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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

紅茶の味

初出 2022年3月25日 骨董品モチーフSS


https://x.com/kaoruSZ/status/1507339378107944971?s=20


「あと何杯飲めるかな」


 貝殻を象った優雅なポットから二杯目の紅茶をカップに注ぐと、父は決まってそう呟いた。昼でも店内は海底のようにくらく、魚の形の色ガラスを透して差す光が、ティースプーンをあやつる父の手元を照らしていた。外出だからと白髪を七三に分けた父の、若い頃は昭和の映画スターの誰彼に似ていると言われたという彫りの深い横顔と、喉仏が動いて紅茶を飲み下すのを私は見守った。


 車椅子を押して木立の中をゆっくりと病院へ帰る。そういう週末が何度か続いて私の気がゆるんだ頃、父は突然意識不明に陥った。


 もともと家族が泊り込める、窓の外は冬でも鮮やかな花壇がめぐらされたテラス付きの個室のカーテンを開け、もう父の眼に映らない花々を見ることではじまる生活を七日続けて、明け方に呼吸が停るのを見届けた。実のところ医者は二三日で片がつくと思っていたのだが、華奢な陶磁器と違い、父はおそろしく頑丈だった。


 死後の処置のため入ってきたはじめて見るナースは、父を一瞥して、「高い鼻ですねえ」と感嘆するように言った。


 長い時が経って、ようやくそのあたりを再訪する気になったが、当然のことのように店はあとかたもなく、駅前に戻って昔ながらの瀬戸物屋に入り、マグを一つ買った。そこに人魚の画が描かれていたからだ。この頑丈なマグで私の「残り」があと何杯かを数えるのも一興だと思ったのだ。


# by kaoruSZ | 2023-12-23 17:31 | 文学 | Comments(0)

装身具

初出 2022年4月8日 骨董品モチーフSS


https://x.com/kaoruSZ/status/1512333237556719621?s=20


「母の失踪後、繰り返し見た夢ーー僕は残忍な王の息子で、母は姦通の罪を着せられ三人の王子とともに処刑されることになる。末の僕だけでも助けようと、お妃は自分の指輪を抜いて鎖を通し、眠っている僕の首にかけて脱出させた。大人になったときに証拠の指輪をはめて、父に会いに来られるようにね。それでお妃の遺品からは指輪が欠けているんだ」


「でもそれはこのセットのことではないわね」と私は言った。「残忍な王がいたのは昔のことで、この装身具一式は現代のもの。それに肝心の指輪をあなたは持っていないじゃない」


「そうさ、母はお妃と違って本物の罪ある女だからね。指輪以外は、僕とともに置いて行った。だから残されたこれらは無価値な物の象徴なんだ」


「もうそんな話はお忘れなさい」と私は言い、彼から贈られたばかりの指輪が光る手を差し伸べた。「お母さまのお品はお仕舞いになって。そして二度と開かないで」


    彼はその通りにした。だから今日、夫の遺品を売り立てることになった私の手元の目録にはあの装身具一式もある。


    物は人より長持ちするし、人の手から手へと移りもする。後の世の人が一式の中に指輪が欠けているのを不審に思い、その空白を新たな物語で埋めようとするかもしれない。残忍な王の血なまぐさい子供部屋の夢よりも、もっと奇しく、もっと美しい物語で。


# by kaoruSZ | 2023-12-22 21:21 | Comments(0)

スターゲート

初出 2023年9月9日 骨董品モチーフSS


https://x.com/kaoruSZ/status/1700466467848986625?s=20


 これを探していましたの。星座盤を手に静かな声で老婦人は言った。見つかるなんて思いもよらなかった。


 思い出がおありなんですね。水を向けると堰を切ったように語り出す。


 ずっと昔になくしてしまったんです。七つの私に従兄がこれをくれて、 スターゲートだと言いました。この門から飛び込めば別の世界に行きつける。その時のための道標(みちしるべ)だと。


 ある晩、星がひときわ輝いて、私は寝室の窓がスターゲートに変るのを見ました。そして星座盤を手に、窓から飛び出し、星の海を渡ったのです。


 気がつくとベッドの上でした。この星座早見が私のスターゲートに似ているのと同じくらい、その寝室は私の子供部屋に似ていました。けれども私は、これこそが私の本当の部屋で、これまでの私の生活とはこのベッドで夜ごと見ていた夢にすぎないのだと知りました。今日からは全く別の、本当の人生をはじめることになるのだと胸を躍らせました。


 そして朝と失望が同時に来ました。そこにあったのはいつもと変らぬ風景、同じ顔ぶれ、退屈な一日にすぎませんでした。


 けれども一つだけ違うことがありました。星座早見がないのです。私の手元にないばかりでなく、尋ねても誰もそれを見たことはないと言い、従兄でさえ、そんなものを私にやった覚えはないと言うのです。あの星の海を渡るとき、きっとどこかで落してしまった星座早見。それを思いがけず今日、こちらのお店の飾り窓に見つけたんですわ。


 もう一度スターゲートをくぐりますか。品物を手渡しながら私は言った。


 いいえ。今では、そこにあるのは暗黒と死と錯乱だと知っていますもの。それに私が本当のスターゲートをくぐる日もそう遠いことではなくなりました。


 私の否定の身ぶりを彼女は微笑で遮った。


 人生で失ったもの、得られなかったもの、二度と見出せないものの象徴として、これをいただきたいの。


 小さな包みを手に、彼女は私に背を向けた。その姿が角を曲って見えなくなってしまっても、しばらくのあいだ軽い足音は廻廊の石畳と私の頭蓋にひびいていた。



# by kaoruSZ | 2023-12-22 20:07 | 文学 | Comments(0)

初出 2022年11月5日 骨董品モチーフSS


https://x.com/kaoruSZ/status/1588732469255475200?s=20


 これが君の家に伝わる祈祷書か。燕脂色の天鵞絨に私は指を走らせた。見てもいいかな。


 もちろん。


 Dは笑顔で答えたが、その息づかいの荒さを私は聞き逃さなかった。大丈夫なのかい、心臓は。


 父と同じで、いづれはこれが僕を殺す。だが今は大丈夫だ。


 D家は、長命の家系とは言い難かった。それは代々の当主の燕脂色の祈祷書への書き込みが、速い周期で筆跡を変えているのでも分る。壁に掛った彼らの肖像ほどにも、それらの文字には共通したところがない。しかし、一見似ているようには思えない肖像画が、よく見ると世代を超えてD家の特徴を顕しているように、てんでんばらばらの手跡は癖の強さという点で一致していた。


 その点、わが友は変りだねで、たまによこす手紙の文字は惚れぼれするほど流麗だった。僕の先祖には時々死を超えて生きようとする奴がいてね、と彼は言った。人間の見果てぬ夢さと私は言った。所詮無駄な抵抗だ。


 そうでもないんだ、とDは祈祷書の頁を繰った。ここに僕と同じ病気で死にかけた先祖の一人がいる。彼は病状と快癒の願いを記録している。このあと、筆跡が変っている。


 息子が跡を継いだんだね、と私。いや。白い手が素早く頁を遡る。見ろ、同じ手だ。私は覗き込んだ。似ている。だが、同じ人間ではありえない。そう答えたのは、さらに百年前の日付だったからだ。そう、ありえない。でもありえないことも起るんだ。彼は先祖から命をもらって生き延びた。


 何を言ってるんだこの進歩の時代に、と私は言った。今は十九世紀じゃないか。そう、何世紀も前の話さ。Dは力なく微笑した。今の僕は先祖の命でも欲しいよ。


 くれぐれも養生してくれたまえ。手を握って私たちは別れた。帰りの馬車の中で、私はDの話を考えた。それは命をもらうのではなく、先祖の一人に身体を乗っ取られるということではないのか。何にせよ心弱った男の妄想だ。

 

 しばらくして、Dが快方に向ったと聞いた。春になったらまた来てくれと手紙が届いた。私は喜んだが、新しいもの嫌いの男がタイプライターを使っているのには驚いた。しかも署名までタイプとは。


# by kaoruSZ | 2023-12-20 19:03 | 文学 | Comments(0)

頭文字

初出 2019年12月7日 骨董品モチーフSS


https://twitter.com/kaoruSZ/status/1203325242044645377


 遠い夏、植民地で財をなした大叔父を父と訪ねた。父も私の年頃に滞在し当時は彼の友人もいたが今は召使のみ、それでも釣りをしようと袖を捲ると精悍だった昔が偲ばれる。肘の内側に刺青を消そうとした痕を見たのはその時だ。


 珍しいかねと大伯父は言い、私は不躾を詫びたが、相手は終始笑顔で、身体に刻みつけたいほどに愛した相手を肉を削いでも忘れたいと思うようになることもある、坊やも今に分るさと言った。


 数年後何かの拍子に大叔父の名を出すと、父は、あのイニシャルは叔父さんの植民地での偽名という噂もあってねと意外なことを言った。大叔父は逝き父も今は亡い。ある日美しい少年が訪ねてきて大叔父の名を出し、唯一残る縁者の私に返還をと印章を取り出した。


 この傷、父がやったらしいです。父は養子でしたが、先頃亡くなる前に、昔この印章で祖父とやり取りしていた相手、つまり貴方の大叔父さんの手紙を全部焼きました。父が嫉妬からイニシャルを削りかけた印章はご親族へと、遺言が。


 少年が去ると夕べの窓に私は印章を横たえ、思いにふけった。肉に食い入って消せなかった文字の記憶とまさ目に見る月光色の印章は、何ごともなかったように闇に沈みつつあった。



# by kaoruSZ | 2023-12-20 11:12 | 文学 | Comments(0)