『うたかたの記』あるいは「München―一八八六年」(2) 雨と道行 2022.11.20−11.26
2022年 11月 27日スタルンベルヒまで
『舞姫』の気象、天候の描写は「明治二十一年の冬」にかぎって――というのは、それ以前には記述がないので――極めて印象的であり、水際立っているが、『うたかたの記』はそれ以上である。巨勢(こせ)が美術学校に借りたアトリエをマリイが訪ねて、自らの来歴を物語る時の空模様は、「けさより曇りたる空は、雨になりて、をりをり窓を打つ雫、はらはらと音す」というふうで、話が終った時には「定(さだめ)なき空に雨歇(や)みて、学校の庭の木立のゆるげるのみ曇りし窓の硝子をとほして見ゆ」となっており、「この部屋の暑さよ」「雨も晴れたり」と――もちろんこれはこの先で本降りになることの前ぶれ以外のものではない――マリイは巨勢を促して湖へ連れ出す。
シュタルンベルク行き自体は、完全に、マリイが十三のとき、「新しき衣(きぬ)」着せられて、「午すぎし頃、四十ばかりなる見知らぬ人来て、スタルンベルヒの湖水へ往かむと」言った日のヴァリアントであり、その果てに何が待つかは既定の事実であろう。道中の様子がこまごまと記されるのも、過去と共通する。
一度目のときは、「連れなる男は、途(みち)にてやさしくのみ扱ひて、かしこにては『バワリア』といふ座敷船(ザロンダムフエル)に乗り、食堂にゆきて物食はせつ」、「ゼエスハウプトにて船はてしとき、その人はまた小舟を借り、これに乗りて遊ばむといふ」という行程であるが、巨勢との道行は、まず「門前にて馬車雇ひて走らするに、程なく停車場に来ぬ」。ここよりは汽車で、「走ること一時間、スタルンベルヒに着きしは夕の五時なり」。
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この間、停車場でも、車中でも、号外――「国王ベルヒの城に遷(うつ)りて、容体穏(おだやか)なれば、侍医グッデンも護衛を弛めさせきとなり」――に、人の口に、「王の噂いと喧(かまびす)し」。「ベルヒに遷さるる途中、ゼエスハウプトにて水求めて飲みたまひしが、近きわたりなる漁師等を見て、やさしく頷きなどしたまひぬ」と、早くも、「漁師」といい、「ゼエスハウプト」といい、マリイに縁ある名がちらつくのさえ不吉である。ホテルの給仕を呼んでマリイは、座敷船はまだ出るだろうかと訊く。「僕(しもべ)は空行く雲を指さして、この覚束(おぼつか)なきそらあひなれば、もはや出でざるべしといふ。さらば車にてレオニに行かばやとて言付けぬ。」
閉じ込められて
車は再び馬車である。「停車場の傍(かたへ)より、東の岸を奔らす。」ベルヒ(ベルク)もレオニも、ともに湖の東岸に位置するのだ。馬車を雨が追ってくる、この描写が素晴しい。
「この時アルペンおろしさと吹来て、湖水のかなたに霧立ちこめ、今出でし辺をふりかへり見るに、次第々々に鼠色になりて、家の棟、木のいただきのみ一きは黒く見えたり」。このあと、「林を出でて、阪路を下るほどに、風村雲(むらくも)を払ひさりて、雨も亦歇(や)みぬ。湖の上なる霧は、重ねたる布を一重、二重と剝ぐ如く、束の間に晴れて、西岸なる人家も、また手にとるように見ゆ」となるまでが、文庫本二ページほどの間に凝縮された濃厚な道行である。
天候の急変に「母衣(ほろ)掩ふべきか」と問う御者に「否」と応えたマリイは、雨を喜び、「むかし我命喪はむとせしも此湖の中なり。我命拾ひしもまた此湖の中なり。さればいかでかとおもふおん身に、真心打明けてきこえむもここにてこそと思へば、かくは誘ひまつりぬ」と、湖畔へ連れて来た目的を明かす。過去を打ち明けるのではない、「真心」を打ち明けるのだ。マリイが帽子を脱ぎ棄て此方へふりむくと、大理石に血の色が潮(さ)したようで、「風に吹かるる金髪」は、首を振って長くいななく駿馬の鬣に喩えられる(「一等ドロシュケ」で雪道を出発する太田豊太郎を、「乱れし髪を朔風に吹かせて」階上から見送るエリスとは大違いだ)。「けふなり。けふなり。きのふありて何かせむ」云々の科白がマリイの口から出るのはこの時である。大粒の雨が衣を打ち、「瞬くひまに繁くなりて」、「湖上よりの横しぶき」が、「紅を潮したる少女(をとめ)が片頬に打ちつくるを、さし覗く巨勢が心は、唯そらにのみやなりゆくらむ」。マリイは馬に鞭あてさせて馬車を急がせ、「右手(めて)に巨勢が頸(うなじ)を抱き、己れは項(うなじ)をそらせて仰視(あふぎみ)たり」。巨勢は相手の肩に頭をもたせて「ただ夢のここちしてその姿を見たりしが、彼(かの)凱旋門上の女神(によしん)バワリアまた胸に浮びぬ」と、「幾頭の獅子の挽ける車の上に、勢よく突立ちたる、女神バワリア」のごときファリックな母に抱かれて夢心地でいる。
「国王の棲めりといふベルヒ城の下(もと)に来し頃は、雨彌々(いよいよ)劇しくなりて、湖水のかたを見わたせば、吹寄する風一陣々、濃淡の縦縞おり出して、濃き処には雨白く、淡き処には風黒し」。御者は車を停めて、非常識な客に、お客さんも風邪をひくし、古い車ながらあんまり濡らしては自分も主人に怒られる、しばらくの間だからと言って母衣を掛ける。「雨猶(なほ)をやみなくふりて、神おどろおどろしく鳴りはじめぬ」。これまで驟雨は見事なモノクロームの視覚的効果で表されていたが、今度は文字通り鳴物入りである。同時に、「路は林の間に入りて(…)木下道(このしたみち)ほの暗うなりぬ」と、視界を遮られるや、「夏の日に蒸されたりし草木の、雨に湿(うるほ)ひたるかをり車の中に吹入るを、渇したる人の水飲むように二人は吸ひたり」と、嗅覚と味覚が瞬時に刺戟され、「鳴神のおとの絶間には」ナハチガル(ナイチンゲール)さえ二人の道行に寄り添って、「玲瓏たる声」を響かせる。
「この時マリイは諸手を巨勢が項に組合せて、身のおもりを持たせかけたりしが、木蔭を洩る稲妻に照らされたる顔、見合せて笑みを含みつ」。けっしてこのような場面には至らなかったが、主演の二人がボートの上で雨に遭う(しかも乗り物づくしの)『乱れ雲』の成瀬巳喜男に撮らせたい。あるいは、『ルートヴィッヒII世のためのレクイエム』のH-J・ジーバーベルクに(音楽はワーグナーをあえて避けるか)。
母衣と雨とで二重に外界から隔てられ、二人は、噎せるような百合の香と雨の中に二人きりで閉じ込められた代助と三千代のように(影響関係というのではなしに言うのだが)世界から切り離され、あるいは窓の日除けをすっかり下ろした馬車の中のエンマとレオンのように(もっとも、中で起っていることに何の関心もない作者は、狂ったように走り回る黒い箱が通り過ぎる塀の中に、養老院の中庭を散歩する記憶の中の老人たちを書き込んだりするのだが)、「我を忘れ、わが乗れる車を忘れ、車の外なる世界をも忘れたりけむ」。林を出て坂道を下るうち、雲が去り、雨がやみ、霧が晴れて視界がひらけるくだりはすでに引いた。
小舟で
着いたのは、岡の中腹の家にはかつて裕福なイギリス人が住んでいた、レオニである。「老いたるハンスル夫婦が漁師小屋も、もはや百歩が程なり」と少女は言う。「『われはおん身をかしこへ、伴はむと思ひて来しが、胸騒ぎて堪へがたければ、此店にて憩はばや。』巨勢は現(げ)にもとて、店に入りて夕餉誂ふるに、『七時ならでは整はず、まだ三十分待ち給はではかなはじ。』」
昔マリイは、座敷船で湖に出て、食堂で「物食はせ」られた。この日、座敷船は荒天で出なかったが、画家は覚束なげにそれをなぞっているのだ(むろん、わざとではない、念のため)。夕餉を待つ暇に「桟橋に繋ぎし舟を指さし」「しばし我を載せて漕ぎたまへ」と言ったのはマリイである。座敷船はゼエスハウプトまで行った。これは湖の南端付近の地名であり、王がベルクへの途上、「水求めて飲みたまひし」と、先に伝えられた場所である。「ゼエスハウプトに船はてし時、その人は」――車を捨てたレオニで、二人が小舟に乗るのは必然であった。
ゼエスハウプトで小舟を借りた男は、「暮れゆくそらに心細くなりし」マリイが、「はやかへらむといへど、聴かずして漕出で、岸辺に添ひて」舟を進めた。今は、「雨は歇みたれど、天猶曇りたるに、暮色は早く岸のあなたに来ぬ」、「岸に沿ひてベルヒの方へ漕ぎ戻す程に、レオニの村落果つるあたりに来ぬ。岸辺の木立絶えたる処に、真砂路(まさごぢ)の次第に低くなりて、波打際に長椅子据えたる見ゆ」と、舞台は整ったのだった。
「蘆の一叢(ひとむら)舟に触れて、さわさわと声するをりから、岸辺に人の足音して、木の間を出づる姿あり。身の長(たけ)六尺に近く、黒き外套を着て、手にしぼめたる蝙蝠傘を持ちたり。左手(ゆんで)に少し引き下がりて随(したが)ひたるは、鬚も髪も皆雪の如くなる翁なりき」。海渡氏の『伯林―一八八八年』で、「この悲劇の約三カ月後」、シュタルンベルガーゼーに滞在した林太郎が幾度か見かけた、「品のよい白髪の男と美しい娘の二人づれ」のうち、白髪の養父はこの「翁」が移されたものだろう。うら若い娘の父にしては歳が行き過ぎている(マリイも「老いたるハンスル夫婦」と言っていた)、かぐや姫の養父たち。『伯林―』のクララが言うように、シュタルンベルク湖が「養父にとって思い出の土地」だったとしたら、それは『うたかたの記』が彼にとって「思い出」(=参照先)としてあるからだろう。
二年前の秋の日、湖畔で何度か目にした知り合う前のクララの姿を、ベッドの中で林太郎は回想する。だが、この中で真に重要な手がかりは、朝のクララでも、昼下がりのクララでもなく、とある夕べ、「ルードヴィヒ二世の悲劇をつたえるベルクの古城に近い、湖畔の道を、父と娘は静かに散策していた」ではじまる一節だけだ。「あたりが暗いのは、時刻のせいばかりではない。鉛色の厚い雲が空をおおっている。やがて雨滴がぽつりぽつりと落ちはじめ、雷鳴とともに、突然雨は激しく降り出した」とあるのは、「耶蘇歴千八百八十六年六月十三日」(『うたかたの記』)の雨が彼らを追って来たのである。「クララは頬をかすかに紅潮させ、父親をかばうようにして足を早める。アルペンおろしの強い風が、雨にかすむ湖面に小波(さざなみ)を立て、彼女の金髪をひるがえして吹きぬける。稲妻が走り、青白い閃光の中で、金髪は妖しい焔のようにゆらめいた。彼女はまるで、伝説に出て来るヴァルキューレのように見えた」。それまでの回想が静謐で端正なだけに、このクララの変身が最初やや唐突に思われたが、思えばこれは彼女がマリイの再来であることを読者に知らせるためであった。
百六十四ページ先で林太郎はクララに言っている――「僕はもう一度、シュタルンベルクの湖畔に立っている君を見たい。お父さんのかわりに、今度は僕がきみのそばに立って……」 しかし、そのクララとは、美しい絵葉書のような景色の中に、エリカの花の精めいたピンク色のドレスで立ち、振り返って養父にやさしくほほえみかけるクララではあるまい。また、針葉樹林が水にくっきりと影を落す朝の湖畔に白いドレスで佇むのが、「大理石の彫像のように見え」たクララでもあるまい。「大理石脈に熱血跳(をど)るごとくにて、風に吹かるる金髪は、首(かうべ)打振りて長く嘶(いば)ゆる駿馬の鬣に似たりけり」と語られ、母のように仰ぎ視られる、マリイのごときクララだろう。
ファンタズム
今、「岸辺の木立絶えたる処」から真砂路−plageはひろがり出して、そこに舞台装置のように置かれた長椅子とはベンチのことなのだろうが、先にシュタルンベルクの停車場で降りた際の、石段を上った先の「屋根なき所に石卓(いしづくゑ)、椅子抔(など)並べたる」、ホテルの前庭を髣髴させもする。
あの時、パーゴラの下で円卓を囲んでいた「男女打ちまじりたる」「ひと群の客」、「此ホテルに宿りたる人」とは、増幅された両親であろうか。見覚えのある顔を認めた巨勢は(「先の夜「ミネルワ」にて見し人ありしかば」)、近づいて声をかけようとして、マリイに止められる(「巨勢は行きてものいはむとせしに、少女おしとどめて。」) 「かしこなるは、君の近づきたまふべき群にあらず。われは年若き人と二人にてきたれど、愧(は)づべきはかなたにありて、こなたにあらず。彼はわれを知りたれば、見玉へ、久しく座にえ忍びあへで隠るべし。」マリイの言った通り、「彼(かの)美術諸生は果して起(た)ちて『ホテル』に入りぬ」
この一連の情景は、巨勢の、(このあとの水に沈むマリイや、王と翁の戦いほどには目立たない)一種の性的ファンタズムであろう。続いてマリイは「僕(しもべ)を呼び近づけて、座敷船はまだ出づべしやと問」ふのだが、これは現実の出来事が直後に接続されたものだろう。直前までは記憶の中にストックされた「顔」が呼び出され、置き換えられて展開する“夢“であり、いかにもリアリズムめかしているが、マリイの説くところも夢の論理で、それが人に気づかれぬまま、さりげなく挿入されているのだろう。
今、大道具のようにベンチの置かれた汀(みぎは)には砂踏む音がして、乗る舟の分け入る蘆のさやぎにつれて姿を見せたのは“本当の父“――「父の世に在りしとき、伴はれてゆきし嬉しさ」の思い出を利用するかに、湖に連れ出した子を舟に乗せ、「人げ遠き葦間」に入り込んだり、愧(は)づべきあひびきを知り人(びと)に見られてこそこそと身を隠したりの、「悪い父」たちのあとについに現れた“ラスボス“で、「われを狂人と罵る美術家等、おのれらが狂人ならぬを憂へこそすべきなれ」と学生たちを指して言い切ったマリイには“狂気“をわかち持つ分身でもあり、その証拠に、王ははじめ「縁広き帽」の下に顔が隠れていたのが、帽子を片手に「ぬぎ持ちて、打ち仰ぎ、長き黒髪を、後(うしろ)ざまにかきて広き額」をあらわす一方、夕餉を頼んだ店に「前庇広く飾りなき帽」を残したままで来たマリイの「白き夏衣」の肩には「乱れたるこがね色の髪」がかかり、「彼は王なり」と叫んで舟の中で立ち上がった拍子に夏外套が背から落ちるのに対し、王の黒い外套は、追いすがるグッデンが「王の領首(えりくび)むづと握りて引戻さんと」して「外套は上衣とともに翁が手に残りぬ」といった具合に、照応させてあるのである。
巨勢がマリイをモデルに描こうとしていたのは「ロオレライ」で、本来なら岸から舟人に歌いかけ水に沈める役回りであった筈が、逆に舟の上の姿が王を呼び寄せ、「あやしき幻の形を見る如く、王は恍惚として少女の姿を見てありしが、忽(たちまち)一声『マリイ』と叫び、持ちたる傘投棄てて、岸の浅瀬をわたり来ぬ」。互いを認めた時がすなわち彼らの死の時であったのだ。「少女は『あ』と叫びつつ、そのまま気を喪ひて」巨勢の差し伸べる手も間に合わず水に墜ちる。
彼女はなぜ気を失ったのか。スウィッチを突然切られたか、巻いたネジが残らず戻ったかのようではないか。夢としての彼女の人生がこの時不意に終りを迎えた。「われにもあらで水に躍り入りぬ」る時は気がつくと漁師夫婦に介抱されていたが、此度は「日もはや暮れ」、岸にはオークやハンノキが繁って枝差し交わし、「水は入江の形をなし、蘆にまじりたる水草に、白き花の咲きたるが、ゆふ闇にほの見えたり」と、有名な流れゆく少女の背景さながらの図、「をりしも」漕ぎ来る舟に驚いてか「蘆間を離れて、岸のかたへ高く飛びゆく」和泉式部写しの螢に、「あはれ、こは少女が魂(たま)の脱け出でたるにはあらずや」と語り手は自問する。運ばれてきたのが誰とは知らず、漁師小屋から顔をのぞかせた「白髪の老女(おうな)は、「ことしも水の神の贄求めつるよ。主人はベルヒの城へきのふより駆りとられて、まだ帰らず」と言う。漁師のハンスルがいないのは当然だろう、彼は白髪のグッデン同様、王に随い、奉仕する者なのだ。「巨勢は声ふりたてて、「水に墜ちたるはマリイなり、そなたのマリイなり、」と言う。
まるで前回水に飛び込んだ時から運び入れられるこの時まで何も起こっていなかったかのように、マリイはあの時溺れ死んでこの六年は無かったかのように、巨勢がミュンヘンに戻って成長したすみれ売りの少女に再会するなどということは決してありえなかったかのように、マリイは蘇らない。前回運び込まれたマリイもすでに死者であり、それからの出来事は夢であったかのように、マリイは死んでいる。巨勢は老女と「消えて迹(あと)なきうたかたのうたてき世を喞(かこ)ちあかし」て通夜をするが、このうたかた(泡沫)には、人間の男と結ばれず泡になった水妖の死を悼む意味が混じっていよう。
前人未踏の散文
もちろん、永遠の魂を有し死後は天国に行ける人間と、三百年生きて海の泡となるべき異類を分ける厳然たる位階を持つ信仰の外にいる者には、幸いにもそんな神話を気にする義理はなく、魂は螢となって脱け出しても断然いいのだが。しかし巨勢がはじめて見たマリイ(まだその名も知らない)は、憂に満ちたまなざしと清らかな声で「ロオレライ」の構想を彼に得させ、画中の水の精は手に「一張(はり)の琴」を持ち、嗚咽の声をもらすというのだから、彼女が人魚の仲間として、目と耳を通して藝術家に霊感を与えるミューズの役を振られていることは否定できない。それにしてもこのローレライはあまりに可憐で、獅子に曳かせた車を駆る凱旋門上の女神とは相当の隔たりがあると言わねばならない。
六年の歳月は、「今は美術家の間に立ちまじりて、唯面白くのみ日を暮せり」と自称する、女ーーつまり単なる“雛形(モデル)娘“にはふさわない教養と才気の人(「見玉へ、我(わが)学問の博きを」)、「不思議の癖者」、“狂人“へと、少女を成長させていた。画学生の戯れ(要するに“セクハラ“)をしりぞける時は「美しき目よりは稲妻出づと思ふばかり」「さながら凱旋門上のバワリアなりと」見え、その威厳あるさまが、雨をついて駈ける車中で再び巨勢の頭に浮んだのも前述の通りだ。湖水での王との出会いは、それらの全てをなかったことのように、マリイをただの無力な少女に戻してしまった。エドガー・ポーのヒロインさながら、あるいは『千匹皮』の王女のように、母親に瓜二つの娘に。
その二日後、巨勢がアトリエで「『ロオレライ』の図の下に跪きてぞ居たりける」と私たちは知らされる。モデルは失われた。しかし、これもポーの、『楕円形の肖像』ではないので、モデルの死は作品の完成を意味せず、モデルの生命が肖像画の女に注ぎ込まれて、そちらが不滅の生命を得るのでもない。
たしかに巨勢は「わがあらむ限の力をこめて、此花売の娘の姿を無窮に伝へんと思ひ立」ちはしたが、それは現実の花売娘の犠牲の上にではなく、かといって、実際の菫うりにもう一度まみえることを切望するわけでもなく、その後六年もの間ミュンヘンを離れて己れの運命を遠ざけた。そしてついにオリジナルに再会すると、彼女を直接モデルにして(学校のアトリエという願ってもない場所なのに)絵を完成させるのではなく、むしろ作品に背を向けて、運命の成就への道を、言われるままに辿るのである。なぜか。「作品」にできることは、不死の美女の完璧な写しの作成でも、雷鳴とどろく山道に「声振りたてて」鳴くナハチガルの嘆きにならった曲の採譜でもなく、夢のように謎めいた前人未踏の散文によって、その一筋道をひたすら駆け抜けることに他ならなかったからだ。
by kaoruSZ
| 2022-11-27 20:10
| 文学
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