スカル、スズメガ、スカラビウスーーエドガー・ポーの『スフィンクス』考(2)
2024年 03月 03日虫けらとけだもの
先に公開した(1)で、私は江戸川乱歩の『押絵と旅する男』(1927)の遠眼鏡(双眼鏡)が『黄金虫』の望遠鏡に由来するのではないかと書いたが、その時はまだ乱歩の原文を読み返していなかった。ところがあくる日青空文庫に全文があるのに気づいて目を通したところ、表題の男つまり押絵の中に入り込んだ男の弟は、なんとこう語っているではないかーー
(……)一体私は生れつき眼鏡類を、余り好みませんので、遠眼鏡にしろ、顕微鏡にしろ、遠い所の物が、目の前へ飛びついて来たり、小さな虫けらが、けだものみたいに大きくなる、お化じみた作用が薄気味悪いのですよ。
「小さな虫けらが、けだものみたいに大きくなる」ーーこれはもう『スフィンクス』の「トリック」そのものではないか。『黄金虫』はもちろん、『スフィンクス』もまた、『押絵と旅する男』の発想源[スルス]であったのだ。『黄金虫』は、遠く離れた大樹の枝に釘で打ちつけられた「髑髏」を望遠鏡で発見するのが、言ってみれば「遠い所の物が、目の前へ飛びついて」来るのに相当する。押絵の娘は同様に、双眼鏡を通して見た時、生きた人間のようにあらわれてくる。しかも『黄金虫』では、羊皮紙に描いた「虫けら」が、裏を返すと髑髏になっている……。
『黄金虫』の百合の木は乱歩の手で浅草公園へ持ち込まれ、凌雲閣(十二階)に化ったのだ。もっともそこへ遠眼鏡を向けるのではなく、逆にそのてっぺんに登って双眼鏡で「観音様の境内」を眺めるうち、人混みのあいだに、一瞬、この世のものとも思えぬ美しい娘を認めるのだが。
考えて見ますとその覗きからくりの絵が、光線を取る為に上の方が開けてあるので、それが斜めに十二階の頂上からも見えたものに違いありません。
明かり取りの窓を通して覗きからくりの押絵の八百屋お七の顔が見えるのと、彼方にそびえる大木の葉むらに開[あ]いた「切れ目というのか隙間というのか」の中心に人間の頭蓋骨が白い点として見えるーーしかも「悪魔の椅子」という岩棚に腰かけるという姿勢でないと絶対に見えないーーのと、荒唐無稽さにおいてどちらが上まわっていよう。
『スフィンクス』の語り手が見る怪物(ならびに、その胴に入れ子にされた髑髏の形象)は、地すべりによってあらわになった対岸の山肌に投影された、彼自身の死の不安と見なされよう(言うまでもなく、それを投射とか投影とかいう言葉で呼びうること自体、幻灯機の発明というテクノロジーの結果である)。疫病による死の恐怖は、川向うという指呼の間にまで迫っていた。距離が消滅すればそれは死を意味する。しかし、正しい知識が得られれば、それは至近距離で蠢くただの「虫けら」にすぎないと解る。光学器械なしで特異な知覚を得た語り手の錯覚は、優しく聡明な友人によって正され、彼らは窓枠に区切られた対岸の怪物を、安定した距離を保って安全に見る、安楽椅子探偵となるだろう。決められた特別席に腰かけないと、怪物が視界を横切るこのショーは始動しないのであり、『スフィンクス』の場合その指定席は一つきりであった。
彼らが期せずして共有することになった窓際の「悪魔の椅子」は、映画館の観客席そのものである。ポーの知らない未来には、迫ってくる列車に席を立って逃げ出す観客や、スクリーン一杯に拡大された頭部に驚愕する観客が出現することになろう。もっとも、映画の場合、投影されるものは現在から絶対的に距たった過去であり、したがって感染はもとよりあらゆる直接性から切断されていることをこそ、その特徴とするのであるが。
大気のレンズ仕掛け.
今回、『押絵と旅する男』の双眼鏡を通しての兄による娘の発見と、兄自らも押絵の中に収まるくだりを読んだあと、あらためて通読して驚いたのは、語り手が汽車の中で表題の男と出会う以前に、こうした光学的錯誤の主題が全面的に繰り展げられていたことだ。周知の通り、冒頭で語り手は、富山県の魚津の海岸で名高い蜃気楼を見物している(要するにその帰りの上野行きの列車の中で「押絵と旅する」老人と出会ったのだ)。
蜃気楼とは、乳色のフィルムの表面に墨汁をたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、途方もなく巨大な映画にして、大空に映し出した様なものであった。
のっけからフィルムと映画の比喩である。この時代、世界はすでに映画であったのだ。
遙かな能登の半島の森林が、喰違った大気の変形レンズを通して、すぐ目の前の大空に、焦点のよく合わぬ顕微鏡の下の黒い虫みたいに、曖昧に、しかも馬鹿馬鹿しく拡大されて、見る者の頭上におしかぶさって来るのであった。それは、妙な形の黒雲と似ていたけれど、黒雲なればその所在がハッキリ分っているに反し、蜃気楼は、不思議にも、それと見る者との距離が非常に曖昧なのだ。遠くの海上に漂う大入道の様でもあり、ともすれば、眼前一尺に迫る異形の靄かと見え、はては、見る者の角膜の表面に、ポッツリと浮んだ、一点の曇りの様にさえ感じられた。この距離の曖昧さが、蜃気楼に、想像以上の不気味な気違いめいた感じを与えるのだ。
この短篇が、「この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかったならば、あの押絵と旅をしていた男こそ狂人であったに相違ない」という一行ではじまるのは記憶していた。だが、その先に来るのが次のような文章であることはすっかり忘れていた。
だが、夢が時として、どこかこの世界と喰違った別の世界を、チラリと覗かせてくれる様に、又狂人が、我々の全く感じ得ぬ物事を見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那、この世の視野の外にある、別の世界の一隅を、ふと隙見[すきみ]したのであったかも知れない。
魚津の蜃気楼以前に、すでに『押絵と旅する男』そのものが、「不可思議な大気のレンズ仕掛け」の結果かもしれないと語り手は言っているのだ。蜃気楼もまた自然現象であるよりも、「大気の変形レンズ」のしわざとして扱われている。レンズ豆はレンズに似ているからその名があるのではなく、光学的レンズの発明以前にレンズ豆と呼ばれていたそうだが、大気がレンズになるのはレンズが存在してからだろう。
光学器械を介さずに「すぐ目の前の大空に、焦点のよく合わぬ顕微鏡の下の黒い虫みたいに、曖昧に、しかも馬鹿馬鹿しく拡大されて」見えたとは、まさしく『スフィンクス』の怪物である。ポーは、彼の時代には存在しなかった映画のクロースアップを、テクノロジーなしで先取りしている。『スフィンクス』の語り手が山腹に見るのは拡大されることで怪物化された、小さな生き物である。もちろん、レンズによって遠くのものを近くに引き寄せたり、近くのものを拡大したりできることは知られていたから、その応用といったところだ。大空ではなく、剥き出しになった山の地肌というスクリーンさえ、そこには用意されていた。
引用した部分で乱歩が言っている「距離の曖昧さ」は、「能登の半島の森林」とも相俟って、奇しくも能登の人である長谷川等伯の「松林図屏風」を思い起こさせる。今年も国立博物館の年初の特別展示で見られたが、あれは見る者の眼の中でしか完成しない絵だ。
あのような水蒸気に満ちた湿気の多い風景はいかにも日本的であり、四角い窓枠に切り取られて、ハドソン川を隔てた山肌に「馬鹿馬鹿しく拡大され」た「虫」は、もっとくっきりした鮮明な輪廓と細部を保っていたと思われる(だからこそ語り手は友人に克明な描写ができて、相手は種を同定しえた)。しかしそれをも含めて乱歩はポーから継承し、必要な変更を加えたのであり、それは本題の押絵をめぐる奇譚のみならず蜃気楼の記述にまで及んでいる。しかも、汽車に乗り合せた老人の持っていた押絵の額を、やはり彼のものである古い双眼鏡でのぞいたところ押絵の人形が生きていた、なという話は夢や狂気や妄想で済ますにしても、語り手は蜃気楼をその目で見たことの現実性さえ、次のようにやすやすと放棄してしまう。
私がこの話をすると、時々、お前は魚津なんかへ行ったことはないじゃないかと、親しい友達に突っ込まれることがある。そう云われて見ると、私は何時[いつ]の何日に魚津へ行ったのだと、ハッキリ証拠を示すことが出来ぬ。
双眼鏡は今は押絵の人形になっている当の兄が、横浜の道具屋で手に入れたものだが、弟はそれを「魔性の器械」と呼ぶし、語り手はともすれば語る出来事が夢まぼろしであったような口ぶりになる。「信用できない語り手」と見なされ、自分の語っていることを狂気や夢、非現実の側へ押しやることこそが、真の望みであるかのように。
真昼の蜃気楼*
魚津の浜の松並木に豆粒の様な人間がウジャウジャと集まって、息を殺して、眼界一杯の大空と海面とを眺めていた。私はあんな静かな、唖の様にだまっている海を見たことがない。日本海は荒海と思い込んでいた私には、それもひどく意外であった。その海は、灰色で、全く小波一つなく、無限の彼方にまで打続く沼かと思われた。そして、太平洋の海の様に、水平線はなくて、海と空とは、同じ灰色に溶け合い、厚さの知れぬ靄に覆いつくされた感じであった。空だとばかり思っていた、上部の靄の中を、案外にもそこが海面であって、フワフワと幽霊の様な、大きな白帆が滑って行ったりした。
人が何かを見ようと大勢集まり、それが現れるのを今や遅しと息を殺して待っている。空と海はそこに差しかけられた灰色の巨大なスクリーンだ。そしてその上にうごめく異形の影こそ蜃気楼であった。
曖昧な形の、真黒な巨大な三角形が、塔の様に積重なって行ったり、またたく間にくずれたり、横に延びて長い汽車の様に走ったり、それが幾つかにくずれ、立並ぶ檜の梢と見えたり、じっと動かぬ様でいながら、いつとはなく、全く違った形に化けて行った。
蜃気楼とは絵にあるような龍宮城ではなかったと語り手は言う。
私はその時、生れて初めて蜃気楼というものを見た。蛤の息の中に美しい龍宮城の浮んでいる、あの古風な絵を想像していた私は、本物の蜃気楼を見て、膏汗[あぶらあせ]のにじむ様な、恐怖に近い驚きに撃たれた。
それは場所としては離れているが現実にあるもの(能登の森林)の写しで、空気の状態によって文字り変幻する不安定なまぼろしだが、無から有を生じるのではなく、存在しないものは現れえず、また見る者の思い通りになるものでもない。そもそも『スフィンクス』では都合よく空白の山肌が生じて、そこへの投影をしやすくしていた。しかしそこに何を見るかは、『ソラリス』の訪問者と同じで選択できるものではない。「構成の原理」なぞと言ってポーはあたかもそれが可能であるかに韜晦的にふるまい、乱歩は心酔しているけれど、(優れた)実作者でもある乱歩が経験的に気づいていなかったはずはない。双眼鏡を浅草寺の境内の人混みに向けた「押絵と旅する男」の兄は、自分の運命に出会うしかなかった。娘の顔が双眼鏡に入ってこない方がよほどありえないことであった。
それ以来[兄がこの世から見えなくなしまって以来]というもの、私は一層遠眼鏡という魔性の器械を恐れる様になりました。殊にも、このどこの国の船長とも分らぬ、異人の持物であった遠眼鏡が、特別いやでして(…)
蜃気楼とはユートピアのかいま見ではありえなかった。そこは無時間の龍宮城ではないので、押絵の額の中の世界もまた、老いと死(語り手は前者にしか触れていないが)に脅やかされており、「二十五歳の美少年」だったのが白髪の老人になって、苦しげに結綿の美少女を抱きしめている。
「横浜の支那人町の」道具屋によれば外国船の船長だという双眼鏡の元の持主は、書き手が一種の幽霊船に乗っている『壜の中から出た手記』にはじまり、海上で、『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』の、行く手に立ちはだかる乳色のフィルムのような白い巨人に出会う「ページの果てまでの旅」に至るキャリアを有する、エドガー・アラン・ポー船長に違いない。
* ジュディ・オングの唄う歌詞であるが、そもそも真夜中の蜃気楼というものはないので重言であった。


















