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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

風俗をめぐって

 かつて『雪国』の英訳版の読者は、駒子が布団から畳の上に転がり出るところを、ベッドから床に落ちたように誤解したという。新潮文庫の『卍』には、園子とその夫が食事をしながら畳の上に絵を置いて眺めるくだりについて、わざわざ註釈(むろん谷崎のではない)がほどこされているが、この註釈者は、テーブルで食事をしながら足元の床に絵を寝かせて見るという不可解な情景を未来の読者が思い浮かべる可能性を想定したのだろうか?

 成瀬の『おかあさん』で、美容師になろうとしている中北千枝子が持ってきた着付け練習用の花嫁衣裳を見て、「これ売るの?」と幼い息子が訊く。タケノコ生活を(少なくともその言葉と事実を)知らなければ、笑うこともできないだろう。

 昔の婦人雑誌の附録の洋裁の本には、「夏だけ洋服をお召しになる方のために」というページが必ずあったものだ。

『女人哀愁』の入江たか子は、婚家で不幸な生活を送るが、彼女が日本髪を結っているのを、なんで家の中で芸者みたいな恰好しているんだとか、あんな頭しているから義理の姉妹にいじめられるんだとかサイトで書いている人たちがいるが、あれは、たんに既婚者が結う丸髷だろう。これは想像になるが、新婚だから特別結っていたのではないか。

「私の嫌いな成瀬」というタイトルで、再見した『驟雨』のことを書こうと思っていた(悪口を読みたいと思ってグーグルして、『驟雨』が好き、しかも成瀬のフィルムで一番好きという人がけっこういるので驚く。これと『石中先生行状記』が好きだという人とは友だちになれそうにない)が、翌日見た『流れる』があまりにもよかったので、当然好きなものの方について考えたくなった。でも、今回は、主に、歴史的、風俗的側面にかぎることにする。

『流れる』も『驟雨』も同じ56年の作、『驟雨』はお正月映画だったという(いずれも初見は新文芸座の特集)。この年成瀬はもう一本、『妻の心』も撮っていて、そこでは小林桂樹と高峰秀子が夫婦役だったが、『驟雨』では佐野周二と原節子夫婦の隣家の亭主を小林がやり、『流れる』の高峰は、山田五十鈴の営む芸者置屋「つたのや」のひとり娘。前年の大作『浮雲』は言うまでもなく高峰がヒロイン、『流れる』で若い芸者役だった岡田茉莉子は『浮雲』では温泉旅館の主人加藤大介の、ドキッとするほど美しい(あの眼差し)、退屈しきった妻。『流れる』では加藤は中北千枝子の別れた男(太り過ぎで暑くるしい。シャツの胸ポケットにタバコのパッケージが入っているのは、成人男子はタバコを吸うことに決まっていた時代の男の特徴)、中北は『浮雲』では森雅之の妻で、訪ねて行った高峰の前にいかにも本妻らしい色気のなさで現われた。

『驟雨』は息抜きだろうか。(あの綿密な仕事を「手抜き」と言う勇気はないが。)それにしても、『浮雲』が成瀬の代表作だというのには全く賛成できない。異色作ではないのか。
 
『流れる』も成瀬の多くのフィルム同様季節は夏で、しきりにうちわが動く。山田五十鈴の暮す二階の部屋と、昔の旦那とよりを戻して金を出してもらう覚悟で行ったのに相手が来なかった旅館の座敷には、扇風機もあった。(ちなみにうちで扇風機買ったのは60年、父方の祖母(父の結婚と同時に生さぬ仲の長男の家へ移ったが、地続きなので毎日のようにうちへ来た)がうちで転んで(骨折?)、そのまま座敷で療養(『流れる』の中北の娘、ふじ子ちゃんみたいに)することになり、子供たちを連れて実家に帰省していた母は呼び返され(私は、一度は帰るけれどそのあともう一度来ると騙されて連れ戻されたので、ついて来た母方の祖母が帰るとき、自分は残るのだとはじめて知って大泣きした)、そして、『女の座』で倒れた笠智衆みたいに、寝ている祖母は手土産を持った父の兄姉を呼び寄せて、私の夏休みの絵日記にその姿をとどめることになり、祖母のために扇風機が買われた。)芸者たちが家(置屋)で着ている普段着の浴衣は白地に粗い模様が飛んでいるが、これが普通であり、今どきのようなくどいのはなかったのだと思う。今だとあっさりし過ぎて寝間着に見えてしまうようなのが定番で、女の子の浴衣なら花や金魚で赤い模様も入るが、大人の女は紺一色だったのではないか。山田の姉、賀原夏子が、一度ワンピース(アッパッパと呼んでいいのだろう)を来て「つたのや」に現われるところがあったが、玄関から上がってきた足元は白足袋だ。帰ってゆく賀原を外の路地でとらえたショット、もちろん履いているのは下駄である。下駄は大人にも子供にも身近な履物だった。そうでなければ、『驟雨』の原節子が、下駄の安売りを囲む人垣に入って財布をすられたりはしない。

 朝からつたのやの周りではいろいろな音がしている。開放的な家の構造のせいで音は自然に屋内へ入ってくる。内と外とが自在に交流する。山田と賀原(それとも栗島すみ子だったか)が話をする喫茶店にも豆腐屋のラッパが流れ込んでくる。最後、山田と杉村春子の三味線の競演、それに、二階で高峰がミシンを踏む音が重なる。

「鋸山」こと宮口精二も、そんなふうにして平気で入ってきてしまう。今でも石が出るんですか、という山田のとぼけた発言に、ゆすりに来た宮口、自分はその石工だと答えると、あたしはまた鋸山っていうから鉄でできてるのかと思いましたよ、と山田。(私は、鉄とは思わなかったけれど、山のてっぺんがギザギザなのかと子供のとき思ったものだ。鋸山は遠足の行き先として知られていた。弟は行ったけれど、私は一度も行ったことがない。)

 高峰の夏のワンピースは身頃が伸びて肩をおおったフレンチ・スリーヴで、それにスリットが入ったりもする。ウェストは絞り、スカートはたっぷり広がったデザイン。岡田茉莉子はダーツで身頃を絞ったスーツだった。帰ってきて下着姿になるが、ブラジャーにスリップを重ねた暑そうな恰好だから透けてみえたりはしない。「鋸山」の姪も、始まりの方(始まりの方しか出ないが)で洋装で出かけるとき、ブラウスの背に下着の紐が何本も透けて見えていた(あれを重ねるように雑誌でアドヴァイスされていたもの)。今のように色のついた肩紐や、胸元のレースをわざと見せるなどというのはありえなかった。夏だけ洋装の人のための着物っぽい打ち合わせのデザインを紹介するスタイルブックは、夏の下着の整え方もモデルを使って載せていて(言うまでもなく夏だけの人用ではない)、これがまたガードルをつけ、ガーターベルトでストッキングを吊り、ペチコートをはくという恐るべきもので、私はお菓子を食べながらこういう記事を熱心に繰り返し読んだものだけれど、大人になったら本当にこんな恰好をするのだろうかといぶかしまずにはいられなかった(もちろんその前にすたれてしまった)。むろん、皆が洋装を知らないからこそ、ここまで正式なやり方が解説されていたわけで、それでも、上野松坂屋まで行くのに母がナイロン・ストッキングをはくことだけでも、信じられない思いで子供の私は眺めたものだ。

 女たちがフル下着を付ける日は来なかった。私の母は腋毛を剃らなかったから、自分で仕立てる夏服には必ず袖をつけ、ノースリーブを着ることはけっしてなかった。

『流れる』で高峰秀子は、四角い木枠に釘を打ちつけたと思われる一種の簡易織物器で、縦糸を張った間に横糸をくぐらせて、布の小さなピースを織る手芸をやっている。これは比較的最近もリバイバルして、コースターの作り方等を手芸の本で見ることができるが、母の昔の編物の本には、毛糸で何十枚も織ってかぎ針で接ぎ合わせ、羽織だの、子供のワンピースだのを作る方法が紹介されていた。

 路地に入ってきたゴミの車にバケツを持った住民が近づいて、自分で中身のゴミをほうり込むシーンがあった。東京オリンピック以前はそうやっていたのだろうが、私はこの光景を見たことがない。道端のゴミ箱は覚えがあるが、中身がどうやって回収されているかは知らなかった。というより、それが回収されることなど考えもしなかったし、第一、誰がそこにゴミを入れているのかも知らなかった(今思えばその家の住人だったのだろううけれど)。うちでは裏にゴミ捨て用の大穴があって、ナマモノは埋めたし(これを、ごみを「いける」と言った。あるいは「うめる」。うずめるではなく)、紙類は燃した(「もやした」ではなく「もした」)。だからたぶん、ゴミ収集は利用していなかったのだと思う(新築と同時に、押し入れ、物置、便所があった一画の乗っていた土地と、その裏のゴミ捨て場だった場所は地主(父の長兄)に返却——戦後の仮住まいだった建物を建て替えるとき、そうする約束になっていたのだ——したのでゴミ捨て場もなくなった。ちょうどその頃か少しあとに、ポリバケツを出す方式(袋になったのはもっとあとだ。ゴミ収集車が来たあと、空になったポリバケツを引っ込める主婦が一家に一人はいたのである)になったのだろう。

 ゴミを「もす」穴の向うには、空襲で焼けた昔の家の庭の、繁茂するにまかせた緑があるばかりだったから、人の迷惑にはならなかったのだろう。あるいは、煙が迷惑になるという考え自体、なかったかもしれない。ダイオキシンを出すものもなかったろうし。後年、地獄の類語としての「ゲへナ」についての説明(エルサレム郊外のゴミ捨て場で、煙が絶えなかった)を英和辞典で読んだとき、私は裏でくすぶっていたゴミの穴を思い出した。

 馬の演技は本物の馬にはできないと、『旅役者』の藤原釜足の顏を立てて言っておこう。でも、猫は違う。『流れる』のポン子、悠揚迫らぬいかにも猫らしい演技だったね!
by kaoruSZ | 2005-10-21 15:54 | ナルセな日々 | Comments(4)
Commented by ユウ at 2005-10-23 21:14 x
はじめまして。関西の大学に通う大学生でユウといいます。
実は、成瀬に関してのレポートで大変困っています。
勝手なお願いで申し訳ありませんが、ぜひ、知恵をお貸ししいただけませんでしょうか。もしお時間がありましたらyuupiu@yahoo.co.jp にお返事をお願い致します。
Commented by 鈴木薫 at 2005-10-24 09:28 x
ユウ様
このコメント欄に、内容をお書き下さっても結構です。
やはりメールの方がよいということでしたら、「カテゴリ」欄の「◆売り物」という項目をあけるとメールアドレスがありますので、そこへお手紙下さい。
Commented by 京野菜 at 2006-01-29 21:48 x
はじめまして。すごいレベルのブログにぶち当たってしまった。「『流れる』のポン子、悠揚迫らぬいかにも猫らしい演技だったね!」。まったく。岡田茉莉子の下着の描写にしても、かないません。参りました。
Commented by kaoruSZ at 2006-01-30 11:16
京野菜さん、お褒めの言葉恐れ入ります。
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