ぎなかった)。最後に豊太郎が抱きしめて涙を流すエリスは、胎内に子を宿した――だが「精神の機能は殆ど全く廃し」た――母、いや“母未満“であった。

 しかし、『うたかたの記』では、 “母“は美しい若い娘の姿で戻って来る。シュタルンベルク湖へ向かう時のマリイは、「おん身とならば、おそろしきこともなし。共にスタルンベルヒへ往(ゆ)き玉はずや」と巨勢を誘い、「巨勢は唯(ただ)母に引かるる穉子(おさなご)の如く従ひゆきぬ」とある。その直前、マリイの話を聞き終った巨勢が、あたかも「胸騒ぎ肉顫(ふる)ひて、われにもあらで、少女が前に跪かむとし」たところであった。『伯林―一八八八年』のクララとエリスのことを、『感情教育』のアルヌー夫人とロザネットと先に書いたが(書いた時には意識していなかったが、フロベールのヒロインの名もマリイである)、憧憬(しょうけい)と渇仰の対象であり、軽々しく手を出せない女と、身近で、自分を慕ってくれる、気安く性的な慰みにしうる女とは、要するに昔ながらの母と娼婦の二分法に他ならない。しかし、母は性的要素を脱色されたわけではなく、常に近親相姦の危険をはらんで立ちあらわれる誘惑者なのだ。

 エリスをロザネットとして最初から別立てにした『伯林―一八八八』では、初対面のクララからシラーに比せられた林太郎は、「恐れ入ります……シューマン・シュトラーセでクララさんにお会いできて、何より光栄に存じます」と返す。ブラームスにとっての年上の偶像クララ――マリイ・アルヌーやそのモデルのエリザ・シュレザンジェのように主人公(あるいは現実のフロベール)より年上の人妻でなくとも、クララ・ヴァルターは最初から林太郎にとって“母“の像なのである。最初と言えば本当はその前の「シュタンベルガー・ゼー」での出会いが最初だが、そこでもクララは、“男“(父)との二人づれ、つまりエディプス的競争者である父の“連れ合い“としてのみ登場し(「いかにも親子らしいほのぼのとした愛情を感じて、好ましい印象を受けた」などというのは隠れ蓑である)、また、知り合ってみると、婚約者と目される男もいた。“父“との抗争では、林太郎も巨勢も結局は敗れ去って“母“を失うしかなかったし、それは最初からあからさまな争いを忌避して、母ひとり子ひとりの設定で書かれた『舞姫』でも同様だ。

 マリイと巨勢のシュタルンベルク湖行きは、十三歳のマリイが、男に連れられてそこへ行った時の反復である。それはまた、幼い日に父と行った場所でもあった。彼らは湖水に舟を浮かべる。あの日、客の男がマリイを連れてそうしたように。しかし今マリイの傍にいて櫂をあやつるのは、マリイがこの年月、再会を夢見てきた巨勢である。この情景を一変させるのが、岸辺に現れた狂えるバイエルン王と、扈従する白髪の医師だ。王は舟中の娘をマリイと呼ぶことで彼女を母のマリイに変え、今を、温室の四阿で彼女の母に襲いかかった、あの狂気の一瞬に変える。客の男から逃れた時のように、彼女は水に沈み、岸の近くの足のめり込む浅瀬では、王とグッデンが取っ組み合いを演じている。これは、宮廷の温室で王の狼藉を目撃した父が、「許したまへ、陛下」と叫んで王を押し倒し、「そのひまに母は走りのきしが、不意を打たれて倒れし王は、起き上りて父に組付きぬ。肥えふとりて多力なる国王に、父はいかでか敵し得べき、組敷かれて、側(かたはら)なりし如露にてしたたか打たれぬ」という情景の再現でなくて何だろう。“息子“としての巨勢にとって、これは変形された“原光景“なのだろう(出自も生い立ちもその背景が何一つ知らされないこの人物を、“息子“に還元したとしても許されよう)。巨勢が見たのは、王と“母“との組み打ちに取って替わった、王ともう一人の男との、死にもの狂いの闘争であった。そして、圧倒的な力を持つライオスの前に、エディプスは敗北し、“母“は水の下に消えた。その結果は、菫の花束を雪と泥に汚れた「カッフェエ・ロリアン」の床に散らした時は、「落花狼藉、なごりなく泥土に委ねたり」であり、マリイの母が手籠めにされかけたのは「移植(うつしうゑ)し熱帯草木いやが上に茂れる」温室であったが、今「舟には解けたる髪の泥水にまみれしに、藻屑もかかりて僵れふしたる少女の姿、たれかあはれと見ざらむ」と、ついに泥と水と藻屑にまみれて横たわるのはマリイ自身なのだ。

『舞姫』で鷗外は一人称による「告白」という形式に、自らの体験を含めた材料(“実際にあったこと“つまり伝記的事実も、小説の前には“本で読んだこと“と同等の素材の一つに過ぎない)を落し込んだ。『うたかたの記』では、最近起こったばかりの、しかも自分が近くにあって見聞きしたセンセーショナルな事件を巧みに利用した(まだ人々の記憶に新しかった、田舎医者の妻の自殺を利用したフロベールのように)。だが、恋愛小説のヒロインになりきった女になりきった小説家と違って、彼は狂気の王の内面を描くのではなく、圧倒的な“父“のイマーゴを転用したのだ。その代り、女の異端児であるマリイの語りに、その“狂気“を注ぎ込んだ――「をりをりは我身、みづからも狂人にはあらずやと疑ふばかりなり。これにはレオニにて読みしふみも、少し祟りをなすかとおもへど、もし然(さ)らば世に博士と呼ばるる人は、そもそもいかなる狂人ならむ。」レオニとは、イギリス人の家のあった場所である。「われを狂人と罵る美術家ら、おのれらが狂人ならぬを憂へこそすべきなれ。英雄豪傑、名匠大家となるには、多少の狂気なくてかなはぬことは、ゼネカが論をも、シエエクスピアが言をも待たず。見玉へ、我学問の博(ひろ)きを。狂人にして見まほしき人の、狂人ならぬを見る、その悲しさ。狂人にならでもよき国王は、狂人になりぬと聞く、それも悲し。(…)おん身のみは情(つれ)なくあざみ笑ひ玉はじとおもへば、心のゆくままに語るを咎め玉ふな。ああ、かういふも狂気か。」そして雨が降り出す中、馬車に母衣(ほろ)も掛けさせず、疾駆する車の中で言い放つ。「『カッフェエ・ロリアン』にて恥かしき目にあひけるとき、救ひ玉はりし君をまた見むとおもふ心を命にて、幾歳をか経にけむ。先の夜『ミネルワ』にておん身が物語聞きしときのうれしさ、日頃木のはしなどのやうにおもひし美術諸生の仲間なりければ、人あなづりして不敵の振舞せしを、はしたなしとや見玉ひけむ。」これは巨勢の話の終った時、「われはその菫うりなり。君が情(なさけ)の報(むくひ)はかくこそ」と巨勢の額に熱い口づけをし、自分にも、と腰を抱いた学生を振りはらって、お前たちにはこれが相当だろうと、口に含んだ冷たい水を吹きかけたのである。

「されど人生いくばくもあらず。うれしとおもふ一弾指(いちだんし)の間に、口張りあけて笑はずば、後にくやしくおもふ日あらむ。」かくいひつつ被りし帽を脱棄(ぬぎす)てて、こなたへふり向きたる顔は、大理石脈に熱血跳る如くにて、風に吹かるる金髪は、首(こうべ)打振りて長く嘶(いば)ゆる駿馬(しゆんめ)の鬣(たてがみ)に似たりけり。「けふなり。けふなり。きのふありて何かせむ。あすも、あさても空しき名のみ、あだなる声のみ。」

『文づかひ』は、名のみ知る時は当然恋文のやりとりと思っていたのが、読んでみるとそういうロマンチックなものでは全くなかったのだが、今日再読すると、親や家から押しつけられる結婚へのはげしい憎悪が、ザクセン王国の貴族の娘、イイダ姫に託して、思いきり書き込まれているのに驚いた――「近比(ちかごろ)日本の風俗書きしふみ一つ二つ買はせて読みしに、おん国にては親の結ぶ縁ありて、まことの愛知らぬ夫婦多しと、こなたの旅人のいやしむやうに記したるありしが、こはまだよくも考へぬ言(こと)にて、かかることはこの欧羅巴にもなからずやは。(…)されど貴族の子に生れたりとて、われも人なり。いまいましき門閥、血統、迷信の土くれと看破(みやぶ)りては、我胸の中に投入るべきところなし。」

 かく語るイイダ姫について、若い小林大尉は、「かの物いふ目の瞳をきとわが面(おもて)に注ぎしときは、常は見ばえせざりし姫なれど、さきに珍らしき空想の曲かなでし時にもまして美しきに、いかなればか、某(なにがし)の刻みし墓上の石像に似たりとおもはれぬ」と微妙な褒め方をしているが(「珍らしき空想の曲」とはピアノの即興演奏のこと)、果たしてイイダ姫自身も、「いやしき恋にうき身窶(やつ)さば、姫ごぜの恥ともならめど、この習慣(ならわし)の外(と)にいでむとするを誰か支ふべき。『カトリック』教の国には尼になる人ありといへど、ここ新教のザックセンにてはそれもえならず。そよや、かの羅馬教の寺にひとしく、礼知りてなさけ知らぬ宮の内こそわが塚穴なれ」と言う。塚穴とは墓のことである。「明治二十一年の冬」の東京で実際には何があったのかが知られるに至った今日、こうした強いられた結婚への反発が鷗外の肉声としか聞えないのはあまりにも明らかで、さすがにこの点は諸家の意見も一致するところらしい。しかもイイダ姫の、家のための、情熱を欠いた結婚への強い忌避は、他に恋する相手があってそうするのではない。

 小林大尉に託した手紙が功を奏して、彼女は目論み通り「宮の内」すなわち宮廷の女官(によかん)になるが、大尉の目から見た老いたる女官の描写は、「ザックセン王宮の女官はみにくしといふ世の噂むなしからず、いづれも顔立よからぬに、人の世の春さへはや過ぎたるが多く、なかにはおい皺(しわ)みて肋(あばら)一つ一つに数ふべき胸を、式なればえも隠さで出だしたるなどを、額(ひたひ)越しにうち見るほどに」と容赦ない。その中にようやく見出した姫を、大尉は「わがイイダ姫」と呼ぶが、そもそも出会った時には「イイダといふ姫は丈高く痩肉(やせじし)にて、五人の若き貴婦人のうち、この君のみ髪黒し。かの善くものいふ目(まみ)をよそにしては、外の姫たちに立ちこえて美しとおもふところもなく、眉の間にはいつも皺少しあり」と評していたのであり、彼女は、エリスやマリイに対するような理想化を廃した、イイダ姫という童話的な名にふさわしからぬ、現実の女なのである。

 こうして並べて見ると、『舞姫』が今で言う「自分語り」の試み、『うたかたの記』が藝術家としての信仰告白なのに対して、前二者と同じく日本人男性がかかわるとはいえ、『文づかひ』の小林大尉は全くの傍観者であり、文字通り「つかひ」を務めるだけで、これまでの記述でも分るように、「姫」の恋の相手では(少なくとも向うからは)全くない。姫が、下手な人間には頼めないその役に大尉を選んだのも、「ところに繋累なき外人(よそびと)は、却って力を借し易きこともあらん」と『舞姫』にある通り、全くの部外者だったからである。そして実際、大尉は、見、そして語るだけだ。これは、語られる内容からの完全な疎隔をあらわしてもいよう。

 いわゆるドイツ三部作において、ともに愛する女を失う物語である『舞姫』と『うたかたの記』の、前者では太田豊太郎という、作者と同一視されることを拒まない/あえてねらった人物を一人称の語り手に据え、後者では画家というペルソナの下に密かに自らを語った森林太郎は、最後に、一切の夢を剝ぎ取られた、しかも自分にはイイダ姫のように押しつけられたものを拒否してそこへ行く自由すらない世界を、さびしく、うつくしく、しかし洋行帰りの日本人大尉による打ち明け話という設定によっていやましに距てられた、“よそごと“して記述したものであろう。

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『舞姫』よりむしろ『うたかたの記』を下敷きにしたと言うべき『伯林―一八八八年』で、クララ・ヴァルターが養女であるのは、むろん、マリイが漁師夫婦の養女であるのに倣っているのだろう。『うたかたの記』のマリイの生い立ちは一種の貴種流離譚であり、貧しい漁師の娘となって、今は出自を隠しモデルとなって画学生に立ち混じっている孤児が、実は宮廷画家の娘であるのだ(「われを名高きスタインバハが娘なりとは知る人なし。今は美術家の中に立ちまじりて、唯面白くのみ日を暮せり」)。そして、林太郎とクララの養父の職業が同じなのは、巨勢とマリイの父がともに画家であるのに合わせてあるのだろう。しかし軍医の養女であるクララには、その上にもう一人、実の父がいる。クララを産んで亡くなった愛人の子を、実父は部下の軍医に託した。これにヒントを得て、マリイの父は本当にスタインバハなのかと問うてみることができよう。

 マリイの母は父によって王の手から逃れ、王との(敵うべくもない)組み打ちがそのあとに続いたと語られていた。しかし、その再現である湖での出会いでは、王とグッデンの格闘以前に、王にその名を呼ばれたマリイは、「あ」と声を発するのみで気を失い、すでに水に墜ちてしまっている。あるいは母のマリイも、父によって助けられるより先に、王の手に落ちてしまっていたのではないか。伝えられる事件の起きたのは、マリイが十二の時ではなく、さらに十二年を遡るのではあるまいか。『千匹皮』の王女のように巨勢の「夏外套」をまとい、舟中に蹲っていたマリイが、「彼は王なり」と叫んで立ち上がると、背にかかっていた外套が落ちて、「乱れたるこがね色の髪は、白き夏衣(なつごろも)の肩にたをたをとかかり」、王は娘をあやまたず「マリイ」と呼ぶのである。

 スーパー二階に出店の本屋に新潮文庫の『阿部一族・舞姫』があるのを見て、『うたかたの記』が入っているので買った(本当は口語文もオリジナルの仮名づかひで読みたいものだ)。レオニの地理的位置と、「スツヂイ」がStudie(習作)の意と知ったこと以外はほとんど役立たぬ註が付いていて、あらためて気になったこと一つ。再会から一週間後、訪ねて来たマリイに画家が言う「今もわが額(ぬか)に燃ゆるは君が唇なり」とは、ジェラール・ド・ネルヴァルの詩句「私の額は女王の口づけで今なお赤い」が出典ではなかろうか。しかも続く一行は「私はセイレーンの泳ぐ洞窟で夢を見た」である。もしもご存じの方がおいでになればぜひ御教示願いたい。

 巨勢は自分の進行中の作品についてこう語っていた。「我空想はかの少女(をとめ)をラインの岸の巌根に居らせて、手に一張の琴を把らせ、嗚咽の声を出させむ。下なる流にはわれ一葉の舟を泛べて、かなたへむきてもろ手高く挙げ、面にかぎりなき愛を見せたり。舟のめぐりには数知られぬ『ニツクセン』、『ニユムフエン』の形波間より出でて揶揄す」。巨勢の頭蓋は、あたかも数知れぬ水の精の泳ぐ洞窟のように、ラインの岸辺の風景を容れており、そこに彼自身も入り込んで命取りの女に手放しの愛を捧げているのだ。一度湖に落ちてよみがえるマリイは明らかに「水の娘」(ネルヴァル)だが、本来は男をその歌声(マリイの声音は最初の出会いで「『フアイルヘン、ゲフエルリヒ』(すみれめせ)と(…)いひし声の清さ、今に忘れず」と巨勢に言わせており、また再会の時は、「その声の清きに、いま来し客[巨勢]は耳傾(かたぶ)けつ」と、忘られぬかんばせと確信するより早く巨勢の注意を引いている)によって破滅させる半妖のはずである。彼らがシュタインベルク湖畔へと向かう、雨が徐々に繁くなり、雷鳴とどろく馬車の道行には、耳には聞えないワーグナーの音楽が鳴っているのだろう。

 先に挙げたネルヴァルの詩は「幻想詩篇」の有名な巻頭作「廃嫡者」だが、一つ前の詩節には「私はアモールかフェビュスかリュジニャンかビロンか」とあって、このうちリュジニャンとはメリュジーヌの恋人、これも半身が異形の人間ならざる女のモチーフだ。また、自らが何者かについて自問する「私は…」(Suis-je)のフレーズは、巨勢がマリイの身の上を聞きながら、「或るときはむかし別れし妹に逢ひたる兄の心となり、或るときは廃園に僵(たふ)れ伏したるヱヌスの像に、独(ひとり)悩める彫工の心となり、或るときはまた艶女(えんによ)に心動(うごか)され、われは堕ちじと戒むる沙門の心ともなりしが」とあるのを思い出させる。最後に巨勢は先に引いたように「胸騒ぎ肉顫(ふる)ひて、われにもあらで、少女が前に跪かむと」し、次いで「唯(ただ)母に引かるる穉子(おさなご)の如く従ひゆ」くのだが、それは、あらゆる女が、恋人であり母でありイシスにしてマリアである女神へ統合されてゆく、ネルヴァルが精神病院で書いた、彼の人生の総決算としての『オーレリア』最終部に似通っていると言えないこともない。言うまでもなく、それはジェラールの最初から失われていた“母“の像であってみれば、聖処女あるいは(聖)母の名前が“マリイ“であるのも、異邦人が上手くたくらんだ結果かもしれない。

 蛇足ながらネルヴァルは『ファウスト』のフランス語訳者、その意味ではいわば“フランスの鷗外“である。そういえばマリイの母が追いつめられた温室にも、「ファウストと少女との名高き石像」があった。

 しかしマリイの――そして鷗外という男の作家の――面白いところは、これまでにも見てきたように、彼女がけっして男の“夢の女“に還元しきれないことだ。「奇怪なる振舞するゆゑ」、狂人ではとまで言われ、他のモデル嬢と違って「人に肌見せねば、かたはにやといふもあり」と巨勢に友人エキステルが説明するマリイは、要するに“女ではない“と言われているのだ。

 こうした振舞の理由については、アトリエを訪れたマリイが自ら語っている。「美術家ほど世に行儀悪しきものなければ、独立(ひとりだ)ちて交るには、しばしも油断すべからず。寄らず、障らぬやうにせばやとおもひて、計らず見玉ふ如き不思議の癖者になりぬ。をりをりは我身、みづからも狂人にあらずやと疑ふばかりなり。」しかしこの態度は、エキステルによれば「教(をしへ)ありて気象よの常ならず、けがれたる行(おこなひ)なければ、美術諸生の仲間には喜びて友とする者多し」と教養と才気で彼らの中に入り込むことを可能にし、巨勢がエキステルに連れられて入ったカフェのセンターテーブルに、「余所には男客のみなるに、独(ひとり)ここには少女(をとめ)あり」となったのだった。

「我身、みづからも狂人にあらずやと疑ふばかりなり」は、一葉の「われは女なりけるものを」を思い出させる。また、男の学生に混じる姿は、それ以上に、鷗外の『青年』に登場する女学生、三枝茂子を連想させる。ただし彼女は、男を漁るために独逸語を教える学校に出入りしているとしか受け取られず(「茂子さんは初め女医になるのだと云って、日本医学校に這入って、男生ばかりの間に交って、随意科の独逸語を習っていたそうだ。その後(のち)何度学校を換えたか知れない。女子の学校では、英語と仏語の外は教えていないからでもあろうが、医学を罷(や)めたと云ってからも、男ばかりの私立学校を数えて廻っている。或る官立学校で独逸語を教えている教師の下宿に毎日通って、その教師と一しょに歩いていたのを見られたこともある。)」 また、マリイのように、男から「ヱヌス」や「バワリア」の像に似ているとも、「そのふるまひには自(おのづか)ら気高きところありて、かいなでの人と覚えず」と思われることも、「喜びて友と」されることもない。それどころか、「シャツの上に襲ねた襦袢の白衿には、だいぶ膩垢(あぶらあか)が附いていた」と、主人公の目に映りもしないことまで暴露されている。つまり、出会いの時のエリスの、「被りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず」の正反対なのだ。

 別にエリスが美しいから(あるいは心が美しいから)身を包む衣装もきれいなわけではない。むしろこの階級だとエリスの母のように「古き獣綿の衣を着、汚れたる上靴を穿きたり」が普通で、だからこそ、エリスの清潔さに豊太郎が特に言及しているのだと気づいた。そういえば文庫本収録の『鶏』を初めて読んだが、小倉に赴任した鷗外の、(本当のことだけは書かない)奇妙な私小説で、「婆あさん」(五十くらい)の女中に不都合があって替りに来た娘は、性格はよいが一枚きりの着物の「膝の処には二所ばかりつぎが当つてゐる。それで給仕をする。汗臭い」。これで普通なのだ。「石田は三枚持つてゐる浴帷子(ゆかた)を一枚遣つた」。若い女と夜二人きりになるのを避けるため、石田はもう一人下女を雇おうとするが、来たのは十三歳の娘で「頗る不潔である」。

 孤児になったマリイがある日「新しき衣(きぬ)着よ」と言われたのは、商品として売り出されるためであった。父の埋葬代にもこと欠く貧しいエリスが、あの日、なぜ、「垢つき汚れたりとも見え」ぬ衣服を着けていたのか、豊太郎がどうしてそれを特筆していたのか、ようやくわかった。


【註】この、マリイを引き取った、没落したマリイ母娘が移り住んでいた「裏屋の二階」(日本式に呼べは三階)の、「一階高くすまひたる」住人の職業は「裁縫師」であるが、これは『うたかたの記』が、エリスの父の名とそれに添えられた「仕立物師」の文字が入口の戸に漆で書かれていた『舞姫』の、“夢の続き“だからだろう。また、六草いちか氏が、鷗外最後の下宿の一階上の四階に住む家主ルーシュ夫人の職業が先行研究では「洗濯屋」と訳されていたのが「縫製工場」(ミシン縫製のアトリエ)であるのを発見したのを読んだあとでは、こうした「事実」の細部が、いわゆる「昼の残滓」として、“夢“(作品)の生成に寄与したことは間違いないと思われる。

by kaoruSZ | 2022-11-20 19:47 | 文学 | Comments(0)