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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

Desire

「恋愛」にまともな恋愛とまともでない恋愛を想定するのは、異性愛以外のレズビアンやホモセクシャルを差別する硬直した恋愛観と同じくらい差別的な恋愛観ではないだろうか。『ノルウェイの森』を読んでもし「これは恋愛ではない」と感じるとしたら、気づかないうちに「恋愛差別主義」(?)に陥っているかもしれないのだ。
                    (石原千秋『謎とき 村上春樹』272ページ)


 むろん石原千秋はこの文章を、その書き手が「非異性愛者差別者」であると読まれうるとは夢にも思わずに書いたに違いない。

「心を通わせていない「恋人たち」の関係が「恋愛」であるはずがないという批判」に対して、上の文章は書かれたものである。石原はどうしてこの比喩を選んだのか(彼自身も言うように、テクストに偶然はありえない)。「『レズビアンやホモセクシャル』(ママ)の恋愛を差別するのはいけないことだ」という前提がある(少なくとも石原の本を読むほどの者なら、差別は正しくないという知識を共有している)ので、これを出しておけば間違いなく勝てるというのがまずあろう。「レズビアンやホモセクシャル」は、すでにそうした表象になっているわけだ。

 しかし比喩にはもう一つの機能がある。「レズビアンやホモセクシャル」の恋愛関係と、「心を通わせていない「恋人たち」の「恋愛」関係」が、ここでは交換可能な位置に置かれることになる。どちらも「異様」に感じられようが(石原自身がどう感じているかは関係ない。「テクストはまちがわない」)、「硬直」していない「差別的」でないあなたならそれを理解できますよね、と彼は想定された読者に呼びかけているのだ。つまり、この比喩に躓かずにスルーできる理想的読者とは、非異性愛者の恋愛を差別することはPC的に許されないという知識を持っており、かつ、「レズビアンやホモセクシャル」の恋愛は「異様」だと思っている人だということになろう。

 もともとこの本は、石原千秋の「ホモソーシャリティ」についての認識を確かめたくて買った(念のために言うと、どちらかといえば好きな書き手であり、ずっと読んできた)。今日の夕方買ったばかりなので隅々まで読んだわけではないが、「ホモソーシャル」については以下のように説明している。

ホモセクシャルとホモソーシャルは違う。ホモセクシャルはふつう「ホモ」と略されるもので、男性同士が肉体的な関係を持つことを言う。ホモソーシャルとはそれとはまったく違った概念で、「ソーシャル」だから「社会構造」のレベルの問題である。簡単に言ってしまえば、男性中心社会のことである。現在のわれわれの「父権性的資本主義社会」の性質はホモソーシャルと呼んでいい。
 
 石原はセジウィックの名前を挙げていないようだが……信じられないことだが(『こゝろ』をはじめとする漱石研究の立役者であるから)、読んでいないのか? 引き合いに出されているのが上野千鶴子だし。

いまは少なくなったが、結婚式に行くとまだ「何々家・何々家披露宴」と書いてあることがある。この何々家とは父の名のことを指している。ということは、男同士が女のやりとりをしているのである。こうして何々家と何々家が次々と女性の交換をし合うことで、ホモソーシャルはシステムとして成り立つ。

 これだけなら「父権制」ですむことだ。セジウィックは「Homosocial Desire」と言ったのである。



「ウェブ評論誌コーラ」の次号に載せてもらう拙稿は、結局「〈ホモソーシャルな欲望〉再考」と題するものになった。書き切れなかったので次回に続くが、上のケースにも話が及んだりすると、三回くらいになるかも。今回も映画の話ではなくなってしまったが……以下の文献に言及している。12月半ばにはアップされるでしょう。お楽しみに。

中沢新一『ぼくの叔父さん 網野善彦』(集英社新書)
Eve Kosofsky Sedgwick "Between Men: English Literature and Male Homosocial Desire" (Colombia University Press)
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)
高田里惠子『グロテスクな教養』(ちくま新書)
黒岩裕市「“homosexuel”の導入とその変容――森鴎外『青年』」『論叢クィア』第1号(クィア学会)
by kaoruSZ | 2008-12-05 21:14 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(2)
Commented at 2008-12-06 02:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kaoruSZ at 2008-12-06 10:59
石原千秋様、コメントありがとうございます。

>「非異性愛者の恋愛を差別することはPC的に許されないという知識を持っており、かつ、「レズビアンやホモセクシャル」の恋愛は「異様」だと思っている人」の、後半はおかしいと思います。私の言説が想定し得るのは、「「レズビアンやホモセクシャル」の恋愛は「異様」だと思うことがふつうの人だと思っている人」です。つまり、メタ・レベルに立っている人です。

なるほど。ちょっと説明しますと、前半部分の「「PC的に許されない」と“知識”でわかっている人間」というのも、私はメタ・レベルでなくとらえています。そして、こういう人間を信用しません。「頭では」わかっていても、それは往々にして「あいつら気持ち悪い。見えないところで勝手にやってくれ」という本心とセットだからです。

つまり彼らは、「「レズビアンやホモセクシャル」の恋愛は「異様」だと思うのがふつうの人であり自分はふつうの人であると思っている人」です。

こうした人間こそが石原さんの言説にハマれる個体、つまり啓蒙的に教育されうる対象ではないかと、(ちょっと意地悪に)思ったわけです。
(つづく)