『うたかたの記』あるいは「München―一八八六年」(3)『即興詩人』からの影 2022.11.26−12.8
2022年 12月 09日アヌンチヤタの仮住いとエリスの屋根裏部屋
これを書きながら筆者ははじめて鷗外訳の『即興詩人』を読む機会を得、「漸く蔗を嚙む境に入り」(『舞姫』)得たが、とりあえず、主人公のアントニオが、病気で声も美貌も失った歌姫アヌンチヤタを訪ねるくだりと、『うたかたの記』の結末の比較、及び幾つかの気づいたことを記しておきたい。というのも、アヌンチヤタの部屋の壁に掛けられた全盛期の彼女の似姿が、巨勢の絵が完成していたらそうなっていたであろう、その美を「無窮に伝へん」とする作品のパロディであるかのように、『うたかたの記』への最高に意地の悪い、皮肉であるかのように思えたからだ。
治療費と生活費に蓄えも使い果したアヌンチヤタは、隠し切れない容色の衰えを場末の小劇場の暗さに紛らせ、身ぶりこそ優雅だが力ない声で歌っていた。アヌンチヤタが自分を見捨て、親友を選んだとばかり思っていたアントニオは、劇場の「老僕」に案内させてその住いを尋ねあてるが、まずそのあたりのさまが、太田豊太郎がエリスに導かれてゆく屋根裏部屋にそっくりだ。
「(…)引かるるままに、いぶせき巷(こうじ)を縫ひ行きて、遂にとある敗屋の前に出でし時(…)僕(しもべ)は屋根裏の小き窓に燈(ともしび)の影の微かなるを指ざしたり。僕は先に立ちて暗き梯(はしご)を登りゆくに、我は詞(ことば)のあらでその後(しりへ)に随ひぬ。僕は戸外の鈴索(れいさく)を牽いたり。内より誰(た)ぞやといふは女の声なり。」(『即興詩人』)
「早足に行く少女の跡に附きて、寺の筋向ひなる大戸を入れば、欠け損じたる石の梯(はしご)あり。これを上ぼりて、四階目に腰を折りて潜るべき程の戸あり。少女は さびたる針金の先きを捩ぢ曲げたるに、手を掛けて強く引きしに、中に咳枯れ(しはが)れたる老媼(おうな)の声して、「誰(た)ぞ」と問ふ。」(『舞姫』)
零落したアヌンチヤタの住む「屋根裏の小き窓」の「燈(ともしび)」が、『舞姫』では、決定的な裏切りをした豊太郎が極寒の雪の中で「幾時かを」過し、半死半生でクロステル街に戻った時、「風に弄ばるるに似て」降りしきる雪片に見え隠れする明りという、エリスの喩になっていたことは言うまでもない。エリーゼ・ヴィーゲルトがどうやって森林太郎と知り合ったかは知る由もないが、『舞姫』に書かれたようにでだけはなかったろうことは誰にも分る。むしろこの、ヴェネチアの「いぶせき巷(こうぢ)」の、アヌンチヤタの屋根裏部屋がベルリンに、「彼(か)の燈火(ともしび)の海を渡り来て」入る、「狭く薄暗き巷(こうぢ)」(『舞姫』)に、移されたのが、ワイゲルト一家の住まう最上階だったのではないか。
作中でエリスと豊太郎がその前で出会った教会を特定しようとして、「クロステル街」が一箇所だけ「クロステル巷」となっているのに注目し、「鷗外はこの二つの文字を意識的に使い分け、ここでは通りそのものではなく、「周辺」や「エリア」、「界隈」などを指したと理解してよいだろうか」と書いていたのは『鷗外の恋――舞姫エリスの真実』の六草いちか氏であるが、確かに、『即興詩人』でも、アントニオは「市長(ポデスタ)の家を訪(とぶら)ふべかりし」ところを、わけあって「歩を転じてヱネチアの狭(せば)き巷(こうぢ)をさまよひめぐ」るうちに、「迷路(ラビュリントス)の最もふかき処」に小劇場を見出すのである。
エリスはなぜ「十六七なるべし」なのか
クロステル街の屋根裏部屋の戸口で「『誰(た)ぞ』と問」うたのは言うまでもなくエリスの母であるが、ヴェネチアの芝居小屋の老僕に「誰(た)ぞや」と応えのあって名を聞くや忽ち開いた扉の中は暗黒で、「聖母(マドンナ)を画けりと覚しき小幅の前に捧げし燈明は既に滅(き)えて、燈心の猶燻るさま、一点の血痕の如し」と不吉である。アヌンチヤタはそこからさらに段を登った上にいて、「誰(た)ぞや」と応えた声の主、姿を見せぬ戸をあけた者は、二日後、再訪したアントニオの前に「腰曲りたる老女」(おうな)としてあらわれ、住まいは貸家となっており、「今まで住みし人は」との問いに、急に立ち退いて行方は知らずとけんもほろろにドアを閉めるが、結局のところこの「母」はアヌンチヤタと同一人物なのであろう。なぜなら、「小なること、給仕盆の如」き場末の舞台で、心細い四重奏団に合わせて歌うアヌンチヤタに、アントニオが心の中で与えた詞(ことば)は、「老いたるかな、衰へたるかな、只(た)だこれ屍(かばね)の脂粉を傳(つ)けて行くもののみ」なのだから。しかもこれは、アヌンチヤタがローマやナポリで盛名を馳せた「少女(をとめ)」だった頃から、僅か七八年後のことなのである。
カルタゴの女王ヂド(ダイドー)に扮した往時のアヌンチヤタを描いた「大画幅」、「皆我が半生の夢想するところに異なら」ぬ絵を前に、「我視線は覚えずすべりて、壁間の画より座上の主人(あるじ)に移りぬ」。悪意が(意識的には)微塵もないだけにいっそう残酷なアントニオのこの身ぶりに、アヌンチヤタは顔を覆う。これは二度目に不死の焔を浴びた時の「洞窟の女王」アッシャではないのか。アッシャからガゴオルに、萎びた猿に変じてしまった女王−母。「母」への恐るべき悪意と復讐がここには潜んでいるのではないか。表面上のプロットには全くあらわれず、美男で、愛される、信心深い、情に篤いアントニオはどこまでも「好い子」であるが、アヌンチヤタの凋落はどう見ても自分を裏切った女−母への罰であろう。
アヌンチヤタが脇役をつとめる、かの芝居小屋で主役を張るのは、「色好む男の一瞥して心を動す肉(しし)おき豊かに、目なざし燃ゆる如き」女優であるが(アヌンチヤタの方は、アントニオが案内を求めるのが彼女と知った例の老僕に、「あの痩骨(やせぎす)を尋ね給ふか」と驚かれている)、そのかみのアヌンチヤタに比べれば「尋常(よのつね)の容色」に過ぎない。ところで、この娘が「二八(にはち)ばかりの女子(をなご)」とされている。これは十六の謂である(もともと漢字で二八と表記して二十八と読むことはありえない)。六草氏の『鷗外の恋』で、エリスが「十六七なるべし」とあることが、実際のエリーゼが二十か二十一(鷗外のベルリン在住時の出会いだとして)であったことと関連して論じられていたのを思い出した。思うにこれは、『即興詩人』から花の盛りとされる年齢をそのまま写し取ったものであろう。
ベルリンの古寺の向いは“ヱネチアの猶太街“である
親友で恋敵のベルナルドオがアヌンチヤタを棄てたものとアントニオは信じている。「ベルナルドオなかりせば、彼(かの)人は不幸に陥らで止みしならん」と思っている。「否、彼人のみかは、我も或は生涯の願を遂げ、即興詩人の名を成して、偕老の契りを全うせしならんか。嗚呼、絶ゆる期(ご)なき恨なるかな」――まさかこんなところで相澤謙吉に会おうとは!
「人知らぬ恨」「如何にしてかこの恨みを銷せむ」「若し外の恨みなりせば、詩に詠じ歌に詠める後は心地すがすがしくもなりなむ」(『舞姫』)――しかしこの恨みはあまりに深く心に彫(ゑ)りつけられてそれでも消えないと太田豊太郎は言っていたが、あれは相澤をエリスをめぐる恋敵と見なして、はじめて腑に落ちるものだったのではないか? 『即興詩人』のアントニオとベルナルドオからその設定を引いたのが、太田豊太郎と相澤謙吉だったのではないか?
実際の鷗外に、相澤のモデルが恋敵として存在したと言うのではない。しかし文学は文学から作られる。鷗外の恋が『舞姫』の“粉本“であるのと同じくらい、『即興詩人』の二人の友もまた『舞姫』に影を落していよう。そもそも「舞姫」という語からして「歌姫」の横すべりだし、「芝居に出入りして、女優と交わる」という同輩による中傷も、ことさら太田豊太郎が人づきあいが悪かったせいではなく、たんに定型の引用だろう。ネルヴァルの恋の相手も女優だった。
「我脳裡に一点の彼[相澤]を憎むこころ今日までも残れり」と豊太郎は言い、「彼(かの)無情なる友を憎むが為めに」心は麻のように乱れたとアントニオは言う。「思ふにかの無情男子は君が色を愛して、君が心を愛せざりしなり」「縦令(たとひ)色は衰ふとも、才情はむかしのままなるべし。かへすがへすも悪(にく)むべきはベルナルドオが忍びて彼(かの)才彼情を棄てつるなるかな」。分身を恨み憎むことでアントニオは、彼の無情さが自分のものであることを否認していられる。本当にアヌンチヤタに手を差し伸べる気があるのなら、一日早く再訪していればよかったものを。
エリスに注がれる「千行(ちすぢ)の涙」は『即興詩人』では本当の屍に灑がれていた
「エリスが生ける屍(かばね)を抱きて千行(ちすぢ)の涙をそそぎしは幾度ぞ。」これは』舞姫』の終りに近い一行だが、女はなぜ「生ける屍」なのだろう。「余」はなぜ「千行の涙を」流すのだろう。答えは簡単だ。『即興詩人』のこれも終り近く、アヌンチヤタの死後にマリア(別名ララ)という女に求婚しに来たアントニオが、「菫花(すみれ)のかをり高き辺(ほとり)、覆はざる柩の裏(うち)に、堆(うづたか)き花弁の紫に埋もれたる屍」を見つけるからだ。長(たけ)なる黒髪を額にわがねて、これにも一束の菫花を挿(はさ)めり。これ瞑目せるマリアなりき」(『うたかたの記』のマリイが菫売りだったのもここからだ)。そしてこの屍に千行の涙を注ぐからだ。
「われは一声、ララ、など我を棄てて去れると叫び、千行の涙を屍の上に灑(そそ)ぎ」、指環を外して「屍の指に遷(うつ)し、屍の額に接吻」すると、それは本当に“生ける屍“で、「夢とも現とも分かぬ間に、屍の指はしかと我手を握り屍の脣は徐(しづ)かに開きつ。」
前にも触れたが、鷗外の娘たちへの命名について、これも、鷗外の恋人の名が「エリーゼ・マリー・カロリーネ」であると発見した六草いちか氏が、アヌンチヤタとは聖母の別称即ちマリー(茉莉)で、原綴Annuziataの最初の部分は「アンヌ」(杏奴)と読めると、『即興詩人』からの影響を推測している。これを読んだとき、私はまだこの本を知らなかったが(「タイトルは昔から知っていたのに意味を思ってみたことすらなかった)、今日その最終章を開いて、結婚して三年経ったアントニオとララ(屍ではなかった)の間の娘がアヌンチヤタという名であることに驚いている。鷗外の人生と作品に『即興詩人』はかくも大きな跡を残したのか。
足を縛って放たれた鳥の比喩は『即興詩人』から採られている
「嗚呼、独逸に来し初に、自ら我本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはならじと誓ひしが、こは足を縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。足の糸は解くに由なし」という太田豊太郎の感慨さえ、すでにアントニオの次のような独白に先取りされていた――
「想ふに小尼公(アベヂツサ)も亦我と同じき籠中の鳥なり。こたび家に帰り給ふは、譬へば先づ糸もてその足を結びおき、暫し籠より出だして●(コウ)翔せしむるが如くなるべし。傷ましきことの極ならずや」。
これは、アントニオが食客となっているボルゲエゼ家の姫で、「早く神に許婚(いひなづけ)せさせ給ひしより」その名があり、修道院で六年を過し、「受戒に先だてる数月間親々の許に帰り居て、浮世の歓を味ひ盡し、さて生涯の暇乞(いとまごひ)して俗縁を断つ」習いのために戻り来た人で、その間アントニオとひとかたならぬ友情を結び、その死に等しい別れはアントニオを深く悲しませ、ほとんど絶望に落し込む。
『即興詩人』のそこここに残る読み落しを拾っていて、次の断章が私を微笑ませた――
「想ふに彼(かの)批評家といふものは、おのれ常に模擬の筆を用ゐるより、人の藝術も亦(また)然(しか)ならむと思へるにやあらむ。」
即興詩人として初舞台を踏んだアントニオが、「ナポリ日報」の批評欄に、空想豊かで章句が美しいとほめた上で、模倣者と断じられての感想である。
「恐らくは是れパンジエツチイの流れを酌めるものにて、模倣のやや甚しきを嫌ふと断ぜり。パンジエツチイといふ人はわれ夢にだに見しことあらず。われは唯(た)だ我(わが)天賦の情に本(もと)づきて歌ひしなり。」
アンデルセンといふ人はわれ夢にだに見しことあらずとは鷗外まさか云ふまじく、純粋なオリジナリテなぞといふものはあらじ、天賦の情何物ぞ、全ては引用の織物なり、アンテルテクスチユアリテこそめでたけれと猿(エテ)公ですら吼ゆる末の世なれば、われの比較対照にも大人(うし)は笑みもて応へ給はるなるべし。
エリスがその前で泣いていた古寺の向かいは“ヱネチアの猶太街“である
もう一点だけ指摘して『うたかたの記』に戻るつもりが、また一つ新たに見つけてしまった。街で猶太人の翁が因縁をつけられているのを助けてやったベルナルドオ(法皇の禁軍(このゑ)の少年士官になっていて滅茶苦茶カッコイイ)は、後日、馬で通りかかって猶太街(ゲツトオ)に入ってゆく(「黒目がちなる猶太の少女(をとめ)」が大勢いるのを見ての「すきごころ」からとされる)。その描写――「その家々軒を連ねて高く聳え(…)簷(のき)場には古衣(ふるぎぬ)、雨傘その外骨董どもを、懸けも陳べもしたり」。これには既視感があった。
「余は彼の燈火の海を渡り来て、この狭く薄暗き巷(こうぢ)に入り、楼上の木欄(おばしま)に干したる敷布、襦袢(はだぎ)などまだ取入れぬ人家、頬髭長き猶太教徒の翁が戸前に佇みたる居酒屋(…)貸家などに向ひて、凹字の形に引籠みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望む毎に、心の恍惚となりてしばし佇みしこと幾度なるを知らず。」
言わずと知れた太田豊太郎がエリスに出会う夕べ、古寺(教会)の門扉に倚って泣く少女を見出すに先立っての、「クロステル巷の古寺」の説明である。スポットライトが当るのは古寺であり、通りの向いの洗濯物や、猶太教徒の翁や、居酒屋、貸家ではない。そもそもこの時、居酒屋の前に「猶太教徒の翁」は立っていたのだろうか。「幾度なるを知らず」だから、何度も繰り返された中には立っていたこともあるという意味だろう。
もちろんこの時立っていたとしても構わないし、敷布、襦袢が、暗くなってもまだ取入れられずはためいていても構わない。そんなことは問題ではなかったのだ。注目すべきは、この時豊太郎が背にしているのが、ベルリンのクロステル巷(こうぢ)の家並みではなく、軒端にものを懸け陳(なら)べた、別の都市、別の時代の、猶太街(ゲツトオ)の記憶と思われることだ。その記憶に合図を送るために、そこが『即興詩人』のローマの猶太街に等しいことのしるしとして、「髭長き猶太教徒の翁」は、いぶせき巷の居酒屋の前に立っていたのに違いない。
『舞姫』とユダヤ人の関係、いわゆる「エリス ユダヤ人説」については、六草いちか氏が著書で一項を割いているのでその存在を知った(氏は実在のエリーゼについて実証的にその可能性を否定している)。「猶太教徒の翁」を立たせたばかりに、そこはゲットーだったに違いないとか(六草氏によればベルリンにゲットーは存在したことがないそうである)、ユダヤ人なら疎外された者同士として、外国人の豊太郎(あるいは林太郎)と親しくなりやすいとか。(後者は別の処で読んだのだが、書かれていないものを読み取る能力のある人々には本当に驚く。) だから、アヌンチヤタを見たベルナルドオが、最初、かつて猶太街で出会った、彼を恩人と崇める翁の娘かと思われる美しい「猶太をとめ」がアヌンチヤタの前身ではないかと疑うと知って、妙な偶然だと思ったが、何のことはない、そっちが先だったのだ。「頬髭長き猶太教徒の翁」が指し示すのはヒロインの出自ではなく、鷗外が参照した『即興詩人』すなわち作品の出自そのものなのだ。
母の恐しい口
「もう一点だけ指摘し」ようと思ったことを――一点では済まなくなりそうだが――述べておく。アヌンチヤタの仮住いの「開いた扉の中は暗黒で、『聖母(マドンナ)を画けりと覚しき小幅の前に捧げし燈明は既に滅(き)えて、燈心の猶燻るさま、一点の血痕の如し』と不吉である」と先に書いたが、果してアヌンチヤタの最期は、次のようにアントニオに報告される――「爾時(そのとき)アヌンチヤタが脣は血に染まり居たり。死は遽(にはか)に襲ひ至りて、アヌンチヤタはわが面をまもりつつこときれ侍り」。これは直ちに、幼いアントニオが、母と「花祭」の行列を見物する最中、暴走した馬車に母が轢き殺される痛ましい事件を私たちに思い起させるものだ――「馬は車を引きたる儘にて、仆れたる母上の上を過ぎ、轍は胸を砕きしなり。母上の口よりは血流れたり。母上は早や事きれ給へり」
“母“の死は、このあと彼を引き取ってくれた牧者夫婦の片割の媼の死としても、後年アントニオを嘆かせるが、それに踵を接するように置かれた、山賊の晒し首の挿話に読者はぎょっとさせられよう。なぜなら、「鉄籠中に置」かれた三つの首級のうち中央にあるのは「分明に老女(おうな)の首」であり、しかもその、「褐いろの顔、半ば開けるまぶた、格子の外に洩れ出でて風に乱るる銀髪」はアントニオの知るもので、「この藍色なる脣は、曾て我額に触れしことあり。この物言はざる口は、曾て我に未来の運命を語りしことあり」というまでに縁のあるフルヰアの首だったからだ。
文庫版解説は、『即興詩人』中の「でき過ぎた話、うま過ぎるめぐり合せ」の例の一つとして、「アントニオが賊に捕えられてその山寨(さんさい)に引き立てられる。しかしそこで賊どもが頭(かしら)と仰ぐふしぎな老婆が、実はかつてネミの河畔で幼いアントニオの幸運を予言したフルヰアであり、そのおかげでかれは無事ナポリへ逃れることができた」ことを挙げているが、それは要するに御都合主義とて了解可能なもので、一方、「天の下の奇しき事どもを多く知れるものにて、世には法皇の府の僧官達も及ばざること遠しとぞいふ」者を「彼(かの)賊の同類なりとし、ことし数人の賊と共に彼(かの)老女をさへ刎ねて、ネピの石垣の上に梟けたり」という方が理不尽で恐しい。この女はやはりガゴオルの仲間で、その扱いは、表面へ洩れ出ることを完璧に阻止された母への憎しみの代行とおぼしい。
アントニオが母を憎む理由は、『即興詩人』の表面上のプロットにはない。しかし、アントニオがアヌンチヤタを憎む理由ならある。自分を袖にしてベルナルドオを選んだことだ。だが、ヴェネチアでの再会時、このことは、容色衰えた彼女を棄てたことに対する、ベルナルドオへの強い恨みや非難の気持ちにすりかえられて、アントニオの意識には上らない。その代りとして、故郷に帰ると“母“が死んでいたり、果ては晒し首にまでなっているのだ。思えば太田豊太郎の母は、何と静かに、一言も喋らず(「余は母の書中の言をここに反覆するに耐へず」)、口を塞がれたまま死んで行ったことだろう。あれが諫言だったなどということは日付を別にしてもありえない。
アントニオが幼年時代をおくったカムパニアの野の素朴な媼ドメニカもまた、養い子のアントニオの名だけを口にして死んでいった。フルヰアの黒ずんだ口はもはや何も語らない。ただアヌンチヤタの死後届く手紙だけが、饒舌かつ哀切で、しかも彼女が本当はアントニオだけを愛していたと――「我恋人は、昔世の人にもてはやされし日より、今またく世の人に棄て果てられたる日まで、君より外には絶(たえ)て無かりしを、聖母(マドンナ)は、現世にて君と我の一つにならんを許し給はで、二人を遠ざけ給ひしにて候」――告げていた。それゆえベルナルドオの求愛もしりぞけてアントニオのあとを追ったが、メロドラマ的なすれ違いから互いの心を誤解したまま月日を重ね、そのあいだにアヌンチヤタは病に倒れたと。そして再会ののち、アントニオに真実を告げる手紙を、自分の死後に読まれるべきものとしてアヌンチヤタは書いていた。こうして“母“への憎しみは二重に否認されたのだ。
先に引いた、再び旅に出たはずのアントニオが急遽ヴェネチアに戻り、市長の家の墓所を訪れ、棺の中の菫の花に埋もれたマリアに「千行(ちすぢ)の涙」をそそぐくだりで、屍(かばね)の額に接吻すると、「屍の指はしかと我手を握り屍の唇は徐(しづ)かに開きつ」とは、この“母たち“の死の行き着いた最終形態であり、生と死の境界の喪失と、屍姦を匂わせる恐しいものであった。しかしアントニオは失神し、その頭の中では「只(た)だ奇しく妙(たへ)なる音楽の響きが流れる」。
「数日の後」、この“母の恐しい口“の悪夢がどう浄化されたかを、アントニオ自身の口から聞こう。「我はマリアと柑子(かうじ)の花香(かぐは)しき出窓の前に対座して、この可憐なる少女(をとめ)の清浄(しゃうじゃう)なる口の、その清浄なる情を語るを聞きつ。」
確かにそれは悪夢に違いない、死んだはずの女が蘇ってくるというのは。しかしそもそもマリアは死んでいなかったのだ。それなのに、なぜ、アントニオは、そう信じ込んでしまったのだろう。それに……そもそも夢はどこからはじまっていたのか?
菫売りマリイの出典(スルス)は菫を髪に挿した盲目の少女である
市長一家やヴェネチアで得た友ポツジオに別れを告げたアントニオは、内心もう戻らぬつもりで旅を再開し、ミラノでポツジオからの手紙を受け取る。そこにはマリアが「病に伏し」「一時は性命をさへ危くすべく思はれ」たとあった。しかしアントニオはそれに驚いて、また、マリアの身を気づかってヴェネチアに戻るわけではない――そんな単純な話ではないのだ。
「でき過ぎた話、うま過ぎるめぐり合せ」が目立つと書いた解説者は、それ以外にも、登場人物に「個性的な厚み、複雑さがない」とか、「思想的内容にもこれといって深いものは見られない」と失笑ものの難じ方をして、「近代小説としてはそれほど読みごたえのあるものとは言えそうにない。この作品が(…)ロマン主義の時代には歓迎され、国際的に読者を得ながら、時代の推移とともに色あせて忘れられたのは無理からぬことと思われる。結局のところ、イタリアを舞台とした美男と美女の悲恋の物語、しかもハピーエンドの甘いメロドラマ、センチメンタルな大衆小説、そういうニ、三流の作品の領域を出ないであろう」というのだが私は全くそうは思わなかった。もちろん、この解説は、西洋ではアンデルセンの作品といってもすっかり忘れられているのに、日本では鷗外の名訳のおかげでという話にもってゆく枕としてこう言っているのだが、文末の日付を見ると一九六九年で、当時でさえ「いまなおつねに読者が絶えない」とはまいらなかったであろうし、私もまた、そうした過去の読者と同じく楽しめるところもあれば彼らの夢にだに思はざりしこともありけむと思いつつ、読むほどにアンデルセンの凄さを感じる。もちろんそれが鷗外の筆にどれだけ、どのように負っているのかは、少なくとも大畑末吉訳の『即興詩人』を読まないことには話にならないだろうが、目下私がやっているのはあくまで鷗外自身の作品との関連の見定めであるから構うまい。ともあれ、マリアへの愛に気づいてヴェネチアへ帰るなどという単純な話ではない(一体この解説者のような人はそれがどういう理由からだと思っていたのか訊いてみたい)。
ポツジオの便りを読んだ時、アントニオは、彼の手紙の「末文には、例の戯言(ざれごと)多く物して」あるのにかこつけ、冗談の多いポツジヨの「滑稽」を天性ではなく仮面と人が思うように、自分が市長の家の二人の女――妹ロオザと彼女が母代りである姪のマリア(市長とロオザの亡弟の娘)――を同じように敬しているのを見ながら、世間は「謬(あやま)りて我をもてマリアに恋するものとしたり」と、自分がマリアに気がないことを強調している。
ヴェネチア一の美女と、即興詩人としての成功で今やヴェネチア一の才子と呼ばれるアントニオとの仲は評判で、死に臨んだアヌンチヤタもそれを信じて「尼寺の病室」に密かにマリアを呼び寄せてアントニオへの手紙を託し、彼とその「いいなづけの妻」マリアの幸福だけを聖母に祈って、マリアの目前で息を引き取る。ただアントニオだけが噂を無視する。いや、マリアの財産目当てと言われるのを嫌い、市長の家を避けて街の迷宮へ入り込んだ宵に、アヌンチヤタに再会しもした。しかし自分のマリアへの好意は、かつてベスツムの遺跡で往き合った乞児(かたゐ)の群の中にいたウェヌス像の如き盲目の少女――「十二歳を踰えじと見ゆる」、髪に「一束の菫花(すみれ)を挿せる」「一種言ふべからざる憂愁の色を帯びたる如き」容(かたち)の――に似ているという理由からだと思っている。これがまさに、巨勢がミュンヘンのカフェで出会った菫花売りマリイの出典(スルス)であることは言うまでもあるまい。巨勢はマルク貨の数枚を与えたがアントニオは少女に盾銀(たてぎん)一つを与え、またその場で(絵を描くようには時間を取らないので)、同行者に風景を即興詩にと求められた際、その美を目にすること能わぬ少女を詩に歌い込んでいる。
養女たち
相手が子供の時に出会い、成人後に再会するという、『うたかたの記』のモチーフを、鷗外は明らかに『即興詩人』から採っていよう。それとは別に、エリスが実在のエリーゼより若い「十六七」に設定されている理由を、『即興詩人』からの反映であろうと先に書いたが、盲目の少女ララが「十二歳を踰えじと見ゆる」と言われているのを見ると、エリスを指して「十六七なるべし」とあるのが草稿では「まだ二十にはならざるべし」だったという、六草氏の本で読んだ話を思い出す。『舞姫』には十二歳を越えないエリスに出会う設定はないので、「踰えじと見ゆる」という語句を「まだ……ならざるべし」と、最初鷗外は自動的に変換したのではないか。
『舞姫』と『うたかたの記』で、ともに男主人公が最初の出会いの時、ヒロインに金銭を与えるのも『即興詩人』に先例があり、しかも乞児(かたゐ)の子相手なのだからその行為には無理がない。「十二歳を踰えじと見ゆる、すぐれて麗しき娘」は、「メヂチ家の愛憐神女の像は、かかる面影あるにやあらずや」とアントニオによって言われる、拝跪したくなるほどの神々しさだった(アンデルセンは実際ベスツムでこういう少女を見たそうで、「此花売の娘の姿を無窮に伝へむ」という巨勢の企図は、この小説自体によって、すでに試みられていたわけである)。これはウフィツィ美術館の「メヂチのヱヌスの石像」のことで、その素晴しさをアントニオは、フィレンツェを訪れたことのあるアヌンチヤタから聞いていたのである。『うたかたの記』のマリイは、女神バワリア以外に何に喩えられていたか。あらためて確かめると、「年は十七八と見ゆる顔(かん)ばせ、ヱヌスの古彫像を欺けり」であった。
ララ(マリア)も、マリイも、そして実はアヌンチヤタも養女である。だからこそ、ローマの謝肉祭(カルネワレ)でアントニオとともに初めてオペラの舞台のアヌンチヤタを見て、それが猶太人の翁の家で美しい声で礼を述べた少女だと知った時、ベルナルドオはその来歴を不思議がる――「アントニオよ。あれこそ例の少女(をとめ)なれ、飛び去りたる例の鳥なれ。その姿をば忘るべくもあらず、その声さへ昔のままなり。(…)されど彼(かの)少女いかにしてこの歌女(うため)とはなりし、不思議なり。有りしとも思はれぬことなり」
これは再び、ジェラール・ド・ネルヴァルを、今度は『シルヴィ』の語り手が、パリで女優オーレリーに恋しながら、故郷で昔、修道院の少女たちが野外で演じる聖劇で見た、アドリエンヌの後身ではないかと疑うのを思い出させる。そのことは最後に否定されて、彼のオーレリーへの恋は思い込みに基づく幻に過ぎなかったことが判明し、これが恋でなかったとしたら一体恋とは何なのかと主人公は自問する。夢が、幻が、願望が現実となってゆく『即興詩人』の世界ではしかしそういうふうにはならない。アヌンチヤタは間違いなくかの猶太をとめであり、しかも同時に、アントニオが九つの折、教会での「童男童女の説教」という催しに出た時の、彼自身の出来も素晴しかったものの、「声めでたき女児ありて」「人に讃めらるることわが右に出でき」と語られる女の子だったのだ。
アヌンチヤタの経歴は込み入っているが、ともかくもとは西班牙(スパニア)の生れで、幼時にローマに出て来るが両親が亡くなり、「猶太の翁ハノホは西班牙に旅せしころ、彼(かの)親達を識りつれば、孤児を引き取りて養へりし」……それで猶太街(ゲットー)にいたというわけではなく、まだまだ続くのだが、ひとまずここで切ろう。というのは、先日来、全く関係ないところで、これと似たような話があるのが気にかかっていたからだ。
主人公は両親がナポリに滞在中に生れ、五歳の時、貧しい農家で、子供達の中に際立って美しい少女がいるのを見る。母は将来息子の妻にするつもりで、その子を引き取り、養女にした。実は母もまた、事業に失敗した父を亡くし、故郷のジュネーヴから駆けつけた父の友人に保護されて、のちにその妻となっていた。夫の名はフランケンシュタイン、息子はヴィクターである。
フランケンシュタインの影に
貧者の群の中に美しい娘がいるのを見て養女にするというのが、どれほど類例のあるものなのかは知らない。実際には引き取られた少女はイタリア貴族の娘なのだから、これは一種の貴種流離譚であろうし、被差別者のユダヤ人に混じってキリスト教徒の少女がゲットーにいたのもそうで、宮廷画家の父を持つマリイが貧しい漁師ハンスル夫婦の娘になっていたのもこの末流であった。しかし、ヴィクター・フランケンシュタインの婚約者エリザベスがなぜそのような過去を持たなければならなかったのか、また、その母に遡って、父の破産と死によって孤児/乞食となるところを父の友人に引き取られるという来歴が設定されているのかは、判然としない。
「私は健康そのもののエリザベスがインゴルシュタットの通りを歩いているのが見える気がした。喜びと驚きに私は彼女を抱きしめたが、はじめてのキスを唇に捺すと、唇は青黒い死の色に染まった。顔立ちも変ってしまったようで、私は亡き母の遺骸を腕に抱いているのだと思った。その体は屍衣に包まれ、布地の襞の間を蛆虫が這っているのが見えた。」
これは「怪物」を完成させたヴィクターがあまりの醜悪さに実験室を飛び出し、自分の寝室で疲労と恐怖と嫌悪のうちに眠りに落ちて見る夢である。インゴルシュタットはヴィクターが研究を続けていたバイエルンの都市であり、エリザベスがいるはずもなかった。夢にうなされて目覚めると、そこには怪物が立っている。
この夢の内実は、怪物の目撃した「現光景」とも言うべきものだろう。ヴィクターのエリザベスとの性的関係のはじまりであるキスは、たちまち相手を死体に変えてしまう。死せる母との近親姦であり、通常の誕生と違って「怪物」が死体から作られたことをも意味していよう。気がつくと怪物が彼のおぞましい夢を、じっと立ってそこで見ていた。ヴィクターの主観では、自分とは別の意識を持つ分身に何もかも見透かされたようなものだ。
ヴィクターは部屋を飛び出し、夜が明けてから町に出て、故郷にいるはずの親友クラヴァルにばったり出会う。彼は友と同じ大学に入るためにやって来たのであり、インゴルシュタットで出会うとしたら、エリザベスよりはるかにありそうな相手だったわけだ。彼を連れて部屋に戻ったヴィクターはそのまま気を失い、熱病のため数ヶ月間意識不明で、クラヴァルに看病される。
ようやく恢復に向かったヴィクターに、一言でいいから自筆の返事をほしいと書き送られたエリザベスの手紙を見ると、実際、クラヴァルこそが、エリザベスの代りをつとめていることがわかる。健康を取り戻したヴィクターは、クラヴァルとともに大学の講義に出席するようになり、帰郷とエリザベスとの結婚とは延期される。
倒れて一定期間熱病で意識不明という類例もどれだけ好まれているのか知らないが、アントニオは何度かそうなっており、そのうち二つは、どちらも夢、あるいは夢かと思われる状況で、ララ(マリア)に出会ったあとで起こっている。一つは言うまでもなく、柩の中に菫花に埋もれたマリアの屍(かばね)を見出したアントニオが、「千行(ちすぢ)の涙を屍の上に灑ぎ、又声ふりしぼりて、逝け、わが心の妻よ、われは誓ひて復(また)この世の女子(によし)を娶らじ」と叫ぶ時だ。指環を相手の指に遷(かへ)してその額に接吻すると、「爾時(そのとき)我(わが)血は氷の如く冷えて、五体戦(ふる)ひをののき、夢とも現とも分かぬ間(ま)に、屍の指はしかと我手を握り屍の唇は徐(しづ)かに開きつ」という本来ならゴシック小説に相応しいくだりであり、ここでアントニオは「われは毛髪倒(さかしま)に竪(た)ちて、卓(つくゑ)と柩との皆独楽の如く旋転するを覚え、身辺忽ち常闇とな」るのである。
“リアリズム小説“である『舞姫』ではこんな大袈裟なことは全く抜きに、豊太郎は床に倒れて数週間意識不明で、途中まで懇ろにエリスの世話を受けており、その間に何が起こったかは誰でも知っている。故郷の母は手紙二通で片付けてしまったから夢にせよ現にせよもはや口出しも干渉も化けて出ることもありえないが、豊太郎が正気づいた時に見出し、千行の涙を注ぐものが、夢――悪夢であれ美しい夢であれ――の中の「屍」ではなく現実の「生ける屍」であり、その中には生きた胎児が入っているというのは、源泉のゴシック・ホラー味(み)をいささかなりともとどめているかと思われる。
屍衣と晴衣
『舞姫』も『うたかたの記』も『即興詩人』から出てきたのだ――(『文づかひ』も無論そうである。あれは尼寺に入るフラミニア姫だ。イイダ姫は、心通わぬ相手との、親の決めた、家のための結婚を忌む鷗外であるのと同じくらい、小尼公(アベヂッサ)フラミニア姫だ)。
私は『文づかひ』をあらためて読んで、イイダ姫が俗世を離れて望んで入った宮廷女官の境涯(大奥のようなもの)を自ら「塚穴」と言っているのに驚いたが、フラミニア姫に対してはアントニオが、「いかなれば君は自ら塚穴を穿ちて自ら下り入らむとはし給ふぞ」と言って(そして姫の不興を買って)いる。フラミニア姫がイイダ姫と違うのは、彼女が「かのやうに」振舞っているのではなく、本当に耶蘇の教義に喜ばしくがんじがらめにされて、この世は塵で死後に死者と再会できる(「これより先の我生涯は、おん身の為めには死せると同じ。おん身は能く我を忘れずして、死後相見んことを期(ご)し給はんや」)と本気で思っているところだ。(無論イイダ姫もカトリックではないとはいえ、そうだろうが、だからこそ鷗外は彼女が入るのを尼寺にはしなかった。) フラミニア姫の髪を断ち、「幾襲(いくかさね)の美しき衣(きぬ)」を脱がせ、柩の上に横たえての仮の葬りがはじまる。
「忽ち鐘の音聞えて、僧等の口は一斉に挽歌を唱へ出(いだ)しつ。かくて姫はこの世を隠れまししなり。爾時(そのとき)尼院に連(つらな)れる廓道の前なる黒漆の格子挙りて、式の白衣を着たる一群(ひとむら)の尼現れ、高く天使の歌を歌ふ。僧官は姫の手を取りて扶け起しつ。姫は早や天に許嫁(いいなづけ)し給ひて御名さへエリザベツタと改まりぬ。我は姫の群衆の上に投じ給ふ最後の一瞥を望み見たり。一人の故参の尼は姫の手を引きて入りぬ。黒漆の格子は下りて、姫の姿、姫の裳裾は見えずなりぬ。」
この最後の情景を念頭において、鷗外は『文づかひ』の次の幕切れを書いたのであろうと私は疑わない。
「イイダ姫あわただしく坐を起ちて、こなたへ差しのばしたる右手(めて)の指に、わが唇触るるとき、隅の観兵の間(ま)に設けたる夕餉に急ぐまらうど、群立ちてここを過ぎぬ。姫の姿はその間にまじり、次第に遠ざかりゆきて、をりをり人の肩のすきまに見ゆる、けふの晴衣(はれぎ)の水いろのみぞ名残なりける。」
この「人の肩のすきまに」見え隠れする名残の水いろが印象的だと思ったが、『即興詩人』を読むうち、他の女たちにまじって尼寺の格子の向うに消える「姫の裳裾」こそがオリジナルであったと気づいた。生きていた(俗界にいる)ときから黒づくめの装いに身を包んでいたイイダ姫にはこの水いろが晴衣であったのもゆかしく、小尼公の別れの舞踏会のくだりでアントニオが、「われは姫の最後に色ある衣(きぬ)を着け給ふを見き」と言っていたのも思い出される。だが彼女にはフラミニア姫のように、彼岸でキリストの花嫁になるという(非キリスト教者から見れば)大それた、気違いじみた「希望」はないので、イイダ姫はただ虚無であり、虚無の塚穴に生きながら入ってゆくのであり、それは見送る小林少尉の語られざる虚無(その内実は『舞姫』と『うたかたの記』にある程度表出された)の反映である。さすが名人上手は一目で判るようなパクりはしない。見事に組み入れ、組み換え、文章の面目を一新する。ただ、目利きに見抜かれたいとは思っていたことだろう。未来の批評家のために、意識的にであれ無意識にであれ、証拠は残すものだろう。
by kaoruSZ
| 2022-12-09 18:58
| 文学
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