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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

センチメンタル・ジャーニー

  カルチャー・レヴューに成瀬論の続きを書いた。終えることを考えると終わらせられそうになかったので最終回はまた先送りに。

 30日正午過ぎに原稿送り、3時にYさんと谷中の朝倉彫塑館内で待ち合せ。ちょうどに着くと、門の外で待っていたYさん、なんと早く来過ぎてもう見てしまったという。もう一度一緒に入るというが、人が多そうなので私はまたにする。会話の様子では、遠くからも見に来ているようだったとか。話に聞く喫茶店「乱歩」(半濁音の○が歩の字に付く)へ。その前に菩提寺の前に来たので入る。こんなにお寺が多いとは思わなかったというので、振袖火事のあと神田のお寺がこっちへ移ってきて寺町を作ったのだと知識を披瀝。川越から谷中に出てきた先祖はお寺が神田にあった頃からの檀家とは、本家の法事に出たとき聞いた話。「乱歩」、いし辰の並びだった。話の種には面白いが、ゆっくりする場所ではない(二時間で再注文だし)。デニーズ並みにずっといられてタバコの煙が来なくてデニーズのようにコーヒーと称してへんなものを出さないところを探しているのだが、見つかっていない。椿屋珈琲店、珈琲はいいのだが今どき申し訳程度の禁煙席しかなく、しかも喫煙席とのあいだにまともな仕切りがないので呆れた。二三階のうち一階分を禁煙にしてくれたら、東郷青児の絵という趣味の悪さには目をつぶって行きつけにするのに。

 Yさん、「いし辰」大好きだそうで、ここが本店だったかと喜ぶ。突然、前の道を消防車がサイレンを鳴らして通り過ぎる。狭い坂道を消防車が走り下りる光景自体はじめて見るが、それがまた何台も。坂下まで降り、消防車の行った方へ(行き先だし)歩く。途中で、火元はうどん屋さんだと教えてもらう。煙も見えずきな臭くもなかったからボヤだったのだろう。現場の見当はついたが、ヤジ馬になるのはやめて谷中銀座を駅へ向かって上る。ダージリンで早めの夕食。日暮里側しか知らなかったが谷中はいいわね、とYさん。まあ、観光地(倉敷みたいな)と思って外から見ればいいかも。マンションが建っちゃうよりも商店街がそれでやっていけるのなら……。Yさん、翌日も時間あるそうなので読売でもらったプラド美術館の1日までの券をあげる。私は開館と同時に九時に入り、とてもそんなに早くは行けないというYさんは遅く行って、十二時にミュージアム・ショップで落ち合うことに。翌朝、しかし途中で頑張る気をなくし、洗濯物が乾いてから出かける。着いたのは十一時。ひととおり見て、買った絵はがきをよくよく見ようと会場内のソファに腰をおろしたところをYさんに見つけられる。十時半に来たという。六月までやっているから、もっとすいている時期にお金を払ってまた来るつもりなので十二時前に出てしまう。入口は行列札止めになっていた。GW中はやっぱりだめだ。絵はけっこういいのが来ていた。

 湯島から千代田線に乗ることにして不忍池へ。池畔で骨董市。魚を何匹も線描した小皿、いいなあと思って裏を見ると五桁の値段。骨董にまではまだ手を出していない。前日、地下で床屋が撤収作業しているのを見た三信ビルへ。しばらく前から土日祭日は一階の出入口シャッターをおろしてしまうのは知っていたので、「閉鎖しました」という三井不動産の貼紙は当日のみのこととは思いつつ一抹の不安があった。はたしてニューワールドサービスちゃんとやっている。(壁から突き出していた床屋のアメンボウはもう回っていない。)Yさんハンバーガー、私はポークジンジャー。食事のあと、二階廻廊へ。
「これを壊してしまうの?」
 間近で見る装飾に、Yさんの口からもMさんと同じ言葉が洩れる。地下に降りると、床屋のショーケースの中の昔の写真もちろんない。移転先が書いてあったから、そこでまた飾っているのだろう。三信書房は営業中。

 Yさんとはそこで別れて秋葉原へ。交通博物館へ向かう途中、海老原商店健在なのを見る。交通博物館のことはミクシィの近代建築コミュに書いた――。

1日に行ってきました。吹き抜けに吊られたヘリコプターの風防につもった埃や、すっかり古びてしまった(最初に見たときすでに古びていた)複葉機を見上げながら、ときどき立ち寄ってひとけのないがらんとした中でぼうっと過ごしてみたいと思いつつ、時が経ってしまったんだなあと思いました。

以前は夏になると川に面した窓をあけていて(その後展示物ですっかり塞がれてしまいました)、中から水面が見えるのも好きでした。博物館て、たんにそこで見る展示物ばかりでなく、そういう空間そのものが思い出ですね。

遺構は以前の公開時よりちょっとだけ整備&演出されていました。今回スクリーンに使われた高架下のアーチは、そのときは未公開だったと記憶します。階段を上りつめた最後のポイント、前回の時は、草むすプラットフォームへ小さな扉からひとりずつ頭をそっと出して外を見たんですよ。それが、何人も一度に見られるように大々的にガラス張りの開口部が作られていました。遺構の中へ一歩踏み込んだときはひんやりした空気を感じたのですが、昨日は暑かったもので、最後は日のあたる高架上でガラス箱をかぶせられた温室状態でした。


 秋葉原デパートの中でしばらく過ごし、鍛冶町で珈琲とケーキ、暮れなずむ街を淡路町を通り小川町へ。司町、多町あたりがどうなっているかを見たい気もするが、今日はやめておく。この朝、TVで昔のフォーク歌手が耐久コンサート開くとかという話をやっていて「神田川」と「いちご白書をもう一度」の一節を耳にしており、「神田川」はどうでもいいのだが、「いちご白書を……」のルフランがともすればよみがえる。すずらん通りに入る。

  君も見るだろうか  「いちご白書」を 
  二人だけのメモリー どこかでもう一度

 歌詞の意味がどうこうより、ともかく曲がいいのだ。「とーきはながーれーたー」みたいなストレートで一本調子なのとは大違い。

たとふれば、

  青葉さへ見ればこころのとまるかな散りにし花の名残と思へば

のうちつけさに対する

  春はいぬ青葉のさくら遅き日にとまるかたみの夕ぐれの花

のごとし。(例は塚本邦雄からの盗用。)

 閉店間際の書泉グランデで『学生と読む「三四郎」』(石原千秋)買う。神保町、ランチョンの並びにファスト・フード屋だのコンビニだの見なれないのができている(もう何年もあるんだろうけど)。スマトラカレーの店、もしかしてないのかも、と思うと昔のままの地下への階段もそのままにあったので入る。石原千秋、ジュンク堂の規模にはじめて行った学生は腰を抜かすほど驚くと書いている。私がHに連れられてはじめて行って驚いたのは東京堂(昔の)だ。高校生のときで、それまでは上野中通りの明正堂が私の知っている一番大きい本屋だった。Hは小林秀雄訳の文庫『地獄の季節』を買い、私は何も買わなかった(ありすぎて)。明治大学も工事がはじまってからは一度も見ていなかった(これももう何年も前に完成か)。通りにそって夜の中に大きな木がそびえる。むろん新しく植えたもの。昔、Hが、ここで朔太郎が講義したのよね、と指さして言ったもの。そのとき入った喫茶店はとっくに――Hのまだいるうちだったので、あそこなくなっちゃたね、と話し、そうやってその日を覚えていることを互いに確認し合いもした――なくなってしまった)。新御茶ノ水駅までの小センチメンタル・ジャーニー。強い日射しにあたったせいもあって熱っぽく軽い頭痛、幸い翌日までに消える。
by kaoruSZ | 2006-05-02 20:28 | 日々 | Comments(0)